「他社の10年、ウチなら3年」──シンプレクスなら「30代の市場価値」を最大化できる。新卒入社後、外資コンサル・スタートアップも経験した若手社員が暴露する「他社からもモテる人材」のリアル

Sponsored
インタビュイー

大学卒業後、シンプレクスに入社。金融機関向けのシステム開発を経験した後、外資系総合コンサルファームに転職。金融業界を中心に、DX戦略策定、新規事業立案、組織変革、規制対応等の幅広いプロジェクトを主導。2022年シンプレクスグループのXspear Consultingに参画し、主に銀行・証券領域の案件、及び事業運営を担当。

大学卒業後、シンプレクスに入社。金融機関向けのシステム開発・コンサルティング・マネジメントを経験した後、一度シンプレクスを退社。フリーランスとして、新規事業参画/プラットフォーム構築、海外企業の日本進出検討などに携わる。近年は建設業や住宅ローンなどシンプレクスの新規事業領域において、常駐支援からシステム導入まで全面支援。

シンプレクスにて市場領域のシステム開発に従事後、AIベンチャー企業に転職し、自然言語処理、画像分析、レコメンデーションなどのAIプロダクト開発を経験。シンプレクス復帰後は、開発部門の技術責任者としてAIソリューションの開発や分析プロジェクトをリード。eKYCやリモートワーク時の不正検知サービスなどのプロダクトをリリース。暗号資産事業では、STO案件にてアーキテクチャ設計を担当。

関連タグ

「開発とコンサルティング。シンプレクスでこの二つの基礎を身につければ、外に出た時に無双できますね」。

今回、鼎談の中で明かされた印象的なフレーズである。一度シンプレクスを辞め、外の世界も見てきた彼らだからこそ言える、リアルな声だ。

「そんなの、単なる自画自賛じゃないの?」という指摘への回答は本文でみっちりとさせてもらうとして、なぜ、シンプレクスではそこまで圧倒的なスキルを身に付けられるのか。それは、同社では新卒入社からの3年間を徹底した育成・修行期間と捉え、デジタル時代のプロフェッショナル人材に求められる、ビジネススキルと開発スキルの双方を高いレベルで習得させることに注力しているからだ。

そして、そこを乗り越えれば、同世代のライバルたちには到底追いつけないレベルでのスキルや知見、経済的報酬を獲得できるというのだから、昨今の優秀な若手たちがこぞって飛びこむわけである。

そんなシンプレクスが属するITコンサルティング業界だが、ここ数年の就職先として高い人気を博していることは言うまでもない。「最速で成長したい」「市場価値の高いスキルを身に付けたい」と、そういった理由でファーストキャリアとして選ぶ者たちが多い。

だが、そんなITコンサルティング業界とはいえ、中身の実態は千差万別。組織が大規模であるがゆえに縦割りで分業制となっていたり、そもそも開発部隊を持っていなかったり。または、パッケージ導入がメインだったりもする。それこそ、「大手企業だから幅広く何でも経験できるだろう」と盲目的に選択をすると自身が望む機会や成長を得られず、気づいたころには思い描いていた将来像とは程遠いところに立っている場合すらある。

だが、シンプレクスでは新卒3年間でコンサルティングからシステム開発、運用保守まですべて一気通貫で経験できる。成長環境としてはもってこいの環境だ。

「新卒から数年で圧倒的な成長を遂げたい学生にとって、シンプレクスを選ぶことはアリなのか?」、その答えを探るべく、我々はこの度4回にわたる取材を実施。前回は、師弟関係にある若手二人により、タフな実力主義の中にあるシンプレクスでの仕事ぶりやチームワーク、給与テーブルなどが明かされた。

そして本作では、新卒からシンプレクスの3年間を過ごしながらも、一度社外に飛び出し、あらためてシンプレクスが持つ魅力、いや魔力とも言える力を再認識して還ってきた面々に話を聞いた。

「どうせ、都合の良いことしか言わないんだろう?」と感じる学生読者よ。そうイキることなかれ。少なくともこれは単なるおせっかい記事ではないということを、FastGrowが保証しておこう。

