ミッション達成手段としての「サクセッション」を、もっと当たり前のものに──スローガン仁平が語る、国内スタートアップエコシステムの次なる課題

インタビュイー
仁平 理斗

早稲田大学国際教養学部在学中の2008年より創業期のスローガン株式会社にインターンとして約1年半在籍、事業責任者を務めたのち、2010年、株式会社ディー・エヌ・エーに入社。DeNAとNTTドコモの合弁会社でのUGC事業立ち上げ、DeNA Seoulでの韓国事業立ち上げを経て、ゲーム事業部にて複数のゲームタイトルをプロデュース。2016年12月、スローガン株式会社に復帰。2017年に執行役員に就任、新卒採用支援事業の責任者を務める。2021年3月に取締役 執行役員COOに就任。2023年3月より創業者からのバトンを受け代表取締役社長に就任。

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人は生きて必ず老い、生涯を終える。際限なく経営者の立場に居座り続けることが不可能だとは、誰が考えてもわかるだろう。ところが、スタートアップやベンチャー企業も含め、日本企業では創業社長が10年以上、場合によっては20~30年にわたってトップを務める例も少なくない。

果たして、この状態は健全なのだろうか?いや、日本企業の経営には、おそらく大きな伸びしろがある。そのキーワードとして本記事では「経営のサクセッション(継承)」に注目したい。

大きな社会変革を期して起業したからには、「事業成長を未来永劫続けていくための仕組みを構築していこう」と考えるはず。そのための取り組みとして重要なはずなのに、経営者自身の問題だからか、仕組み化の対象とはならず、議論すらそもそも進んでいない。そこで、ある企業の例を基に、この記事では課題感を探っていきたい。

その企業とは、FastGrowを運営するスローガン。この2023年3月、社長交代を実施した(適時開示はこちら)。前社長の伊藤豊は、創業から18年目にして、取締役に残ることなく完全に退社する意志を固めた。社長交代の理由は「会社としてミッションの達成へとより速いスピードで近づくため」であり、退社する理由は「このサクセッションの成功確率を、より高いものとするため」だ。

なぜこの意思決定に至ったのか?そして新社長の仁平理斗はどのような課題意識のもと、新社長としてサクセッションを成功させようとしているのか?多くの起業家・経営者へ、刺激と学びを届けるため、具体的にお伝えしよう。

  • TEXT BY AYA SAITO
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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そもそも相談できない?
「サクセッション」を、経営者が考えられない理由

CEOの交代──。それは、「企業にとって最大の意思決定」と言っても過言ではない。

正式な発表やそれに基づく報道、あるいは情報筋からもたらされる極秘情報を扱う報道や、根も葉もない噂まで、きっと何かしら触れたことがあるだろう。その重大さを、多くのビジネスパーソンが肌で感じているのではないだろうか。

ビジネスを動かすのは、人。だが、人の命は有限であり、歳をとるにつれて良くも悪くも変化する。一人の人間が現役の最盛期として仕事をできる期間は、無限ではないのだ。社会や事業の形によって、経営方法は様々ある中、企業成長を継続させていく仕組みのひとつが、「経営のサクセッション」だ。

東証のコーポレート・ガバナンスコードでも、2021年の改定で、「後継者計画(サクセッションプラン)」が指名委員会の検討時間に含まれうると明確化されている。こうした動きが示すように、戦略的なサクセッションを続けることができれば、それは事業成長が継続していくこととなるとも言えるわけだ。やはり、企業経営上、非常に重要な論点である。

ところが、日本ではそもそも、経営のサクセッションを実践している企業は決して多くない(年功序列型で、年齢によって社長が交代していくような一般的な大企業は、敢えて対象外として話を進める)。スローガン新社長の仁平は「経営者自身の苦手意識があるのではないか」と指摘する。

