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和製ユニコーンを創る。
テラドローン関が明かす、世界基準のPDCA手法とは?

インタビュイー
関 鉄平

慶応義塾大学経済学部卒。テラモーターズ創業メンバー。大学時代に世界一周を経験し、自分が日本人であることを伝えると、「ホンダ、ソニー、パナソニック」と言って、非常に感謝された。日本人であることに誇りを思い、世界に対してインパクトがあることを日本発で行いたいと考える様になる。スローガン社の紹介で、創業期のテラモーターズに大学3年次から国内営業担当としてインターン開始。 大学卒業後すぐ、2012年7月よりフィリピンの現地事務所に一人で駐在し、アジア開発銀行の支援する10万台EV化プロジェクトの入札獲得、フィリピンでの販売・メンテナンス網構築に従事。東南アジアに2年間駐在後、その後インドにて、3年間 0から商品開発、生産工場の立ち上げ、販売・メンテナンス網構築などを行う。2016年11月に日本に帰国し、新会社テラドローンにて日本市場の立ち上げを行い、現在は海外事業を中心に行う。

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数年以内に日本初のグローバルユニコーン企業を創る。電動バイク市場で東南アジアNo.1となったテラグループが“ドローン界のインテル”を目指して始動した。

  • TEXT BY FastGrow Editorial
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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「これから人工知能やって、Googleに勝てるんですかね」

涼しい顔でそう言ってのける彼は、普段は英語をよく使っているのだろう。独特なリズムと巻き舌な日本語。20代とは思えない貫禄はあるものの、嫌味な感じはない。彼の名は、関 鉄平。設立1年目にしてグローバルにドローン事業を展開するテラドローン社の日本統括責任者だ。

電動三輪(EV)のマーケットで東南アジア各国No.1の地位を占める日本発グローバルベンチャー、テラモーターズにインターンとして創業期に参画。大学3年時からの1年間で、国内営業の結果を残し、23歳でフィリピン支社長に抜擢。海外モーターズ事業を立ち上げた。事業創造、新規事業開発、起業。そんなキーワードに興味がある若者なら、誰しもが憧れる綺羅びやかなキャリアを持つ彼は、弱冠27歳。「大学時代からの付き合いで、いまでも仲が良く、刺激をもらう友人」と語る同世代には、マザーズ上場企業のクラウドワークス取締役副社長 成田 修造、メンバーズによる買収で話題になったマイナースタジオ(旧・アトコレ)代表取締役社長 石田 健など、日本のベンチャー界隈20代の中では実績を持つ面々が並ぶ。彼自身はというと、「テラに関あり」と言わしめるほど有名となった。しかし、「私なんて、世界の20代に比べたらまだまだですよ」と、全く意に介する様子はない。

関はよく、仕事一筋で一心不乱に結果にこだわる若者のことを「グリグリ系」と呼ぶが、日本で彼以上に「グリグリ系」な20代はいないのでは?、と思わせるほどのハードワーカーである。仕事を始めた大学3年時からこれまで、睡眠以外を仕事に費やすため、オフィスに住み込んでいる。冠婚葬祭以外、友人との飲み会に顔をだすこともほとんどない。意思決定を鈍くすると判断した結婚も、30代半ばまではペンディングと決めた。一体、なにが彼をそこまでストイックにさせるのかー

「少なくとも、同世代でいうとサッカーの香川真司の方が結果を出している。イチローも20代後半でメジャーデビューした。同じ日本代表として負けていられません」

そうなのだ。関を突き動かすのは、日本代表として世界で戦っているプライドだった。

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日本人同士で比べていても意味がない

「世界に誇れる日本企業を創りたい」という想いの原点は、高校時代に遡る。通称“塾高”と呼ばれる、慶應義塾大学の付属高校、慶應義塾高等学校出身。在校中は、日韓高校生キャンプの主催、ベンチャー企業でのインターン、大学付属高校同士で行う交流イベントなど、「やってみたいと思ったことには、なんでも飛びついた」。ヤンチャな高校生だった。