  • TEXT BY YUKO YAMADA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
  • EDIT BY TAKUYA OHAMA
SECTION
/

転職後に訪れた、タフな顧客との折衝。
頭をよぎったのは「当時の相棒たち」の凄さ

「シンプレクスのアイツらだったら、この場面を乗り切れただろうな……」。

藏満氏は、5年半でシンプレクスを飛び出して、そこから約7年半、外資系総合コンサルティングファームに身を置いていた時代がある。その外資系企業に在籍時、とあるミーティングで顧客から技術話で詰め寄られる同僚のエンジニアを見て、「これがシンプレクスの面々なら……」と古巣を想い浮かべていた。それも、このとき一度きりではなく、別の場面においてもだ。

そんな藏満氏を始めとする今回のインタビュイーたちは、皆がシンプレクスに新卒で入社し、冒頭に述べた“修行期間”を経て、社外も経験している面々だ。もちろん、今では全員がシンプレクスに戻り、社外で培った知見も生かして活躍している。

藏満氏は、シンプレクス入社から6年目に外資系総合コンサルティングファームへ入社。青江氏は、8年目でフリーランスに。氏弘氏は、4年目でAIスタートアップへと活躍の場を広げた。

だが、外に出たからこそ、「シンプレクスでの経験がいかに他では得難いものだったかに気づかされた」と彼らは口にする。

藏満外資系総合コンサルティングファームに在籍していた頃、顧客の中に開発から運用・保守といったあらゆるフェーズに精通した、いわゆる“フルスタックエンジニア”と呼ばれる方たちがいました。

この転職先はITコンサルティングに長けた業界最大手のコンサルティングファームではあったのですが、それでも当時は上記の顧客たちと対等に議論できる知見を持ったメンバーは多くはありませんでした。「シンプレクスのメンバーたちだったら、難なく対応できただろうな」。そういう場面は何度もありましたね。

というのも、一般的にコンサルティングファームやSIer企業では分業制が確立されているため、自分の専門とする領域は答えられるけれど、それ以外の領域に関しては答えられないエンジニアが多いです。

藏満ところが、シンプレクスでは新卒のうちから要件定義から開発・運用保守のフェーズ、アプリケーションからインフラまであらゆる領域を経験します。さらに入社2〜3年目になると、プロジェクトの全体を把握した上でどのように進めるか、その方向性を顧客のカウンターパートとなる方々に示さなければなりません。当然、自身が腹落ちしていなければ語れるものではないですよね。

このミーティングで自分は何を語り、何を握って持ち帰れるか。ミーティング一つとっても、シンプレクスの若手は自分ごととして捉え全力で臨んでいる。当然ながら事業に対する理解度は、他社の若手エンジニアと比べて圧倒的な違いを感じました。

藏満氏曰く、新卒から3年ないし5年、シンプレクスで経験を積めばフルスタックエンジニアとして市場価値の高い人材になれるという。氏弘氏も頷きながら次のように話す。

氏弘フルスタックエンジニアとして活躍できる理由の一つは、シンプレクスが上流のコンサルティングと下流のシステム開発ともに対応していることがあげられますね。

例えば、自社内に開発部隊を持たないSIerなどでは、社外にある既存のプロダクトを組み合わせて提案していく手法が一般的です。もちろん、顧客の目的に適うならそれも一つの解です。

氏弘対して、シンプレクスでは本当に顧客が必要とされるものだけをゼロからつくります。上流の構想だけつくって「あとはベンダーに実装を依頼してください」と丸投げしてしまう会社もある中で、企画の提案から実装まで顧客と二人三脚で責任を持ってできる。だからこそ、そこで得られる経験は我々を一気に成長させてくれます。

一方、フリーランスとして活動を始めた青江氏は、外から見えたシンプレクスの強さを次のように話す。

青江外に出るまで気づきませんでしたが、他社では「自分の業務領域はここまで」とセーブする人が意外に多いんだなと感じました。

というのも、シンプレクスでは、プロジェクトの中で「ここは危ない」「これは穴だ」と気づいたらすぐにメンバーが自発的に手を伸ばして動くんですね。なぜならば、シンプレクスでは誰もが“業務タスク”ではなく“顧客の成果”にコミットしているからです。そういった目線の高さが重宝がられて、僕自身、他社ではずっとマネジメントを担っていました。

他にも、シンプレクスは若手への責任・権限の渡し方が特徴的なんだなと感じています。先輩たちが特定のポジションに居座ることなく、どんどんその座を若手に回し、自らも上へ上へと駆け上っていくカルチャーがある。「一日も早くその座を若手に回してやれ」と、そんなコミュニケーションが当たり前となっている面白い組織ですよね。

三者三様に感じたシンプレクスと外の世界との違い。これはほんの頭出しにすぎない。ここからはその具体例をより詳しくうかがいながら、「シンプレクスの何がそんなにすごいのか?」を紐解いていこうじゃないか。

SECTION
/

シンプレクスの「当たり前」、
他コンサルでは「超人」レベル!?

