INTERVIEW
荻原 国啓
18-02-23-Fri

21歳の学生起業家が、
日本未開拓市場でNo.1企業を創るまで

TEXT BY REIKO MATSUMOTO
連載 Ideal Entrepreneur ──成功する起業家の要諦
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Research(研究) And Practice(実践)の略称を社名に持つREAPRAが、
0→1フェーズを何度も経験している人にインタビューし、
成功に必要なスキルセットやノウハウを徹底研究する本企画。

第1回の今回は、社員と組織の生産性向上をサポートするEAP(従業員支援プログラム)を
日本企業に初めて導入したピースマインド・イープ株式会社創業者であり、
現在はゼロトゥワン株式会社の代表取締役社長を務める荻原国啓氏に話を伺った。

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学生時代から事業創造に明け暮れる

荻原さんは、学生時代から起業家になりたいという想いがあったのですか?

そうですね。物心ついたころには自分で事業を創り出すことに漠然と憧れを抱いてましたね。大学に入学した時点で、卒業するまでに自分のライフワークになるものを見付けて事業を立ち上げたいと想っていて。大学2年生くらいまではいろんなことにチャレンジしました。

大学に行く傍ら、人材紹介ビジネスを立ち上げたり先輩ベンチャーの新規事業開発を手伝ったり、ウェブサービス立ち上げたり、時には音楽イベントを開催したり。今考えると自分に何ができるのかもわからず、何者なのかもわからず、色々とブレてましたね。

当時はちょうど山一證券や長銀が破綻したりアジア通貨危機が起きたころで、就職氷河期にも突入して世の中が本格的に不景気になり始めていた。

だけど日本は自分が子供のころから世界第2位の経済大国だとずっと誇らしげに言われていて、その中で自分も小中高と進学校に行き、大学もその延長線上にある大学に入った。その後はなるべく大手の有名企業に就職するのが王道ルート、と相場が決まっていた。

だけど、はたと自分を俯瞰すると、そういったルートを歩みつつあること自体がすごく気持ち悪かった。このままだと就職も学校選びと同じで、「拠り所となる看板」を見付けてそれにすがって生きていくことになるなと思ったんです。

実際、大学3年生になると、大半の学生は大きな看板=大企業を見付けてそこに向かって歩き始めたけど僕はそんな人生は絶対イヤだったし、当時の日本を襲った不景気の影も影響して、強烈に閉塞感を感じていました。

当時、周りにはそういうタイプは少なかったので、「就職しないの?」と訊かれることはたくさんありました。でも両親は、随分心配したはずですけど、そんな僕を力づくで止めようとはしなかった。

父は商社マンで母はプロのイラストレーターという家庭に育ったんですけど、小さいころから「こうしなさい」「これを目指しなさい」と言われたことは記憶にない。今思えば、自分がいろんな教育を受けることができたのも両親のおかげ。

小さいころから恩恵に預かっていたわけだけど、その苦労を理解できるほど成熟していなかったから、両親が期待していそうなレールとは別の形で生きたいと思っていたところはあるのかもしれません。

あと、自分が双子として生まれてきたことも大きかった。たった2分違いの兄貴と2人兄弟。物心ついた時から一歩外に出ると「瓜二つ」「そっくり」と見られるし(笑)、不公平な差を感じさせないように小さい頃は同じ洋服、同じオモチャを与えられて育った。

それでも当然、双子もそれぞれ考え方や個性があるので、逆に2人とも「人とは違うこと」「ずれてること」「ユニークなこと」「自分のアイデンティティ」にとても敏感で大事だと思うようになったと思いますね。そんな価値観を兄弟で切磋琢磨して育まれたので、結果、起業も二人でしました。

それから実際にお金も経験もゼロ状態のまま大学時代から兄弟でいろんなことにチャレンジするようになりました。最初は本当に学生ベンチャーなんて言えるレベルにない学生双子ニートですね。(笑)

ピースマインドを立ち上げるに当たって誰からも経営について教わったわけでもないけど、いわゆるマーケティングとかプロダクト開発とか賛同者集めとか営業とか、事業立ち上げに必要なことを走りながら傷を負いながら学習してどんどんやっていっていきました。

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「0→1」で「社会の矛盾解決」がテーマ

「ライフワークになるもの」はどんなふうにして見付けていったのですか?