高校時代に留学を経験。また文化祭に出演するなど“塾高”の中でも特異な存在であった関氏

高校まで海外に行ったこともあまりなかったという関に、海外に興味を持つきっかけをくれたのは、当時目をかけてくれていた体育科の教師だった。「海外への短期留学を進められました。とりあえず行ってみるか、と思い立ち、ハワイのプナホウ・スクールへ短期留学を決めました。そこで他国の同世代と話しているうちに、自分の日本に対する理解のなさ、知識の無さ、英語で日本の魅力を説明できないことのもどかしさを感じたんです」

海外には、自分が知らない世界がある。日本人と比較していても意味はない、世界にはもっと上がいる。高校の時に味わったこの気持ちが、今でも関に世界を強烈に意識させる出発点であった。

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偉大な功績を残した日本企業が世界で日本のプレゼンスを上げている

毎月30万円以上は稼ぎました。3ヶ月がっつり働いては中東、南米、アメリカ、東南アジアなどを放浪しました。

昔から、やると決めたら徹底的にやりきらないと気がすまない性分なようである。もっと海外に触れてみたいと思った関は、慶應義塾大学 経済学部に進学してすぐ、週7日、毎日4時間程度の睡眠で複数のアルバイトを掛け持ちした。治験、コンビニ店員、飲食店の店長代理、家庭教師。「やってみなければ価値はわからない」がモットーの関らしく、どうせやるならと、色んな職種を経験した。このお金を使って放浪した国々で、色々な人と出会い、交流していく中で、「日本発のNo.1グローバル企業を創ることが、日本の世界でのプレゼンス向上につながると感じた」という。

日本企業のおかげで自分たちの村に橋が完成できたんだと嬉しそうに話す人。日本出身というだけで、自分が愛用する日本製品について語り、歓待してくれる人。大企業に成長し、海外という未開の地を切り拓いた日本企業のおかげで、今の日本の地位があると知った。同時に、日本が得意としてきた多くの分野で、韓国や中国が台頭してきている事実も肌で感じた。海外の空港は、LGやサムスンの広告だらけだった。

なにかアクションを起こさなければと思い立った関は、映画業界でアルバイトを始める。海外の人が日本を知ったきっかけは、圧倒的に映画やアニメなどのメディアが多かったためだ。

しかしすぐに、映画業界から足を洗うこととなる。「給与も低く、縦社会で、若者が早くして成功するイメージが描けなかった」

日本を世界に知らしめ、世界で日本の地位を保ち続けるためには、世界を席巻する日本企業を創るしかない。

そんな野望を胸に秘めた大学3年生は、一歩ずつビジネスの領域に歩を進めはじめる。

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1通のメールが運命を変え、テラモーターズ入社

「鉄平はベンチャーの方がやっぱりあってるんじゃね?」

通称「関ゼミ」と呼ばれていた定期的な友人同士の会合で、当時大学を1年間休学し、ベンチャー企業アスタミューゼで働いていた成田(現クラウドワークス取締役副社長)にはそう言われていたという。本格的に就職活動を開始してからは「100社以上のOB/OGに会った」と豪語する関だが、そんな行動派な彼でも、テラモーターズとの出会いは、今でもメンターとして慕う経営者からの1通のメールだった。

海外企業が先行するIT領域で、世界No.1企業を作ることは難しいのではないか?そもそも、ITサービスはもう古いのではないか?

そんな仮説のもと、IT領域以外で世界No.1になれそうな企業を自ら探し続けた。人材輩出企業として有名な外資系企業の話もきいてみたが、「いくら会社はグローバルでも、日本支社で働く自分の仕事は、とてもローカルなものだと感じた」

関の気持ちは固まった。若いうちから自分自身の手で、日本発グローバル企業を創れる環境。もう、本気で世界を目指すベンチャー企業しか選択肢はなかった。調べつくした情報を元に何社かのグローバルベンチャー予備軍の面接を受けていった関は、当時メディアでも脚光が当たりだしていた、30人規模の大学発ベンチャーから内定を獲得。

自分もその企業に可能性を感じていたし、そのまま入社する気でいた。

そんな折、面白いセミナーやインターンが掲載されていたため、唯一使っていたGoodfindの運営企業、スローガン社代表の伊藤から、1本のメールが届く。

「関さんにぴったりの会社だと思います」

関氏は当時のメールを見せてくれた

そのメールで薦められた企業が、テラモーターズだった。このとき、彼の直感が反応した。いち早く話が聞きたいと思った関は、「明日の朝6時からも面会可能です」と返信した。「10年以上学生に会ってきましたが、後にも先にも、面談の候補日時に朝6時が含まれていたのは関さんだけでした。あの時から今も変わらず、彼の大胆さには圧倒されます」。当時を振り返り、伊藤はそう話す。