シンプレクスから外に出たことで、自身の成長も見えたという3人。「IT×コンサルティング×マネジメント、この3軸が思っていたよりも高い水準に達していることが周囲の反応で分かった」と語るのは藏満氏だ。

藏満転職をした際に、周りから「あいつは金融業務に詳しいぞ、博識だ」と言われて驚きました(笑)。

当時、デリバティブ(先物取引やオプション取引など)の価格算出や、リスク量を計算するシステムづくりを手がけていたのですが、その際に必要となる細かい業務や技術的な知識が、シンプレクス外の人からするとなかなかのハードルだったそうで。

ところが僕からしたらその業務は、「シンプレクスでこの分野を専門領域としている人から見れば基礎中の基礎だよな……」という印象でした。なので僕でも?と言うと語弊があるかもしれませんが、難なく対応することができたんです。シンプレクス在籍時は普段から金融・ITのプロフェッショナルに囲まれて仕事をしていたので、転職後の周りの反応は正直意外なものでした。

一方で、僕自身はシンプレクスでコンサルティングやプロジェクトマネジメントに携わるケースが多かったんですね。当然、ITに関しては専門家と会話できる程度にはキャッチアップしていましたが、シンプレクスの中でITを専門としている方々と比べると100分の1程度の実力だったと思います。

ところが、外の世界に出た瞬間、「なんだあの藏満ってやつ。ITもコンサルティングもマネジメントもバランスよくできるのか」と(笑)、ありがたいことに一目置かれるような立場だったんです。

シンプレクスにいた頃は、「周りと比べてITの知見は普通。むしろ劣っているとすら思っていた……」と心境を打ち明ける藏満氏。ところが、外に出れば周りからは羨望の眼差しを浴びるレベル。

さながら、シンプレクスにいた時は「倍速成長できる亜空間」にいたというところか。アニメや漫画などで主人公が苦難に陥り、そこから奮起すべく過酷なトレーニングを積んだ後、以前のライバルたちを軽く一掃してしまう程進化を遂げていたというようなシーンを彷彿とさせる。つまり、それだけシンプレクスでは高い水準でスキル習得ができるということだろう。そしてそれは青江氏も同様で、外に出た際の周りの反応は想像以上だったと打ち明ける。

青江社外に出た際に、「ビジネスを分かっている、コンサルティングができる若手はゴマンといるが、ITはもちろんのこと金融の深い見識も持ち合わせている人材は初めてみたよ」という反応をいただいたことがあり、これがシンプレクスで過ごした成果かと感じましたね。

シンプレクスでは、3年目から為替やFX領域でプロジェクトマネジメントを務めるようになり、それに伴って顧客の中でも有識者と話す機会が増えていきました。当然ながら、そういった方々と会話をするためには、知識もスキルも対等に渡り合えるくらい身に付けなければなりません。そのため常に勉強は欠かせませんでした。ただ、そのおかげで外に出てからは「オールラウンドにスキルが高い人材」だと捉えてもらうことができ、自分でも驚いています。

つまり、ビジネスパーソンとしてどこへ行っても通用する力が養われていたということなのだろう。氏弘氏も深く頷きつつ、シンプレクスが唯一無二である理由を口にする。

氏弘シンプレクスは“一気通貫”と言いますが、そう言うと「最近は大手の外資系コンサルティングファームも買収や合併をして自社内で開発まで担っていますよ」と思う方もいるでしょう。しかし、会社として一気通貫していても、個々人のレベルでは全くもって分業されているケースがほとんどです。

早い話、個人単位で見ても一気通貫しているのがシンプレクスなんですよ。顧客の事業を伸ばすためにテクノロジーとビジネスの両方を理解して、どんなインフラの上にどんなアプリケーションを載せ、運用保守はどうするのかまでを、一人一人が理解し、顧客の前で語ることができる。これが大きいと思います。じゃあ同じことを、大手のコンサルティングファームの2〜3年目の方ができますか?という話ですね。

