“上場経験者”をどう活かす?
準備期は「背景理解」と「やらなくて良いこと」を意識する──ヤプリ上場裏話
2020年、世界におけるモバイルアプリのダウンロード数は過去最高になったというデータがある。日本においても、「平均モバイル利用時間」が2019年の3.3時間から3.7時間に増加。PCやテレビといった他のデバイスから、スマートフォンが利用時間をさらに奪いつつある状況が見える。背景には、コロナ禍の外出自粛があると見られている。
さて、日本において「アプリの企業」といえば、ヤプリを思い浮かべる人が多くなっているのではないだろうか。稲垣吾郎さん出演のテレビCMが強烈な印象を視聴者に残しているほか、2021年1月には人気テレビドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で同社のオフィスが使われたことも話題を呼んだ。
2020年12月のマザーズ上場をきっかけに、どのような事業拡大を見せるのか気になるところ。そこでFastGrowは、成長企業のIPOに不可欠だった創業者以外のメンバーたちの姿と想いに迫る連載「新規上場さんいらっしゃい!──IPOを支えた重要人物に突撃」での取材を実施した。
どんなに優れた起業家でも、一人だけの力でIPOを実現することはできない。企業成長の舞台裏には、必ずそれを支えた「縁の下の力持ち」が存在するはずだ──。この狙いに基づき招いたのは、社長室長の山戸一郎氏と、財務法務部長の杉田知伸氏。普段から仲が良く、取材でも小気味よい掛け合いを見せた二人の対談から、注目を集め続ける「SaaS企業の成長と上場」について、学びを得たい。
IPOに向けた結束を生んだ、入社直後からの密な連携
FastGrowは以前、代表取締役CEOの庵原保文氏にもインタビューを実施。SaaS企業に欠かせないカスタマーサクセスの秘訣についてじっくり語ってもらった。2020年12月のIPOを機に、創業からの苦労や成果を語るインタビューも、他のメディアで最近はよくみられる。
ではその裏側で、他のメンバーは何を思い、どう行動していたのだろうか?昨今、SaaSビジネスをうたうスタートアップが次々と登場し、上場に至る企業も出てきているが、ヤプリの特徴はどこにあるのか?気になる点がいろいろあるので、とりあえず「どんな感じの会社ですか?」と聞いてみた。
山戸うちは、そのSaaSがたくさん生まれてくる最近の流れ、いわゆるSaaSブームが来るよりけっこう前に、そういう事業を始めた会社です。だからメンバーも、「SaaSやりたい!」という感じで来た人が多いわけじゃないんです。
他の企業がやっていなかったようなことをやっている企業を好んで集まった人たちだということです。なので、わりと好奇心旺盛だなと感じますね。
山戸氏は2017年に入社し、営業やマーケティングに携わるポジションでヤプリのSaaS事業を広く見てきた人物だ。その経験を活かし、社長室長として、上場に向けた事業現場寄りの整理を一手に引き受けていた。財務法務部長としてコーポレート側で上場準備を一手に担っていた杉田氏と密に連携をとり、社内のさまざまな面での事業運営を整えてきた。
杉田私は2018年に、上場準備の推進を期待されて入社したのですが、入社してすぐに山戸が毎週1回の1on1MTGを提案してくれました。
山戸杉田が来た当時は、社内のシステムなど含めてまず入れたものが回り始めた、というフェーズでした。このため、セールスの販売と、管理する経理の連携方法、手順など含めて、広大な白地がありました。
そこで、背景をある程度知っている僕と、上場準備経験のある杉田とでタッグを組み、最適化と調整を進めることになったんです。
すでに上場が視野に入っていた時期。社内連携の最適化という難しい課題に入社早々向き合った杉田氏と、それを補った山戸氏の二人の間に、信頼関係が構築された象徴的な出来事だった。
杉田それ以来、いろいろと教え合う関係になっていますね。事業の動き方であったり、仕組みであったり、あるいはキーマンとつないでもらったりといった感じですね。
最近は重要な話がそんなになくても顔を合わせて、雑談をしていますね(笑)。少なくとも、私は仲が良いと思っています。
山戸僕も仲が良いと思っていますよ(笑)。杉田が来た頃、ランチにもよく行っていましたよね。
