連載起業家ができるまで

小学5年生で抱いた夢は、
ゲーム会社の社長になること

インタビュイー
西條 晋一

1996年に新卒で伊藤忠商事株式会社に入社。2000年に株式会社サイバーエージェントに入社。2004年取締役就任。2008年専務取締役COOに就任。国内外で複数の新規事業を手掛ける。2013年に数百億円規模のベンチャーキャピタルである株式会社WiLを共同創業。2018年、XTech株式会社、XTech Ventures株式会社の2社を創業、エキサイト株式会社をTOBで全株式取得し、完全子会社化。

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サイバーエージェントで10社の子会社社長や取締役を歴任し、現在はXTech、XTech Venturesの2社を創業。同時にQrioの代表取締役、トライフォートの社外取締役も務める西條晋一氏。

まさに、「多動力」という言葉が当てはまる西條氏とは何者か。

全4話でその全貌を明かす。第1話は、小学生から大学卒業までを描く。

  • TEXT BY TOMOMI TAMURA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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小学5年ではまった、パソコンゲーム

西條出身は、徳島県阿波市。田舎ならではの、増築で20部屋あるような代々続く家で、四世代8人で住んでいました。「長男だから、将来は手堅い職業に就いて家を継ぐ」という考えが当たり前の環境でしたね。

僕を変えたきっかけは、小学5年生のとき。ファミコンが発売された翌年の1984年、まちに一つあった電気屋さんにパソコンが並べられたのです。このパソコンでは、ゲームが無料でできたので、学校が終わると一目散に電気屋さんに行き、ゲームで遊ぶ日々を送るようになりました。

しかしある日、いつものように電気屋さんに行くと、パソコンのモニターには点滅するカーソル以外何も表示されていません。これではゲームが出来ない。お店の人に聞くと、「これは、プログラムが書ける画面だよ」と言われ、そこで初めてゲームはプログラムで作られていることを教わったのです。

家電製品のように、ゲームソフトも電子回路の組み合わせでできていると思っていたので、プログラムという言語の組み合わせで作られていることに衝撃を受けました。同時に、「プログラムなら自分でも書けるかもしれない」と思うように。ハードウエアの知識や電子部品、工具などを必要としないので、小学生でもお金を掛けず、自由にゲームを作れる、夢のようだぞ、と。

そこからは、本屋に行ってパソコン入門の漫画を読み漁り、お小遣いをためて買ったプログラミング雑誌を電気屋さんに持って行っては、パソコンにプログラムを打ち込む日々がスタート。

そして、将来の夢は「ゲームを作る会社の社長」に決まりました。

撮影:FastGrow編集部

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高校ではパソコンクラブを創立し部長に

中学卒業までは、同じような趣味を持つ人が周りにいなかったので、高校に進学後は、一緒にパソコンやプログラミングを語れる人を見つけるための作戦を考えました。そこで、パソコンと親和性の高そうだった数学の先生に「学校にパソコンを導入して欲しい、パソコンクラブを作って部長をやりたい」と粘り強く交渉。すると、数カ月後に約20台ものパソコンと専用の教室を導入してくれたのです。

早速、部員募集の紙を全教室に貼ると、パソコン好きをあぶりだすことに成功。パソコンクラブが部活動として認められました。

撮影:FastGrow編集部

コミュニティができたことで、学校の勉強はそっちのけで、よりパソコンにのめり込むようになりました。ただ、しばらくすると1年下の学生に、プログラミングの天才が現れたのです。「こいつにはかなわない」と、自分とのレベルの違いを感じ、パソコンから距離を置くように。受験シーズンにも入っていたので、それまでサボっていた勉強をすることにしました。

だけど、どうしても勉強に身が入らない。そんなとき、通っていた英語の塾の先生から「西條は勉強に身が入っていない。都会の予備校に行ったらどうだ」と提案されました。「都会なら、クオリティの高い授業があるし、やる気のある受験生に刺激を受けるだろう。行ってはどうか」と。

僕は昔から田舎の閉鎖的な環境を好きになれず、いつかは都会に出たいと思っていたので、都会の予備校に通う提案はうれしかった。親を説得し、冬休みや夏休みを利用して東京や大阪にいる親戚の家に泊まらせてもらって、短期間ですが都会の予備校に通えることになりました。

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将来、起業して社長になるための模索

そうして無事、早稲田大学に入学してからは、誘われるままに5つのサークルに入りました。結局、最後まで続いたのは演劇サークル。人前で話すのが得意ではなかったので、それを克服したいと思ったのと、少人数で温かい雰囲気のサークルが肌に合っていました。

演技は、恥ずかしさや表現力の限界を超える必要があり、サークルによって自分の限界を超える経験を積めたのは、とても良かったと思っています。

ただ、就職活動の時期になっても、肝心の「社長になる方法」は分かりません。当時はまだインターネット業界もなく、小売店や飲食店のようなイメージしやすい業態以外で会社を作るにはどうすればいいのか、どんな職業に就けば社長に近付くのか、見当もつきませんでした。

大学の図書館にこもり、起業について勉強を始めると、ベンチャーキャピタル(以下、VC)の仕組みを知ることに。当時は、銀行融資が一般的で、VCはほとんど知られていない時代。本を読み漁るうちに、「ベンチャーキャピタリストは起業家にたくさん会える。これだ!」と思いましたね。

「経営者と一緒に事業を考えるようなベンチャーキャピタリストになりたい。ゆくゆくは自分も起業したい」と、当時は数社しかなかったVCの就職試験を受け、見事ジャフコからの内定をもらいました。

しかし、あるVCの方から「新卒でVCに入ると、君が理想とすることはなかなか出来ないかもしれない。まずは、自分でビジネスができるようになってからVCをやったほうがいい」と助言をもらったのです。

これにはとても迷いました。たしかに、ビジネスを経験した後にVCを創業してもいいかもしれない。まずはビジネスができるようになるべきなのかも知れない──。悩んだ結果、ジャフコの内定を辞退し、ビジネスを知るために伊藤忠商事に入社しました。

こちらの記事は2018年04月09日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

田村 朋美

写真

藤田 慎一郎

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