FastGrow取材陣は、「なるほど……!」と早くも取材の目的を完遂した気分になっていた。

SECTION
/

「ここまでぶち抜けるのか……」、
撃ち抜かれるスピリット

ここまで、いかにシンプレクスが成長環境に優れた会社なのか、3人の視点からその魅力を存分に伝えてきた。が、ここで読者が気になるのは、彼らがシンプレクスを出ようと決断したことだろう。「耳あたりの良いことばかり言っているが、やはり何か問題があるのだろう」、そう勘ぐる読者もいるに違いない。

だが、その話に入る前に、なぜ彼らがこのシンプレクスに入社したのかの背景を知っておきたい。そうすれば、より彼らの心情に近づくことができるはずだ。

まずは藏満氏。今でこそコンサルティングファームは優秀な学生にとって就職先の定番であるが、2009年当時はまだそこまでメジャーな選択肢とは言えなかった。当時の人気就職先としては、外資系投資銀行の名が並び立っていた時代だ。

藏満「自分の市場価値が最も高まる環境はどこか?」。そういった軸で就職先を考えていた時に、僕にとってはコンサルティングファームが最も成長できる場だと確信していました。

しかし、当時は家族や友人にとってコンサルティング業界なんて全くと言って良いほど未知の世界。世界屈指のコンサルティングファームの名前を出しても「何それ?」「コンサルって何なの?」というような反応ですよ(笑)。周囲の意見は脇に置いて、自分が「楽しめそうだ」と感じる環境で仕事をしようと決めていました。

そうしてコンサルティングファーム各社を見ていく中で、シンプレクスは他のどの会社よりも当時の僕らに対し選考を通じて、「これから共に働く仲間なんだ」「プロフェッショナルとして成長を志す君の想いに共感する」といった具合に、“人”に対する深い共感や理解を示してくれたんです。

藏満そして、選考プロセスで多くのシンプレクスメンバーと対話をさせてもらう中で、当時5年目の先輩とお会いした時に「たった5年でここまでぶち抜けるのか……!?」「他所の会社に行ってもどこでも活躍できそうだな……」と感じたんです。

正直、明確な理由があってのことではありませんが、シンプレクスで培ってきた知識、経験やその先に見据えるキャリアの話をする姿から、何か只者じゃない風格が滲み出ていて。「こんな先輩が在籍しているシンプレクスなら、タフなビジネスパーソンになれそうだ……!」と思い入社を決めましたね。

青江僕も就活のトレンドや時代背景は藏満さんとほぼ一緒ですね。説明会でいろいろな経営者の話を聞く中でCEOの金子に出会い、そのカリスマ性にしびれた多くの学生の内の一人です(笑)。

もともと就活では特定の専門領域に特化した事業体ではなく、商社や銀行などのように業界問わず多様なジャンルの顧客に携わることができる会社を見ていました。

その中でシンプレクスは、“ビジネス・IT・コンサルティング”という3つのキーワードを掲げていて、それが自分の軸にピタッとハマったんです。これからの時代に求められるビジネススキルを、若手のうちから幅広く、かつ高水準なレベルで獲得することができれば、その後のキャリアでいくらでも応用が効くなと感じたんですね。

藏満だよね。金子さんのプレゼンは本当にすごいよね。学生が見たら逆に引くと思うよ(笑)。これまでいろいろな経営者を見てきましたが、あれほど人を惹きつける話をする人とは出会ったことがありません。

自ら難度の高い事業を切り拓いてきたという臨場感のあるストーリーと、その裏にある人間味のあるウェットなストーリーが多くの人に刺さるのだと思いますね。

1記事目でも話題に上がったシンプレクス代表・金子氏のプレゼンだが、現在コチラよりその一片を除くことができる。(ロングver.はコチラの採用エントリー後に視聴可能)ここまで読み進めた読者なら、視聴しない理由はないだろう。

続いて氏弘氏。彼は一貫してプロダクトづくりができる会社を探していた。キャリアのスタートでは、文字通り360度何でもやるスタートアップで闇雲にチャレンジするよりも、まずは基盤がしっかりした環境下で自身の核となる武器を磨きたいと考えていたとのこと。そうすれば、その先には起業家や経営者への道も見えてくるはずだと。

