INTERVIEW
長谷川 敦弥
18-03-12-Mon

障害のない社会作りに「命を捧げる」
LITALICO長谷川の挑戦

TEXT BY REIKO MATSUMOTO
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Research(研究) And Practice(実践)の略称を社名に持つREAPRAが、
0→1フェーズを何度も経験している人にインタビューし、
成功に必要なスキルセットやノウハウを徹底研究する本企画。

第2回は、「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げ、
幼児教室・学習塾などの教育サービスから就労支援まで手掛けている
株式会社LITALICO(りたりこ)代表取締役社長の長谷川敦弥(あつみ)氏にお話を伺った。

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大学時代、焼肉店のオーナーとの出会いが大きな転機に

「障害のない社会をつくる」というLITALICOのビジョンへの共感は、幼少期からあったのでしょうか?

実は全くそんなことはないんです。「世の中をよくすることに自分の命を全部捧げよう」と決まったのは20歳のとき。社会を見回したとき、解決されていない問題や納得できないことがあるのがすごくイヤだったんです。特に、人の命に関わることや、教育、人間の平等に関することについてはその気持ちが強かった。

そういう問題をどこまで解決したら満足できるかと考えたとき、どこまでいっても満足できない、自分にしかできないことに死ぬまで挑戦し続けるしかないとわかりました。

しかし、元を辿ると人のために動くような人間ではありませんでした。小学生の頃からいわゆる外れ者タイプで、先生ともうまくいかないし、友だちもいないし、誰にも関心が持てませんでした。

学生時代に唯一集中したのは、大学受験を控えた半年くらい。勉強にも興味がなくて出遅れていたため、半年でなんとかしないといけないという焦りもあって、極端な努力をした結果、国語以外は学年でトップになりました。

後から調べてみると、このような話って起業家にはよくあるストーリーみたいです。おおむね突貫で、短期集中型。3年間マイペースにずっと努力を続けました、というタイプの人はあまり聞かない。

大きな目標が設定されたときに初めて、異常な力を発揮して尋常じゃない成果をあげる。やると決めた時点でガーッとやりきる人が起業家には多いようですね。

そこからどのような転機があったのでしょうか。大学時代にすぐに経営の道を目指されたんですか?

経営に興味をもったのは大学時代に焼肉店のアルバイトを始めてからです。それまでの僕は、勉強にもスポーツにも遊びにもなかなか関心が続かず、やりだしてもすぐにやる気を失い、全てが中途半端になってしまっていました。

そんな中で唯一続けることができたのが、焼肉屋のアルバイト。オーナーが僕のことをすごく買ってくれたんです。「敦弥君は可能性がある。もしかしたら世の中を変えていく人になるかもしれない」と言われ続けるうちに自分でもそうかもしれないと思えるようになりました。「いい声してるね」「リーダーシップがある」「頭がいい」ととにかく褒めてくれてうれしかった。初めて自分の居場所を見つけた気がしました。

「これまで色んな大人に邪魔者扱いされてきたこんな僕でも好いてくれる人がいるのか」と嬉しくて、次第にお店の売り上げ管理を手伝い始め、「バイトの採用を強化しましょう」、「競合分析しましょう」、と提案・実行もするようになりましたね。時には、「飛び込み営業しましょう」とスーツを着用してビル内でチラシを撒いたこともあります。

そしたら本当にお客さんが増えて、またもやオーナーが「敦弥君は本当におもしろい。普通は思いついても飛び込み営業なんてやらないよ!経営の才能があるよ。社会を変える才能があるかもしれない。ニューヨークか東京に行きなさい!」と言ってくれて、結果的に東京へ行くことにしました。

その頃から経営や起業に興味を持ったんですか?

