「馬鹿じゃないの?」にめげるようでは、イノベーションなど到底無理。BNPL事業とティール組織を実現させた、奇跡の軌跡
Sponsoredイノベーションって、どのようにして起こるのだろう?どうすれば、自分もイノベーションを起こせるのだろう?そんなあなたに遂に贈る、決定版。連載「イノベーション・メカニズム」。
イノベーション創出ファームであるエッグフォワード代表取締役・徳谷智史氏が、スタートアップのビジネスを対象にその秘訣を解明し、「メカニズム(構造)」として記録するこの連載。第4回目のゲストは、ネットプロテクションズ代表取締役社長の柴田紳氏だ。BNPLサービスの国内トップランナーとして、東証一部(現プライム)上場を成し遂げた。では、そうした事業の創出の裏に、どのようなメカニズムが働いているのだろうか?そのカギとなる言葉が、「馬鹿じゃないの?」かもしれない。何度も飛び出したこの言葉。この記事のキーワードだ。
同氏が経営者として進化してきた波乱万丈のストーリーは、それだけでも連続ドラマになりそうなほど。そんな取材で紡がれたのが「イノベーションを創出する心理的メカニズム」だ.
どちらかといえばビジネスモデルや組織づくりについて読み解いてきたこの連載。だが今回は、経営者という「人」がどのように進化を遂げるのかを追った。
だが、代表柴田氏の細かな物語が解剖されたことはあまりない。実は「あり得ない立場の経営者」でもある。そうした詳細をじっくり読み取っていただきたい……。
- TEXT BY MAAYA OCHIAI
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
「できるわけない」と言われながら後払い決済市場を創出
柴田誰に話しても、「馬鹿じゃないの?」「できるわけないよ」と言われ続けました(笑)。
徳谷それくらいじゃないと、イノベーションと呼ばれるほどの事業にはならない、ということですよね(笑)。
黎明期からBNPL(Buy Now, Pay Later:後払い)でのネットプロテクションズの事業、組織づくりを担い、ユニークな企業を創り上げて上場まで導いた柴田紳氏。「事業づくりも組織づくりも、私の構想は、まわりの誰からも理解されなかった」というエピソードが何度も繰り返し語られたこの対談。
いまだないイノベーションを起こそうとするからには、「理解されない」というのがその重要な要素になるわけなのだろう。この繰り返しについて、時系列で追っていくことで、経営者が進化を遂げながらイノベーションを実現していく過程を読み解いていく。
徳谷存在しなかったBNPL市場の創出、ティール型組織の構築、若手による新規事業の連続立ち上げ、未上場からいきなり東証一部への上場……。外から見ていて、これだけさまざまなことを実現してきた経営者さんは稀だと感じています。その中で、柴田さんにとって印象的な場面って、どのあたりになるんですか?
柴田そうですね、たくさんあるので難しいのですが……。若手という理由で商社ではまともな仕事がさせてもらえず、仕事への飢えと焦りを抱いたまま転職した先のIT関連企業からネットプロテクションズに出向してきた時期、事業が立ち上がってきたけれど組織が崩壊したり、株主さんとの関係性から社長交代になりかけたりした時期、そして組織崩壊を乗り越え、若手の成長支援に本気になった時期、といったあたりでしょうか。
徳谷なるほど、捉え方も独特で面白いですし、どれも濃そうですね(笑)。それぞれの時期を乗り越えて、経営者として成長を遂げてきたというイメージでしょうか?