ファーストキャリアでスタートアップを選ぶ学生も増えてきている昨今ではあるが、氏弘氏のような考えを持つ読者も少なくないはずだ。そんな氏弘氏にとって、シンプレクスはまさに求めていた理想の環境だった。

氏弘まず何よりも、他社では解決できない困難な課題にフォーカスして開発に取り組める点が魅力的でした。そのレベルの仕事をスタンダードにできるということは、間違いなく自身の強みとなりますからね。

しかも、シンプレクスでは前のめりな若手がチームで切磋琢磨しあっており、チャレンジの機会も豊富に与えられている。実際に先輩社員からも、2〜3年目からプロジェクトリーダーとなって年次が上の先輩含めチームを率いていく仕事ぶりを聞いて、実績としても確かだと確信を得たので、他の企業と悩むことなく入社を決意することができました。

SECTION
/

「自分は成長しているのか……?」。
修行の渦中、得てしてその真価は見えぬもの

藏満氏は2009年にシンプレクス入社以降、FXや株取引に関わるシステム開発プロジェクト、銀行や機関投資家向けのリスク管理システム開発プロジェクトに携わってきた。その後、入社6年目で大手外資系の総合コンサルティングファームへと転職することになるのだ。

藏満開発を含むシンプレクスの一気通貫なスタイルにはリスペクトを持ちつつも、当時の僕としてはよりピュアなコンサルティングファームで腕を磨きたいと思ったんですよね。

というのも、今ならシンプレクスでの始めの3年間は価値ある基礎づくりの期間だったと思えますが、当時の自分は成長実感がつかめずにいたんです。

ただ、その後の4年目か5年目あたりで、とある上司との出会いからグンと自身の成長を感じられるようになったんですよ。その上司というのが、コンサルティングファーム出身の方でして。

そこから、「コンサルティングというものを突き詰めてみよう」「今の自分にはない力が得られるかもしれない」という想いから、転職を決意しました。

今でこそシンプレクスにもコンサルティングを専門に行うグループ会社・Xspear Consulting(以下、クロスピア)があるが、藏満氏が転職を考えていた時期にはまだ存在していなかった。そしてその後、2021年にこのクロスピアの誕生によって、藏満氏は再びシンプレクスの門をくぐることになるのだ。ある大物人物の誘いによって──。

一方、青江氏は2010年にシンプレクスに入社以降、3年目までFXの運用保守プロジェクトを経験。その後、人事部へ異動して新入社員のメンターを担当。

FX領域に戻ってからは新規導入プロジェクトを担当し、その後銀行系のプロジェクトへ異動してプロジェクトマネジメントを中心に、顧客先への常駐やシステムデリバリーを経験する。とにかく「今の自分がシンプレクスでやれることはやり尽くした」という満足感があった。そして、8年目にフリーランスとして独立を果たす。

青江独立したのは、純粋に自分の市場価値を知りたかったからです。

シンプレクスで一通りの実務を経験してきたので、自分が外でどれくらい通用するのか、それに対してどれくらいで格付けされるのかを確かめたいと思い、一度会社を飛び出してみました。もちろん、それ以外にもシンプレクスとは異なる環境で異なる世界を見てみたいと感じていたこともあります。

フリーランスとして活動し始めてからは、仮想通貨のプラットフォーム事業を展開する企業の業務の立ち上げ支援から、そこに紐づくシステムの構築まで幅広く経験しました。

結果的に、「シンプレクスで培ったスキルは外の世界で十分に通用するんだ」という手応えを感じることができました。

独立当時は30歳ぐらいでしたが、顧客の一回り二回りも年上の経営陣と対等にディスカッションしながら課題解決をリードできたのも、20代のうちにみっちりとシンプレクスでしごかれた経験あってのことだと感謝しています(笑)。

「シンプレクスでプロダクトづくりがしたい」「ITスキルを磨きたい」という強い想いで2012年に入社した氏弘氏。入社後の3年間は銀行や保険、証券のシステム開発において、要件定義から設計開発テスト、運用保守などを経験し、満を持して4年目にAIスタートアップへと転職をしている。

氏弘僕も青江さんと近いですが、新卒からシンプレクスである程度の期間を過ごす中で、「ここで得たスキル経験を、より自身が興味を持てる分野に注いでみたい」と感じるようになりました。僕の場合、具体的には最先端のAI技術を活かしたプロダクトやサービスづくりがしたかったんです。

