「まずは国内」の常識を覆せ。スタートから世界のメインストリームへ──EC業界の雄『いつも』が切り拓く、D2Cグローバル戦略の最前線
Sponsored無名のスノーウェアブランドが、ローンチと同時に500媒体以上に掲載された。スペシャルアンバサダーは沢尻エリカと窪塚洋介。広告写真を手がけたのは、Lady GagaやBTSなど世界的セレブリティを撮影してきたフォトグラファー・レスリー・キー。大手百貨店からも出店オファーが届き、ドイツで開催された世界最大級のスポーツ展示会では各国バイヤーから引き合いが相次いだ。
なぜ、立ち上げたばかりのD2Cブランドに、これほどの人と注目が集まったのか。
背景には、P&GやTikTokも指名する、EC領域のリーディングカンパニー・いつも.の存在がある。本ブランドのリリースに関しては、同社が商品開発からブランディング、販売まで一気通貫で手がけた。
本記事では、いつも.グループの新D2Cブランド『DIG』の立ち上げを追いながら、①D2Cアパレルで勝てる戦略、②ECコンサルに商品開発力が加わった新モデル、③一気通貫で事業を回せるキャリア価値──の3つを紐解いていく。
語るのは、累計350万台超のヒット(2024年9月時点)を生んだBRUNO創業者でいつも.顧問の橋本雅治氏、52歳で現役を続けるプロビーチバレー選手でありDIGブランドプロデューサーの西村晃一氏、トヨタ「TOYOTA UPCYCLE」やプロスポーツ37チーム超のデザインを手がけてきた一法師拓門氏、そして三越伊勢丹で海外事業に携わった経験を持ち、本プロジェクト全体を統括したいつも.の坂部智久氏だ。
- PHOTO BY TOMOKO HANAI
- EDIT BY TAKUYA OHAMA
「テレビ7社、新聞5社」──無名ブランドに起きた異変
「テレビは1社来れば上出来と言われていましたが、結果は7社です」──。
2025年10月、いつも.グループから新しいD2Cブランドが誕生した。スノーウェアブランド『 DIG 』。冒頭の言葉は、ブランドマネージャーとしてプロジェクト全体を統括した坂部智久氏のものだ。
いつも. は、楽天・Amazon・自社ECなど複数チャネルを横断してEC事業を支援する企業。クライアントの商品をどう売るかだけでなく、広告運用、物流設計、レビュー戦略まで一気通貫で担う「構造設計カンパニー」だ(詳しくはこちらの解剖記事より)。P&GやTikTokといったグローバル企業からも指名されるEC支援のトップランナーである。そのグループ会社であるスノーウェア・スポーツアパレルのD2Cブランドを展開するBLANから、新ブランドとして『DIG』が立ち上がった。
結論から言うと、ローンチ直後から想定を大きく超える反響があった。
坂部メディア掲載数は当初100媒体いけば良しとされていました。ところが結果は500媒体以上。マスメディアはテレビ7社、新聞5社に取り上げていただき、ファッションメディアでの動画投稿も数百万回再生を超えました。最も多くいただいた声は「店舗で実物を見たい」というもので、その反響もあり阪急メンズ大阪・阪急メンズ東京等からポップアップ出店のお話をいただいています。高島屋・新宿からもオファーがありました。
坂部 智久氏
D2Cで立ち上げたブランドが、大手百貨店から声がかかる。アパレル業界では異例のことだ。
そもそもアパレルには「まずリアル店舗で認知を獲得し、その後ECに展開する」という業界の定石がある。ブランドの世界観は店舗で体験させ、リピート購入をECで促す──この順序が長らく常識とされてきた。
累計350万台超のヒット商品「コンパクトホットプレート」を生んだBRUNOの創業者であり、現在はいつも.の顧問として『DIG』の戦略設計を主導した橋本雅治氏は、こう説明する。
橋本D2Cで成功しているのは、コスメやサプリメントが中心です。アパレルでD2Cから始めるブランドは、日本にはほぼ存在しません。
橋本 雅治氏
『DIG』を展開するBLANは、創業以来、実店舗を持たずECのみで販売してきた稀有なアパレル企業だ。スノーウェア市場にはBurtonやTHE NORTH FACEといったグローバルブランドがひしめくが、BLANは楽天市場で高い評価を得ており、EC売上で確かな実績を積み上げてきた。
では、なぜ今このタイミングでD2Cアパレルに勝機があるのか。橋本氏は、海外市場の構造変化を挙げる。