柴田そうですね。スタイルは時期によってけっこう変わっている部分があります。
徳谷これまで存在していなかったBNPLという市場を創出し、トップランナーになったネットプロテクションズさんのイノベーション実現ヒストリーは、いわば柴田さんの波乱万丈ヒストリーということになりそうですね。
波乱万丈ヒストリーの裏にあるのは、「キツい葛藤こそ、乗り越えていかなければならない」という、経営者が獲得すべきマインドだ。今回の記事で解き明かすのは「心理的なメカニズム」だと言えようか。
ストーリーの構成について、先にまとめておこう。
まず「商社でまともな仕事ができず、飢えと焦りを抱いたままネットプロテクションズに出向してきた時期」。「こんな事業、無理でしょ?」と言われ続けても、そういわれること自体が理解できなかったと当時を笑顔で振り返る柴田氏。この時期に関して、徳谷氏は以下のように読み解いた。
徳谷「知恵は無料」という合言葉を使っていたのが非常に印象的です。数少ない仲間と共に、前例のない事業について誰よりも考え抜く。ものすごくがんばったのに、当然誰も評価してくれない、そんな状況を乗り越え続けてきた。なぜ乗り越えられたのか、それは「仕事や成果に対する飢えや焦りが、強くあったから」なんですね。
そして「事業が立ち上がってきたけれど組織が崩壊したり社長交代になりかけたりした時期」。ここで徳谷氏が指摘したのは、ティール型組織はむしろ必然的に生まれたというメカニズムだ。
徳谷一時流行った「ティール型組織」は、概念を外から持ってきて適用しようとしてもなかなかうまくいかない。ネットプロテクションズさんがうまくいったのは、外から持ってきたわけじゃないからですね。柴田さん自らの原体験に基づき、「社長という冠や、権限という鎧などなくても、信頼を構築できてさえいればマネジメントは成り立ち、組織が良い方向に向かう」と考えて実践していたから。目的意識が違います。
最後に、「組織崩壊を乗り越え、若手の成長支援に本気になった時期」。
徳谷柴田さんが、今や若手メンバーに対して「馬鹿じゃないの?」「こんな事業、無理でしょ?」と感じる立場になったというのは、イノベーションの再現性を語るうえでものすごく重要なお話ですね。昔を思い返し、見守りながら新規事業を生み出してきたし、これからも生み出す素地があると言える。さらなるイノベーションを生み出すメカニズムが、組み込まれています。
さて、以下のやりとりは、取材終了時に交わされたものだ。これを紹介したら、次のセクションから「イノベーションの心理的なメカニズム」を具体的に解明していこう。
柴田最初は本当に死ぬ気でやってきましたし、なんなら「急に斧が落ちてきて死なないかな」と思ったこともあったくらいキツい時期もありました。
徳谷それは……もう、ちょっと怖いですね(苦笑)。
柴田今の若者にそうした働き方を強いるのはもちろん大きく間違ったことです。でも、そういう時期を乗り越えたから今があります。
徳谷柴田さんのような経験をしてきた経営者は、少なくとも日本にはまず、いないでしょう。経験が壮絶すぎます。圧倒されました。
“死ぬほど”の努力を続けた。その理由は「飢えと焦り」
そもそも、少し前までは存在しなかった後払い決済(BNPL)という市場。そんな世界で事業を立ち上げ、グロースさせて、東証一部(現プライム)上場まで成し遂げてきたのが柴田氏だ。
だが実は、同氏は、創業者でもなければ、社長として株を多く保持していたわけでもない。「本来ならあり得ないような立場」で20年、社長を務め、この偉業を成し遂げたのだ。
徳谷事業を立ち上げるところがまずものすごく難しかったと推察しているのですが、当時のことを思い返してお聞きできますか?
