アメリカの量産型MBAは時代遅れ?
元Uber営業部長の急成長スタートアップ副社長が語る「フランスとアフリカで学ぶビジネス感度」

インタビュイー
佐々木 裕馬
  • 株式会社Luup 副社長 兼 CBO 

東大フランス文学部卒業後、新卒でENEOSに入社し、東南アジアで石油開発事業に従事。退職後フランスの大学院エセック・ビジネススクールでMBAを取得した後、ガーナのスタートアップPEGに無給インターンで入社。3ヶ月で経営陣に抜擢され、ガーナで250人の営業部隊を統括し事業拡大に大きく貢献する。2018年に帰国し、UberJapanで営業本部長として、タクシー会社との業務提携などを進める。2020年にLuupにジョイン。

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2020年11月からFastGrowが始めたベンチャー人事報(11月はこちら12月はこちら)。注目の転職や昇進を紹介するこの企画から、特に気になる人物のインタビューを敢行する連載企画を始めた。その歩んだキャリアの背景と、今の立場を選んだ理由に、徹底して迫る。1人目はLuup副社長、佐々木裕馬氏だ。

フランスでMBAを取って、アフリカのスタートアップで経営に携わり、Uber Japanの営業最前線を牽引してきた──。こんな経歴、キラキラというより、もはやギラギラだ。もはや近寄りがたい人物なのでは、とすら考えてしまう。しかしそんなことは全くない。確かに身体こそやや大きめだが、笑顔が印象的で、語り口は柔らかい。

2020年に一気に名を挙げたスタートアップの一つであるLuupに、副社長兼CBO(Chief Business Officer)として、いわば鳴り物入りでジョインした佐々木氏。Uber JapanとLuupには、事業として親和性がありそうだ。ではその前の、フランスでのMBAやアフリカでのスタートアップ経験は一体、どのような場面でどのように活きるのだろうか。日本においてはあまりにレア過ぎて、想像がつかない。

インタビューを実施すると、キャリアの考え方、得難い経験をどう得るか、「佐々木が言うなら」と言わせる営業手法など、学び満載の語りを披露してくれた。ぜひじっくり読んでほしい。

  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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東大休学しLAで音楽修行3年、
カオス生活で芽生えたアフリカへの憧れ

Luupでは副社長兼CBOとして、所掌する業務が多岐に渡る佐々木氏。取材冒頭、「ちなみに担当範囲は?」と聞くと、その答えを聞くだけで長い時間を要した。例えば営業の推進と統括。これは、同社の中でも圧倒的なセールス経験を持つからこそ、代表の岡井大輝氏も全幅の信頼を置いて任せている部分だ。では「営業とはどのようなことを?」と聞くと、住宅や店舗の敷地にポートを設置する、というだけではないようだった。地域住民、特に自治会や町内会、商店会といった団体を相手に、互いに協力し合って住みよい街をつくるための情報共有まで担う。

ここまでがメインの業務なのだが、ユーザーや町の人の声をよく聞くことから、プロダクトオーナーのような立ち回りまで行う。サービスのUXを改善する際、「そのまちでいかに違法駐輪が増えないようにするか」といった視点を開発チームに共有し、「返却の際には写真を撮る」といった機能付加につなげた。他にも組織マネジメントや資金調達まで手広く担う。岡井氏からの信頼と期待が強く感じられる。

さて、今回のインタビューは、リード文で触れた通り「ギラギラ」の経歴を持つこの人物に、キャリアの話を深掘りして聞いていくことで面白い学びを多く得られるであろうと予想して企画したもの。そこでまずは時系列を重視し、前置きくらいのつもりで就職活動について聞いてみると、学生時代のあまりに突飛な行動について真顔で説明を始めた。

佐々木東大に入ったんですけど、2日間だけ通ってすぐ休学を決め、アメリカに行きました。音楽がとにかく好きで、プロになるために本場に行きたいという気持ちが止められなくて。で、ロサンゼルスに行ってみると、自分なんか全然敵わないと感じるような凄い人たちがたくさんいたんです。

一応3年間やりましたが、これは無理だと諦めて、帰国して復学しました。

これだけで、少なくとも、やりたいことに向かって一直線に突き進む性分だと、十分過ぎるほど理解できた。そんなエピソードを早速披露してくれた後で、新卒入社した会社での話まで聞いてみる。

佐々木LAでは音楽関係だけでなく、いろいろな知り合いができて、いろいろな世界を見ることができました。感じたのは「とにかくカオスだな」ということ。見える世界の複雑さが、日本とは比べものにならない。それが面白かった。