子どものころから事業を創り出したいという想いがあったので、大学では単純に役立ちそうな経済学部に進んだんですけど、経済のことを知れば知るほど、日本は閉塞感が強くて天井を迎えていることを感じずにはいられなかった。

自分たちの親の世代は、今日より明日、明日よりあさってが経済的に豊かになるよう仕事しましょうってふうにやってきた時代だったけど、自分の世代ではそれができない。しかも当時国内の年間自殺者数が初めて3万人を超えてしまい、「経済的に豊かになればなるほど人が病んでいる」ことに大きな矛盾を感じた。

それでまずは、自分の大テーマとして「社会の矛盾解決」を掲げました。同時に、自分が社会的によい影響を与える存在となるためには、世の中がこれまでどんなふうに流れてきて、近代社会が作られていったのかを俯瞰して、理想の未来を創れる人になることが必要だと思った。

思い返せば小さいころから教科書を読むよりも偉人伝を読んだり歴史のマンガに没頭したりで、社会の変化や物事の趨勢などを大局的に捉えたりすることが大好きでした。

今では誰もが当たり前に使っているものも、誰かが発明したからこそこの世に存在している。ライト兄弟がいなかったら飛行機社会が存在しなかったかもしれない。

そういう想像をするだけでもワクワクする人間だったから、無意識のうちに0→1が素晴らしいと思っていて、自分でもそれを目指したんだと思いますね。

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日本文化の壁を越え、米国の良いモノを持ち込む

ピースマインド・イープの事業を思いついたきっかけはなんだったのでしょうか?

大学2-3年の時は学生ベンチャーらしいことをやりながらも実際は思うようににマネタイズできていなくて、好奇心と自信と焦りと不安がごちゃ交ぜになったようなおかしなエネルギーに突き動かされてました。

そんな時、TAK佐藤さんというプロスポーツ選手のエージェントと出会えたことが創業の大きなヒントとご縁になりました。

彼は当時、単身アメリカに渡ってドジャースの野茂英雄さんなどのエージェントをやっていたんですけど、僕の訳のわからないフットワークの軽さと行動力を見初めてくれてディスカッションパートナーみたいな関係になっていったんです。

いろんなテーマで話している中で、あるとき彼が、ドジャースに同じ年に入団した2人のピッチャーの話をしてくれた。その2人は身長も投球スピードもほぼ同じ。160キロくらいの球をびゅんびゅん投げるそうなんです。

ひとりは才能通り1年目からメジャーのローテーションピッチャーやって2年目からエースになったんだけど、もうひとりは才能はあるのにエージェントの世界では鳴かず飛ばずのマイナーリーグの選手だった。

「その2人の違いはなんなんですか?」って訊いたら、彼の答えは「メンタルの差だよ」だった。前者の選手は、体力的に大変なことだけでなく、アウェーでブーイングうけたりバッシングされたりの激しいストレスにさらされることもある中、最大限のパフォーマンスを発揮するために心理カウンセラーを付けていた。

一方でもうひとりの選手は精神的にとても不安定で、試合前にコーチとケンカしたり観客のヤジにカッとなって失敗したりもしょっちゅう。それをきいたとき、はっとしたんです。

日本には、カウンセラーが大事だなんて概念自体なくて、高校球児からしごかれて野球選手になっていくじゃないですか。一方でアメリカは、筋トレばっかしているかと思ったら全然そんなことはなく合理的なトレーニングを取り入れている。大学生の自分にとってすごく衝撃的な事実でした。話を聴いた瞬間、じゃあそういうことを解決する事業をやりたい!とワクワクしました。

