「一人ひとりの学生の未来を信じ、徹底的に個に向き合いたい」
~自身も大学生の子を持つパナソニック採用責任者が描くこれからのキャリア選択の在り方~
Sponsored
現在の就職活動の原型が出来たのは1960年。それから約60年が経った。
世の中をとりまく環境やテクノロジーはアップデートされているが、果たして就職活動はアップデートされているだろうか。
日本の大学生が置かれている「キャリア選択をする上でのアンフェアな環境」に対し危機感を持ち、変革を起こそうと奔走している採用責任者がいる。
パナソニックの採用責任者 萬田弘樹氏である。
そんな萬田氏は、どのように現在の「パナソニックから日本の採用変革を起こしたい」という自らのミッションにたどり着いたのか。
今回のインタビューでは、同氏が率いるチームのメンバーである河野安里沙氏も参加。メンバーの目から見た質問も交え、萬田氏の採用への想いを聞いてみた。
- PHOTO BY TOMOKO HANAI
漫画『ONE PIECE』のようにそれぞれの強みを磨き、世界中の仲間を集めよ!
「日本の大学生がキャリア選択をする上で、半ば強制的にアンフェアな環境に置かれていることに危機感を感じています」
採用の最前線に立ち、海外での経験も豊富な萬田氏の頭には、常にこの危機意識がある。
萬田海外では数十年前から学生と企業の距離感が近く、実際の仕事に携わりながら時間をかけてキャリアを考え、仕事への理解を深める環境が当たり前にあります。 一方、日本の新卒採用においてはインターンシップが広まってきたとはいえ、本質的に仕事やキャリアへの理解を深める環境が当たり前にあるとはまだ言えません。日本はキャリア選択という重要な場面において、まだまだ十分と言える環境ではないと感じています。 だからこそ、パナソニックから本質的にキャリアや仕事の理解を深める機会を増やしていき、「日本の採用の在り方」を変革していきたいと考えています。そして、私たちパナソニックがこのムーブメントのきっかけとなり、この活動に賛同してくださる企業のみなさんと仲間になりたいと思っています。そうすれば必ず、日本のキャリア選択や採用の在り方が変わると信じています。
そう熱く語る萬田氏の最も身近な「学生」である長男にも、採用で出会う学生と同じ熱量でキャリア選択に関する話をしている。長男が大学へ入学する前、萬田氏は「これからの時代を生き抜くコツ」をプレゼン形式で伝えたという。その題材は、漫画『ONE PIECE』だった。
萬田「共によりよい未来を創っていける仲間を見つけるために、色々な場所へ出向いてほしい」と伝えました。世界をまわりながら能力を磨き、仲間を集め、ひた走っていく。漫画『ONE PIECE』も大学生活も同じだと思いました。
萬田氏は「現場」「現物」「現実」を重視する「三現主義」を大切にしている。例えば、大学入学前の春休みに企業の人事と交流できる場所でのアルバイトを長男に勧めた。
キャリアに関してまだ分からなくても、その場所に身を置くことで感化され、成長するきっかけになると確信していたそうだ。さらに今年の夏休みには親子2人でベトナムに1週間滞在。現地の人々の暮らしを体感し、同世代の学生、企業や日常など、日本にいるだけでは分からない経験ができたという。
萬田息子にはインターネットの情報を鵜呑みにし、机上の空論で物事を判断するのではなく「現地での経験」を大切にできる社会人になってほしいと思っています。限られた時間の中でしたが、ハノイで建築学校に通う学生と話したり、現地のお店で食事をしたりすると、インターネットで調べたベトナムとは全く違った側面が見えてきます。リアルな世界を自分の目で見て感じて知った上で「将来はここで出会ったような仲間と切磋琢磨し、時にはチームになったりする可能性もあるんだよ」と伝えたかったのです。
河野萬田さんが国内だけでなく、海外の環境や学生にも目を向けるのはなぜですか?