そこから、もっとカオスなところってどこだろう?と考えてみたんです。それで、本当に単純に思い浮かんだだけなんですけど「アフリカだろう」と(笑)。だから3年次からはフランス文学科に進みました。興味関心を強く持ち続けて、就活でもその「アフリカ」をキーワードとして考えていました。

もう一つ、なんとなく思い浮かべていたキーワードが「インフラ」だったので、商社か石油開発企業を選択肢として考え、結果としてENEOSに入社することになりました。

その場その場で考えたことを行動に移し、順応してはさらに面白いものを探す、そうして進んできたのが佐々木氏という人物の生き方なのだろうか。ツッコミどころはいくつもあるのだが、時系列を考え、先を急ぐ。きっとアフリカで石油を掘り始めるのだろう、と思っていると、あっさりと斜め上の回答が出てきた。

佐々木石油開発の事業部門に配属されて、でもアフリカには行けなかったんです。東南アジアのベトナムやマレーシア、タイなどでひたすら原油を掘っていました。各国の政府系企業と合弁で、掘っては当たったり当たらなかったり、そんな仕事でした。

想像していたのとは全く違う環境での仕事でしたが、やりがいはすごくありましたよ。自分で予算を組んで、現地の会社の社長相手に交渉に臨む日々です。1年目からExcelに記入する金額の単位が1ミリオンダラーですからね。ダイナミズムがあって面白かった。

稀有な経験を積んでいるように思えるし、本人も実際にそう感じていたようだ。挙げていたキーワードの一つ「インフラ」という点においては、グローバル規模で、ダイナミズムのある職務を担っていたのは間違いのない事実である。ただやはり、もう一つのキーワードである「アフリカ」という点においての物足りなさは、常に頭に残っていた。

佐々木ある時思っちゃったんですよ。「いやアフリカ行けないじゃん」って(笑)。希望は伝えていたのですが、なかなか通りませんでした。私もこの気持ちは強かったので、2年半ほど経った頃に「アフリカに行けないなら辞めます」と伝えて、本当に辞めてしまいました。

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たった1年でMBAが取れるフランス、その魅力は「多様性」

アフリカに行きたい気持ちがものすごく強いとは伝わってきた。ENEOSという誰もが知る大企業を、「アフリカに行ってみたかったのに行けなかったから」という理由で辞める、と聞けば、例えば親族から心配されてしまうかもしれない。

それはそれとして気になるのは、じゃあそこから一気にアフリカに行ったの?という点。結論から言えば「まだ行っていない」のだが、その代わりの行動とは。

佐々木私はフランス文学科だったので、ビジネスを一切学んでいない。このことが気になっていたんです。「ビジネスの基礎をきちんと理解したほうが、良い仕事ができるはずだ」と思って、MBAを考え始めました。まあ、よくある話かもしれませんが。

「ビジネスを学べば、ビジネスがもっとうまくいく」と考えるだけなら、誰もがやっている。しかしそこから行動に移せる人はたった一握り、そしてMBA取得にまで本気になれる人はさらにほんの一握りだろう。それに加えて佐々木氏は、佐々木氏ならではのこだわりを加味しての挑戦を始めた。

佐々木やっぱりアフリカです。いずれアフリカに行く、と本気で考えるなら、アフリカと関係性の強い場所に身を置くべきだと思ったんです。将来の仕事のためのネットワークだって、きっと構築できる。

なるほど納得の理由だ。しかしそれだけではなく、最も大きな理由が別にあった。

佐々木日本ではあまり知られていないかもしれませんが、フランスではMBAを1年で取得することができます。2年かかるものだと思われていることが多いですが、それはアメリカや日本の大学院の多くがそのようにしているだけなんです。全世界でMBA取得には2年を要するというわけではありません。

このことは私にとっては非常に重要でした。ビジネスは学びたいけれど、ビジネス現場から離れる期間は短い方がいいと考えていました。やっぱり現場で学ぶ方が意味があるし、そもそも私は現場で学ぶ方が好きです。

なので1年でしっかり取り切ろうと思って準備をし、エセック・ビジネススクールという、フランスで上から2番目の経営大学院に通い始めました。

2年分を1年で学ぶということ?と問うと、座学の領域はその通りだったとのこと。ただ佐々木氏いわく「座学の内容は、本を読んで学べる」。今も活きる経験となったのは、多国籍・多文化間で行われるグループワークだった。

佐々木中国やらインドやらアフリカやらから集まったメンバーと、ビジネス施策を考えるディスカッションを進め、結論をまとめ上げるという課題をよく覚えています。正直、自分よりずっと賢い人たちだなと感じることもありました。しかも自信があって発言の回数も多い。だから、自分がどうふるまうべきか、とても迷い、悩みました。委縮してしまったんです。