柴田ITXというIT関連企業に入社してすぐ出向の命が下り、後払い事業が立ち上がる前のこの会社に来たわけなので、そもそもこの事業や市場に強い関心があったのでは全くないんですよ(笑)。出向元から与えられたミッションが、「後払いの事業を立ち上げよ」というものだったんです。
ただ、知人からは「代金が支払われるわけない。馬鹿じゃないの?」「どうやって利益を得る?無理でしょ?」みたいなことをよく言われました。まあ、そう言いたい気持ちもわかりました。前払いの銀行振り込みか、カード払いが世間に普及し始めたくらいの時代です。「本当に商品が送られてくるのだろうか」あるいは「本当に支払いをしてくれるのだろうか」という想像をしてしまうのが普通といえば普通。
でもカタログ通販という世界では、すでに成立していた仕組みだったんです。だからニーズはあるし、ロジックとしては成り立つと考え、取りかかりました。
徳谷手数料でマネタイズするわけですよね。商品発送と支払いが確実に行われるためのオペレーションコストがそれなりにかかるでしょうから、利用規模が不可欠になるモデルですね。黒字化には時間を要しそうです。
柴田おっしゃる通りで、決済件数が大きく積みあがっていかないと、利益を出せない。それももちろん、目に見えていました。当初想定される取り扱い件数とオペレーションに必要な人数を見ると、どう考えても赤字がしばらく続く。
自分の仮説は信じていましたが、それでも「表面の構築はできても、事業としては結局立ち上がらないんじゃないのか?」と、常に恐怖におびえていました。ただ、「死ぬまでやるんだ」と決めたので、その通りに週7日勤務でやっていたのですが(笑)。
徳谷事業の立ち上がりを否定するようなまわりの人たちに対して、どのような想いを持っていたんですか?
柴田自分自身は、信じられる仮説を持っていたので、「いやいやいや、わかってないな。やればできるんだよ」と思っていました。そして、死ぬまで続けるというか、できるまで続けるというか、そんな日々でしたね。
読者も当然、一つの疑問が湧くだろう。「なぜ単なる出向で、そこまで厳しい環境の中で頑張り続けられたのかと。すると、意外にもシンプルな答えが返ってきた。
徳谷創業者でもないその立場で続けてこられていたのが正直不思議な感じがしています。どうして「死ぬまでやる」だなんて考え続けられたんですか?
柴田ITXの前に所属していた新卒入社先の日商岩井(現・双日)で、最初の3年間、ほとんどまともに仕事をもらえなかったんです。それで、仕事や成果への飢えや焦りといった想いが積み重なっていました。
そんな時に、出向して社長としてすべてを動かすことができるチャンスが来た。とにかくうれしくて、正直に言えば「死ぬ気でやって無理だったのならしょうがないと思えるくらいにやり切ろう」と言う感覚でした。
徳谷「死ぬ気で」とか「死ぬほど」とか、そんな表現がめちゃくちゃ多く出てきていますね(苦笑)。
柴田当時はそれくらい本気だったということで、思い返すと、こういう表現がつい出てしまいます(笑)。
アライアンスもマーケティングもセールスもオペレーションもほぼすべて自分で回していて、当時の記憶は薄いですね。3年くらい、ずっとノイローゼ状態にあったように思います。
夜寝るときに勝手に涙が出てきたこともありました。
徳谷そこまでですか(苦笑)。でも逆に言うと、世にないようなものを作ろうと思ったら、こういうタイミングを乗り越えないとできないというのはあるのかもしれないですね。
徳谷氏が確認していくのは、柴田氏が「死ぬまでやるしかない」と口にしたその言葉に、どれだけの想いが乗っているのか、という点だ。
徳谷数多くの経営者さんに対峙していますが、よく言われる「できるまでやり続けよう」というのを、このレベルで実践している人はほとんどいないと思います。まず、そうした環境に柴田さんが身を置いて、その中で「飢えや焦り」を原動力にしてもがき続けたというのが一つのメカニズムでしょうか。柴田さんがおっしゃったように、誰もがこうすべきかと言えば、そんなことは全くありませんが、今までにないイノベーションを起こすために、これだけのハードワークというか粘り強さが大きな要素になることは間違いない。
そんなハードワークで何を乗り越えたのか。それは「前例」という大きな壁です。「馬鹿じゃないの?」と多くの人に言わせたのが、「前例がなかったこと」ですよね。でも柴田さんは「全く同じ前例はないけれど、似た事業は存在していた。ニーズもある。だから、やればできる」と、誰よりも本気で考え抜いた。他の人ができないことをやれるまでやった。これが「ハードワーク」の本質ですよね。
CTOと二人だけで事業を立ち上げる、合言葉「知恵は無料」で、ROIを突き詰める
ハードワークの中で柴田氏を支えた合言葉がある。それが「知恵は無料」だ。
前提として、長い間未上場企業だったネットプロテクションズは創業期から約20年もの間、エクイティファイナンスといった次なる成長投資のための資金調達を大々的には行っていない。すべての期間を投資ファンドや上場企業の傘下として過ごしたためだ。
そのため大規模なリソース投下ができず、一気にシステムを強化したり、オペレーションにかける人数を増やしたりすることができない環境にあった。
だから、常に「最大のROI」を出す必要があった。
柴田「最少のコストで、最大のリターンを」とよく言いますが、そんなの当たり前です。制約だらけの中では、極限まで考え抜いて、百発百中で機能開発を進めなければならないんだから。「知恵は無料」というのが、当時の僕とCTOの合言葉になっていました。
CTOの鈴木と、実質2人だけで事業を創り上げていたようなものでしたからね。
徳谷2人でやっていたのは何年くらいですか?