近い将来、人がWeb上で何かの情報を得る際に、Web上から入力するだけでなく、インタラクティブな会話や画像からコンピューターがユーザーの要望を解釈し、アウトプットを出していくような世界がまもなく来るだろうと。そこで、コミュニケーションロボットを扱うAIスタートアップに転職をしましたね。

SECTION
/

事業にフルコミットは難しい!?
リソース不足に孤軍奮闘するスタートアップの現場

AIスタートアップでは、スタートアップならではのスピード感がある中、案件獲得にも奔走し、「まさに今、人生を懸けている」という思いでがむしゃらに事業にコミットしていた氏弘氏。だが、その反面で多くのスタートアップが抱える課題にも直面していたという。

氏弘一人ひとりの裁量が大きい一方で、スタートアップでは文字通り“何でも”やらなければならない状況でした。例えば「インフラを構築しよう」とした際に、シンプレクスでは優秀なインフラエンジニアたちと相談しながら決められます。

ところが、スタートアップではメンバーにその知見を持つ者がいなければ、すべて自分で調べなければならないんですね。もちろんインフラ周りに限らず、採用を主としたバックオフィス業務もすべてです。当然、それもよい経験にはなるでしょう。

しかし、「AI事業に専念したい」「スキルを伸ばしたい」という気持ちがある中で、採用面接も含めすべての業務をカバーしていかなければならない状況に葛藤を感じるようになっていったんです。

これは、「急成長するならスタートアップだ」と盲目的になっている学生読者にとっては非常に示唆に富むエピソードだろう。そう、傍目には「◯◯億円の資金調達を実施」「20代でCxOとなり経営に携わる」「TVCMを打って一気に全国区のサービスへ」などと輝いて見える要素が多々ありながらも、基本的には「人が足りない……」という悩みが恒常的にのしかかる。

もちろん中にはバックオフィスが完備された企業や、技術周りの環境が整った企業もあるだろう。しかし、それでも資金面や事業成長の面などあらゆる観点で期待と同時に不安も背負いながら進んでいかなければならないのが、リアルな実態なのだ。

自身としては事業成長と共に自己研鑽できる環境を望んでいたものの、そこに立ちはだかる壁は大きかった。率直に胸の内を明かす氏弘氏。そんな中、ある時シンプレクスから声が掛かり、氏弘氏に転機が訪れる。持ちかけられた話とは、「AI領域における新規事業の立ち上げ」だ──。

氏弘シンプレクスから「もう一度、一緒に事業をやらないか」「ウチでならAIプロダクトの開発だけに専念できるぞ」と声をかけてもらって、本来の目的に立ち返ることができました。

社内のエキスパートたちを巻き込んで、純粋に事業だけにコミットができること。それは、当時在籍していたスタートアップでは得られなかった環境だったからこそ、あらためてシンプレクスの魅力を感じましたね。

続いて、外資系コンサルティングファームで7年半を過ごしていた藏満氏。主に金融機関向けの規制対応プロジェクトや、FinTechをテーマとした事業を手がけていた。シンプレクスに戻るきっかけとなったのは、なんと代表の金子氏からの直々のオファーだった。

藏満ある時、金子さんとの会食中に、突然「藏満よ、今度うちにDXを推進するコンサルティングファームのクロスピアができたから、お前そこでやらないか」と誘っていただいたんです。

その時は、在籍していたコンサルティングファームの仕事にやりがいを感じていましたし、そこでキャリアを築けているという実感があったので、辞めるつもりはなかったんですよね。

一方で、シンプレクスの持つ技術力の高さは身をもって理解していました。「シンプレクスのメンバーたちとまた一緒にサービスを提供できれば、他の大手コンサルティングファームに引けを取らない良い勝負ができるのではないか」と。

当時、僕が在籍していたコンサルティングファームの従業員は2万人弱で、対するクロスピアは僅か数十人(2023年現在は100人以上)、シンプレクスを足しても1,000人弱(2023年現在は1,000人以上)。その差は約20倍です。しかし、僕の感覚では、シンプレクスとクロスピアがしっかりとタッグを組めば、前職と同等のコンサルティングサービスが提供できるという確信があったんですよね。加えて、クロスピアは新しい会社のため、会社の経営に携われることも魅力でした。これは他のコンサルティングファームでは味わえない醍醐味だと思います。

