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倍々成長のファッションブランドdivkaに聞くプロダクトアウト型ビジネスを成功させる方法

斜陽するアパレル産業。しかしファッションのファンタジーを愛し、そして憧れ、自身のブランドを起業するファッションジャンキーは多い。彼らの...
斜陽するアパレル産業。しかしファッションのファンタジーを愛し、そして憧れ、自身のブランドを起業するファッションジャンキーは多い。彼らの大半が経営やマーケティングを考えず、作りたい世界観を世に試す。大半は3年と持たないが、そのエモーションから始まる起業家精神には目を瞠る。その熱い衝動から創設6年を経、東京ファッションウィークでショーも経験した「divka」。順調のようだが、デザイナー田中崇順氏の起業論を聞いた。
斜陽するファッション業界。そりゃあそうだ、だって人の感性と直結する水商売なのだから。ファッションテックで成功例が出ないのもその難しさの裏返しだ。今日黒がトレンドだと思ったら明日は白になる。それがファッションだ。それでもそのジェットコースターに多くの野心家が乗り込む。ものづくり、セールス、ブランディング、全てが一級でないと乗りこなせないのも知らずに。ファッションはビジネスの粋なのだ。さあ華麗なる欲望の世界へ。
  • TEXT BY CHISA SATO
17-11-23-Thu
田中 崇順 (たなか・たかゆき)
divka Designer
松本 志行 (まつもと・もとゆき)
divka Pattern Cutter

斜陽するアパレル産業。しかしファッションのファンタジーを愛し、そして憧れ、自身のブランドを起業するファッションジャンキーは多い。彼らの大半が経営やマーケティングを考えず、作りたい世界観を世に試す。大半は3年と持たないが、そのエモーションから始まる起業家精神には目を瞠る。その熱い衝動から創設6年を経、東京ファッションウィークでショーも経験した「divka」。順調のようだが、デザイナー田中崇順氏の起業論を聞いた。

ブランドの始め方もわからずにスタート

活気ある武蔵小山の商店街を抜けた、ビルの一室がファッションブランドdivka(ディウカ)のアトリエだ。デザイナーのアトリエと聞いてイメージするオシャレな空間とは少し違う、地に足のついた事務所然とした佇まい。デビューして6年、ファッションビジネスに逆風が吹く中、トレンドに乗らず、自分たちのクリエーションを貫いて、粘り強く歩んで来たブランドの姿勢を表してもいるようだ。

デザイナー 田中 崇順
写真提供:divka

パタンナー 松本 志行
写真提供:divka

ファッションの名門、セントラル・セント・マーチンズ美術大学を首席で卒業したデザイナーの田中崇順と文化ファッション大学院大学出身のパタンナーの松本志行が2011年に立ち上げたdivka。前職であるヨウジヤマモトで出会った2人は、自分たちのブランドをつくろうと意気込み、仕事を辞めたものの、どうやって始めて良いのかもわからない状況だった。とりあえず馬喰町にあった文化学園が運営するインキュベーション施設のアトリエを借り、スタートした。

結成当初は3人だったが、将来の展望が見えず、デビューする前にメンバーの1人は去っていった。それでも田中さんはギャラリーでバイトしながら、グラフィックデザインの仕事を受注し、松本さんは生地屋でバイトしながら、パターンの仕事を受け、しのいでいたという。

写真提供:divka

コンペを足掛かりにチャンスを掴む

「ファーストコレクションをつくるにも生地が必要です。その生地を買う資金すらなかった。そこで、知り合いのメーカーから残布をもらって来て、プリントごっこでオリジナルの版をつくって生地を加工したり、染めたりして、まず40点の手作りのファーストコレクションをつくりました。それを持って、2011年の秋、バンタンデザイン研究所の一角で展示販売会を行ったのです」

当時は東日本大震災が起き、華やかな服を買うのは憚られるような時世。それでも、コレクションは好評を博し、初の売り上げ70万円を手にした。

写真:矢野 拓実

次のステップとして、2012年スペインのアパレルMANGOが主催する当時世界最大のファッションコンペ「MANGO FASHION AWARD」に応募。ファイナリストに選出され、制作費として約200万円を得、それを資金に8体のコレクションをつくった。これが実質的なデビューコレクションとなった。

さらに同年Tokyo 新人デザイナーファッション大賞プロ部門で最高賞である都知事賞を受賞。同賞の展示会費用の半分を3年間支援するというプログラムを利用し、海外も含め、積極的に展示会を行った。