仁平サクセッションについての相談や議論はなかなか増えませんね。少なくとも、自分の周りを見てみると、そんな感覚になります。

ただ、「このまま経営を続けられるだろうか」という、悩みを聞くことはそこそこあるので……。その延長線上でサクセッションも考えられるはずですが、実際にはなかなか検討が進まないようですね。

経営者と言えども、経営者である前に人間である。自身の人生や今後について考えた時、「経営者を辞める」という選択肢が脳裏をよぎることもあるだろう。だが、具体的に話を進めるとなると、やはり難しい。

「人生をかけて取り組むテーマを見つけた」というつもりで経営している起業家が少なくない。さらに言えば、そういう姿勢こそがベンチャーキャピタルから評価されやすい構造もある。会社経営がそのまま、普遍的な「個人のミッション」になっているわけだ。

そのため、「この経営をやめるとしたら、次に何をやろうか?」という想像を、具体的にイメージしたり主体的に考えたりすることがない。それがすなわち「人生の目的を捨ててしまうことになる」と感じてしまうのだ。

仁平特に創業社長の場合だと、良くも悪くも人生と経営が一体化しているケースが多いのではないのでしょうか。だからサクセッションという選択肢が浮かんでも蓋をしてしまったり、そもそも選択肢に入ってこなかったり。

そのように全力で取り組むこと自体を否定することは、もちろんありません。素敵なことです。でも、そうじゃないほうが良いタイミングだって、企業経営においてはあるはずだとは思います。スローガンではまさに、そんなタイミングを迎えたわけですし、また迎えることもきっとあるのだろうと思っています。

実際にサクセッションを成功させている代表的なベンチャー企業が、エス・エム・エスだろう。創業者の諸藤周平氏は2014年に代表を退任して退社し、翌年に投資事業会社REAPRAを立ち上げた(注:同社はスローガンの株主となっている)。エス・エム・エスがその後も上場企業としてお手本のような事業成長を続けていることをご存知の読者は多いはず。

また、2013年創業のSmartHRのサクセッションも、話題を集めた。2021年6月にシリーズDラウンドで約156億円の資金調達を発表して国内トップクラスの未上場SaaS企業という地位を獲得し、同年11月にはForbes Japan起業家ランキングで創業者兼CEOの宮田昇始氏が第1位を獲得。宮田氏がCEO退任を公表したのはその直後のことで、創業10周年を迎える直前でもあった。宮田氏は取締役の一人として、新たに子会社を立ち上げ、事業創出に邁進している。

スローガンは創業18年目にして、社長の交代を決断。伊藤が会長職や取締役に残っていく予定はなく、後継者に経営権をすべて委ねる。さらに、伊藤が保有していた株式の一部を新社長仁平・新副社長の北川に贈与する(適時開示はこちら)。

創業代表が社長(CEO)の立ち位置を交代した、主なベンチャー企業・スタートアップの例(抜粋)

  • ライフネット生命 2013年に出口治明から岩瀬大輔に交代
  • エス・エム・エス 2013年に諸藤周平から後藤夏樹に交代
  • ミクシィ 2013年に笠原健治から朝倉祐介に交代
  • Gunosy 2018年に福島良典から竹谷祐哉に交代
  • イタンジ 2018年に伊藤嘉盛から野口真平に交代
  • ココナラ 2020年に南章行から鈴木歩に交代
  • ユーグレナ 2021年に出雲充から永田暁彦に交代
  • Macbee Planet 2021年に小嶋雄介から千葉知裕に交代
  • ゲームエイト 2022年に西尾健太郎氏から沢村俊介に交代
  • SmartHR 2022年に宮田昇始から芹澤雅人に交代
  • ※敬称略、交代年順

冒頭でも触れたように、「壮大なミッションの実現・達成」という長い時間軸を見越して戦略的に社長交代を進める事例が、日本のベンチャー企業・スタートアップにおいてはあまり多くない。このチャレンジの経緯と裏側を、次章から詳しく紹介していこう。

