連載私がやめた3カ条

さらば、競争社会。
成功するために成功体験を捨てる覚悟──しるし長井秀興の「やめ3」

インタビュイー
長井 秀興

慶應義塾大学理工学部、東京大学大学院(薬学系研究科修士課程)卒業。2016年に新卒でP&G Japanのマーケティング部に入社。ファブリーズのブランドマネジメント、ブランドマーケティングを経験。その後、HR系ベンチャー企業で事業責任者を経て独立。その後、下田陽志郎氏(現取締役)とともに、しるし株式会社を起業した。”ブランド体験を最適化する”というミッションの元、ブランドDXという市場創造を目指す。現在は、売上100億円を超える有名ブランドなどに、テクノロジーを活用したEC/CRMの運用やブランド毀損を防ぐ転売模倣品対策、ECのマーケットやレビューデータを活用した新商品開発コンサルティングなどのサービスを展開している。また、ブランド毀損を防ぐ転売検知などの技術で特許も取得している。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、「ブランド体験を最適化する」をミッションに掲げ、ブランドDX事業を展開するしるし株式会社の代表取締役、長井秀興氏だ。

  • TEXT BY YUICHI YAMAGISHI
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長井氏とは?──競争社会を降り、自己変革に向き合い続ける「鉄人」

いかにもベンチャーの経営者らしく、白いTシャツ姿で取材に応じた長井氏。だが彼にとっては「ベンチャーらしさを体得したのはここ数年のこと」。

どういうことか?それは、「競争社会をずっと生きてきた」という長井氏の言葉に集約されている。慶應義塾大学卒、東京大学大学院を修了し、P&G Japanへ入社してマーケティング部へ。大学まで水泳部で0.1秒を競い、趣味はトライアスロン。競争社会を生き抜き、「鉄人」という表現がぴったりなハードワークを続けてきた。

「P&Gは、外資系企業のイメージ通りのピラミッド型競争社会で、入社1年目から何十億円単位の予算で数百億円規模の売上を作るマーケティングの仕事に、とてもやりがいを感じていました」と長井氏は振り返る。

「僕のストレングスファインダートップ3は“自我” “競争性” “達成欲”。もともと、明確な目標に向かい競い合ったり切磋琢磨することを大切にする価値観を根底に持っています。何かを達成したり、他人から評価されたい、応援されたい、という潜在的欲求が強いですね」とも。このことが、長井氏の考える「ベンチャーらしさ」とは異なるのだという。

P&Gを退社後、HR系ベンチャーで事業責任者などを経て、独立。現在も続くブランドマネージャーの経験から、消費者にとって最適であり、デジタルとリアルがシームレスに繋がったブランド体験を設計できるように変革する必要があると感じ、共同創業者の下田陽志郎氏とともにしるしを立ち上げた。

今回の「やめ3」はいずれも、長井氏の言う「競争社会」を降りてから起きた変化だ。会社員から経営者に転身して、求められることが大きく変わったという。

まさにその変化の“しるし”が、やめたことにすべて刻まれていた。「ベンチャー界隈も、競争社会では?」と感じるあなたにこそじっくり読んでほしい。

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ネガティブな感情を水に流すのをやめた

「ネガティブな感情を水に流すのをやめよう」と長井氏が認識するようになったのは3年前の2019年頃、しるしを起業する前のことだ。P&Gを辞め、転職した先のベンチャーでは新規事業を任されたが、全く上手くいかなかった。

長井過去の人生で歩んできた道のりを振り返ると、部活や受験、就活など、決まった枠組みの中で、他の競争相手よりも速く走ることが得意でした。だから、ライバルを見ては、その人より頭ひとつ抜きん出る方法を考えれば上手くいきました。

ところが新規事業やベンチャーのような、そもそも自分の手でゼロから枠組みをつくる場合、向き合うべき相手は目の前のお客様の課題です。競争相手はそもそもいないのですから。

当然ながらベンチャー同士には熾烈な生き残り競争があるが、それとは意味が違う。まだ世の中にない新しい価値を提供する意味においては、競争相手はいないのだ。この違いが長井氏にパラダイム・シフトを迫った。

