連載0→1創世記

「データで医療界にイノベーションを」 医師・マッキンゼー出身者が集う情報医療(MICIN)・原が描く医療の未来図

インタビュイー
原 聖吾

東京大学医学部を卒業後、研修医としての経験を経て、民間シンクタンクである日本医療政策機構に籍を移す。さらにその後、スタンフォード大学経営大学院でMBAを取得、マッキンゼーに入社し、2015年に株式会社情報医療を創業する。

草間 亮一

マッキンゼー東京支社・ニュージャージー支社を経て株式会社情報医療を創業。
マッキンゼーでは、ヘルスケアの領域で、日本、米国や欧州にて、民間企業や政府組織にコンサルティングサービスを提供。
IoT等デジタルツールを活用した患者エンゲージメントのプロジェクトを多数経験。

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日本でも最も解決することが困難と言われるヘルスケア・医療領域において、医療業界が抱える課題や問題の解決に向けて取り組んでいるスタートアップがある。なぜ彼らは医療の仕組みそのものを変えようと考えているのか。

  • TEXT BY SAKYO KUGA
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医者からマッキンゼーを経て起業家となったCEO

2015年も残すところあと1ヶ月弱を残すのみとなった頃、情報医療(以下MICIN)は世の中で最も困難な課題のひとつ、「医療」というフィールドの変革に挑戦すべく誕生した。現在は無料遠隔診療アプリ「curon(クロン)」をサービスの中心に、機械・深層学習技術を活用したデータ解析などの事業を展開している。

CEOを務めるのは原聖吾。「失ってから取り戻すことができない、健康というものは、何よりも大事だと昔から思っていた。」と語る彼は、若かりし頃、迷いなく医者を目指した。

しかし、東京大学医学部を卒業後、研修医としての経験を経て、民間シンクタンクである日本医療政策機構に籍を移す。さらにその後、スタンフォード大学経営大学院でMBAを取得、マッキンゼーに入社し、MICINを起業するにいたる。

医学部卒業の経歴からはおよそ想像し難い経歴だが、なぜ原は、医師という道とは別の道に進んだのか。

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「僕が頑張るのではなく、医療の在り方を変えなければと思った」

東京大学医学部に入学した原であったが、卒業後に研修医として働いていたある日、医療の現場で患者と触れ合うにつれ、何か違和感を覚えるようになった。

人の医者が頑張るのではなく、医療業界の在り方を変えなければならないと思いました。現場では優秀な医師が身を粉にして、寝ずに働くという状況であるにも関わらず、患者にとっての医療は崩壊している、とメディアではさかんに騒がれていました。患者にとってあるべき医療が提供されていない状態だった。

「医療崩壊」や「医療訴訟」というキーワードがよく耳に入ってくるようになったのは原が医学部生であった10年ほど前からだ。

仮に自分がどんな優れた臨床医になったとしても、この状況は変わらないのではないか?

その疑問が、原を突き動かした。医師とは別のアプローチで、医療と関わっていくことを決め、行動に移したのは研修医となって1年後だった。

丁度その頃、第一次安倍内閣で内閣特別顧問に就任した、日本医療政策機構の黒川代表のカバン持ちの話をいただき、飛びつきました。

そうして原は、医療政策を考えるシンクタンクである日本医療政策機構にそのキャリアを移す。政策における意思決定、制度や医療の仕組みが作られる過程を目近で勉強する機会に恵まれたが、課題もあった。

事例がなければ物事が進まない。0から何かを生み出す経験が積みたいと思ったんです。

そして起業や事業創造に関心を持つようになった原であるが「当時の自分には、まだ事業を始める十分な自信が持てなかった」ために、スタンフォード大学大学院へアントレプレナーシップを学びに向かった。

その卒業後、「日本医療政策機構に尊敬できる卒業生が多くいた」という理由から気になっていたプロフェッショナルファーム、マッキンゼーに入社。医療機関のコンサルティングに携わっていった。

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マッキンゼー時代の仲間をCOOに

マッキンゼーでのキャリアを積み重ねていくにつれ、原は現在事業として取り組んでいる医療データの重要性について考えはじめる。「人的にも経済的にもリソースが限られている日本こそ、より価値の大きな医療にリソースを割いていかねばならない」

「誰もやっていないなら、自分が始めればいい」。経験を積み、やるべきことが見えた原に迷いはなかった。

そして周囲に起業プランについて話すようになった相手の1人が、現在MICIN COOである草間だ。当時草間はマッキンゼーのニュージャージーオフィスに転籍しており、夏季休暇を利用して日本に帰国していた。マッキンゼーを退社することを原から聞かされた草間は、原が何をするのか気になって尋ねたのだという。

草間そのとき初めて原の起業への想いを知りました。

学生時代は医療系、ヘルスケアへの興味は皆無だったという草間だが、マッキンゼー入社後はじめて携わったプロジェクトがヘルスケア関連だったこともあり、そこからヘルスケアへの興味が深まっていった。

