INTERVIEW

これぞ世界中が注目する“奇跡のイノベーション”だ!
トータルヘルスケアカンパニーに変革した富士フイルム、変革の舞台裏

たった10年の間に市場規模が10分の1にまで縮小したビジネスがある。写真フィルムの領域だ。あえて言うまでもなく、原因は写真の主流がアナログからデジタルへと急変したからだが、ピーク時に世界No.1の座をめぐり熾烈な競争を演じていたコダックは破産(現在のコダックは2013年に再出発した組織)。

以後、破壊的イノベーションが語られる際、その犠牲者の代表格のように語られるようになった。これに対し、同社最大のライバルであった富士フイルムは、いわゆる「イノベーションのジレンマ」を乗り越え、医療機器分野や化粧品等の市場で成功、売上規模を大きく伸ばし2.4兆円企業となった今もなお成長を続けている。

まさに「ディスラプションの時代を生き抜く企業」のお手本ともいえる同社は、いかなる変革を行ってきたのか。その一翼を担い、今もオープンイノベーションを牽引する小島健嗣氏に、その鮮烈な舞台裏を聞いた。

  • TEXT BY NAOKI MORIKAWA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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インタビュイー

小島 健嗣 (こじま・けんじ)

富士フイルム株式会社 経営企画本部 ビジネス開発・創出部 Open Innovation Hub館長

小島 健嗣

こじま・けんじ

富士フイルム株式会社 経営企画本部 ビジネス開発・創出部 Open Innovation Hub館長

千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、電子機器メーカーを経て1986年に富士フイルム入社。情報システム、理化学機器等のプロダクトデザインを担当した後、時代の変化の中、インターフェースデザイン、デジタルコンテンツデザイン、ユーザビリティデザイン等々のグループ立ち上げを担った。2011年からはR&D統括本部技術戦略部で技術広報と産官学連携によるオープンイノベーションを担当。2014年には「FUJIFILM Open Innovation Hub」を開設し、2015年より現職。

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写真フィルム市場の消滅を予見し、自らデジタルカメラの原点を開発

「富士フイルムはいま何の会社ですかって?それが一言でまだいえないから、みんなと一緒に創っていきたいんですよ」

取材冒頭、小島氏はそう言い放った。富士フイルムホールディングスの2018年度の売上は2.4兆円。その内訳を見ると、約16%は今も写真関連事業(デジタルカメラ、フォトブック、光学レンズなど)によるものだが、残る約84%は非写真関連事業。グループ企業である富士ゼロックスが主に担っているオフィスドキュメント事業(複写機、複合機といったプリンティングデバイスやオンデマンド印刷システムなど)で約1兆円、そして液晶ディスプレイや半導体製造などに用いられる高機能材料事業や“アスタリフト”ブランドをはじめとする化粧品などのライフサイエンス事業、さらには医療用の画像システム等を開発・提供するメディカルシステム事業などによって残る約1兆円を稼いでいる。

そのため、ミレニアル世代以降の年代の者にとっての富士フイルムの企業イメージは、「ヘルスケアや医療の会社」あるいは「プリンティングや高機能材料の先進開発企業」となっているに違いない。

2000年代の初頭、売上の過半を写真関連事業で獲得し、世界的ブランドまで築き上げていた会社が20年足らずの期間にここまで姿を変え、しかも当時をしのぐ巨大な売上規模で今なお成長中であることは、世界中から「奇跡」とさえ言われる。

「どんな人たちがどういう先見性をもって、何に取り組めば、こんなミラクルを実現できるのか」……破壊的イノベーションの時代が本格化した今、あらためて実業界の人々が注目をしているのだ。

小島写真フィルム事業が花盛りだった頃、世界のリーダーはコダックでした。後発である当社は、言ってみればコダックの背中を追いかけ、敬意を持って挑戦することで成長していった会社だったのです。しかし、ようやく世界の市場をコダックと当社で二分するほどにまでなった1990年代以降、いずれ到来する破壊的イノベーションの足音がどんどん大きくなっていきました。つまりデジタルカメラが主流の座につき、写真フィルムという製品そのものが不要となる時代が到来しようとしていたのです。