財務や法務の面からの助言をもらいやすい相手だったので、すごく頼りにしていました。僕はプロダクトの価格改定にもよく関わっていたのですが、どのような影響があり、それを見越して何をしておけば良いか、といった相談をいつもさせてもらえたのは、心強かったですね。
「上場経験者」を如何に外部から巻き込めるか
さて、聞けば、上場に向けて社内の重要な動きを推し進めていたのが、この仲良し二人組だったようだ。取材前、代表の庵原氏にコメントを求めたところ、「何かチャレンジングな仕事があると、真っ先に彼らの顔が頭に浮かぶ、そのような存在」と答えてくれた。信頼がうかがえる。
ノリこそ近いが、得意分野やキャリアが全く異なるこの二人。ではなぜ、この二人が重要な役割を担ったのか。
「上場」を経験したことのあるビジネスパーソンは、それほど多くないだろう。日本の企業は常に、「上場したいが経験がない」という多数の人物と、「上場準備業務を経験しておりよく分かっている」というごく少数の人物が協力して、上場への道を歩む。
山戸氏は杉田氏について「上場に関して最強」と語った。これはあながち冗談というわけでもなさそうである。税理士事務所や事業会社で税務や財務の経験を積んだ後、管理部門立ち上げメンバーとしてコロプラに入社。上場準備を主導し、東証マザーズ上場から一部への市場変更まで押し進めた。
杉田コロプラには約8年いて、会計、監査、上場に関するさまざまな業務を経験しました。コーポレート側の人間としては、やりがいを強く感じる日々でした。
山戸経歴を見れば分かると思いますけど、僕らも「すげー人来たな」という感じでした(笑)。でも意外だったのが、前職でのやり方を一切押し付けてこなかったというところ。
杉田そもそも事業も文化も違う会社ですから、同じやり方が正しいわけでは決してありません。分かりやすい差を言えば、コロプラはBtoC、ヤプリはBtoBです。スマホアプリのゲームをやっていく中では、売上先企業がGoogle、Apple、Amazonでほとんどですからね。反社チェックとか与信限度額とか、悩むことはほとんどありません(笑)。
なので、ヤプリに来てから初めて検討することも多く、模索しながらやっていました。
どこの企業でも、どの業務でも、課題になるのが「従来のメンバーと新メンバーとの融合」。上場準備業務においては特に、新メンバーのほうが圧倒的に経験豊富という場合も多い。そこで大切になるのが、杉田氏のような「押し付けない姿勢」ということだろう。
一方で、従来のメンバー側にも求められる姿勢があるようだ。既に指摘したが、改めて、山戸氏のふるまいについて聞いてみた。
杉田私のような人間が会社に新しく入ったタイミングで、新しいルールを作る動きをしようとしても、簡単には受け入れてもらえないじゃないですか。上場準備で重要となる「内部統制」には、そういう面があると思います。組織内に浸透させていきたくても、勝手が分からない。
それに、そもそもコーポレート側の人間が、最前線のセールスのメンバーに対して新たなルールを直接お願いしても、実行や習慣にまで落としてもらうのは簡単なことではありません。過去の会社においては、その辺りでも非常に苦労しました。
でもヤプリでは、山戸が「はいはい、言っておきますよー」と軽く請け負ってくれて、スムーズに進んでいきました。これには凄く助けられましたね。期限が短い中で上場準備対応をしなければいけなかったので、とてもありがたい存在でした。
山戸上場準備期は営業企画も兼務していたんです。だから、現場メンバーと常に目的意識を共有していましたし、雰囲気も肌感覚で分かる。最も良い伝え方を常に選択できました。
二人が上場に向けて、息の合ったプレーを見せていたことが分かる。とはいえ想定外のことも起これば、必要なことを漏れなく進めるため業務過多に陥ることだってあるだろう。ヤプリはいかにして乗り越えてきたのだろうか。
「やらなくていいこと」を相談しやすい環境
杉田氏のように、会計や監査といったバックグラウンドを持ちつつ、上場を経験してきたビジネスパーソンは、少ないながら一定数存在する。しかし、誰もが結果を出せるわけではない。杉田氏のどのような部分がヤプリを上場に導いたのだろうか。山戸氏に尋ねてみた。