「できるだけ多くの人に服を見てもらいたい、チャンスを掴みたいという気持ちで、展示会に出続けていました。普通のブランドは合同展、個展の2回ほどなのですが、僕たちはパリ、上海、香港、東京と、普通のブランドの倍くらい出展し、その後地方のセレクトショップ巡りもしていました」

地道な営業活動が功を奏し、徐々に販路が拡大。売り上げは前年比2倍で増加していった。現在は、約60ショップで取り扱いがあり、そのうちの3割は海外だ。都内だとセレクトショップVIA BUS STOPでの取り扱いが多いという。

写真提供:divka

多数の展示会開催により受注を増やす

華やかなファッションショーを開き、メディアを通じ知名度を上げることよりも、実際に間近で服を見て、バイヤーに買ってもらうことを優先したdivka。結果、ファッションビジネスに厳しい状況の中、6年間成長を続けてきた。そうした戦略を取ったのはなぜなのだろう。

「僕たちは経営のノウハウもないまま起業し、服づくりよりもビジネス面で苦労しました。ファッション業界は受注生産というシステムなので、資金繰りが一番苦しい。例えば、1000万円オーダー頂いても、制作費に500万円くらいかかるわけです。ショップからの入金より前に、生地や縫製の支払いをしなければいけない。僕たちは王道の銀行にお金を借りて、実績をつくり、返済をして、借り増しして、というのを繰り返して来ました。着実な売り上げでブランドを継続するために、服を見てもらい、売ることが必要でした」

販売に力を入れる一方、ブランドのクリエーションの軸は変えずに、モードなスタイルを守っているのは相当の努力をした結果だ。

「今はカジュアルで日常的な着やすい服が主流ですが、divkaはモードでやって来ました。着るだけで普段と違う気分を味わえるドラマティックな服で、新しさや美しさを追求したい。経験を積んで、着心地や実用性も両立できてきましたが、打ち出したイメージを崩さないようにしています」

写真:矢野 拓実

その姿勢が結果的に独自のポジションを築くことになり、他人と同じ格好をしたくないコアなファッション好きの心を掴む。マーケットインではなく、プロダクトアウト。参入障壁が低く、売れる服づくりから発想するブランドも多い中、表現したいものがあって、その服を売ることに努力を惜しまない、真っ当なものづくりと言えるだろう。

写真提供:divka

モチベーションは底なし。挫折を挫折と思わない強いマインド

「周囲からは、この時代に新しいファッションブランドを立ち上げるなんて無理と言われながら、やってきました。でも自分で無理と思ったことは一度もありません。ファッションで絶対成功したいと思ってきたので、普通は挫折と感じることも、挫折と思わず、パッションで乗り越えて来ました。モチベーションという意味では底なし。そのために売る方法も考えるし、当たり前のことを当たり前にやって来ただけ」と、淡々と、でも力強い言葉で語る田中さん。

写真:矢野 拓実

厳しい現実に直面しても、決して下を向かず、ポジティブに捉える。その強い気持ちの源泉は何なのだろうか。

「やはりファッションが好きなのでしょうね。僕がファッションに夢中になった90年代は、アレキサンダー・マックィーンやジョン・ガリアーノなどのモード全盛期。リアルクローズではない夢のような世界観に憧れました。また、divkaの服は立体裁断で作るので、平面の型紙に落とすと服の形をしていない。お客さんが袖を通すことで完成します。そして着た瞬間にハッとされる。『素敵な服』と言って頂ける。それだけで苦しいことも少し救われて、地道に続けられるのだと思います」

毎シーズン、展示会のために足を運ぶファッションの本場パリ。日本のみならず世界のモードを牽引する、川久保玲率いるコム デ ギャルソンの展示会は、まるでセール会場のようにバイヤーが殺到するのだという。「いずれはパリの展示会で行列ができるくらいに売れたい」と照れながらも将来の夢を語ってくれた。

モデルカット:divka 2018SSコレクションより

ファッションが最強のビジネスである

斜陽するファッション業界。そりゃあそうだ、だって人の感性と直結する水商売なのだから。ファッションテックで成功例が出ないのもその難しさの裏返しだ。今日黒がトレンドだと思ったら明日は白になる。それがファッションだ。それでもそのジェットコースターに多くの野心家が乗り込む。ものづくり、セールス、ブランディング、全てが一級でないと乗りこなせないのも知らずに。ファッションはビジネスの粋なのだ。さあ華麗なる欲望の世界へ。