でも何とかしないと、来た意味がない、と自分を奮い立たせ、必死に対応しました。まずはしっかり、聞く側となって議論を聞く。そして言うべき時が来たと感じたら、言語の拙さなど気にせずとにかく大声で伝えようとする。このシンプルな考え方が功を奏しました。

普段から使っているものとは違う言葉や文化を理解しながら考えや実験結果をまとめ続けるというのは、想像以上にハードでしたが、結果的にチームを上手くまとめることができました。

この、いわばダイバーシティを理解するためのワークが、佐々木氏のこの後のキャリアに大きく響くことになる。さて、そろそろアフリカに行けるのだろうか。

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MBAを取ったのに「無給で半年働かせてください」

「ついに機は熟した、あとは実際にこの体をアフリカに持っていくだけ」と、そう思っていた佐々木氏。在学中から徹底的にリサーチし、縁があったPEGというスタートアップにジョインした。アフリカ西部のガーナにあるこの企業。インタビューが中盤になってもツッコミどころ満載の雰囲気は続く。

とりあえず、「アフリカのスタートアップって、日本のスタートアップと何が違うんですか?」と聞いてみた。しかしこの問いには「あまり変わらないですよ」と素っ気ない答えが。じゃあ次は何を聞こうかと考えていると、佐々木氏はおもむろに喋り始めた。

佐々木PEGは、電力が届いていない農村の人たちに、電力キットを販売する事業をしています。創業者は欧米の方で、私はガーナ国籍以外で1人目の採用でした。採用といっても、実は「無給インターン」という立ち位置。あ、こんな立ち位置は日本ではまずないでしょうから、日本のスタートアップとの大きな違いとも言えますかね。

フランスでも、MBAを取ったら「高給取りになる」という見方をされます。だからまわりにいた友人たちからは「アホか」って言われ続けましたね(笑)。

なぜそんな働き方を選んだのか?と聞こうとすると、先回りして応えてくれた。

佐々木もちろんずっと無給というわけにはいきませんよ(笑)。先を見据えて、先方の経営陣と交渉をしたんです。「6カ月間は無給でいい。その代わり、成果をしっかり出したら、7カ月目から経営陣に入れてくれ」と。成果を出す自信はあったので、まずは入ることが大事だと思ったんです。

それに向こうにしてみれば、外国人なんて雇ったことないですから、使えるかどうか分からないという不安だってあるはず。でも無給でMBA取得者を採用できるなら儲けもの。想像しにくいとは思いますが、利害は一致したわけです。

ちなみにこの企業、経営陣にはコロンビア大、イェール大、ロンドンビジネススクールなど超有名大学でMBAを取得したような人たちが揃っているんです。なのでMBAを持っているくらいでは、いきなり重要な役職でジョインすることなんて、きっと難しかったでしょうね。

そうして厳しい環境に身を置くことで自らを追い込み、成果を出し続けるためにあらゆる領域において動き回った。結果、期待以上の成果を残したのだという。

佐々木現地出身メンバーで構成されるチームをまとめ上げ、セールスをしっかり回すマネジメントを行ったこと、これが私の出した成果です。最大で250人にものぼる人数を統括していました。

このことが、他の経営陣には難しかったようでした。それもそのはず、私とは経験が違う。フランスでの日々は、やはり大きな力になりました。

母語の使えない空間で、多様なバックグラウンドを持つメンバーと対峙し、同じ目的に向かってなんとか前に進む。この点で、エセックでのグループワークも、PEGでのセールスチーム構築も、やることは似た部分が多かったんです。

コロンビア大やイェール大で学んだ先輩たちは、頭の回転がものすごく早く、ロジックを語らせたらもう全く敵いませんでした。でも、目の前の人と対峙してチームを動かそうとする考え方は、どうしても経験不足に見えました。超有名大とは異なり、雑多なメンバーが集まるエセックだったからこそ、MBAだけでなく「チームで動く」という強みも鍛えることができたと実感しています。

そうして3カ月で働きを認められ、4カ月目から経営陣の、しかもNo.2の地位まで得ることができました。

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海外経験がそのまま活き、躍動したUber Japan時代

このままアフリカでスタートアップ人生を送っていくのでは、とさえ感じさせたが、意外にもあっさり、この後に帰国することとなる。

佐々木そこは家庭の事情なのであまり……(笑)。妻と約束していたので。MBAと仕事をセットで3年の挑戦にするともともと区切っていて、それが経過したので、妻のいる日本に帰ってきました。