萬田現在の私のミッションである「パナソニックから日本の採用変革を起こしたい」、すなわち「キャリアの一歩を踏み出す上での“アンフェア”な状況を“フェア”にすること」の原点である海外駐在中での出来事が大きく関わっています。
私はパナソニックに入社してすぐ、海外研修生としてシンガポールに数年派遣されていました。今から20年以上前になりますが、シンガポールでは学生がパナソニックの社員と机を並べ、インターン生として仕事をしていることが当たり前の環境でした。同じパナソニックという会社であるにもかかわらず、国が変わればここまで違うのかとショックを受けました。
こういった環境によって、学生は仕事や企業への理解が深まりますし、企業もその学生の強みや適性を仕事を通じてしっかりと理解できる。就職活動があるから急いでインターンシップに行くのではなく、社会人としての準備期間や企業と学生が相互理解できる環境がしっかりとそこにはありました。
その数年後、私は日本に帰国しました。シンガポールではマーケティングの担当だったので、日本に帰国してからもマーケターとして仕事をしていくぞと思っていた矢先・・・人事に配属されました。今から考えると人事でよかったと思っていますが、その時は正直驚きました。
河野萬田さんは入社当時からずっと人事の仕事をされていたのだと思っていました。正直、マーケターから人事への異動。どのように感じられていましたか。

萬田予想外すぎたので正直戸惑いました。
でも同時に、「いや、待てよ。人事ってどんな世界なんだろう?」という好奇心が湧いてきて、引き受けることにしました。チャレンジしてみて、ワクワクしなかったらその時は辞めようと。
実際に人事をやってみると、自分の予想に反してとても楽しくワクワクする仕事でした。今思えば、当時の人事は私の適性を見抜いてくれたのかなと思います。異動によって、自分の新たな可能性を広げてもらえたことに感謝しています。
河野「マーケター」としてではなく、「人事」として改めて日本の学生が置かれているキャリア選択の現状をみて、どのように感じられましたか?
萬田自分自身の就職活動の時から状況は全く変化していない状況にショックを受けました。。世の中の流れはこんなに変わっているのに、就職活動のやり方や考え方は全然変わっていない・・・。
学生と企業がしっかりとお互いのことを理解してキャリア選択をしている海外に比べて、日本の学生は企業や仕事のことをまったく理解する機会もないままに就職しなければいけない。この状況をなんとか変えられないのか。
この課題感こそが、私のミッションの原点です。
パナソニックを通じて社会を巻き込み、採用に変革を起こしたい
萬田氏は人事として再びシンガポールに渡った。そして、日本に戻ってきてからは本社でのキャリア採用部門の立ち上げ、運営を経験。
2004年にはパナソニックの社内ベンチャーとして採用コンサルティング事業を行う株式会社キャリアコンシェルジュを創業。初めての社長としての仕事はこれまで以上に大変な仕事だったが、会社は順調に成長し、収益も着実に伸びていった。
しかし、2009年に、萬田氏は再びパナソニックへ戻ることとなる。
河野カムバックの決断をした理由は何だったのでしょうか?
萬田キャリアコンシェルジュを創業するとき、のちにパナソニックの副社長を担う福島伸一さんだけがGOサインを出してくれて。福島さんのお陰で、会社を創ることができました。その時、福島さんが「俺は息子を旅に出すつもりで見送る」と声をかけてくれました。その言葉が深く自分の心に残っていて。「成長して、いずれは戻ってこいよ」というメッセージだと感じていました。ですから、パナソニックへ戻るという選択肢は頭の片隅にありました。
福島さんの言葉に加えて、キャリアコンシェルジュで社長をする中で自分のミッションをはっきりと自覚できたことが私にパナソニックへのカムバックを決断させました。
河野萬田さんのミッションをはっきりと自覚できたきっかけについてもう少し詳しく教えてください。

萬田私は、キャリアコンシェルジュでさまざまな企業の採用コンサルティングを行っていました。そのなかで、キャリア選択における「情報」「物理的距離」「機会」など様々な“アンフェア”があることに気付きました。そんなキャリア選択における世の中に存在する“アンフェア”をなくしたい。そのために企業と企業、企業と人の関係性をオープンにすることで、さまざまなつながりを生み出し、キャリアに関する情報格差や機会格差をなくしていきたい。こうしてキャリア選択における「アンフェアをフェアにする」という私のミッションの種が芽を出し始め、現在のミッションである「パナソニックから日本の採用変革を起こす」へとつながっています。