橋本中国では、まずD2Cでブランドを立ち上げ、成功したらリアル店舗を出すという流れが主流になりつつあります。我々はその流れを、日本で先駆けてやっているのです。日本のEC化率は、中国と比べるとまだ3分の1程度。それが2倍、2.5倍になるのはそう遠くない。EC市場が拡大すれば、D2Cで展開している企業は成長の恩恵を直接受けます。大きなチャンスが目の前にあるのです。
現在、日本の物販系EC化率は約9.8%。( 経済産業省調べ )一方、中国は約30%とされ、その差は依然として大きい。
さらに『DIG』は、当初からリアル展開も視野に入れていた。D2Cで立ち上げながら、百貨店のバイヤーにも評価されるデザイン力・ブランド力を備える。この「ハイブリッド戦略」が『DIG』の独自性だ。
橋本我々はD2Cだけにこだわっていません。D2Cで立ち上げながら、リアルにも展開していく。それだけの品質を持ったブランドがECから始まるのは、おそらく日本で初めてのケースです。BRUNOもそうでしたが、「たまたま売れた」という話ではない。しっかりとした論理的なロジックがあって、初めて成功に至る。いくら良いものを作っても、戦略がなければ成功はありません。
『DIG』が狙うポジションは明確だ。スポーツアパレルよりも圧倒的にファッション性が高く、ファッションブランドよりも圧倒的に機能性が高い。このポジションを取れているブランドは、実はほとんど存在しない。
市場の追い風、D2Cの構造的優位、リアルへの展開力。これらが揃って初めて、『DIG』は勝負に出られる土台を得た。
売上の7割が自社物販。「自分で売れないコンサル」にはならない
戦略は描けた。だが、それを実行できる組織でなければ意味がない。
いつも.は、EC支援のリーディングカンパニーだ。しかし、橋本氏が顧問として加わる以前、同社には決定的に欠けているものがあった。
橋本いつも.はECのエキスパートですが、他の支援会社と決定的に違う点があります。自分たちで商品を売り、実際に成功している会社だということです。
いつも.の坂本社長は船井総合研究所出身。コンサルタント時代に感じた違和感が、創業の原点にある。
橋本一般的に、コンサルティングファームの提案は20〜30代の若手コンサルタントが出てくるケースが多いですよね。しかし、経営者からすれば「あなたは経営をしたことがあるのか」「私に何を教えようとしているのか」と感じてしまう場合が少なくありません。坂本もその経験をしてきたからこそ、自分で売ってみせて成功しなければ説得力がない、と考えたのです。
だから、いつも.は自らECを立ち上げ、上場を果たした。現在も支援事業を展開しながら、売上の約7割はクライアントの商材を直接仕入れ、自ら販売を担う事業が占める。クライアントに提案する前に、まず自分たちで実践して成果を出す。これが競合他社との決定的な差別化要因になっている。
EC支援で成功を収めた同社は、次のステージとして「自分たちのブランドを、自分たちで開発・販売する」ことを目指した。10社ほどを買収し、事業領域の拡大を図る。BLANも、そのうちの一つだ。
だが、結果は芳しくなかった。
橋本構想は良かったのですが、いつも.自体がECのエキスパートであっても、商品開発やプロダクトを理解できる人材がいなかった。したがって、なかなか上手く結果が出せなかったのです。
EC支援は「どう売るか」のプロフェッショナル。しかし「何を作るか」「どうブランドを設計するか」には、別の専門性が求められる。いつも.に足りなかったピースは明確だった。商品開発、ブランディング、リアルマーケティングの知見である。
それを補うために、坂本社長が白羽の矢を立てたのが橋本氏だ。
橋本2023年、いつも.に欠けていたピースを私が補うべく顧問に就任しました。BRUNOでの経営経験から、リアルのマーケットに対する知見や実績には自信がありましたので、いつも.と組むことでシナジーを生み出せると考えたのです。
ECのエキスパートと、商品開発・ブランディングのプロフェッショナル。この掛け合わせによって、いつも.は「売り方」だけでなく「作り方」まで支援できる存在へと進化しつつある。
橋本現在のいつも.のクライアントは、基本的にEC事業を強化したい企業がほとんどです。しかしこれからは、ECだけでなく商品開発やブランディング、リアルのマーケティングまでお手伝いできる。既存のEC支援会社を完全に凌駕する存在になると考えています。
組織の土台は整った。あとは、それを証明するプロダクトが必要だ。
色が違う、これは黒じゃない、全部やり直し。妥協なき半年間
「ファーストサンプルが上がってきたとき、正直『大丈夫かな…』と思いました」