長井もともと企業の代表をやりたくて自分で選んできたキャリアですが、その激変の渦中で、今までの競争社会との違いにどうしてもネガティブな感情が湧き上がってしまったんです。

例えば顧客へ提案した内容が否定されたとき、勝ち負けの物差しで捉えて、自分自身を否定されたようなネガティブな感情になってしまっていました。

それまでは、自然と沸いてきてしまうネガティブな感情に対して、友人とお酒を飲むなどただストレスを発散するようなかたちで終わりにすることが多かった。だが、目を背けていても事業は思うように進まない。「このままではまずい」という危機感が芽生えた。

ネガティブな感情から目を背けるのをやめるチャレンジは、その頃から始まった。当時はまだターニングポイントの認識がなかったが。今も長井氏のメンターで、しるし社外取締役の金田喜人氏(ファクトリアル代表取締役)に、客観的な意見をもらいながら矯正していくメンタリングを通じて徐々にマインドを変えた。

長井ネガティブな感情があったのは、どこかで「負けた」と思っていたからなんですね。ですが、そもそも新規事業の立ち上げって不確実性が高いので、失敗があって当たり前ですし、勝ち負けなんて意識する必要はないんです。自分自身のことを“勝ち負けとして捉えやすい性質を持っている”と認識しておくことで、ネガティブな感情を客観的に捉えられるようになりました。

そうやって自分をメタ認知することによって、お客様の課題を的確に捉えられているか、ソリューションに満足いただけているか、提供したい価値を届けられているか、こうした点にだけコミットするようになりました。そのおかげで、やるべきことが明確になったと思っています。

もちろん「嫌なことは忘れる」というのも、精神衛生上は必要な時もあります。ただ、最近は単に忘れるというのではなく、なぜ嫌だという感情を持ったのか、内面と向き合って棚卸しをし、自己理解した上で忘れるようになりました。

感情とは区別したかたちで、今の課題解決や目指す方向を冷静に考えられるようになり、なすべき意思決定の精度が向上した感覚があると振り返る。しるしの掲げる「ブランド体験を最適化する」というミッションも、この頃身に着けた考え方が作用している。競争に勝つことではなく、唯一無二の価値を世の中に届けること──。競争社会に身を置いた経験と、その後の探索によって、辿り着いたものである。

このように、起業してから、「ベンチャーらしさ」を少しずつ体得していく長井氏。一方で、顧客であるメーカー企業の課題を自分ごとのように捉え続けられるのは、競争社会にいた経験に紐づいているのだ。

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失敗したくない自分に気づき、やめた

次の「やめたこと」は、長井氏がしるしを起業してから。組織が拡大するにつれて「任せずに自分でやった方がうまくいくと思い、ひとりでボール(タスクや責任)を抱えることをやめた」ことだ。

長井P&G時代や前職までは、雇用された従業員ですから、上司に評価されるためには「何でもできます。任せてください」とボールをガンガン受け取ってハードワークをこなせる素直さが評価される世界でした。

ところがその価値観は、起業した前後で大きく変わりました。むしろ、変わらないと経営者としても企業としても成長していけない。ビジネスパーソンとしての有能さと経営者のそれには、大きな違いがあります。自分ひとりでボールを持ち続けていては事業も組織も成長しませんから。

執行部やコーポレートなど組織に必要な各機能が備わってきたタイミングでメンバーに任せたほうが、ものごとが早く回って成果が出る。だが、今は自分がボールを持ちすぎている──。理想とするチーム像と現状には、明らかなギャップがあった。

長井組織全体でできるようになることが大事です。「自分でやる」から「みんなでやる」へ。主語が「私」から「私たち」へ変わる必要がある。そこが大きな転換点です。

私は「やれば何でもできる」と思っていて、その自信過剰が組織にとってはボトルネックになる場合があります。いつまでもぜんぶを自分で抱えていると仕事が増え、かえって全体の進行スピードが遅くなる。しかも結果的にできない。それに気が付きました。