特に外資系の場合、グローバルで見れば日本はその中のいち支社に過ぎません。たとえ長年の成果と実績を携えてパートナークラスになったとしても、会社を経営しているという程の感覚にはならないのではという思いもありました。しかし、クロスピアではコンサルティングサービスを手がける一方、経営や組織づくりにも携われる。こんな美味しい話、断る理由なんてないですよ。

続いては青江氏がシンプレクスに戻ってきた背景を聞こう。同氏は、「シンプレクスでは、外に出た人に対してネガティブな感情を持っている人はいないのでは」とそのカルチャーにも触れつつ、自らの経験を振り返る。かつて切磋琢磨しながら事業に取り組んできた仲間たちとの絆は、そう簡単に壊れるものではない。彼らをはじめ、OBや同僚とのつながりを維持し、シンプレクス卒業後も良好な関係を築いている人は多いという。

青江実はシンプレクス同期の内の一人から、「新規事業を一緒にやらないか」と一年間ずっと口説かれていたんです(笑)。その頃はちょうどフリーランスとして仕事に区切りがついたタイミングだったので、新規事業にも興味があったことからすんなりとシンプレクスに戻りました。そんな簡単に戻るのかよ!と思うかも知れませんが……(笑)。

シンプレクスには、ゼロ→イチで事業を生み出す人、イチ→100で事業を広げていける人、どのフェーズの人たちもいるんですね。そのメンバーとチームを組成すればどんな事業ができるんだろうか。その楽しみが大きかったです。

現在は、領域を問わず、建設業界や住宅ローンのDX推進などを手がけていますが、独立前と変わらず刺激ある日々を過ごせています。

「ウチの会社は卒業後の繋がりが豊富だ」と発信する企業は多いが、一度辞めてまた戻ってくるというのは別の話。シンプレクスにおいては、社内からのオファーで再び舞い戻るケースもあれば、OB自ら再び門をくぐるケースもある。そのどちらにせよ、「久しぶり。帰ってきたな」と言わんばかりのオープンマインドで受け入れるシンプレクスの度量の大きさはなかなかに珍しく、それだけの魅力を持った環境なのだということが伝わってくる。

SECTION
/

人知れず鍛錬を重ねた3年。
気づけば無双人材へ

彼らは、新卒3年間という修行期間をシンプレクスで過ごし、その後大きく飛躍することができた。だからこそ今、市場価値の高い人材となり、どこに行っても周りを圧倒するほどの活躍を見せている。

あらためて、この3年間が彼らにとってどういったものだったのか尋ねてみた。すると、藏満氏は少し考えてから「僕は、深海魚でしたね」と口にした。

藏満「毎日充実していました!」と、ここで言えればいいのですが(笑)。僕は、その3年間ただひたすら暗い海の底でさまよっていたように思います。実際、プロジェクトに貢献できているという実感も薄く、苦労していました。

実力はついているかもしれない。成長できているかもしれない。でも当時の僕はまだ、それを知る術がなく、自分がどのくらいのレベルに達しているのかが見えていませんでした。ただ、その3年間という土台があったがゆえに、この数年間で一気にぶち抜けることができた。僕にとってはなくてはならない時間でした。

人によって成長曲線は異なります。どこで大きく飛躍するかは誰にも分かりません。そんな時、周りの優秀な人たちと比べてしまうと、とても苦しい。苦しいけれど、それを諦めず乗り越えようとしたことが、多少なりとも今に繋がっていると思いますね。

「その期間なくして、今の自分はありえない」そう強く語る藏満氏。苦悩を乗り越えた先に、今の自分と出会うことができたのだ。事実、藏満氏は先の章で触れた通り、シンプレクスグループのコンサルティングファーム・クロスピアにて経営メンバーとしての手腕も振るいながら、コンサルティングサービスも提供している。他のコンサルティングファームでは決して成し得ないことだ。

青江僕にとっては、プロジェクトマネージャーとして進んでいくのか。開発者として極めていくのか、何かに尖るための土台を固める期間がこの3年間だったと思います。

 

もちろんシンプレクスでそのままキャリアを重ねていくのもいいでしょうし、僕たちのように外に出てみるのもありだと思います。そういったキャリアが描けるようになったのも、この3年間でしっかりと経験を積むことができたからです。