山戸やらなきゃいけないことと、やらなくても良いこととの切り分けが、本当に素晴らしいなといつも感じていましたね。法律とかって解釈の余地があるので、きちんとしようと思うとキリがなくなります。誤解を恐れずに言えば、どの契約のどのフェーズで、どこまで詳しい情報が必要になるのか、といったような点ですね。
杉田「監査や上場準備に対応した経験を活かすことができたなぁ」と思う場面は、やはり多くありましたね。答えが一つではない中で、事例に照らして相対的に判断することが重要だなと実感しました。
ただ、そもそもで言えば、私自身に「めんどうくさがりや」な面があるので、いかにして「しなくていいこと」をしないようにするか、ということは常に考えていました(笑)。
山戸だから僕らも、「杉田さんが言うなら今急いでやらなきゃいけないね」とみんなで納得できますし、一方で「これものすごく大変なんだけど、やらなくて良くなる別の方法ってない?」みたいな相談もしやすかったですよ。
また、冒頭で紹介した二人の距離感も、物事を前に進める上では重要だったようだ。
山戸いま思い返せば、ですけど、杉田からは常に、営業周りの現場の話も含めて、既存の仕組みやフローがどのように現在の形になっているのかを聞かれていました。いろいろな業務を理解しようとしているのだなと、雑談のように受け答えしていましたが、だからこそその都度、メンバーにも無理をさせない最適な判断をしてこれていたのだなと。
杉田背景理解はものすごく重要ですし、そうすることで全体最適を意識して進められる部分はありますよね。
ここで、他のメンバーの活躍も紹介したいのですが、財務法務部には財務経理グループと法務グループがあります。
経理グループでは、マネージャーの岡崎とメンバーの米須が、非常にタイトな期限に迫られながら決算・監査対応を見事にさばいてくれました。法務グループでは、マネージャーの花山とメンバーの前島が、会議体運営から株主対応、膨大な書類手続などをきっちり対応してくれました。
こういった中心メンバーが主体的にきっちりやってくれたからこそ、自分が上場審査の対応により集中できたと思っています。当社のバリューでもあるチームドリブンの力が大きく発揮されたなと。
少数精鋭がゆえに、かつ、ちょっと無茶振りで(笑)、大変な思いをさせてしまいましたが、各メンバーがその苦労を逆に成長の機会に変えていたことには尊敬の念を抱いていましたし、心から感謝しています。
また、財務法務部以外では、監査対応を裏で物凄くサポートしてくれた長谷川にとても助けられました。タスクを依頼すると、「1を伝えたら5返ってくる」ような人で。内容を一度しっかりかみ砕いて考え、その上で「これも必要だと思ったので付けます」と回答が来るんです。ホント素晴らしいなと。
山戸長谷川にはめちゃくちゃ助けられました(笑)。ここまで僕ら二人の話ばかりでしたが、他のメンバーについても伝えたいんですよ、本当は。先ほども言ったように、好奇心旺盛なメンバーが多くて、必要に応じて学習するというのがみんな得意なんです。
上場するからには事業の成長があって、それに伴っていろいろ整理が必要じゃないですか。その都度、どこまで手でやって、どこまでシステムでやるか、というのを考えると思うのですが、これが得意な人が多かったからうまく進んだのだと思います。
ここで、誘導尋問のようだが敢えて、「杉田氏のような上場経験を持つメンバーが、上場には不可欠なのでしょうか」と聞いてみると、山戸氏は即答した。
山戸絶対必要ですよね。今では、いなかったらどうなってたんだろうって思いますよ(笑)。
杉田恐縮で恥ずかしいですが、ありがとうございます(笑)。ただ、山戸のように現場を分かっている方がいたことや、プロジェクトメンバー全員がきっちりと役割を果たせたことが大きかったと思います。そして何より全社員が事業成長を目指して頑張った結果だと思います。もちろんまだスタートしたばかりですが。
ここで紹介してくれたのが、同社で常に意識されている「Always Day1」というキャッチコピーだ。まさにこのコピーを象徴するエピソードを語ってくれた。
SaaSは上場後が本番。
スタートアップより上場ベンチャーが面白い理由
最後に、上場を経てキャリアにはどのような変化が起こり得るのか?と率直に聞いてみた。
杉田今後のキャリアにとって貴重な経験をさせてもらえたと感じています。内部統制などの上場準備体制の構築は、事例があればあるほど良いですから。それに、今回はメインの担当者として最前線で戦えたので、最前線だからこそ感じる苦労は多かったですが、その分やりがいと得られた経験も大きかったですしね。