カウンセラー的なサポートって、野球選手だけじゃなく、一般の社会人にも、子どもにも大学生にも必要だと思ったんですね。

でも日本って凄く恥の文化があるから、精神的なケア、サポートを受けることに大きな抵抗感がある。実際自分もそう。でも、これが「見えないレッテル」なんだなと思って、それを変えたらもっといい社会になるし、社会の閉塞感をなくすことに近づけると確信したんです。

それで、翌週にはピースマインドっていう社名を決めてすぐに動きだしました。まずは、インターネットを通していろんな人の悩みを解決したいと考えたんです。

でも、当時はまだスマホもないし電子決済も整っていない時代。要するに、個人に課金すること自体が難しかった。だから最初は無料でスタートしました。日本中のカウンセリングの専門家に頭をさげて口説いて、協力してくれる人を数十人集めると同時に、日本で初めて1対1のオンラインカウンセリングを提供するサービスをローンチさせたんです。

はじめてみると結構ユーザーが集まってみんないろんな相談をしてくれて、そのとき初めてマネタイズについて考え始めました。個人からお金をとるのは難しいけど、この仕組みを通じて、企業で働く人とその家族にリーチさせればいいんじゃないかと考えていた矢先、アメリカにはフォーチュン500の企業のうちの約9割が導入しているEAP(従業員支援プログラム)というものがあると知って衝撃を受け、ぜひとも日本でもITを活用してそれを広めたいと思ったんです。

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走りながら掴み取った大手企業との提携

すぐに事業は軌道に乗りましたか?社会性はあるけど儲からない、といったジレンマに陥ってしまいそうです。

知名度がない会社に導入されても社会的に見向きもされないと思ったから大企業を狙ったんですけど、最初は大変でした。

営業に行ったらまず「(若そうだけど)お前は何歳だ?」っていう屈辱的な質問から商談がスタートするわけですよ。自分にまるで信用がないから営業が厳しいし、お金がないから開発費もかけられない。インターン生が構築したパッチワークみたいなシステムを無理やり大企業に売ろうとして、同時に専門家の開拓も進めていった。いま考えると恐ろしい(笑)

そのうちお金も尽きてくるんだけど、今のようにベンチャーキャピタルもほとんどないし銀行もお金を貸してくれないから、個人投資家の方々から計3,000万程度をなんとか調達してそれを全部開発費に注ぎ込みました。

でもその時点でまだ売り上げがないから、なんとか自分たちのサービスを売り込まないといけない。そこで自分たちでプレスリリースを出すなどして発信するうち、メディアのいくつかに取り上げられるようになって、その記事を会社概要替わりの信用材料にして営業して、の繰り返しでした。

色々と悔しい想いもしたものの、いくつかの大企業との業務提携が事業成長のきっかけになりました。

一例ですが、JR東日本グループさんに創業間もなくご縁をいただき、当時開業予定だったホテルメッツの新規事業を提案させていただく機会をいただけました。

そこで考え出したのが、ネットで相談できるだけじゃなくてホテル内に日本初のカウンセリングルームを設置するというネットとリアルの融合させるアイディア。

「これからのホテルはただ宿泊するだけのものじゃなく、美容と健康のコンテンツを兼ね備えたコンテンツが必要です。JRさんが日本で初めてメンタルサポートもできるホテルをオープンするのはどうですか?僕たちはそれができます」っていう提案したらこれが通って。渋谷駅直結のホテルにカウンセリングルームを作ってもらったんです。それが2001年くらい。

よくわからない学生ベンチャーがJRさんと提携できたことがきっかけで三菱地所さんからお声がけいただき、丸の内仲通りのビルに丸の内店をオープンできたし、それを見た松坂屋さんからも声が掛かって百貨店にも日本で初めてカウンセリングルームができた。

さらに東急百貨店にも店舗を出すことができて、ピースマインドのブランドをネットとリアルでネットワーク化していくことに成功しました。こういった大企業とのこれまでにない業務提携がピースマインドの信用力にもつながって、大企業向けの支援プログラムを先駆けて拡販させていくことができました。

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ユニークな課題に向き合ったから協力を得られた

ご自身が成功した理由や経営者としての強みについてはどうお考えですか?