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事業と組織の成長、後継者育成、そして……。
経営者の挑戦とは

まずは、伊藤がこだわった2つの考え、「社長が仁平になったほうが、ミッション実現・達成へのスピードが高まること」と、「会長や取締役といったポジションで残らないほうが、今回のサクセッションでは成功確率が高まること」を、深く見ていきたい。

ちなみにもちろん、「会長としては残る」という案もあり、発表直前まで社内では議論があった。

スローガンのミッションはこの通り、非常に壮大で、どこかのタイミングで「実現した」「達成した」と言えるようなものではない。長い年月を要するのは当然であり、かつ、さらなる達成を目指して永続的に進化する企業であるべきとも表現できる。

だから、代表も、メンバーも、移り変わってなお、このミッションを追い続けるというのがスローガンという企業なのだ。

仁平伊藤さんは何年も前から、社長を引き継ぐ相手について具体的に考えていました。私がディー・エヌ・エー(DeNA)からジョインする2016年にも、そんな話を聞いています。

私も、意識をしていなかったと言えば嘘になりますし、「伊藤さんがずっと社長をやるわけではないのだろう」と自然に考えていたメンバーだって少なくないでしょう。それがスローガンという企業のカルチャーだと思います。

経営も実行も、次の世代が受け継ぎ、さらに進化させる。ミッション実現は社会変化・時代変化の影響を色濃く受け続けますから、社内の世代交代も不可欠です。そのために、伊藤さんは決断をしましたし、私たちも決断をしました。

壮大なミッションに向き合い続けるからこそ、経営のサクセッションは不可欠。それを当然と感じるカルチャーを、これまでも半ば無意識的に醸成してきたわけだ。

そして、このサクセッションをいかにして成功させるのかという、これから向き合う大きな課題。スローガンで定義する「サクセッションの成功」とは一体何だろうか。仁平は「まずはこの10年という目標を決めている」と切り出す。

仁平意図しているのは「時間軸を入れたありたい姿に意志を宿し、継続的かつアジャイル的な取り組みの中で、成果を生み出しミッション実現に近づく」こと。時間軸が曖昧になると、紐づく戦略・施策の議論も曖昧になり、マネジメント陣でもいつの何について議論をしているのかが混沌としがちです。経営の意志の起点として、まずは10年を設定し、方針を組み立てていきます。

またミッション実現に向けて私がトップとして見据える最大の課題のひとつは、「次の世代への継承」です。単に次の社長を発掘・育成するというだけではなく、ビジョンを掲げ既存事業を成長させつつ、さらなる成長を生み出す新規事業を立ち上げ、そして企業が永続的に成長・発展していく事業と組織と仕組みを改めて形成する。

このことに、10年という時間軸で取り組むことになります。

事業成長はもちろん、組織の進化やオペレーションの改善といった部分まで、課題は少なくない。社長交代の発表に掲載した仁平のメッセージも、ここに再掲しよう。

社会的潮流の追い風や人材・労働市場の歪みと紐づくマーケットポテンシャルに対して、スローガンはまだまだ小さく未熟な存在でもあります。ではその成長機会を律速しているスローガンの課題は何か?一義的には「高収益・高成長を実現する強固な既存事業の構築」だと考えております。

そのためには、価値源泉を高め続ける強固なオペレーション構築とPDCA、社内外のタレント人材を惹きつけその方々の可能性を引き出す組織人材戦略と制度設計、業績成長に寄与する業績マネジメントの深度及び精度向上、テクノロジー・データを活用したユーザー体験向上と各指標改善、と重点施策仮説は多岐にわたりますが、粘り強い実行と磨き込みを一つ一つ推進してまいります。