そして、このミッションを実現するためには、パナソニックに戻って取り組むことが最善だと思いました。 キャリアコンシェルジュの1人の社長として世の中に働きかけるより、パナソニックの器を通して働きかけた方が確実に世の中や社会へ与える影響力は大きく、より多くの人たちを幸せにすることができると確信しました。だから、パナソニックにカムバックする決断をしました。
パナソニックにカムバックした萬田氏はパナソニックグループの人材ビジネス会社の役員、海外会社の人事責任者を経て、2019年に現職であるパナソニック株式会社 リクルート&キャリアクリエイトセンター 所長となった。
そして、採用市場に変革を起こすためにまず取り組んだことは、自分たち採用部門の改革であった。
マネージメント層の意識改革、個々のミッション発信やオフィス改革。
また、採用部門の若手メンバーにもどんどん裁量を持たせ、自律的に動ける組織体制を構築している。
萬田採用市場を変革していくためには、まず自分たちから変化していかなくてはなりません。これまでの既存のやり方を変え、メンバーを変え、オフィスを変え、意識を変える取り組みを行ってきました。
これを読まれている人の中にはパナソニックのような大企業に対して、画一的な働き方、決められた役割を指示通りに完遂するようなイメージを持たれている人もいるかもしれません。しかし、実際の私たちのチームは目指す方向性は共有しながらも、チームメンバーそれぞれが自律的に考え、行動しています。
採用という仕事は非常に多忙ですし、会社全体に関わる仕事ですので責任も重い。とても孤独でハードな仕事です。
そんななかでも、今の採用部門のメンバーは一人ひとりの学生や求職者の方々と徹底的に向き合い、どうしたら一人ひとりの学生や求職者の方々にとってよりよいキャリア選択になるかをとことん考えて行動してくれています。
私はチームメンバーを信じています。だからこそ、メンバーがしっかりと考えて「やってみたい」と言ってくれたことに対してはいつも「やっちゃいなよ!サポートはする。」と伝えています。福島さんが私にしてくれたようにチャレンジする姿勢を後押しできる存在であり続けたいと思っています。
今のメンバーとは3年半一緒に働いてきていますが、みんな驚くほど成長しています。彼らが育っている姿をすぐそばで見られるのは、何ものにも代え難い財産です。あと2、3年経ったらメンバーがどこまで成長するのか楽しみで仕方ありません。
河野ここ数年で採用部門は劇的に変化したと私も感じています。それぞれのミッションや想いに向かって仕事ができるチームになってきましたよね。
萬田さんが実際にリクルート&キャリアクリエイトセンターの所長として心掛けていることやミッションである「パナソニックから日本の採用変革を起こす」というミッションの実現に向けて取り組んでいることがあれば教えてください。
萬田パナソニックの採用責任者という立場ではありますが、学生一人ひとりと向き合う時には、一人ひとりに合ったよりよいキャリアを歩めるように、個人の想いに寄り添って接すると決めています。無理に当社に興味を持ってもらうようなことはしません。向き合っている一人ひとり、志向も強みも個性も違いますので、その人にとってのよりよい一歩を踏み出せるように働きかけています。その場所がパナソニックであればもちろんうれしいですが、そうでない場合は違う道をお勧めすることもあります。その方が学生さんにとってよりよい選択だと思いますし、その選択こそが日本の成長に繋がるはずだと信じています。
「パナソニックから日本の採用変革を起こす」というミッションの実現に向けて様々な取り組みをスタートしています。 こうしたFastGrowなどのメディアを通じて、パナソニックで働く意義やそこで働いている人の想いをオープンにしていくことも取り組みの一環です。
また、採用という枠組みを超えて、大学1・2年生から個々のミッションについて考え、キャリアや仕事について学べる機会をつくっています。また、こういった活動をパナソニックだけでやるのではなく、地域や大学と一緒になって機会をつくることに関しても力を入れはじめました。
実際に私の母校である同志社大学や地方行政とタッグを組み、地域課題を解決するための産学官連携プロジェクトなどを行っています。また、採用では競合となる他社電機メーカーとも合同で学生の想いやミッションを育てるための様々なイベントを開催しています。
