ブロックチェーンで運営される国、エストニア
起業家を惹きつける「未来型国家」の設計思想とは?
次なるシリコンバレーを目指し欧州で加熱する起業家誘致合戦。
並み居る大都市の中で一際存在感を放つのは、人口たった130万人の小国、エストニアだ。
国民一人あたりのスタートアップ数が欧州最多で、「最も起業家精神が旺盛な国」として知られる同国の原動力は、電子政府による未来型の国家運営にあった。
激動の欧州スタートアップシーンにおけるキープレイヤーの秘密に、オランダを拠点にするLivit代表の岡が迫った。
- TEXT BY NORIYUKI OKA
「外国人起業家の奪い合い」が欧州で起こっている
筆者が暮らすオランダではアムステルダムが、隣国ドイツではベルリンが、フランスではパリが、それぞれ「スタートアップシティー」を謳い、起業家を呼び込もうとしている。その他の国でも各政府が規制緩和を進めており、欧州では今、「外国人起業家の誘致合戦」が加熱中だ。
背景には起業家にとっての聖地(メッカ)、アメリカ・シリコンバレーへの進出の障壁が人件費やリビングコストの高騰で高まっていること。また、各国政府が起業家に対して、ローカル人材の雇用創出と、事業の海外展開による自国経済への貢献を期待していることが挙げられる。
シリコンバレーが証明するように、優れたスタートアップは良質な人的ネットワークがダイバーシティーを許容するオープンな文化に支えられ、化学反応を起こすことで生まれる。そんな「オルタナティブ・シリコンバレー」を各国・都市が目指し、場作りを進めているというわけだ。
一人当たりスタートアップの数が最多の「エストニア」
そんな「奪い合い」とも言える誘致合戦が繰り広げられる欧州で、世界経済フォーラムに「最も起業家精神が旺盛な国」として今年選出され、起業家を増やしているのが「エストニア」である。グローバルビジネスを志向する起業家なら、どこかでその名を聞いたことがあるかもしれない。
そもそもエストニアがどこにあるか、ご存知だろうか。北欧に位置するバルト三国の一国で、人口はたったの「130万人」。しかしあの「Skype」を生んだ国であり、国民一人当たりスタートアップの数は欧州で最多。また、世界で最も政府の電子化が進んだ「未来型国家」なのである。
筆者は5月、同国最大のテックカンファレンス「Latitude59」を取材すべく、首都タリンを訪れた。そこで感じたのは、国そのものが「インターネット・ベース」のマインドセットで設計されており、そのことが起業家を惹きつける「カルチャー」を生み出しているということだった──。
国そのものが「ブロックチェーン・スタートアップ」
エストニアが「未来型国家」と形容される最たる所以、それは「電子政府」だ。すべての行政サービスのうち、99%がインターネットで完結する。残りの1%、つまり紙での手続きが必要なのは、「結婚、離婚、不動産の売却」のみ。その他は電子IDと電子サインで済ませられる。
これほどまでに「ノー・レガシー」「デジタル・バイ・デフォルト」を徹底できているのは、この国そのものが「デジタル・ネイティブ」だからだ。エストニアが旧ソビエト連邦から独立したのは1991年のこと。そのときすでに、この世にはインターネットが存在していたのだ。
この国のリーダーたちは、インターネット・ベースの思考で国の設計図を描き、それを「電子ID」「X-ROAD(連携基盤)」、そして「ブロックチェーン」の3つのテクノロジーを駆使し、しかも、必要な法整備の前にまずはトライというスタートアップらしいアプローチで実現してきた。
外国人にとっては近未来、効率化・透明化された市民の日常
旅券、投票、会社登記、公共交通、その他銀行、医療、保険など民間も含めると、なんと2000以上のサービスが電子化済み。900以上の機関とデータベースがX-ROADで接続され、国民のIDがセキュリティーが高度に担保された上で共有されているからこそなし得る技だ。
電子政府は2つのポリシーに則って設計されている、「利便性」と「透明性」だ。
利便性では、例えば「ワンス・オンリー」という考え方があり、管轄の異なる複数の行政機関に同じ情報を何度も提出しなければいけない面倒な手続きを市民がしなくてすむようにするもの。無駄に感じられるやりとりが発生せず、市民は生活の効率が向上していることを日々実感できる。
透明性とはつまり、自分の情報がどのように利用されているかが、市民やビジネスオーナーなどデータを提供する側から見えるということ。エストニアでは「個人情報のオーナーは個々の市民である」ことが強調されている。
自分のデータに公的機関、企業、医療機関などがアクセスした場合、その履歴をいつでも閲覧でき、アクセスの理由に不信感を持った場合は、管轄機関に調査依頼ができる。このことがデータ管理への安心感をもたらしている。
この「透明性」の点で、日本のマイナンバーなどには改善の余地がある。政府や企業による個人情報の利用状況が市民の側からは見えにくく、警察に勝手に閲覧されているのではないかと疑いを持たれやすいため反発も強かったように思う。エストニアはこのあたり配慮がなされている印象を受けた。