──適時開示「代表取締役及び取締役の異動に関するお知らせ」から引用

「高収益・高成長を実現する強固な既存事業の構築」が、差し当たって取り組む最重要課題となる。それは、すぐに成果が出る部分だけでなく、じわじわとした変革も対象だ。

仁平事業現場における取り組みはもちろん重要ですが、それだけでは長く価値を創出できるものにはなりません。

例えばCxO(経営メンバー)の育成、さらには強いカルチャーの構築なども並行していきます。

こうしたことを進める中で曖昧になりがちなのが、時間軸ですよね。先ほど話したように、「10年」という比較的長い設定をしているつもりではありますが、人によっては「短くないか?」と感じる場合もあるでしょう。そうした意見もさまざまな場面でお聞きしながら、見直しも視野に取り組んでいくことになるのだと思います。

国内で前例が少ないため、仁平も多くの部分を手探りで進めているのが現状だ。そして、同じ悩みを聞く機会も少なくない。この記事で伝える具体例が、少しでも多くのベンチャーパーソンにとって学びのある内容になっていれば幸いだ。

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仁平が、3度にわたって見つけた
「ありのままの自分」

18年目にして伊藤がバトンを渡した相手である仁平がどのような人物なのか、気になる読者もいるだろう。ここからは、いかにしてベンチャー企業の二代目社長が生まれたのか、という事例と、その裏側にある戦略的な考え方に迫ろう。

仁平が強調するのは、「自分のライフミッションと、スローガンという会社の存在意義が、大きく重なる部分がある」ということ。仁平はサクセッションの経緯を語る上で、このように繰り返す。

実は仁平はスローガンに2度、ジョインしている。早稲田大学在学中の2008年に創業4年目のスローガンにインターン生としてジョイン。持ち前の大胆さと推進力を発揮し、学生ながら、とある事業の責任者を務める場面もあった。

仁平初めは、事業内容というよりもむしろ、伊藤さんの人柄が面白くて一緒に仕事をさせてもらいたかったという感じでした。ですが、実際にスタートアップ・ベンチャー企業の経営者と多くのコミュニケーションを取らせてもらい、深く知っていく中で、「自分自身の興味関心が、“新産業領域”に向いている」ということにだんだん気が付いていきました。

実は私は、自分が持つ本当の感情に気づくことが苦手です。スローガンでのいろいろな失敗を通して、少しずつこの弱みを把握し、コントロールできるようになってきたところです。インターン生当時は正直、この感覚をメタ認知することが全くできていませんでしたね。

スローガンの仕事に大きなやりがいを感じつつも、就職活動で選んだ新卒入社先はディー・エヌ・エー(DeNA)。当時、創業代表の南場智子氏から説明会などの場で聞いた「日本のITセクターにおける、グローバル企業創出の重要性・必要性」といった課題に強く共感し、自身の挑戦としての意味を見出したためだ。

DeNAでは、小林賢治氏(現シニフィアン共同代表)や赤川隼一氏(現ミラティブ代表取締役)らとともに多くの事業に携わる。特に印象深いものとして、『逆転オセロニア』の事業創出や、韓国の大規模ITプラットフォーマーとの事業提携・新規事業創出の仕事を挙げる。「社内では常に、カオスな現場に飛び込んでいました」と笑う。

新卒でDeNAに入社してからも、伊藤からは毎年のように「戻って来てほしい」と誘われていた仁平。ある時、その先の人生を考える中で、スローガンへの復帰についても自然と検討することとなる。

仁平「日本社会への恩返し」というものを、自分自身のライフミッションに掲げていました。少し落ち着いて、このミッションに立ち返って考えたときに、スローガンの存在はやはり無視できない、それどころか自分にとってものすごく大切なものなのではないかと改めて感じたんです。

「人的資本×新産業」という事業領域も、私自身の志と直結するものでした。そんな経緯で、親和性のみならず、自分の人生における必要性を感じたので、復帰に向けての話を進めるに至ったんです。