富士フイルム株式会社 経営企画本部 ビジネス開発・創出部Open Innovation Hub館長 小島 健嗣 氏

もちろんデジタル時代突入へ向け、写真フィルム各社は備えを固めていった。例えば1988年、富士フイルムは現在のデジカメの原点である「メモリーカードに写真を記録させる形式によるデジカメ」を世界で初めて開発し、商品化。言ってみれば、写真フィルムという既存事業に依存することなく、自ら破壊的イノベーションを進めるポジションも執ることで生き残りを図った。「どうせ他社が技術破壊を興すくらいなら、自分たちで破壊してしまおう」というわけである。

1986年に富士フイルムに入社した小島氏は、この大きな時代の転換期をデザイン部門の人間として体感したという。ある意味、デザイナーという立ち位置だったからこそ、当時の経営層の思惑と新たな挑戦への戸惑いとを同時に見据えることができたのではないかとふり返る。

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行き詰まったら本質を追求する。それが富士フイルムの強み

一方、コダックをはじめ同業他社もまたデジタル化への対応を急いだのだが、破壊的イノベーションは各社の想定を大きく超えるスピードで進行。今度はスマートフォンの登場とその爆発的普及がデジカメ市場さえも揺るがしていくことになる。

もしも富士フイルムが単に写真事業のデジタル化だけで勝負しようとしていたなら、現在の繁栄はなかったはず。だが、スマートフォン登場のはるか前、2000年代中盤のタイミングから、まるで10〜20年先を見越していたかのような一大変革に、富士フイルムは着手していた。

号令を発したのは運命の分かれ道となった2000年に社長就任をした古森重隆氏(現 富士フイルムホールディングス会長)とのこと。

小島ちょうど2000年が写真フィルム市場のピークでした。以後は急激な縮小という下り坂を転げるように進んでいく中で、身を切るような組織変革も実行されていきました。しかし同時に古森は、富士フイルムの真のバリューである技術力を活かして新市場に打って出るビジョンを次々に発していったんです。今も先進研究所のコンセプトとして息づいている「融知創新」という理念は、2003〜2004年ごろに古森が打ち出したものです。

自社が持つ様々な先進技術を活かすためにも、異分野の技術や知識、思考アプローチと積極的に接点を持ち、それらとの融和の中から新たな価値を創造していく。それが「融知創新」の理念だという。さらに小島氏は写真フィルムの生産技術が持つ特殊性もまた、同社の大変貌に役立った、という独自の見解を示す。

小島写真フィルム作りに用いられる化学や生産プロセスの多くは、まるで生き物を相手にするような繊細さが求められる種類のものでした。

実際に、世界に写真フィルムメーカーは4社しか存在していません。それほどに富士フイルムが手掛けてきた製品は、参入ハードルが高い技術の結晶である、ということです。そんな世界でも事例がない研究開発を続けているものですから、当社のR&D部隊や開発製造生産技術に携わる者たちの間には、常に本質を追求する姿勢が身についています。

伝統的に「既存のやり方で行き詰まったときには勇気をふるって原点に立ち返り、本質を見つめ直す」ということですね。この姿勢こそが、自社技術の活用範囲をゼロから見直し、富士フイルムをヘルスケア企業に変貌させられた源泉だと思います。

もちろん、需要が年々劇的に減少しているとはいえ、まだまだ写真フィルムが売れていた時代には、「アナログからデジタルへ」という取り組みや、「フィルムだけにこだわらず異分野の技術との融合を」というトップ指令に対し、戸惑いはありましたけれど。

まさに今、当時の富士フイルムと似通った環境にいるビジネスパーソンは多数いるはずだ。「ウチはこの事業でここまで成長したんだ。変わる必要なんてない」という社員もいれば、「いずれ頭打ちになることが見えているのに、いつまでも過去の成功体験にぶら下がるべきではない」という社員もいる。

「ここをこう改善すれば、まだまだいける」という者がいる一方で、「そのリソースは現状維持のための改善ではなく、ゼロイチの変革に投じるべき」と主張する者もいて、それぞれがもっともな正論をぶつけ合う環境。

メディアは事も無げに「破壊的イノベーションが求められる時代」などと解析しているが、それぞれのビジネスの現場では不透明な先行きの中で誰もがもがいている。どこよりも早く破壊的イノベーションが始まる領域にいた富士フイルムは、こうした苦闘を2000年代半ばから続けてきたのだ。

そして、それでも前に進むことができた理由を、小島氏は「トップの決断」と「現場に根づいていた変革気質」にあったのだとふり返る。そして大きな変化は小島氏自身の仕事にも影響を与えていった。