『DIG』のデザインを手がけた一法師拓門氏は、当時をそう振り返る。同氏はトヨタ自動車「Tsugi-Craft by TOYOTA UPCYCLE」のデザインを手掛けるなど、大手企業のプロジェクトに多数参画。国内外のファッションブランドでのデザイナー経験を経て、グラフィックデザインやブランド戦略のディレクションに携わるなど、多岐にわたるクリエイティブ実績を積んできた。いわば、世界水準のものづくりを知る人物だ。
では、ここから具体的なプロダクト開発の流れをみていこう。まず一法師氏がデザインコンセプトを立て、デザイン画を描き、生産仕様書を作成する。それをもとにBLANが製造を担う。しかし、世界水準を知る一法師氏が求める品質と、D2Cで効率的なものづくりを追求してきたBLANのアプローチには、埋めるべき溝があった。
一法師私はこれまで、国内外複数のファッションブランドでのデザイナー経験を積み、ラグジュアリーブランドでもクリエイティブに携わってきました。細部にわたるチェックの厳しさが、私の中でのスタンダードだったのです。一方、BLANは「良質なものを適正価格で届ける」という明確な強みを持つ会社。D2Cで成功してきた実績がある。ただ、今回『DIG』で目指す方向性とは、アプローチが異なっていました。
一法師 拓門氏
一法師自身の想定イメージと乖離が大きく、最初は「これでは到底厳しい…」というレベルでした。たとえば、モニターで依頼した色と、実際に上がってきた生地の色がまったく違う。同じ赤でも全然違うんです。特に難しかったのは柄物の開発で、黒の発色が甘いと他の色が沈んでしまう。染色の深さ一つで、全体の印象が大きく変わるのです。
ここで諦めるデザイナーもいるだろう。製造側の「できません」を受け入れ、落としどころを探る。だが、一法師氏は違った。妥協すれば、世界で戦えるプロダクトにはならない。その確信があった。
一法師「イメージと近い色やシルエット・ディテールを持つ様々なアイテムが世の中に存在しています。なので、技術的にできないということはないはずです」と何度も諦めずにお伝えしました。ファスナーの引き手はオリジナルに、ボタンには刻印を。そういう細部にわたる設計を、一つ一つ詰めていったのです。BLANは大阪に拠点を構えていましたが、東京から何度も足を運びました。
カラービーカー(色見本)を何度も作り直す日々が続いた。妥協点を探るのではなく、一法師氏が求める水準にBLANが追いつくまで、NGを出し続けた。その結果、当初の発売予定から半年、スケジュールが後ろ倒しになる。普通なら、ビジネス判断として許容されない遅延だ。
一法師プロダクトへの納得がいかないという理由で、ローンチを半年ほど遅らせてもらいました。でも逆に言えば、その半年で両者の認識が擦り合わさった。BLANの生産力と、私が求める品質基準が噛み合うようになったのです。これによって、2シーズン目以降はこだわりのポイントが共通理解になっているので、スピードは上がるはずです。
この遅延を許容した橋本氏の判断も、並大抵ではない。すでに投資は進んでいる。社内からのプレッシャーもあっただろう。それでも橋本氏は、一法師氏の背中を押し続けた。
橋本彼が納得するまでやり切ってほしいと伝えていました。最終的に納得できなければ、プロジェクト自体を中止する覚悟もあった。どれだけブランディングやマーケティングがうまくても、いいものを作らなければ成功はありません。プロダクトの良さが、すべての土台なのです。
一法師欧米のデザインは「主張する」タイプなんです。自分たちを主張し、相手に届けに行くデザイン。日本が得意とするのは、見る人の心に自然と入ってきて「いいな」と感じさせる、受け身のデザイン。私が世界水準のブランドから学んだのは、自分というものを前に出していかないとダメだということでした。DIGには、その主張の強さを込めています。
結果として、『DIG』は「ファッションを知る人ほど評価するブランド」になった。
一法師ブランドをローンチしたあと、ファッション業界の知人を何人も呼びました。見る人が見れば、こだわりはすぐにわかる。「縫製のクオリティがここまで高いD2Cブランドは見たことがない」「ディテールの作り込みがラグジュアリーブランド並みだ」という声をいただきました。沢尻さんも窪塚さんもユーザーとして欲しいと言ってくださった。関わってくださった方々が、仕事だからではなく本当に良いと思ってくれている。それが一番嬉しかったですね。