ここで重要なのはパナソニック1社だけで取り組んでいても意味がないということです。
こういった取り組みに共感してくださった様々な企業や学校、地域など「社会全体で」こうした取り組みを進めていくことが日本の採用に変革を起こす上で重要だと考えています。
ただ、採用活動の終盤だけは各社の人事担当者とバチバチの戦いになると思いますが・・・(笑)
それ以外は、「社会全体で」これからの世代のよりよいキャリア選択のためにoneチームで取り組むことが大切だと思っています。
居心地の良い場所を選ぶと、自分らしさが輝きにくい
萬田氏が「社会全体で」ということを重要視するのには幼少期の環境が大きく関わっている。
いわゆる「マンモス団地」で生まれ育った萬田氏にとって、家庭と家庭の境目がない、大きな地域コミュニティで生きることが当たり前だった。
萬田近所の大人たちは、自分の子も、他の家の子も、平等に面倒見るのが当たり前。私の家で他の家の子どもがご飯を食べることも、普通の文化で育ちました。その時の経験が、「社会全体で」ということを重要視していることに大きく影響していると思います。
河野萬田さんがいつもパナソニックへの入社を希望しているか否かにかかわらず、一人ひとりの学生の人生に真剣に向き合っている理由がわかったような気がします。
萬田私が幼少期を過ごした地域コミュニティと同じように、利害関係がなくても育て合い、助け合う共創コミュニティこそ、画一的な「正解」が無いこれからの時代では重要になっていくのではないかと思っています。
河野地域みんなで育て合い、助け合うコミュニティで育った萬田さんはどんな学生時代を過ごし、どのような軸で就職活動を行ったのですか?
萬田私は奈良の田舎で育ちました。元気いっぱいのとてもやんちゃな子どもで、いわゆるガキ大将でした(笑)
その結果、高校進学の際に偏差値は足りていても内申点が足りなくて公立の高校に進むのは難しいと言われてしまいました。
そこで、これを機にその当時置かれていた古き良き日本のコミュニティの中で生活することからガラッと環境を変えようと思いました。
そして、高校は全校生徒のうち3分の2が海外で生活したことのある環境の私立の学校に進学しました。
そこでの高校生活は、私のそれまでの人生では想像もつかない世界で衝撃的なことの連続で価値観が大きく変化しました。
だから、自然と就職活動の時も「海外で働きたい!働くんだ!」と直感的に思っていました。
ただ、グローバル志向と言えば聞こえはいいかもしれませんが、具体的な働くイメージはできていませんでした。当時は自分が新興国でハチマキを巻いて街を作っているところをなんとなく想像していたぐらいでした。就職活動の時に明確にやりたいこと、成したいことを描けていたわけではありません。だから、海外で働く可能性がある企業にはすべて応募してみました。
数十社の面接を受け、多数の企業からオファーをいただき、萬田氏が選んだ就職先は商社だった。
グローバル志向が叶えられる環境にあり、社風もフィットしていると感じた。内定者懇親会でも自分と価値観が似ており、気の合う人が多く、自らの選択の正しさを確信した──はずだった。
萬田結局、その商社の内定は辞退しました。
なぜなら、懇親会で出会った同期になる人たちがあまりにも自分と似たタイプの人ばかりだったからです。ふとそこに、違和感を覚えました。
高校生の頃、多様な価値観や育ってきた環境、言葉などの「違い」があったから自分は成長し、「違い」があったから、それぞれの強みや自分の強みが発揮できたのではないだろうかと。果たして、自分と似たもの同士集まったこの環境で成長できるのかなと不安になりました。
河野そこからパナソニックを選んだ理由は何だったのでしょうか?
萬田自分と異なるタイプの人が多いと感じたからです。自分と全く違う価値観や考え方の人たちが働いているから、切磋琢磨し、視野を広げられ、新しいアイディアも生まれる。自分がさらに成長できるイメージが沸きました。
さらに、自分の強みと他の同期との強みが重ならないことも魅力に感じました。自分らしさがより輝くと思いました。また、チームとしてみた時に、様々な強みを持ったチームになれる。まさに、高校生の時と同じ環境ですし、漫画『ONE PIECE』もそうですよね。
そして、何よりも1人の社会人として向き合い、「海外で働きたい」という私の話に最後まで付き合ってくれたのがパナソニックでした。

河野萬田さんが就職活動されていた時は、現在のようにインターネットで簡単に情報を得られない時代ですよね。キャリアに対しての悩みや不安とは、どのように向き合っていましたか?