帰国だけが先に決まったのでとりあえずFacebookに「帰ります!」と投稿すると、お仕事のお誘いもいくつか頂くことができ、その中にUber Japanで働く知人からの連絡もあったんです。

なんとなく「テクノロジーで社会貢献できるベンチャーに行きたい」と思っていたので興味が湧き、アフリカからZoomで面接を受けました。話したのは「日本参入はそんなに簡単じゃない。文化が違うから、とにもかくにも実利より先に信頼関係を築いて進める必要がある。でもそうすれば、その後の浸透は早い。私にならこれが任せられる」ということ。

なぜいきなりここまで自信を持って言えたのか。ここでも、エセックとPEGでの経験が活きたという。当時のUber Japan経営陣に、日本人はまだ1人もいなかった。外国人がビジネスをすることの難しさをガーナで痛いほど感じた佐々木氏は、「日本で生まれ育ち、海外で同じ経験をしてきた、こんな私にしかこの仕事はできない」とアピールし、入社決定を勝ち取った。

さてUber Japanというと、2021年1月現在、ライドシェア事業が日本では上手くいかなかったと多くの読者が認識しているかもしれない。「相乗り禁止」という法律の壁に加え、協力関係を築いていくべきだったタクシー業界から「市場を破壊する黒船」と警戒されてしまい、スムーズな事業推進ができなかった、そんなイメージを持つ読者もいるかもしれない。

佐々木氏がジョインした時期はまさに、その警戒がピークだった。しかしそれをなんとか切り抜けようと最前線で奮闘したのも、ほかならぬ佐々木氏だ。

佐々木とにかくUberの人間が、日本のタクシー業界について分かっていなかった、分かろうとする努力が足りなかった。これは事実です。営業して、既存のタクシー事業者にUberのシステムを導入してもらうところまではやるものの、それでコミットが終わってしまっていたんです。はっきりいってUberのシステムは、導入さえしてもらえればあとはうまくいく、そんな代物では到底ありませんでした。

だから私は、導入を決めてもらった後、現場のタクシードライバーのもとへ出向き、手取り足取り説明したり、活用するための資料を丁寧に作って渡したりと、とにかくフォローに走り回りました。

このことが功を奏し、タクシー業界内で良い噂が生まれていったみたいなんです。「佐々木が言うならしょうがないか」と言って導入を検討してくれる相手が増え、Uber上層部も「佐々木がやれば前に進む」と信頼してくれるようになりました。

こうして、名古屋を皮切りに京都や福岡、仙台、大阪での事業拡大に大きく貢献。営業本部長という職にも抜擢された。

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「佐々木が言うなら」と言わせた信頼構築型の営業手法

ここで気になったのは、「佐々木が言うならしょうがない」との言葉が商談相手から出てくるという話。「営業のノウハウ」や「営業の正攻法」といった話題は尽きることがなく、新たな考え方が知見が日々生まれては消えていくのがビジネスメディア界の流れだ。

その端くれを自負するFastGrowとして聞いてみた、なぜ「佐々木が言うなら」が生まれたのか。そのために意識している動き方や考え方は、どういったものなのか。

佐々木答えはシンプルです。「信頼」を得るために、「言ったことはやり遂げる」「できないことは言わない」、これだけです。

言っていることは分かる、口で言うのは簡単だ。ただ、ビジネスの現場においては、相手のニーズを満たすため、やったことのないことや、できないかもしれないこと、あるいはすぐには分からないようなことでも「できます!」と答えたくなるのが、セールスパーソンの性ではないだろうか。ことベンチャーにおいては、その色合いが強いとも言えるだろう。

佐々木分からないことを聞かれることも多いですよ。でもそうしたことに、その場その場で対応していたら、もう訳が分からなくなってしまいます。Uberの頃も、今のLuupの仕事でも、常に20個ほどのプロジェクトを同時並行で進めてきました。そんな中で、個別対応を繰り返していたら、「言ったことはやる」という保証もなかなか難しくなっていってしまいます。

だから、もっとも意識しているのは、「分かっているフリをしない」ということ。

私は、自分が分かっている範囲でしか絶対に答えません。常に自分に正直になって話をしていれば、「あれ、この人にこんなこと言ったかな……?」なんてことも起こり得ません。