この品質があるからこそ、橋本氏は早々に海外展開を決断できた。まだ日本で一着も売れていない段階で、ミュンヘンの展示会への出展を決めている。社内には慎重論もあったというが、橋本氏の答えは明快だった。
橋本これなら海外でも恥ずかしくない。だから、日本で発売する前からミュンヘンの展示会への出展を決めました。社内では「まだ日本でも売っていないのに」という声もありましたが、いいものがあるのになぜやらないのか。チャンスを逃すわけにはいきません。
そして2025年11月、『DIG』は実際にISPO Munichへ出展した。ISPO Munichは、世界最大級のスポーツ・アウトドア国際展示会。スノー・アウトドア分野において、新ブランドが世界に通用するかを測る“試金石”とも言える場だ。
3日間の会期中、『DIG』のブースにはドイツ、スイス、フランス、カナダなど世界各国のバイヤーやディストリビューターが訪れた。「日本のブランドを探していた」「ヨーロッパブランドとは明確に違うデザイン性がある」「機能面・品質の高さを感じる」──現地での評価は上々だった。ドイツからは商品テストを前提とした商談が持ち込まれ、カザフスタンからは現地ショールームでの展示についての交渉が進んでいる。
『DIG』は確度の高い商談と具体的な次のステップを獲得。ヨーロッパ市場での複数国展開を前提とした交渉が、現在進行形で動いている。
提供:株式会社いつも
提供:株式会社いつも
半年の遅延は、世界に出るための助走期間だった。なお、すでに『DIG』の第一弾コラボレーションは始動している。日本を代表するグローバル企業・トヨタが手がける「TOYOTA UPCYCLE」*での協業だ。そしてこのコラボレーションに限らず、『DIG』は現在進行形で様々なステークホルダーと斬新な仕掛けを水面下で進めている最中である。
*自動車を筆頭に、様々なモノづくりの製造工程で発生する、リユース・リサイクルの難しい廃棄物(端材・廃材)を新しい価値を持つ商品へと生まれ変わらせることで、循環をあきらめない文化の創造を目指すプロジェクト
20年温めた構想が、人と人との縁によって動いた
プロダクトは完成した。次は、ブランドの世界観を伝える広告写真や動画の制作だ。どれだけ良い商品でも、届け方を間違えれば埋もれてしまう。
ここで力を発揮したのが、『DIG』ブランドプロデューサーの西村晃一氏だ。元ビーチバレー日本代表で、52歳の今も現役を続けるプロアスリート。シドニー五輪予選では、守備の要として最も活躍した選手に贈られるベストディガー賞を獲得。アメリカのプロビーチバレーリーグ「AVPツアー」に日本人として初めて参戦し、3度の優勝を果たした。『DIG』というブランド名は、彼のキャリアと深く結びついている。
西村DIGはバレーボール用語で「レシーブ」を意味します。相手の強打を拾い、次につなげる動作のことです。私は日本で初めて守備専門のポジションで世界大会に出場し、「ディグ」という技術を広めてきた自負があります。「拾う・つなぐ」という精神を、ブランドのコンセプトにしたかったのです。
そして実は、このブランド名は20年以上前から温めていました。当時契約していたスポーツウェアメーカーのウェアに、こっそりDIGのロゴを入れていたほどです(笑)。それ程ずっと「いつか自分のブランドに」と思い続けてきたんです。
西村 晃一氏
20年越しの構想が動き出したのは、橋本氏がいつも.グループの顧問に就任したことがきっかけだ。橋本氏と西村氏は、20年来の付き合いだという。
橋本西村さんとは長い付き合いで、食事をするたびに「DIG、DIG」と念仏のように言っていました。彼がBLANにスノーウェアの企画を持ち込んできたとき、「これはいける」と直感しました。西村さんのビジョンが明確で、アスリートとしての課題感が本物だったからです。
デザイナーの一法師氏を見つけたのも、西村氏だ。SNSで一法師氏の作品を見た瞬間、「この人しかいない」と確信したという。
西村私は直感でピンと来たら、すぐに動くタイプなんです。初対面でも関係ない(笑)。一法師さんが当時住んでいた長崎まで会いに行きましたよね。会って話をして、「この人だ」と確信した。あとは橋本さんに託して、プロジェクトを形にしてもらいました。
プロダクトが完成し、次は広告ビジュアルの制作に移る段階で、西村氏のもう一つの人脈が活きてくる。世界的フォトグラファー、レスリー・キー氏との関係だ。
西村レスリーとは2000年からの付き合いです。ビーチバレーに転向したタイミングで出会い、それ以来ずっと「いつかブランドを立ち上げたら、レスリーに撮ってほしい」と伝え続けてきました。彼も「力を貸すよ」と言ってくれていた。20年越しの約束が、ようやく実現したんです。