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変革はまだ終わっていない。今でも「生きるか死ぬかの勝負」を続けている

小島私の場合、デザイナー職とはいえBtoB寄りの事業を担当していたおかげで、ビジネス自体をデザインするような姿勢が自然に身についていました。ですから、自社のビジネスが写真フィルム主体から大きく変貌していくような動きも、ある種のデザインシンキングで客観的に捉えることができたんです。

もちろん、当初は逆風も体験しました。メディカルや高機能材料などの新規事業について、デザイナーの立場から提案をしても、既存事業で成果を上げてきたラインからはなかなかその価値を評価してもらえなかったり。

ありがたかったのは、トップに立った古森自身が、かつて主力事業であった写真ビジネスとは異なる事業を統括した経験の持ち主であり、変革の現場の体験者であったこと。私たちの取り組みに理解を示すことで逆風に立ち塞がってくれたり、ブレない変革志向を一貫して唱え続けてくれたりして、我々を鼓舞し続けてくれました。

「トップ経営層ほど問題意識や危機感を早期に肌で感じて打開策を打ち出すものの、現場で数字を作っている若い現場ほど保守的実績ベースな発想で反発しがち」というのも、“既存事業で長年成功してきた大企業”にありがちなネジレ現象といえる。

こうしたジレンマを乗り越えるにはブレない経営者が不可欠。古森氏の存在がいかに大きかったかがわかる一方で、小島氏のように、常に相反する意見の間に立たされ、繋ぎ役を任される立場の人たちが粘り強く辛抱したのだということも伝わってくる。

小島とにかく少しずつでも結果を出して行くしかありませんでした。きれい事を言っていても人は動きません。2006年以降、社名変更や本社オフィス移転(2007年に移転)、新しい研究所の創設など、前向きな変化が目白押しでしたが、同時に写真事業の構造改革などもあり、社内の空気は落ち着いていませんでした。2008年のリーマンショックの影響もありましたし、とにかく「戦うしかない」という意識でそれぞれの社員が歯を食いしばっていたんです。古森も常に「生きるか死ぬかの勝負だ」といっていましたから。

「イノベーションを実現してビジネスモデルを刷新した富士フイルムってすごい」、などと軽々しく絶賛していたら叱られそうなほど、多くの者が大いに痛みを感じながら会社を生まれ変わらせたのだということが、小島氏の何気ない言葉に滲んでいく。

事実、「変革に成功した、と感じたのはいつでしたか?」との問いかけに、小島氏はさらりと応えた。「まだ成功しただなんて言えません。勝ったとも思っていないし、負けないために今でも全員が必死で走り回っています」と。

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変革の苦難を知る経営陣が言い続ける、「覚悟をもってやり抜くこと」の大切さ

2010年代に入ると、早々に小島氏の役割も変わった。デザインに軸足を置く立場から一転して、技術戦略におけるオープンイノベーション推進役に変わったのだ。

小島カタリスト、つまり「触媒になれ」という意味の配置転換だというのは、言われなくても理解できました。それまでも、デザイン分野で時代の要求に合わせるように新しいチャレンジングなグループを立ち上げながら、変革のための触媒を進んで実行していたつもりでしたが、今度はそれを技術新規ビジネス創出の分野で行う必要が強まっていたんです。期待されていることを喜ぶ反面、私自身も異なる領域でチャレンジしなければいけないことになり、当初は戸惑いましたよ。

それでも小島氏は「技術を見せる共創のための場作り」がこれからは必須になると察知し、2012年からは2014年に創設される「FUJIFILM Open Innovation Hub」へとつながる土台作りに着手。経営陣からも「Value from Innovation」のコーポレートスローガンが発表された。

小島2000年代にスタートした変革のための格闘は、2010年代に入っても依然続いていましたが、一定の成果も現れ始めました。液晶パネル向けの材料ビジネスの好転や化粧品事業の拡大、再生医療分野への参入など、「富士フイルムの新しい顔」といえるものが少しずつ形になったのです。

私としても、これらを技術の立場から広くオープンに社会にお見せし、かつ、社外のまだ見ぬ先端技術や課題に富士フイルムも触れられる拠点、いわば社内と社外の技術を軸とした触媒となる場所が是非とも必要だと確信して、「FUJIFILM Open Innovation Hub」の立ち上げに邁進していくことができました。