それでも商談の場では「○○が分からないと、なんとも判断できませんよ」と言われることも多々あるはず。佐々木氏はどう対応しているのだろうか。

佐々木それも正直に答えるのみですね。「痛いところ突きますね、正直、分からないです!」と言うことが多いですかね(笑)。

自分たちの仕事には、覚悟と自信をもって打ち込んでいますから、自分たちのサービスについては自分たちが誰よりもその強みも弱みも知っているはず。だから「○○も調べてほしい」と商談相手に言われたからといって、毎回すべてを受け入れる必要はありません。「重要視していないため、持ち合わせていません」と、自信をもって答えることができます。

時には対応することももちろんありますよ。ただ、「どうしてもそこが重要ならば、24時間以内に調べます!でも、答えとしてどうなれば良さそうですか?前に進みますか?」と、必ず聞き返すようにはしていますね。

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立ち退きも方向転換も厭わない
「理想の経営者像」をLuup岡井に見た

冒頭に“ギラギラ”と紹介したが、ここまで読んでみても納得の「うまく行き過ぎキャリア」に見える。そんな佐々木氏が2020年、新天地に選んだのがLuupだった。大企業から勢い溢れるベンチャーまで、幅広い選択肢があったとも想定される中で、なぜLuupだったのか?まずはシンプルに聞いてみた。

佐々木大きく三つあります。ミッション共感、自分の経験による強みを活かして貢献できると感じたこと、そして創業代表の岡井に感じた魅力、これらが理由です。

はっきり言って、Uberと似たミッションがLuupにはあります。Uberで追っていたミッションが「移動を活性化することで、機会を生み出す」ということ。私自身、移動が不便な土地に住んだこともありました。それによって個々人の機会が失われるのは、非常にもったいないことだと心から感じていました。

でもそのミッションに向かうためのスピード感が、Uberではもうだいぶ遅くなってしまっていた。やはり大企業的な部分も増えてきていたんです。だから辞めました。

Luupでは、岡井の目指す「いかに早く、これからの日本に必要な新しい交通インフラをつくるか」に、自分の力を捧げて「最速に貢献できる」と思いました。

また、Uberと同様に、地域社会に受け入れられるための努力が欠かせない事業でもあります。この点においても、経験を存分に活かせると感じました。

そして岡井氏に対して感じる魅力が、熱く長く語られた。

佐々木Luupも、Uberに負けず劣らず、壮大なミッションを掲げています。でも岡井なら、できる、一緒にやりたい、とそう思わせられました。

彼は、ミッションを最速で成し遂げるために、あらゆるリスクを取ってチャレンジできる人間なんです。会社って、わざわざリスクを取らなくたって生き残っていくことは可能です。でも事業を進める、しかも私たちのように「インフラをつくる」という場合には、その角度を最大限高くしていかないと、社会に貢献できません。そのための覚悟を、誰よりも強く持っていると感じました。

自社のトップをこれほどほめちぎるような物言いは珍しい。しかし、誰にも真似のできないようなキャリアを持つ佐々木氏だからこそ、もう少し聞いてみたい。岡井氏の何が、そんなに他の人間と違うのか。

佐々木最も印象に残っているのが「ミッションが全て」という言葉。ミッションのために、自身がトップである必要がなくなったのであれば、彼は迷うことなく立ち退きます。ミッションのために、それまでやってきたことを変える必要があるなら、彼は平気で過去を捨てる決断ができます。

それに、よく言われることでもありますが、「弱みをしっかり認識している」というのも強みですよね。例えばマネジメントも営業も、私に比べると正直、見劣りする部分があります。これは経験の蓄積が違うので仕方がないことです。ただ、それを自覚して、私にうまく任せてくれる、この調整がしっかりしている。こうした積み重ねが、ミッションに向けての最短距離を歩む行動に繋がっていくと思います。

佐々木氏がジョインを決めるためには、岡井氏の個性だけでも十分だったようだ。しかし、まだ気になる点はある。Luupは本当に、これから間違いなく成功していくスタートアップだと見ることができるのだろうか?多くの若者はジョインを検討する際、その企業や市場の将来性について必要以上に気にしている節がある。

佐々木これからどうなるか分からないから面白い部分はあると思います。もちろん、間違いなく大きくなっていけるように私たちは努力するのみですが、その道中がものすごく面白いと私は思います。

Luupがやっていくのは「インフラづくり」です。成果指標が一般化されてきたSaaS型ビジネスモデルを備えているわけではありませんし、すごく使い勝手の良いアプリを拘り尽くしてつくっていけばうまくいくというわけでもありません。規制にもうまく対応していかなければなりません。

私はとにかく、このフェーズにおけるこういったチャレンジがものすごく好きなんです。これからさらに打ち込んでいけるのが楽しみで仕方ありませんね。

こちらの記事は2021年01月08日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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藤田 慎一郎

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