テラモーターズ代表の徳重と面会を果たした関だが、彼としては珍しく、その場で結論が出せなかった。伊藤を含め、尊敬する社会人に何度も相談した。数日間考え抜いた後の2度目の徳重との面談で、徳重の志の高さと発想の大胆さ、ビジネスモデルのスケール感は本物だと感じた。「テラの関鉄平」が誕生した瞬間だった。大手総合商社など、世の就活生が喉から手が出るほどほしいであろういくつもの内定先には、すぐに断りの電話をいれた。

伊藤さんからのあのメールが無かったら、今とは違う人生を歩んでいます。スローガンは、世界変えてますよ。

いつものような熱っぽい口調でそう語る関は、今でも自らを「スローガンチルドレン」と呼び、年に1度はスローガンのオフィスを訪れ、伊藤に近況報告をする。ベンチャー企業で活躍する若者は生意気で礼儀がなっていない、などという世の論調とは一線を画し、意外にも礼儀正く、人思いで、可愛げがあるところも、彼の魅力であった。

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順調に成果をあげ、入社1年目でフィリピン支社長へ。だが、組織の歯車が狂いだす

いち早く「日本発グローバル企業を創る」という夢を叶えたかった関は、大学卒業を待つこと無く、在学中の大学3年時から勤務を開始する。何か新しい市場を創り上げる際に結果が出るかどうかは、やはり経験よりも熱量が重要らしい。まずは日本で電動三輪という未開の市場を切り開くべく、来る日も来る日も営業活動を続けた。年功序列が根付く日本の大企業に営業にいく際には、綺麗にスーツを着こなし、「20代後半です」と年齢をごまかした。そのかいあって、入社1年目が終わる頃には、日本のEV事業は立ち上がり始めた。

「国内で成果を出した人は海外へ」というカルチャーが、昔も今もテラグループにはある。Terra Wayという社訓のようなものでは、成果にこだわる徹底したプロフェッショナリズムを唱える。過去の関と同じく、インターンとして勤務する学生が現在でも全国に常時10名前後いる同社では、「入社1日目から海外支社の立ち上げ、国内拠点の責任者を学生インターンに任せることは、日常茶飯事」だ。

早々に結果を出した関も、入社2年目にしてEV事業のフィリピン支社長に任命される。23歳だった。ベンチャー企業はスピード以外大企業に勝てる要素はない、と言われることがある。テラグループのスピードへの意識に対する徹底ぶりは、日本のベンチャー企業でも群を抜く。

Speed for Result、というのがTerra Wayにはあります。やみくもに早くするのではなく、最短で結果を出すための時間の使い方を意識せよ、ということ。私もフィリピン駐在の後、次はインドにいくと決まったときは、VISA取得に必要な2週間が経った時にはもうインドにいました。

しかし、このインド支社長時代、世界で勝つための厳しさを思い知る。日本市場の戦い方が、全く通用しなかったのだ。「品質がよければ勝てる、という考え方は通用せず、価格や政府との関わり方を戦略的に練らないと勝てない、と痛感した」

海外で勝つために日本人は、倫理観を調整しなければいけない。

関がそう語るのも無理はない。世界の名だたる企業は、勝つためなら手段を選ばなかった。競合から優秀な人材が採用できたと思った矢先、半年程度で退職。スパイだった。政府の入札が全く進まず、相手にされないと思いきや、裏金が動いていた。

「勝つために手段を選ばない」
世界との違いを痛感した大きな経験だったという

一度狂った歯車は、止まること無く加速した。日本拠点からの大量の人材流出。海外展開の不振で苦しむ同社に、更なる修羅場が訪れた。「テラが無くなってしまうかも、と本気で思いました。緊急の幹部合宿をインドで実施。ミッション・ビジョンにはじまり、待遇面・労働環境など、会社を立て直すべく、あらゆる項目を腹を割って議論しました」