キャリアや人生を見つめなおす中で仁平は2016年12月、スローガンに復帰することとなる。

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「ありのままの自分」を見つける旅が、スローガンだからこそできた

仁平は2016年の入社後、メイン事業である『Goodfind』の事業責任者や、取締役COOを務めてきた。ここから事業を力強く推進してきたというイメージがまず浮かぶかもしれない。だが今回の記事で迫りたいのはそこではなく、「常に自己の弱点や自我に向き合ってきた」というストーリーである。

やがて来るサクセッションを意識していたわけではもちろんないのだが、生い立ちや経験を振り返り、人生を俯瞰して自身の成長に向き合ってきた。その中で感じるようになったのが、「人生とスローガンの理念がリンクしていた」という発見だ。

仁平私が時間をかけて自分の人生を見返しながら、自分のありのままの感情に気が付きコントロールできるようになろうとしてきたこと自体が、スローガンのミッションやビジョン、カルチャーに直結していると感じられてきたんです。

実は、『Goodfind』の事業責任者を務めていた時に、「強くあらねば」と考えすぎて、メンバーに厳しい要求をぶつけ続けてしまい、組織の雰囲気が悪化した時期がありました。自分の弱みを、メンバーに対して一切見せることができずにいて、負のスパイラルに陥っていたんです。

だた、この時も伊藤さんから「もっと自分の弱みを打ち明けて良いんだ」と繰り返し言ってもらう中で、なんとか勇気を振り絞って、事業部全体を相手にして「自分が最近、○○ということがつらい」という話をしたんです。そしたら、とあるエンジニアのメンバーが「ありがとうございます、こんなことを言ってくれて、うれしいです。拍手でしょ、拍手しましょう!」と、とてもポジティブに受け止めてくれて、みんながスタンディングオベーションをしてくれたんです。

この時、ものすごく救われた感覚になりました。伊藤さん、そしてメンバーのみんなに、救われたんです。

自己との対話を、スローガンという存在を通して深めてきた仁平。その後、社長就任の打診を受けた際にも、徹底して取り組んだ。

仁平「スローガンの社長になるとはどういうことなのか?」を考える過程で、自分自身のことをもっともっと深く知ろうと考えました。そこで、自分がどういう人間で、どういうメンタル構造を持っているのかというのを、3カ月もの期間を通し、思考時間は40時間にも及ぶくらい徹底的に、幼少期から振り返りました。両親にも3時間インタビューし、メモは30ページぐらいにまで積み重なりました。

わかったのは、やはり「自分自身の“ありのまま”を抑圧して生きてきた」ということです。これは社長になるにあたって、改めてしっかり理解し、飲み込み、そして乗り越える部分は乗り越え、さらけ出す部分はさらけ出す。そのように今、整理をしています。

この記事でも、特に原体験や人となりの深い部分をさらけ出す。

仁平両親の性格や言動の影響を、どのように受けてきたのか、なぜ今の自分ができたのか、その解像度がとても高まりました。

例えば3歳の時、体操教室に連れていってもらったのですが、50人くらいの子どもたちがいる中で私一人だけが母親から離れられなかったようです。これは初めて知った事実でした。また4歳の時、初めて保育園に行った時にも、「母親のいない、知らない場所に行かされ、とても悲しかった」と大泣きしたことを覚えていました。

ですが改めて母親に当時のことを聞くと、「とにかく保育園での生活をのびのびと楽しんでいた」とのことでした。それで、私の中の幼少期に対する捉え方が更新されていったんです。

「母親との離別」に関する最初の頃の記憶が強烈だっただけであり、もう少し長い時間軸で振り返れば、「未知なる環境に適応し、楽しく過ごすに至った」という成功体験だと捉えなおすべきだと思うようになりました。私一人では認知できなかった、大昔の成功体験だったわけなんです。

加えて、小学校4~5年生の2年間、親元を離れて長野県の山奥で山村留学に参加したのも同様に、「未知の環境での挑戦」という意味で、「ベンチャーマインドを育んだ重要な経験だったかもしれない」と考えるようになりました。