萬田得られる情報が限られていたので、不安だらけでした。だからこそ、「行動あるのみ!」と思い、行動し続けましたね。具体的には、私は人の話を聞くことが好きだったので、さまざまな人へ話を聞きに行っていました。とにかく行動し、1歩踏み出すと、少し先が明るく見えてくる。そして、不安が希望に変わってくる。とどまって1人で悩むくらいなら、とにかく行動してみる。
今でもこの考え方は変わっていません。年齢や立場に関係なく私が知らないことを知っている人にどんどん相談をし、教えてもらっています。採用部門の若手メンバーや、もちろん息子からも、学ぶことがたくさんあります。プライドに囚われず、分からないことは知っている人に聞く。そう考える方が、人生という時間を有効に活用することに繋がると思います。
河野 「自分はこんなことに向いている(だから、これ以外はやりたくない)」「これをやりたい(だから、これ以外の選択肢は受け入れられない)」と決め込んで就職活動をしている学生さんが増えてきたように思いますが、萬田さんが20代の時はどのように考えていましたか?
萬田私は20代や30代のときは、「自分ができること」「やりたいこと」だけでなく、「やらねばならないこと」「勧められたこと」も少しでもワクワクしそうだなと感じたらチャレンジしてきました。まさに、マーケターから人事への異動はそうでした。
その時は、これが何の役に立つのかはっきりと分からないこともありましたがそういったことのほうが後の人生を豊かにしてくれることも大いにあります。いま無駄だと思っていることでも、5年経つと強力な武器になっていることはよくあります。
仕事でも旅行でも恋愛でも、何でもいいから、とにかく自分の人生に色々な要素を足していく。20代や30代はフォアキャストでとにかくチャレンジ、行動あるのみです。チャレンジしなくて後悔することはあっても、チャレンジして後悔することはほとんどないです。
SNSにあふれている「成功者」に惑わされないで。大切なのは自分がどうありたいのか。
パナソニックの採用責任者として大学との関わりが増える中で、大学生の子どもを持つ親世代に向けて「子どものキャリア形成をどのようにサポートすればいいのか」をテーマにした講演のオファーを受けることが多いという。
萬田私が親御さんに伝えているのは、「就職活動において、親の役割は非常に大事」ということです。就職活動は親子が対話をするよいきっかけだと思っています。この時以外に、改めて子どもに面と向かって、自分の仕事に胸を張って話せる機会ってそこまでないですよね。「休日のお父さん」しか知らなかったのに、急に仕事のことをいきいきと語り出したら、やっぱりかっこいいですよね。この機会を逃すともうアピールするタイミングがなくなってしまいます。
私の息子も大学生になり、少しずつ「働くこと」を意識し始めて、ようやく私のことを社会人の先輩として見てくれるようになった気がします。そのような関係性になったお陰で、息子と仕事の話をする機会も増えました。
ひとつ、気を付けなければならないのは、自分の意見や価値観を子どもに押し付けないこと。仕事を取り巻く環境は我々親世代の時と、今では驚くほど変化しています。自分自身が20代の頃と今の子どもを取り巻く環境や価値観は全く異なっていることをまずは自覚すべきです。
そして、子どもの意見や価値観を尊重しつつ、自分自身の経験を踏まえて客観的にアドバイスすることをお勧めします。
河野就職活動やキャリアを考える時のソーシャルメディアとの付き合い方でアドバイスがあれば教えてください。
萬田就職活動やキャリアに関する情報はメディアにあふれかえっています。それゆえに、誤ったイメージや印象で振り回される学生も親御さんも多いと感じています。親子の対話はその情報に振り回されないためのひとつの手段です。

萬田SNSを見れば、自分と同世代(学生)で成功している人、輝いている人の話ばかり。でも、実際のところそんな人たちはほんの一握り。ほとんどの人は、もがき続けているわけです。自分が何者か分からないし、何をやりたいかも分からない。それでも行動を一歩ずつ重ね、痛みも味わいながら、経験を積んでほしい。そうすることで、自らを突き動かすミッションが育まれていきます。
萬田氏の長男も「会計士か中小企業診断士として中小企業の経営者を助けたい」というミッションの「種」を見つけたという。本来は学生が行くようなものではない社会人が参加する転職フェアに飛び込みで参加し、中小企業の社長と対話し、アルバイトを通じて様々な社会人と交流したことがきっかけだった。