暗闇を手探りで進むようなテラモーターズの海外事業に一筋の光が射したのは、2015年初頭だ。バングラディシュで、電動三輪が計画通りに売れ始めた。顧客ニーズの徹底分析、大胆な0ベース思考、競合分析、商品戦略の再設計。地道にこの4つを続けた成果が、ようやく現れた。消費者がテラモーターズの電動三輪を認め、購入してくれるようになったのだ。この時の経験が、今の関を支えている。

「もはや競合製品を代理販売したほうがいいのではないか?」

そう議論をした日もあったと語るが、「行動を続ければ、道は必ず開ける」という、修羅場をくぐり抜けた経営者にしかわからないであろう、貴重な教訓も学んだ。そんな辛い日々から逃げ出そうとは思わなかったのか?と聞くと、「全く思わなかった」と何食わぬ顔で答えるのもまた、関らしい。

「テラが好きだし、社長も好きだし、一緒にやってるメンバーのためにも、 絶対になんとかすると決めていましたから」

バングラディシュで事業が廻り始めたことを皮切りに、テラモーターズは破竹の勢いで成長し、現在ではフィリピン、ベトナム、インドなど東南アジア各国のEV市場でトップシェアを有する。売上規模もグローバルで50億円に迫る勢いだ。だが、代表の徳重や、関を始めとした幹部人には、気がかりな点があった。

グローバルメガベンチャーと自負するためには、時価総額10億ドル以上、いわゆる『ユニコーン企業』になることが1つの基準です。そう考えると、EV事業が軌道に乗ったところで満足してはいけない、もっと上を目指さねばならないと判断しました。そこで、IoT、ビッグデータ、エネルギー、VRなど、今後急拡大する分野の市場規模と、KSF(Key Success Factor)を分析。自社が勝ち抜ける要素を持つ市場を絞り込んでいきました。

この判断とマーケット分析からの事業展開の早さが、テラグループの真骨頂である。16年3月、テラドローンを設立。2020年には世界で1兆円を超えると言われているドローン市場に参入した。

結果として、グローバル市場での競争力、ダイナミックなスピード感の2つが主要成功要因となりうる、ドローン領域を選びました。これは、これまで世界で無茶と失敗を繰り返してきた経験を持つ、テラモーターズのカルチャーが活かせる領域なのです。

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1年目にして国内には黒字の拠点も。急成長を支える優秀な人材の共通点とは

設立から1年が経過したばかりのテラドローンだが、建築現場での土木測量分野への活用を主軸に、足場の業績は絶好調。関自身も、インドから日本に帰国し、設立と同時に日本統括責任者に就任。学生インターンから年上の中途社員の採用・育成をはじめ、日本全国のドローン事業の指揮を取る。

国内では東京、仙台、名古屋、神戸、広島、福岡の計6拠点に支社を構え、早くも黒字化している拠点もある。

テラモーターズテラドローン。両社とも決して、事業立ち上げ経験や輝かしい実績のある超・一流人材を採用してきたとは、お世辞にも言えない。関曰く、「転職エージェント泣かせの厳しい採用基準」を持つ同社には、アクセンチュアやパナソニックなどから転職してくる30代も増えてきてはいるが、20代の若者の活躍が著しいのは、同社の特徴だ。現在も国内拠点の支社長に名を連ねるのは、学生インターンからそのまま入社した新卒社員や、第二新卒入社組である。「国内拠点の支社長を任せて成果がでたら、次は海外拠点を立ち上げてもらいます。次に日本の拠点を任せる人材も、急いで採用しないとなりません」

テラグループのメンバー達

「世界基準でこの程度はあたり前」と話すTerra Wayに準拠するこのスピード感に振り落とされることなく、急成長していく事業家人材の共通点は何なのであろうか。

地頭の良さを前提として、素直さ、謙虚さ、志の高さ。中でも私が年代問わずどんな候補者にも聞くようにしているのは、志の部分。日本人のマインドセットを変えない限り、日本のベンチャーが世界市場で活躍することは難しい。

たしかに関と話していると、日本のベンチャーはそもそも世界を目指していないのではないか?と思えてくる。ソフトバンクを中心に、米国で流行したビジネスモデルを輸入する「タイムマシン経営」が一時期IT企業でもてはやされたが、「日本で上場して資産家になったり、それなりの規模の企業を作ったりするには良いが、海外の真似をしている時点で、世界の競争からは何歩も遅れを取っている」。