柴田6~7年くらいですね。
徳谷その間、手元のリソースを最大限に有効活用することだけを考えて、事業に打ち込んできたわけですね。
お金も人もない、厳しい制約の中で知恵を絞って突破してきた。誤解を恐れずに言えば、近年のスタートアップにはないパワフルさを持っていると言えそうです。
ここ数年はエクイティファイナンスがしやすいとも言われており、企業が数億〜数十億円の資金を創業数年で調達するケースも珍しくない。そうしたリソースがあると、知恵を絞りきることよりも、「リソースがあるからこそできること」ばかりをやろうと考えがちになってしまいます。
柴田そうですね、そういう経営者は「知恵は無料」という言葉の重みが理解できないかもしれない(笑)。
徳谷はい、そう思います(笑)。この最初の6〜7年が、今のネットプロテクションズの強い礎になっているということなんでしょうね。
立ち上げ期の苦労したエピソードが出てくるたび、徳谷氏は「いくら仕事に飢えていたとはいえ、ここまでやり切れているのは異常なこと」と驚く。そんなエピソードが、実はまだまだ登場する。
ネットプロテクションズ出向後、最初の5年ほどは、飲みの誘いもすべて断り、時間があれば仕事に充てた。
柴田CTOは、僕が本気で誘って口説いて入ってもらったわけですし、他にも何人か親会社から助けてくれた人たちがいました。お客様も一定数いた。だからできることはすべてやるのが当たり前。
つらいからといって全部投げ出してやめるような人間は、次に同じような場面に出会ったときもきっとまた逃げるだろうと。なんだか武士っぽいですけど、ここは逃げちゃいかんと固く思い続けていましたね。
「焦り」や「飢え」で始まり、事業が立ち上がるに連れて「感謝」や「義理」の割合も増えてきた。ここで一つ、心理的なメカニズムの変化ポイントが見えた。
徳谷柴田さんは経営者としてどんどん変化・進化してきた、そんな様子が目に浮かびます。「飢えや焦りから、死ぬまでやる」という立ち上げ初期フェーズ、事業が形になり始めた頃には、「まだ少ないながらも応援や手伝いをしてくれた人たちへの義理と感謝が原動力になる」という立ち上げ後期フェーズ。「事業家」として間違いなく力強くなっていますよね。
ただしこの段階ではまだ「事業家」という感じです。ここから、組織論やマネジメント論の色合いが増していき、真に「経営者」となっていく。今回解明するメカニズムの中ではまだ序盤ですね。
社長の立場、剥奪の危機。そこで至った「権限」や「役職」の不要論と、ティール型組織の基礎
このように、立ち上げ期だけでもおなか一杯になるほどの壮絶なエピソードがたくさんあるのだが、柴田氏の“ぶっちゃけ話”はまだ止まらない。次に出てきたのは、組織が数十人規模になり、株主が移り変わるフェーズにおける逸話だ。
柴田これだけ死ぬ気で私が立ち上げてきたのに、という言い方は冗談含みですが……ある時期、株主さんの中で「社長を代える」という案が出たことがあったんです。
もちろん、私が直接聞いたわけではありません。他の経営陣にそういう話の共有があったことを聞きました。どうしたもんかな?と思っていたら、あれよあれよというまに、社長の権限は他の取締役に移されていました。
徳谷「死ぬ気」で立ち上げてきたのに、ですよね。大ピンチじゃないですか。かなり焦ったでしょう。
柴田最初は焦りましたが、別に身のまわりは特に何も変わらなかったんです。社内のメンバーは、何かと私のところに相談に来ていました。それ以前と何も変わることなく。