対応していく中で、「もっと早く対応するべきだった」と感じた場面もあったので、悔しい思いもしました。
そんな杉田氏について、山戸氏がこう評す。
山戸BtoC事業で上場をやって、今回BtoB事業でも上場をやった。もう最強ですよね(笑)。
杉田最強は言いすぎです(笑)。ただ、今回の経験を踏まえて、もし今後そういう機会があったとしたら、上場直前に大変になり過ぎないよう、早いタイミングから対応をしっかりやっておくということに挑戦してみたいですね。
ただもちろん、ヤプリはこれからも成長のためにさまざまな施策を打っていきます。例えば、2019年にアプリ事業を譲受させていただきましたが、こういった重要な戦略・施策が今後さらに増えるでしょうから、それらのアクションに対して、いかにして対応していくか、挑戦のし甲斐がありそうです。
その山戸氏は、一方で、まったく異なる熱い答えを述べた。
山戸上場したから自分が特にどう、ということはないんですけど、改めて感じているのは、SaaSって面白いなということですね。例えば料金体系って、プロダクトによって違うと思いますが、それが違うと、背景にあるオペレーションも全然違うものになります。
今回の上場も一つのきっかけとして、プロダクトについてはいろいろと試行錯誤をしてきました。売り上げを増やすという恒常的な目標に向けて、じゃあ次は料金を変えるのか、そしたら売り方をどう変えるのか、提供する価値をどのように考えるのか、そうしたら本当に売り上げが立つのか、これらを繋げて全体像として見ることができました。こうして、ヤプリというSaaSプロダクトの設計を深く考えて知ることができたのが、ものすごく面白かったですね。
読者の中には、SaaSはビジネスモデルが確立されており、成長や拡大が約束されているものだと誤解している人も少なくないかもしれない。しかし、山戸氏は明確にNOを突きつける。
山戸SaaS企業としての高い成長率を維持するためには、さまざまな工夫が必要です。売れるプロダクトを新しく開発したり、新機能を付加したり、新しい事業体を吸収したり、採り得る選択肢はさまざまです。
僕らの会社はまだまだこれから。必要な変化に合わせて、社全体でどう対応していけるか、それをどうコントロールして進めていくか、挑戦し続けるのが楽しみですね。
僕、SaaSをいかにして伸ばすかという裏の部分を考えるのがすごく好きで、他の企業さんのSaaSをめちゃくちゃ見てるし、直接話を聞くことも多いんですよ。
では他のSaaS事業に携わってみたいという思いも持ってしまうことがあるのでは?と聞いてみると、きっぱりと言い放った。
山戸まったくないですね。他のSaaSに浮気することはまったく考えていません。ヤプリはまだまだ大きくなっていきます。
「IPOを達成したら、スタートアップほどは新しい動きがなくて面白くなさそう」と思っている人がいるんだとしたら、「いや待て待て!」とはっきり言いたいですね(笑)。例えばすでに上場しているSaaS企業の決算書を、一度ちゃんと読み込んでみてほしいです。新しいことをめちゃくちゃやっていますよ。
SaaSはまだまだ若いビジネスモデルで未成熟です。ヤプリにだって、やるべきことはまだ無限にあるんです。
取材の最終盤に勢いを増してきたので聞いてみた、他の若いSaaS企業と、何が違うのか?と。
山戸プロダクトのユニークさは圧倒的だと思います。今のプロダクトは、目の前でデモを見せたら、お客さんの目の色が変わる、それくらいのレベルにあると自信を持って言えます。SaaSの形態だからこそ価値を発揮する、そんなプロダクトですよ。
今、社員が180人ほどですが、これ多いですかね?いやいやまだまだでしょ、180分の1になれるって、すごいチャンスだと思いますけどね!
こちらの記事は2021年04月05日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
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3記事 | 最終更新 2021.04.08おすすめの関連記事
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