「少しずつでも数字で結果を出す」という厳しい戦いに一定の成果が現れ、同時に「融知創新」の姿勢を広く伝えていくためでもある「FUJIFILM Open Innovation Hub」という場もできた富士フイルム。「まだ勝利したわけではない」とはいえ、変革への挑戦が次なる段階に進行したのは間違いないと小島氏も認める。

小島2014年に新しいコーポレートスローガン「Value from Innovation」制定しましたが、この際に、「富士フイルムは第二の創業期を経て変わった」ことを発信しました。

私は今では面白がりながら新しいことにチャレンジできていますし、私ばかりでなくこの10〜15年の激闘を経験した面々は一様にたくましくなりました。「FUJIFILM Open Innovation Hub」を作った時にも、真顔で「こんなすぐに役立たないものを作ったって、どうせ1年足らずでつぶれるさ」と言う方がいたんですが、今ではそう言っていた方々が一番の理解利用者になって応援してくれています(笑)。

先進技術で新しい事業領域に挑戦しようとすれば、今だって「それって本当にモノになるのか? 遊んでるようなものじゃないか」などと言われたりもするのですが、同じ人が「でもまあ、まずやってみることも重要だよな」と言ってくれたりもする(笑)。変化することの難しさも面白さも両方体験して知っている人間が、この会社には大勢いるんです。

その経験値こそが、新しい富士フイルムの強みなのだと自信をもって言えますね。そしてその経験値ゆえ、古森はよく「一度始めたなら覚悟をもってやり抜け」と言うんですよ。

以前大手日系メーカーの方と話をしたときにも、「うちではそこまでを言う経営陣はいない」、「富士フイルムは全社一丸となって戦っている企業ですね」とびっくりされました。たしかに、何もせず、何もできずに「ゆでガエル」状況に陥りがちな大企業とは全く違う。それだけは断言できます。

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イノベーションを興すリーダーに必要なのは「共感力」「想像力」「構想力」

最後は、そんなイノベーションの荒波を越えて来た小島氏に、これからの時代に求められる人材像について話を聞いた。「FUJIFILM Open Innovation Hub」館長として、そして神戸大学大学院非常勤講師としても度々「イノベーションに携わるリーダーシップ」について発信している同氏はどう考えているのか。

小島これからの時代を生き抜くリーダーに求められるのは、多様性を受け入れ、仲間を増やしていく「共感力」です。富士フイルムが2000年代からチャレンジしてきた異分野との融知創新を重んじる姿勢は、今ではオープンイノベーションという言葉で表現されるようになり、当社ばかりでなく多くの企業が挑んでいます。

「共感が大事だ」言われることも増えてきていますが、この言葉には注意すべき点があるんです。それはシンパシーとエンパシーの違い。私自身、以前あるコンサルティングの方から教えていただいて大いに納得したのですが、「共感」を意味する2つの単語には、実は明確な違いがあるというのです。シンパシーのほうは、同情や同調という意味合いが含まれている一方、エンパシーにはそうした要素はなく、共通理解や発想の共有という意味合いでの共感を意味しているとのこと。

オープンイノベーションに限らず、これから変革に取り組もうというケースでは必ず異分野の方々とのコラボレーションが発生していきます。社内外を問わず、多様な意見の持ち主をまとめあげていけるリーダーが求められる中で「共感力」の重要性が高まっているわけですが、そこで有効となる「共感」はエンパシー(相手を理解する・受け止める)のほうであり、決してシンパシー(同調する・同情する)のほうではないということを知るべきだと思います。

こう語ったうえで、小島氏は「おそらく日本人が得意な共感はシンパシーのほうだろう」と言って微笑む。欧米や中国のビジネスパーソンに比べ、どうしても日本人は情で動くケースが多く、異論反論が飛び交うような変革期の社内においても、同調圧力に屈することを「共感」と表現してしまいがちなのではないかというのだ。

小島決して日本人ならではの特性を否定も批判もしません。でも、一緒に変革を成し遂げようというパートナーとの間で結ぶべき共感はエンパシーであることは知っておくべきですし、エンパシーを体現するためにはそれなりの備えが必要だということも知っておくべきだと思うんです。