怖さや既成概念を知らないから色んなことにチャレンジできたっていうのはあると思います。僕はものすごい緻密な戦略家というよりも、直感的に人々が喜びそうなことを純粋想起して、いくつも実際に試して失敗しながら学んで最適化していく行動が先行するタイプ。

それに、もともと歴史が大好きなこともあって大局観を重視しますが、経営者になってよりそのスキルが磨かれたと思います。

それに、21歳くらいから事業を始めていたから、マネジメント対象もステークホルダーもみんな年上ばかりで、そういう先輩方に協力してもらうことができたのは大きいですね。解決したかった課題や、目指していたビジョンがおもしろいから協力してもらえたっていうのはあると思います。

たとえばJRさんの件にしても、ピースマインドと話をする前から著名な大企業と事業化を検討したものの話が進まなかったそうです。そこに若い兄弟がフットワーク軽く提案してきて、何度もボコボコにされてもめげることなく圧倒的なスピードで提案を続けたから、この会社とやってみようと経営陣が思ってくれたと聞きました。

起業当時に関わってくれた他のあらゆる人も、その当時のピースマインドや僕の実力というより、僕達の期待値を買ってくれていました。

周囲からの期待値が高くなりすぎて焦ってうまくいかない、といったことはなかったのでしょうか?

期待されているからこそのプレッシャーはもちろんありました。ビジョンと実績の両立の苦しみですね。

特にベンチャーキャピタルから出資を受けてからは毎月取締役会を開いて売上利益のKPIを一緒にモニターするという状態が続きました。でも、確かにKPIを達成することは大事だけど、それがすべてじゃない。創業者がイメージしていたことがちゃんと実現に向かっているか?とか、ビジョンという登る山はブレずに登り方に試行錯誤しているか?とか。

ただ儲けだけを追求する会社になってしまうと組織は急に人を惹きつけなくなるし、ステークホルダーもそれをわかってくる。社会性と事業性を高いレベルで追求し続けることに常に右往左往しましたね。

元々は大きな組織に入るのが嫌だって思ってた21歳の若造が想いだけで創業した会社。それが紆余曲折しながら数十万人以上の社員家族の悩みを解決サポートするインフラを創り、数百社以上の大企業の組織の問題解決サポートをする事業として成長できたのは不思議な歴史でした。

この経験とプロセスも全部いま経営しているゼロトゥワン株式会社としての活動に不思議と線になってつながっています。

ピースマインドで10人以下の小規模なベンチャーから社員30万人超える大企業まで人と組織をテーマに企業を見させていただいていた経験と、自分が創業者として約18年もがいて実践と失敗を繰り返しながら事業にチャレンジしてきた経験の両軸がつながってきたイメージです。

今サポートさせてもらっている色々な企業の組織状態や経営者の心理状態がリアルに痛いほど理解できるし、共感できる。そのうえで次に起こりそうな問題やリスクがある程度予測できます。

志ある起業家、経営者、その組織を心から応援したいと思えるし、色々な経営上のサポートができると今では自負しています。

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REAPRAの見解「荻原さんはエフェクチュエートな起業家」

REAPRAが定義する“エフェクチュエーション”とは、「世の中は予測不可能で、市場はステークホルダーを巻き込んで創造していくものだ」という前提にたち、行動ファーストに市場機会を紡ぎ出せる能力のこと。

特に複雑性の高い市場のゼロイチフェーズの経営においては、予測不可能な事象が多いため、エフェクチュエーションのプロセスをうまく使いこなせることが重要であるとREAPRAでは考えている。

荻原さんのストーリーには、まさに不確実な事象に前向きに飛び込み、とにかく行動を繰返した体験が多く見られた。

その中でも特筆すべき成功要因は、起こした行動の結果を踏まえて強固なビジネスモデルへと昇華させられたこと、そしてその行動ファーストを支える、マジョリティに流されない強いマインドセットを維持し続けられたことだと考える。

[文]松本 玲子

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