レスリー・キー氏は、Lady GagaやBTS、数々のハリウッドセレブを撮影してきた世界的フォトグラファーだ。彼が動いたことで、さらに大きな名前が加わることになる。西村氏から「レスリーが撮ってくれそうです」「窪塚洋介さんと沢尻エリカさんもいけるかもしれません」という報告があったとき、橋本氏は半信半疑だった。
橋本正直、話半分に聞いておこうと思っていました…(笑)。無名のブランドにそんな大物が来るわけがない、と。でも、本当に実現したんです。あらためて、西村君の人を惹きつける力を再認識しました。
聞けば、決め手は「レスリーが撮るのなら協力したい」という信頼と、プロダクトの良さだったそうです。彼らタレントはイメージ商売ですから、無名のブランドに関わるリスクは冒さない。それでも協力してくれたということは、我々のプロダクトが「本物である」ということの証左ではないでしょうか。
そして冒頭で述べた通り、メディアの注目度は当初の想定をはるかに超えた。
橋本事業というのは、基本的に良い人と付き合うこと、良い会社と付き合うこと。この2つに尽きます。いつも.においても、新規事業を立ち上げる際は必ずふさわしい人が次々と集まり、足りないパーツが揃っていく。これはこの会社の魅力の一つですよね。
西村想い続けていれば、いつか形になる。私の人生はずっとそうでした。毎回勝てなくてもいいんです。最終的に勝てばいい。20年前に描いた構想が、橋本さん、一法師さん、レスリー、そしていつも.の皆さんとつながって、ようやく実現した。「拾う・つなぐ」という『DIG』のコンセプトそのものが、このプロジェクトの成り立ちを表していると思います。
戦略があり、組織があり、プロダクトがあり、人のつながりがある。『DIG』は、それらすべてが揃って初めて生まれたブランドだ。
では、このプロジェクトを推進した当事者は、何を得たのか。
戦略から販売まで、すべてを動かす人材が生まれる場所
『DIG』プロジェクト全体を統括した坂部氏は、三越伊勢丹出身だ。マーチャンダイジングを経験した後、海外事業局でマレーシア、フィリピン・マニラの店舗立ち上げに携わってきた。大企業で「プロダクトを扱う仕事」を一通り経験してきた人物である。
ただし、その経験には苦い記憶も含まれている。三越伊勢丹時代、クールジャパンファンドの出資を受けてマレーシアでの大規模リモデル*に挑戦し、大きな失敗を経験した。
*顧客ニーズや市場の変化に対応するため、既存の店舗・フロア・売り場を刷新・改装すること
坂部何十億円という予算を使って、結果的にうまくいかなかった。メディアにも取り上げられました。ただ、そこで学んだのは、「日本のやり方を海外にそのまま持っていけばいい」という考えでは通用しないということです。世界のニーズに合わせて、求められるデザインや機能性を提供しなければいけない。その経験が、今回の『DIG』にも活きています。
そんな坂部氏が、なぜ挑戦の場をいつも.に移したのか。
坂部坂本社長から「海外事業を一緒にやらないか」と声をかけていただいたのがきっかけです。百貨店でやれることは一通りやり終えた感覚があり、新しい挑戦を求めていました。入社後は海外事業を担当しながら、さまざまなプロジェクトに関わってきました。そのなかでBLANの立て直しという話が出てきて、橋本さんと一緒に仕事をすることになったのです。
坂部氏は、橋本氏と仕事をするなかで「やめる決断」を目の当たりにしている。橋本氏が顧問に就任した直後、坂部氏が担当していた大型プロジェクトを中止する判断が下された。
坂部当時、私が担当していたプロジェクトは、すでに人も採用し、かなり仕掛けが進んでいました。ただ、橋本さんから見ると「このまま進めても成功の確率は低い」という判断だった。正直、やめるという決断は難しいものでした。でも、どこにブルーオーシャンがあるのか。そこを明確にロジカルに示していただいたことで、納得できました。あのまま進んでいたら、レッドオーシャンに漕ぎ出すところでした。
橋本やめるって難しいんですよ。新しく始めるより、やめる方が難しい。私がBRUNOで一番大きな決断をしたのは、量販店から専門店・セレクトショップへと販路を大きくシフトしたことでした。20年前は量販店全盛の時代で、そこで売らなければ生きていけないと誰もが思っていました。