ではその「備え」とは何なのか? 相手の話をきちんと聞いて理解する柔軟性や、相手や相手の仕事に興味を持って接する好奇心のことなのかと尋ねると、小島氏は「もちろんそういう面も大切ですが、その前に『自分は何をしたいのか』をしっかり把握することが重要だと思っています」という。

小島私は採用イベント面接の時によくこういう質問をするんですよ。「あなたは18〜22歳今の環境を選ぶまでの間に誰に影響を受けましたか?」と。正解なんてありません。ただ、即座にこの質問に答えてくれて、なおかつ自分なりの言葉で語ってくれる人には、大いに魅力を感じるんです。

なぜかといえば、人というのは自分が主体的に何かをしようとしている時ほど、まわりの意見に影響を受けるものですし、そうして影響を受けることで時には自分の考え方が大きく変わることもある。そういうプロセスをちゃんと経験している人ならば、エンパシーというものをビジネスの現場で活用していけると思うのです。

さらに言えば、私がしたような質問に対して、きちんとストーリーで答えを語れる人には、想像力と構想力が備わっています。自分のこと、そして自分に影響を与えた人のことを、自分の言葉で語れる人でなければ、異なる世界で生きている人たちと「共感」でつながり、「新しい価値を創造する」、「イノベーションを興す」ことなんてできない。私はそう考えていますし、これからのリーダーにはそういう力が問われていると思います。

小島氏は近年、「FUJIFILM Open Innovation Hub」を人材育成の場としても活用しているという。スタートアップやベンチャー企業の起業家たちを招いてトークセッションを開催しながら、富士フイルムの社員にとって異質と思える存在との出会いの場にしていき、そうした人々と自分との結びつきの中から、「融知創新」を体感してもらうようにしているとのことだ。

小島若手社員「まず何をしたらよいでしょう」と質問する人たちによく言うのは、「スマホばかり見ていないで、一歩外に出て空を見てみろ。地面に転がっている石ころを見てみろ」なんです。「同調しやすい慣れ親しんだものばかり見るのではなく、異質なものと接点を持ち、物事を捉え直してみる」こと。

いわば「リフレーミングして新たな価値を見つける」というイノベーションとも近しい作業は、案外簡単にできるんだということを知ってほしい。そして、身近にある異質な存在と自分の考えとの間を結びつけることが出来たときの喜びをどんどん味わってほしい。

古代ギリシャの学者ピタゴラスは数学者ですけれど、音楽の原点もピタゴラスが発見していたって知っていますか?そういった一見異質なもの同士の「結びつき」を発見し、価値創造するスキルがこれからの時代には必要になる。当社の社員に対してばかりではなく、これからリーダーとなって活躍しようという多くのかたにも伝えたいことなんです。

確固とした「自分の望み」を心に持っていれば、大仰なエコシステムなどなくても、恵まれた変革環境などなくても、空を眺めているだけでも、新たな価値を創造し、イノベーションは起こせる……そういうことなのだろう。そして、自分を持っていない者には、シンパシーを超えたエンパシーなど得られないということなのだろう。

最後の最後に、小島氏はイタズラっぽく笑いながらこう言った。「まとめを言うならば、某放送局の人気番組のキーフレーズじゃありませんけれど、『ボーッと生きてるんじゃねえよ!』ということです(笑)」。デザインを知り、技術を知り、10年以上に渡り変革の戦いを繰り広げている人だからこそ言える豪快なメッセージだった。

インタビュイー

小島 健嗣 (こじま・けんじ)

富士フイルム株式会社 経営企画本部 ビジネス開発・創出部 Open Innovation Hub館長

小島 健嗣

こじま・けんじ

富士フイルム株式会社 経営企画本部 ビジネス開発・創出部 Open Innovation Hub館長

千葉大学工学部工業意匠学科卒業後、電子機器メーカーを経て1986年に富士フイルム入社。情報システム、理化学機器等のプロダクトデザインを担当した後、時代の変化の中、インターフェースデザイン、デジタルコンテンツデザイン、ユーザビリティデザイン等々のグループ立ち上げを担った。2011年からはR&D統括本部技術戦略部で技術広報と産官学連携によるオープンイノベーションを担当。2014年には「FUJIFILM Open Innovation Hub」を開設し、2015年より現職。

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執筆

森川 直樹

写真

藤田 慎一郎

こちらの記事は2019年09月30日に公開しており、記載されている情報が異なる場合がございます。