萬田アルバイトの中で様々な社会人と交流をするうちに、「この前はこんな企業の人が来た」、「あの企業は何をやっているのか気になる」と、どんどん前のめりに話してくれるようになりました。そこから、彼のミッションの成長が加速してきている気がします。
河野萬田さんが伝え続けてきた想いや機会をしっかり受け止めてくれていると感じてうれしいですね。
では、最後に改めて萬田さんのミッションである「パナソニックから日本の採用変革を起こす」に対する想いを教えてください。
萬田当然、パナソニックの採用責任者として果たすべき役割は全うしていきます。ただ、私たちが本質的に目指しているのは、ひとつの企業だけが採用成功するような世界ではありません。世の中の不確実性が増していき、日本の労働人口が減少していく今だからこそ、私が幼少期を過ごした団地のような「社会全体で」「共に育て合う」環境が「採用」の世界で必要となっていると考えています。
利他的に支え合い、チームとして人を育て、日本社会として適材適所を推し進めていく。そのためにはまず、企業側、特に大手企業が積極的に機会や情報発信にオープンになり、行政とも協力しながら学生に歩み寄っていかなければいけない。道のりは長く、平坦ではありませんが、なんとか達成したいです。
決して学生さんにも、「何者かになれ」とは言わないです。自らを突き動かすミッションが育つには時間がかかります。私だって50代に差し掛かった今、ようやくここまで育てることができたのですから。
本当にパナソニックから「日本の採用変革」が起こっていくのかは正直分からない。 しかし、何かが変わろうとしている。 自身が幼少期に体感した共創コミュニティを参考に、萬田氏は採用の新しい在り方を生み出そうとしているように感じられた。
企業と学生の相互理解が進み、ゆるやかに繋がれるコミュニティを仲間と一緒につくりたい――自身のミッションについていきいきと語る萬田氏の目に、迷いはなかった。
パナソニック(株)新卒採用情報
パナソニック(株)キャリア採用情報
パナソニック(株)インターンシップ情報
こちらの記事は2019年12月03日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
次の記事
写真
花井 智子
校閲
佐々木 将史
1983年生まれ。保育・幼児教育の出版社に10年勤め、’17に滋賀へ移住。フリーの編集者、Webマーケターとして活動を開始。保育・福祉をベースにしつつ、さまざまな領域での情報発信や、社会の課題を解決するためのテクノロジーの導入に取り組んでいる。関心のあるキーワードは、PR(Public Relations)、ストーリーテリング、家族。
連載パナソニックが提唱するミッションドリブン 〜人生100年時代の新・キャリア戦略〜
10記事 | 最終更新 2021.04.21おすすめの関連記事
ベンチャーからの大手転職組に訊く、「大企業オワコン説」は本当か?
- パナソニック株式会社 リクルート&キャリアクリエイトセンター 採用ブランディング課
「会社員ってダサくない?」という若者の本音を会社員にぶつけてみた
- パナソニック株式会社 コーポレート戦略本部 経営企画部
KPI・ツール選定・社内調整まで。パナソニックが明かす、採用ブランディングの実践論
- パナソニック株式会社 リクルート&キャリアクリエイトセンター 採用ブランディング課
「未開市場への挑戦権」は起業やスタートアップだけじゃない──NTTアノードエナジーの戦略家に訊く、20代で突き抜ける人材になるためのキャリア論
- NTTアノードエナジー株式会社 経営企画部 事業戦略部門 課長/財務部 課長
20代マネージャーのロールモデルを5つの事例から学ぶ━FastGrowが注目するベンチャー・スタートアップの20代マネジャー特集【前半】
「無思考」にコンサルを選ぶ“キャリアの罠”とは── 20代のために、元McKパートナーのスタートアップ事業家と現シンプレクス30代執行役員が斬る
- シンプレクス株式会社 執行役員
「視座は高く、主語は“We”」で泥臭くアクションせよ──X Mile×リクルートの経営層の飛躍の軌跡を辿って探る「圧倒的に伸びる20代になる方法」
- X Mile株式会社 Co-Founder COO
「その仕事、日本の未来に繋がってる?」──オープンイノベーションの先導者・eiiconの事業部長らに訊く、市場を創るゼロイチ事業の伸ばし方
- 株式会社eiicon Enterprise事業本部 Consulting事業部 部長、公共セクター事業本部 東海支援事業部 部長