でも、専門店やセレクトショップの比率が上がってきているのは明らか。だから、売上の3割を占めていた量販チャネルから撤退し、専門店に集中する決断をしたんです。担当者からは大反発がありましたし、業界からも「何を考えているんだ」と言われました。でも、あの決断ができたから会社は成功できたと思っています。
その経験が、『DIG』プロジェクトにおける坂部氏の動き方を変えた。
坂部橋本さんと仕事をして一番鍛えられたのは、戦略思考です。以前は「実行すること」が目的になっていた部分がありました。でも今は、どこにポジションを取るのか、誰もやっていない領域はどこか、ということを常に考えるようになった。『DIG』のプロジェクトでも、その視点が活きています。
『DIG』では、商品企画からマーケティング、販売運営まで、坂部氏がすべてを見渡す立場にあった。大企業では経験しにくい、一気通貫のプロジェクトマネジメントだ。
坂部前職の百貨店では、商品の企画はしますが、マーケティング部門は別にある。売り場も別の担当がいる。それぞれが分かれているのが普通でした。でも『DIG』では、企画からマーケティング、運営まで全部を見ることができた。大変ではありますが、なかなかできない経験だと思います。
さらに、今回のプロジェクトでは大型のタレントキャスティングも経験した。BLANとして、これほどの規模のキャスティングは初めてのことだ。
坂部通常のモデル撮影はやったことがありましたが、沢尻さんや窪塚さんのような大物タレントのキャスティングは初めてでした。事務所との交渉、契約条件の調整、撮影当日のオペレーション。すべてが手探りでしたが、結果として社内で唯一のノウハウを持つことになりました。
坂部氏は、この経験を自分だけのものにするつもりはないという。
坂部私がやってきたことを属人化させず、フローとして整理して、他のメンバーにも渡していきたいと考えています。いつも.という会社のフレームを使えば、企画から販売まで一気通貫でできる。そういうポジションを、これから増やしていきたいです。事業主体として動きたい人にとっては、すごく面白い環境だと思います。
橋本『DIG』はスノーウェアだけにとどまるつもりはありません。「DIG=いいものを拾う、いいものをプロダクトしていく」という意味では、いろんなカテゴリーに広がっていく可能性がある。スポーツアパレルより圧倒的にファッション性が高く、ファッションブランドより圧倒的に機能性が高い。このポジションを、さまざまなジャンルで展開していきたいと考えています。
橋本氏は、いつも.が求める人材像についても語る。
橋本単なるキャリアアップのために来るという方よりも、「チャレンジしたい」「新しいことをやりたい」という人に来てほしいです。欲しいのはパッションとチャレンジ精神です。ベンチャースピリットを持った人、将来的に自分で事業を動かしたいという人。そういう方にとって、ここは最高の環境だと思います。
戦略コンサルは戦略を描くが、実行は別の会社が担う。メーカーは商品を作るが、売り方は代理店任せになりがちだ。いつも.は、その両方を自分たちでやる会社へと進化しつつある。
『DIG』というプロジェクトは、その進化を象徴する事例だ。戦略を描き、プロダクトを作り、売り方まで設計する。「事業を丸ごと動かせる人材」が、ここから生まれようとしている。
「戦略だけ描いて終わり」に物足りなさを感じているコンサル出身者。「企画だけやって、売るのは別部署」という分断に歯がゆさを覚えているメーカー出身者。あるいは、将来的に自分のブランドを立ち上げたいと考えている起業家志向の人。いつも.は、そうした人材が「事業の全体像」を掴むための、またとない環境を提供している。
『DIG』プロジェクトは始まったばかりだ。海外展開、新カテゴリーへの拡張、次なるブランドの立ち上げ──挑戦の機会は、これからも生まれ続ける。その最前線で、事業を動かす経験を積みたい人にとって、いつも.の門は開かれている。
こちらの記事は2025年12月25日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
写真
花井 智子
編集
大浜 拓也
株式会社スモールクリエイター代表。2010年立教大学在学中にWeb制作、メディア事業にて起業し、キャリア・エンタメ系クライアントを中心に業務支援を行う。2017年からは併行して人材紹介会社の創業メンバーとしてIT企業の採用支援に従事。現在はIT・人材・エンタメをキーワードにクライアントWebメディアのプロデュースや制作運営を担っている。ロック好きでギター歴20年。