さらに興味を深めることになったのは、難病患者向けの治療薬開発プロジェクトに関わったときだった。

草間ある希少疾患の患者さん達にインタビューをする機会がありました。

ご本人が、病気が見つかった経緯をお伺いすると、皆さんが本当に苦労をされていた。ある病院から、別の病院へたらい回しにされ、そのたびに同じ検査を受けられて。医療に関する情報がもう少し整理して、共有されれば、もっとこの人達の役に立てるのではないか。

初めて、医療という世界を身近に感じ、その重要性を体感した瞬間でした。医療を進化させることで救える人がいるんだな、と心の底から感じました。

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さらに偶然が重なり完成した経営チーム

草間5年、10年付き合ってきた男女が何かをキッカケに結婚する、みたいなことと同じです(笑)

草間自身、なにかのキッカケがあれば、世の中に違った形で貢献したいという想いが心の中のどこかにあったというが、それを具現化する、自らアクションを起こすまでにいたっていなかった。

しかしそこに、マッキンゼー時代の同僚である原の起業への想いが混じり合った。それがまさにキッカケとなってMICINにジョインすることとなる。

草間最初何をしようかと原と話していたとき、電子カルテを作ろうということになったんですけど、プログラマーがいないのでTECH::CAMPに僕が通うところからスタートしました。

ただ、思ったようには上手くいかないのが起業の難しさである。

「電子カルテはうまくいかなさそうだ」と悟った2人はすぐには創業せず、草間は一旦ニュージャージーのマッキンゼーへ戻ることになる。

しかし結果的に、それが新たなメンバーとの出会いを産んだ。ニューヨークで行われた日本人バーベキュー会に参加した草間は、天候のいたずらという偶然の末、後の同社CTOとなる、当時Googleニューヨーク支社勤務だった巣籠(すごもり)と出会った。

草間初対面にも関わらず、一緒に起業しないかということを誘ってみたら、(巣籠が)真剣に考えてくれて。

その年の秋に彼が日本に帰った際に原と会い、一緒にやりますかとなりました。たまたまニューヨークで巣籠と出会い、その友人のエンジニアの塩浜(後の4人目の共同創業者)と出会えたという人の縁がなければ、僕もマッキンゼーを辞めていませんし、この会社はなかったと思います。

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「失敗しても死なない」。データで医療の在り方を変える

現在同社は遠隔診療アプリ「curon(クロン)」を提供している。通院が困難な遠隔地に患者が在住の場合や、通院不要だが定期診療が必要な患者に対して「遠隔診療」を提供するサービスだ。

患者は通院しているクリニックから提供される専用アプリをダウンロードすれば、医者とチャットベースのやり取りが可能となる。

curonはシステムを医療機関に販売するというビジネスモデルは取っていません。患者への従量課金を敷くことによって、医療機関への金銭的負担を0にし、導入ハードルを下げています。遠隔診療を普及させたいんです。

同サービスを使えば、患者、医者の双方にとって、スマートフォンへの通知などを利用し、治療を継続しやすくなるというメリットがある。しかし、原が成し遂げたいミッションはこれで終わりではない。

curonの提供や大学・研究機関との取り組みによって蓄積した医療データを解析することで、個人の健康状態から将来の病気の可能性を予測し、人が納得感を持って医療を受けられるようになると考えています。

さらにマクロ視点でいうと、どの国で・どんな病気がこれから増えそうか?といった疾患の増減の傾向分析や予測、早期治療法の確立にも役立てられます。curonの普及は、MICINが成し遂げたい世界の序章に過ぎません。

医療という人の将来において大きな可能性を秘める同社のサービスだが、彼らが描く将来図を実現するためには、より多くの医療データを蓄積して役立てていくために医療機関を増やしていくこと、そして収集したデータを活用する新しい取り組みを作り出していくことなど、その課題は多く、壁も高い。

医師、マッキンゼー、Googleなど同社のメンバーのキャリアを追うと、その経歴は輝かしいものばかりだ。しかし、それらのキャリアを持つ彼らに対して物怖じしない人材を求めていることも確かである。

しかし原は、「これからは、バックグラウンドが異なる、異質な人材にこそ参画してほしい」と言う。

創業期はユニカルチャーのほうが立ち上がりが早いので思考を同じくするメンバーを集めてきましたが、これからのフェーズでは、多様性を持ったチームでやっていきたいと思っています。同じようなメンバーばかりだと、組織の広がりが限定されてしまいますから。

医療は医師が医師法という規制の元に行っており、ルールが変わらないことにはイノベーションを起こすことは困難だ。原曰く、「我々の事業は、普通に考えると成功確率は決して高くはない」

しかし、同社にとって追い風のごとく、今まさにそのルールがかわりつつある潮目を迎えている。

草間元々医者だったせいか、これでダメでも死なないよね、という腹のくくり方、絶対に軸がブレないところが原のCEOとしての魅力です。

マッキンゼー時代から一緒に働く草間は、最後にそう教えてくれた。ルールを変え、日本において最適な形の医療・ヘルスケアの枠組みを作るためのチャレンジを続けるMICIN。

相当な覚悟をもったCEOと、その元に集った優秀なメンバーの力が結集した時、この国の、いや、世界の医療が変革される時がくるかもしれない。

こちらの記事は2017年11月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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