これから市場が拡大しそうな「バズワード」に飛びつき、事業を立ち上げることも同様だと関は話す。

人工知能とかやるのはいいんですけど、Googleに勝てるんですか?と。フロンティア産業で世界で勝つためには、世界各国の中でファーストムーバーであることが大切。これはテラモーターズ時代に痛いほど学びました。誰よりも早く動けば、事業成長を加速させる様々な話が世界中から舞い込んできます。

「重要なのは志の高さ」と自信をもって話す関も、組織の急拡大により急ピッチで採用を進めた過去には、多くの「人選ミス」も経験した。例えば、大手企業で成果を上げた、プライドの高い30代、いわゆる「30代エリート」は、ミスマッチが多かった。

前職で成果を上げていても、プライドが高く、素直でない人はダメ。大企業とベンチャーでは根本的に仕事のやり方が違う。大企業で学べるスキルをベンチャーに持ち込むこと自体は非常にプラスだが、スタイルの違いを認識し、素直にやり方を変えられるかがポイント。

大企業で活躍していた実績だけでは、スタートアップでは全くもってプラスにならないと悟った。今では30代の中途入社も増えているが、活躍する人は前職の良い点をうまくテラカルチャーに融合して、自ら活躍のフィールドを創り上げている。

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破茶目茶な自分だからこそ、世界のパラダイムシフトにインパクトを与えたい

私にはもう、世界中の空にドローンが飛び交う姿が見えています。そのドローンの全てに、テラドローンが作るソフトウェアが使われている。我々は、世界のドローン産業のプラットフォームを目指します。

テラドローンを数年内に10億ドル(約1,100億円)以上の時価総額にし、通称「ユニコーン企業」の仲間入りを果たすこと。「20代、30代はテラグループでの修行期間」と話す関の、当面の目標だ。威勢は良いが実は慎重派で、いわゆる「ビッグマウス」とは異なる関に力強くそう言われると、日本発のユニコーン企業が誕生する未来も、そう遠くない気がしてくる。

企業全体としてそのための準備も、粛々と進行中だ。世界中の競合にスピードで負けないよう、設立1年目企業として日本では異例の額の大型資金調達も実施。16年11月には、欧州でドローン業界の第一人者となっているベルギー企業Uniflyに約5億円の資本を投入。また、17年1月、鉱山開発や土木測量分野でドローン活用が進み、政府も協力的な姿勢を見せる豪州に、初の海外子会社を設立した。

豪州に初の海外支社を設立した際にも、EV事業での経験が活きています。社会へのインパクトが大きい新産業で事業を行う際には、規制が関わる。その規制緩和が進んでいる場所、最初から緩い場所でビジネス経験を積んでおくと、他国展開しやすい。UberやAirbnbも、米国の一部の、規制が緩い場所ではじまったからこそ、海外展開しやすかったはずです。

現在も新たに米国、中国、欧州、東南アジアに拠点を構えるべく、代表の徳重を中心に、現地の要人や有力企業との打ち合わせをする毎日だと言う。

土木測量の現場においてドローンを活用

20代という若さで、海外での事業立ち上げ、急成長マーケットで世界から脚光を浴びるベンチャー企業の副社長を経験。普通の日本の20代には味わえない経験を積んだ関の将来の目標は、「徳重がテラを創業した40歳より前に、自らの手で世界のパラダイムシフトに貢献すること」。

若い時からとにかく人がやらないような新しいことをやり続けてきた私だからこそ、世界のために貢献できることがあると思うんです。資本主義の次にあるべき社会の形とか、AI誕生後の人類の幸せとはなにかとか、そういう遠大な問いにも興味があります。

そんな関に、あと一歩が踏み出せない若者にメッセージはあるか?と問うてみた。

日本人はみんな、これはよくないとか、あの人がどう思うとか、人のこと意識しすぎなんですよ。あと、失敗と前例も気にしすぎ。日本では何やったって死にません。本気でアルバイトすれば月30万円稼げるし、日本国籍とパスポートがあるだけで、世界のどこでも食べていけるんですから。

日本代表として、世界に誇れる日本企業を創るー。恐れること無く、誰よりも愚直に突き進む関が次に赴くのは、世界のどこになるだろうか。この男なら、日本人の常識を超えた偉業さえ、成し遂げるに違いない。

こちらの記事は2017年04月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

FastGrow編集部

写真

藤田 慎一郎

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