この時に感じたんです。社長という冠や、権限という鎧みたいなものなんてなくても、マネジメントはできるのだと。
徳谷なるほど、これは深い。立場や権限よりも、信頼こそがマネジメントには必要だというわけですね。
数あるピンチの中でも、柴田氏にとって特に大きな転換点になったのが、このエピソードだ。「経営権の剥奪」という危機にあっても、柴田氏はジタバタすることなく、自然体を貫いた。このことが状況を好転させつつ、「権限が大事なのではない」という非常に重要な気付きを得ることにまで繋がった。
柴田結局社長交代の理由は、株主の意向に沿った経営をしなかったという側面があったのだと思います。一方で、事業と組織に向き合ってきたので、「もし柴田さんがやめれば私たちもやめます」と、結果として多くのメンバーが私を支持してくれて、社長職は留任になりました。その後の組織づくりにも活きる学びが得られました。
これ以降、役職をほとんどなくした組織構造に作り変えました。リーダーなんていうものは勝手に生まれていく。社長というのも役割の一つでしかないという考えです。
徳谷ティール型組織の構造って、こうして生まれたんですね。
柴田はい。役職名などなくてもそういう振る舞いをしていたり、そういう信頼があったりする人のところには、必要な相談が集まるはずですから、それでいいんです。
そんな考えから自分たちのやっていることが、どうやら世間ではティール型組織と呼ばれているらしいと後に知りました。それ以来、この名称を使わせてもらっています。
徳谷ティール型組織を取り入れようと思ってもなかなかうまくいかないのが普通です。ネットプロテクションズさんではなぜうまくいったのか、気になっている人は多くいると思うのですが、要するに「取り入れようとした」のではなかったということですね。
徳谷氏がここで指摘したのも、「イノベーションの心理的なメカニズム」における変化ポイントだ。それも組織に抜本的な変化をもたらすほどの気づきを得て、実行に移したという点で、明らかに「経営者としてまた一段脱皮した」とも言えるエピソードだろう。
徳谷過酷な時期を乗り越え、内部から自然と生まれ、危機があっても自然と実践してこれたから、ちゃんと根付いて今も続いている。これが「ティール型組織」誕生の物語なんですね。これは他社では真似できません。そこだけ切り取ると、メカニズムが再現不能です(笑)。
でも、柴田さんも経営者として、このタイミングでスタンスがかなり変わったというか、大きく進化していますよね。
以前は「死ぬまでやる」という姿勢で、他のメンバーもそのように働いて成果を出していた、いわばトップダウン寄りの強い経営者だったと思います。ところがこのタイミングでボトムアップ寄りになり、個人の特性を踏まえた育成を考えるようになったんですね。
社長として事業のすべてを担い、知見も経験も圧倒的に保持していた立ち上げ期。それから時が流れ、メンバーが増える中、限界を迎える可能性にいち早く気が付き、組織を刷新した。
経営者としてのマインドは、企業の成長と共に進化していく必要がある。そのきっかけは、企業や事業によってさまざまなはず。特に柴田氏が経験したこの逸話は、著しく稀有なものであろう。だが、進化の方向性としては一つの理想だとも言えるだろう。
経営者として安定する中でも、イノベーションを起こす!「馬鹿じゃないの?」を、臆せず伝えよ
徳谷ご自身で力強く事業を立ち上げ、ティール型組織の構造によって組織も人も成長していく。企業成長のための要素が出そろったように感じます、ここから順調に伸びていったということになるんですか?