山村留学に関するエピソードとして、「母親の自我」の影響を認知できたことについても強調する。

仁平実はこの山村留学に、母親はかなり強い想いを持っていたんですね。「自給自足の生活を経験して、力強い大人になってほしい」という、「母親自身の自我」からの期待を、息子である私に伝え、行動を促していたようなんです。ちなみに父親は「都会の競争についていけなくなる」という彼の自我に紐づく理由から大反対をしていたようなのですが、最後は母の自我と当時の自分の意志が勝ったようです(笑)。

その結果として今の自分があるという認知に至ったのも、内省を深める中で非常に印象的なポイントでした。

DeNA時代に行き詰まったり、スローガンでの事業責任者時代に組織崩壊になりかけたり、そして社長という難しい立場への就任を打診されたり。そうした人生のターニングポイントにおいて、スローガンという企業の存在を通して、新たな自己を発掘し、新たな挑戦に踏み出してきたのが、仁平なのである。そんな経験を、社長として全社に波及させていくのが、これからの挑戦だ。

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「人の可能性を引き出す」というミッションに向き合い、体現する代表に

仁平ミッションの中でも特に、「人の可能性を引き出すこと」は、自分としては特に強い想いを持って取り組みたいことです。組織のトップとして社内でこの価値を高めていきたいですし、事業のトップとして社会全体に対してもこの価値を高めて波及させたい。

『Goodfind』も『FastGrow』も、ほかの新たな事業もすべて、そういう想いから、さらに強いものにしていきます。

仁平も伊藤と同様に、「人の可能性を引き出し 才能を最適に配置することで 新産業を創出し続ける。」という命題に真っ向から向き合う。その中には、すでにサクセッションの構想は当然のものとして存在する。

仁平まずは目の前の事業や組織をいかに強くするのか、が至上命題です。ですがそれだけではなく、「私の次の世代」についてもどこかのタイミングで具体的に考えるべきなのだろうと思っています。そういう考えのもとで経営される企業であるべきだと、深く腹落ちしているからです。

次なるサクセッションについても当たり前のように思考し、準備し、備えることで、経営としての最善の意思決定をし続ける。難度の高い課題に取り組むばかりで、不安ももちろんあります。でも、このスローガンという企業を、より大きな価値のある存在にしていくための舵取りを担うことができるのは、私の人生においてこれ以上ない素晴らしい経験となるはずで、楽しみな部分が非常に大きいです。

伊藤さんも次を考えに考えて、見つけて、最終的に踏み切った。今からこれをいうのは、順番がおかしいと言われてしまうかもしれませんが、そのほうがスローガンという企業、そして私自身の可能性が強く引き出されるはず。そう強く信じて、取り組んでいきます。

スローガンという企業と自己が、もはや不可分のものであったかのように生きてきた。仁平は、そんな経営者だ。この社長就任についても、「なるべくしてなった」と感じる読者もいるだろう。そのように伝われば、まずありがたい。

一方で、仁平が経営トップとして、企業の価値を増大させていく点については、まだ何も成し遂げていないフェーズである。これから発信していく一挙手一投足が、「スローガンと志を一にする2代目社長」とみられ、評価されていくわけだ。並みのプレッシャーではないだろう。

だが、これまでに「弱み」に向き合い、乗り越えようと奮闘してきた仁平だからこそ、新たな道を拓いていく。そんな期待を社内で一身に背負い、新たな価値を生み出す挑戦となる。それがそのまま「サクセッションの成否」にもつながるわけだ。

「新産業領域の人と組織の可能性が引き出され活気づく社会を創り出すんだ」という気概で、スローガンの新たな挑戦をさらに増やしていく。

こちらの記事は2023年04月24日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

齊藤 彩

写真

藤田 慎一郎

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