一方、「大変な3年間でしたね……」と遠い目で語り出すのは氏弘氏。「いつも、飄々としているのに?」と、藏満氏の突っ込みで氏弘氏の頬がゆるむ。

氏弘そうですね。苦労もたくさんありましたが、この修行期間で得たものは、その後の自身の軸となり、仕事をする上で道しるべになっていきました。

僕はシンプレクスで3年間の修行を経てスタートアップに行った際、そこでは決められた型がなく、すべて自分で決めなければなりませんでした。そこで参考にしたのは、シンプレクスの先輩たちやチームの立ち振る舞いでした。その期間で学んだことが僕自身に深くしみ込んでいるのを感じます。

シンプレクスで新卒3年間を過ごすこと。彼らの言葉からも分かる通り、極めてハードかつ、その後の人生を左右するほど学びある時間なのだろう。もはや3年間を“過ごす”というよりも、3年間を“生き抜く”という表現の方が適切かもしれない。だからこそ、この環境が合う人、合わない人もいるはずだ。それに対して3人は次のように答える。

氏弘僕たちは “Hello world, Hello innovation”というコーポレートスローガンを掲げている通り、イノベーションで世の中をよくしていこうという会社なんです。

これは僕の個人の考えですが、イノベーションというのは奇をてらってするものではなく、地道に努力を重ねてようやく実現できるものだと感じています。だからといってハードワークをしろという話ではありませんが、「それだけの覚悟がありますか?」ということは問いたいですね。そういった地道な努力を厭わない方がシンプレクスにはハマると思います。

青江僕はやっぱり、変化を恐れる人はやめた方がいいかなと思いますね。

僕らが携わっているITや金融機関は、日々テクノロジーの進化と共にその事業も目まぐるしく変わっていきます。そのスピード感の中で知識をアップデートし、顧客をリードしていく存在にならなければならない。当然ながら、過去の知識だけでは生きていけませんからね。なので、常に新しいことにチャレンジしていける人が向いていると思います。

藏満僕は時間軸の捉え方について伝えたいです。例えば、若手の採用面接をさせていただく際に、「一旗揚げたい」「すぐに成果を上げたい」とおっしゃる方がしばしばいます。もちろんその志は素晴らしいのですが、キャリアに関しては近視眼的になるのではなく、5年先〜10年先を想像してほしい。

正直、ビジネスパーソンとして成りたての1〜2年で出せる成果なんて、その先にいるプロフェッショナル人材からすればたかが知れています。キャリアとしての最初の勝負は20代後半〜30代中盤にかけて訪れるのではないでしょうか。そしてその来るべき時に向けて、どれだけ早期から質の高い努力の積み重ねができるかが大事だと思います。

なので、中長期的に価値を生み出し続けるために、視野広く自身のキャリアを考えていける方にオススメしたいです。

今回の3人の取材を通して、キャリアの序盤となる新卒3年間をどこで過ごすか、それが今後のキャリアに大きく影響を与えるということを学んだ。

藏満氏からは、シンプレクスで過ごす3年間の過酷さと、そこを乗り切る忍耐の重要性を。

青江氏からは、シンプレクスの3年間がもたらす勇気と確かな実力を。

氏弘氏からは、スタートアップに潜む壁と、シンプレクスがいかに事業にコミットできる環境なのかを教わった。

いずれも、その3年間は他には変え難い貴重な時間だったと口をそろえる。ここまできて未だタイムパフォーマンスが云々と駄々をこねる者はいないと思うが、もし彼ら3人を軽くぶち抜ける自信があるというのなら、新卒から3年以内にその名がFastGrowまで轟くように名を挙げてみてほしいものだ。

こちらの記事は2023年02月24日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

記事を共有する
記事をいいねする

執筆

山田 優子

写真

藤田 慎一郎

編集

大浜 拓也

株式会社スモールクリエイター代表。2010年立教大学在学中にWeb制作、メディア事業にて起業し、キャリア・エンタメ系クライアントを中心に業務支援を行う。2017年からは併行して人材紹介会社の創業メンバーとしてIT企業の採用支援に従事。現在はIT・人材・エンタメをキーワードにクライアントWebメディアのプロデュースや制作運営を担っている。ロック好きでギター歴20年。

おすすめの関連記事

会員登録/ログインすると
以下の機能を利用することが可能です。

新規会員登録/ログイン