柴田そんなことはありません(笑)。まだいろいろありますが……大きかったのは組織崩壊ですね。ティール型組織になるときに、社員の半数以上がやめていったんです。
徳谷これまた壮絶な(笑)。
柴田やめていったメンバーからは、ティール型への転換について「馬鹿じゃないの?」と言われました。私の仮説がぜんぜん理解されなかった2回目のエピソードですね(笑)。
でもこのとき、会社の創業以来初めて合宿を行い、全メンバーで今後についてじっくり議論したんです。本音で話し合うことができました。
といっても、合宿前に約半数がやめて、合宿後にもさらに約半数がやめていったのですが……。ただ、やめなかったメンバーは、今でもコアメンバーです。そしてこの時に定めたビジョンやバリューが、今の組織においても重要な存在になっています。
なるほど、確かに合宿は有用な施策である……という点ではなく、徳谷氏に響いたのは柴田氏の経営者マインドのさらなる進化だ。
徳谷仕事をそれなりに中断しての合宿ですから、「知恵は無料」と言ってROIを徹底追及していた頃にはあり得ない施策ですよね。相互に対話し、ビジョンとバリューを浸透させ、メンバーに任せていく。柴田さんの大きな変化を改めて感じます。
柴田この頃にはもうすっかり、「若手メンバーの成長こそがうれしい」というスタンスに変わりましたね。以前はあり得なかった考え方です(笑)。
そんな現在、柴田氏が意識しているのは若手メンバー発の新たなイノベーションだ。印象的なのはむしろ柴田氏が「馬鹿じゃないの?」「無理でしょ?」と感じる側の立場となっていることだ。
柴田若手メンバーが相談に持ってくる事業アイデアに対して、「馬鹿じゃないの?」とか「無理でしょ?」とか感じるんです。昔は自分がそのように言われる側の立場で、ものすごく腹が立っていたのに(笑)。
でも敢えて、言葉は慎重に選びつつも「馬鹿じゃないの?」みたいなことは伝えるようにしています。そう言われて諦めるのならそれまでというだけ。逆に、「馬鹿じゃないの?」と言われても歯を食いしばってやり切ろうとすることを期待したいんです。前例のないことを実現するためには必要だと、私自身が骨身に染みて知っています。
徳谷素敵ですね。印象的なエピソードの連続の中で、経営者としての変化/進化が一つの理想形として構造化できるように感じました。
徳谷氏がこの連載で追ってきた「イノベーションの構造(メカニズム)」。それを構成する要素は様々あり、その中でも「心理面」に特化したストーリー仕立ての「構造」が見えたのが、柴田氏の事例というわけだ。
徳谷はじめは、ご自身が圧倒的に一番のプレイヤーだった。その延長線上で、トップダウン寄りのマネジメントで事業をグロースさせる。組織が大きくなり、トップダウンのマネジメントが限界を迎え始めた頃、経営権剥奪の危機を乗り越える中で、ビジョンとバリューを再定義し、ボトムアップ寄りのマネジメントスタイルを獲得した。そして最近は、昔のご自身を彷彿とさせるような若者に対して、「馬鹿じゃないの?」と敢えて伝える。 ネットプロテクションズさんがBNPLのトップランナーであり続けているのは、柴田さんが経営者として理想的な進化を遂げてきたからだと言えそうです。その軌跡を「イノベーションを実現するための、経営者の心理的なメカニズム」として、今回はまとめたいと思います。
終始、柴田氏のエピソードトークに圧倒された取材陣。そんなやり取りの中で徳谷氏が見出したのが、「イノベーションの心理的なメカニズム」だ。もちろん、BNPL事業を成り立たせた事業上のメカニズムも存在はすることだろう。だがそれ以上に、この事例では「人」の要素が強い。
柴田氏の人並外れた経験と突き詰めた事業論、そして、経営者としての成長。“属人的なイノベーション”にも見えそうなこうした事例から、メカニズムを可視化する挑戦も、もっと増えていくべきなのではないかと感じさせられた。まさに、現代の最前線で生きる若きスタートアップパーソンたちにこそ読んでもらいたい、そんな内容だ。
こちらの記事は2022年12月01日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
落合 真彩
写真
藤田 慎一郎
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