そもそも、長井氏が経営者を志した根底には、大学時代に競技スポーツの世界でチームを率いてきた経験があったからだ。理想とするチーム像ははっきりしていた。だが、その理想になかなか近づかない。

理想がわかっているだけでは不十分。道筋を立てて行動することが不可欠だ。そのためには、自分自身の考え方を根本的に変える必要があったのだ。自分以外に誰もやったことがなさそうな業務でも、任せ方を工夫し、積極的に任せるコミュニケーションに転換した。

大切なのは、「自分は、ありたい理想をわかっている」という自信ではない。「ありたい理想に向かうために、自分自身も含め、足りないものは何か?」と問い、気づきを得て、変えていくことなのだ。これも一つの「ベンチャーらしさ」、言い換えるなら「起業家らしさ」と言えるだろう。

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「全て自分が決める」をやめた

最後の「やめたこと」は、3〜4カ月前の2022年の春先、しるしが創業1年目から2年目に切り替わったタイミングだ。メンバーの中に不満が溜まっていて「今のままでは楽しく働けない」と訴えられ、そのストレスを直に受け止める機会があった。

不満の原因は、長井氏の強いマネジメントスタイルにあった。これは、彼が培ってきた自信の裏返しでもあった。

長井しるしのメンバーから直訴されたことがきっかけでした。創業1年目の私は強いマネジメントで、メンバーに裁量を与えるよりは、設定したタスクをメンバーにしっかり遂行してもらう、というスタイルでした。遂行できているか否かという結果を、厳しくチェックしていましたね。裏を返せば、「なぜできていないのか」と、追い詰めてしまうタイプだったんです。

そのスタイルだった理由は、前職までの成功体験に依るところも大きかった。起業前はベンチャーの収益事業の責任者として、組織設計を担い、売上と利益を大幅に改善させたのです。

自分で考えたKPIや仕組みを導入して組織を型にはめれば、上手くいく。この成功体験がずっと残っていました。

過去には上手くいったのに、なぜしるしでは上手くいかないのか。成功体験に裏付けられたマネジメントスタイルなのに、変えてしまって良いのか。さまざまな葛藤を抱え、悩んだという。

長井そんな頃に、現在は経営者仲間でもある、大学時代の水泳部の後輩である株式会社Leaner Technologiesの代表大平さんに相談したんです。するとこんなことを教えてくれました。

「上手くいかないとき、自分の仮説は8割方当たっていて、メンバーの仮説の精度が悪かったのだと思いがち。でも実際は、自分とメンバーの仮説の精度に大差なんてなく、自分もメンバーも仮説を外しているということがほとんどです。

つまり、自分が決めても、メンバーが決めても、ほとんどの場合、失敗するということです。だったらメンバーの背中を押して前に進めてあげるコミュニケーションをとった方が、推進のスピードはあがる。そして、失敗を前向きにとらえることができる。重要なのは、どれだけ早く失敗し、失敗を次の成功に活かすことができるか、だと思っています。自分のリソースも別のことに使えますし。」

と教えてくれました。

それまでは、自分が意思決定しないと何事もうまくいかないだろうと考えてしまっていましたが、この考え方に深く納得しましたね。

「目からウロコが落ちたようだった」と話す長井氏。それ以降、メンバーの思考の手助けはするが、考え方の押し付けはやめた。むしろそのほうが明らかに、組織のマネジメントが上手くいき、事業スピードも速く進むようになったのだとか。

こうして、マネジメントスタイルという面でも、大企業らしさとベンチャーらしさを兼ね備えるようになった。これから経営者として、どのような成長を見せてくれるのか、楽しみで仕方がない。

長井氏はまるで、取材自体をスカッシュの壁打ちのように楽しんでいるように見えた。インタビュアーの質問に対して、「ああ、なるほど」と何度も言っていたからだ。常に自分やものごとを客観視し学び改善しようとする姿は、いい意味での競争心の活かし方だと感じた。

こちらの記事は2022年07月13日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

山岸 裕一

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