結果、電子化された行政サービスは市民に多く利用され、ITインフラの構築運営にかかる行政運営コストの大幅な圧縮につながっている。毎月パリのエッフェル塔と同じ高さ、300メートル分の紙の書類が削減され、コストはイギリスの0.3%、隣国フィンランドの3%にすぎない。
外国人を「電子居住者」として誘致、1400社が新たに起業
これほどまでに先進的なエストニアの電子サービスだが、実は日本人も今すぐ体験できる。外国人の電子居住者を受け入れる「e-レジデント」制度があるためだ。この制度を開始したことが、エストニアが外国人起業家からの注目を集めるきっかけとなった。
市民ではないため、電子投票などはできない。しかし、この制度を活用すればエストニアを「一度も」訪れずとも、会社設立、銀行のビジネス口座開設、納税申告などが行える。場所にとらわれず働ける「ロケーション・インディペンデント」な人にとって、有効な起業の手段となりうるのだ。
実際、世界135カ国以上から、2万人以上が電子居住者として登録。1400社以上の企業が新規設立された。会社設立費用が190ユーロ、法人・個人所得税率が一律20%と低く抑えられていることもこれを後押し。日本からも、「安倍首相」を含む400名以上が電子居住者として登録済みだ。
税理士・会計士に「失業」リスク、それでも止まらない進化
他国を圧倒するほどに高度化された電子政府のサービスだが、今後さらに進化すべくいくつかの計画が進んでいる。そのうちの一つが、2018年に運用開始が予定されている「Reporting 3.0」だ。実はこの計画、「危険な」アイデアでもある。
Reporting 3.0は、企業の税務申告をなくしていこうとするサービス。例えば、小規模な企業についてはビジネス口座のバンク・ステートメントに基づき、納税額を自動で計算、申告も済ませてくれる。つまり、従来は税理士・会計士が担っていた仕事の一部を機械に置き換えようとしているのだ。
しかし、エストニアの政府はそれを厭わない。もしある職種の仕事が機械に奪われたのなら、その人材は新たに専門性を培い、より高付加価値型の仕事に移行すればよいと考えているからだ。こうした合理的かつテクノロジーに対して寛容な「カルチャー」も外国人起業家を惹きつけている。
国家=領土ではなく「データ」というエストニアの設計思想
エストニアがここまで政府の電子化を推し進める背景には、先述の「デジタル・ネイティブ」であることに加え、地政学と侵略の歴史がある。エストニアは過去に2度、旧ソ連に支配されてきた。そして今もなお、大国ロシアと隣接している。
当然、政府はそうなることは望んでいないが、「またいつ、どの国に侵略されるか分からない」というリスクを感じている。しかし、たとえ侵略されて「領土」がなくなったとしても、国民の「データ」さえあれば、国は作り直すことができる。テクノロジーを駆使しているのは、そのためだ。
事実、在エストニアの「ルクセンブルク大使館」にも、分散された国民に関するデータが保管されている。「他国に国民のデータを預ける」のは日本人の感覚としては理解しがたいが、エストニアは国家を守り続ける必要にせまられ、「ブロックチェーン」など技術を活用しているのだ。
これからの時代、起業家に選ばれる国の条件は「透明性」
エストニアは、国そのものが「ブロックチェーン・スタートアップのようだ」と述べた意味がお分かりいただけただろうか。電子化された行政サービスのみならず、場所にとらわれずに生きる「世界市民」の暮らしぶりに関心のある起業家には、ぜひ自分の目で現地で確かめてきていただきたい。
最後に、エストニア政府で働く、e-レジデント制度の担当者に直接聞いた話をご紹介したい。先述の通り、欧州では今、外国人起業家の奪い合いが起こっているが、今後もエストニアが起業家に選ばれる国であり続けるための指針について尋ねた。
彼いわく、今後「ロケーション・インディペンデント」な人が、自分が住む国を選ぶ際の重要な基準の一つは、「透明性」だという。国民のデータや納める税金が安全かつ有効に活用され、それが自分たちの暮らしを豊かにしていることが「見える」ということ。
透明性の上に起業家と政府との間で信頼が生まれてはじめて、ともに国をより良くしていこうとする関係が始まる。日本はどうだろうか、必要なテクノロジーは十分に活用されているだろうか。世界を今後リードしていくのは、人口たった130万人のこの小国かもしれない──。
こちらの記事は2017年06月27日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
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慶應義塾大学を卒業し、2011年に独立。主にビジネス・テクノロジー・マーケティングの分野で記事コンテンツの企画制作に携わる。2013年にシンガポール、2015年にオランダへと移住。現在はアムステルダムを拠点に、世界各都市をめぐりながら編集プロダクション Livit を運営、企業のオウンドメディア運営にも携わる。これまで『NewsPicks』など30以上の有力媒体で多数連載を担当。
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