はい。アルバイト先オーナーの助言もあって、起業家という人がどんなことを行っているのか知るべく、夜行バスで東京に通うようになり、積極的に活動して物事への理解を深めていくようになりました。

そんなとき出合ったのが、本田宗一郎さんや、稲盛和夫さん、リチャード・ブランソンさんといった、多くの起業家や活動家の自叙伝でした。孫正義さんの「志高く」も幾度となく読み、彼らの世界観にはまっていきましたが、読み漁っていくうちに、本に出てくる起業家が自分と似ていることにびっくりしたんです。

今まで、みんなとの関係性を無視するような人間はダメ人間だと思っていたんですが、世の中で成功している起業家はみんな破天荒だったからです。「それは失礼でしょ」とそれまで僕が散々怒られていたことと同じことを、本で読んだ起業家はみんなやっていました。

例えばどんな行動が挙げられますか?

僕は大学のときに塾を経営したいと思って、教授に直接、「給与をいくら払えば自分の塾で働いてくれるのか?」と訊いたらすごく怒られたことがありました。でも孫さんの本を読んだら、孫さんも中学3年生のときに自分で塾を開きたいと思ったらしく、「先生、いくら払えば授業してくれる?」と訊いたことがあったようです。

僕はそれまで、自分が変わっているからそんなことを平気で訊けてしまうんだと思っていましたが、社会で成果を出す人はおおむね変わっている人が多いことがわかった。もしそうだとすると、僕の性格は社会で活きるものなのかもしれない。そういう風に自分の性格をポジティブに捉えられるようになっていったんです。

その日からですね。「そのセンスを活用して何をやりたいんだ?」、「そんなに可能性があるなら心からほしいものはなんだ?」と自分に問う日が続いたのは。

そんなある日、世の中を良くしていく、社会を変えていく活動家の本を読んでいて、「日本をよくするために僕に何ができるだろう?」と考える瞬間がありました。そこで「バーン!」と火がついたんです。

寝ても覚めても「社会を良くするために何ができるか?」ということばかり考えるようになりました。ニュースなんかに興味を持ったことなんてなかったのに、初めてニュースが世の中を良く変化させていくためのヒントとして頭に入ってきて、記憶できるようになった。

昔から自分は記憶力がないと思っていたんですが、目的を持ったら記憶力がよくなることがわかった瞬間でした。受験勉強しかり、心からがんばりたいと思える目的さえ設定できたら、異常なパワーが発揮できることに気付きました。

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社会課題の解決に命の全てをかけたい

「日本をよくする」ために、そこからまずどんな行動を取ったのでしょうか?

大学を休学し、東京のIT系ベンチャーでまずは自分の力を試すことにしました。世の中をよくするために事業家か政治家になろうと決めましたが、政治をやるにしても経営をするにしても、「ビジョン」を実現していく力が必要だと思ったんです。

実際に働き始めてみると、ITを活用すれば、今よりも人が中心の社会に変化させていけることがわかり、「ITのチカラを社会をよくするために使いたい」と思うようになりました。

でも、IT系ベンチャーって特段テーマのない企業もあって、とりあえず流行っていて儲かりそうな分野にどんどん参入するとか、利益が出ればなんでもいいや、みたいな企業もたくさん見ました。企業サイトのビジョンやミッションを見ていても、「インターネットで日本を元気に!」というような、社会にどのようなインパクトを与えるかが明示されていない企業がほとんどだったんです。

それ自体をどうこういうつもりはありませんが、僕自身はあまり会社が稼ぐこと、大きくなること自体には関心が持てなくて、自分がやるなら社会的に意義がある分野だなという結論に辿り着きました。

そこで初めて、ホームレスや障害者、医療や教育の分野を変えていく仕事について真剣に考え始めました。

その時、たまたま重度の身体障害者の施設を見に行く機会があり、「この人たちはどうやったらもっと幸せになるんだろう?」、「彼らにとっての幸せってなんだろう?」と考えました。とても難しそうな課題だけど非常に社会的意義があることだな、と思い業界の歴史も調べてみましたが、解決しようとしている人が少ないことも知りました。

人口の10%程度は、程度の差はあれ「障害」があると言われているのに、その状況を直視して課題解決に取り組んでいる人が少なかったんです。

そのときですね。自分の時間を使うんだったら、僕みたいな人間がいないとイノベーションが起こらない領域がいいと気づいたのは。イノベーションを必要としている業界で流れを作っていくのが僕の社会における役割だと閃いたんです。IT業界は、僕がいなくなっても進化し続けるから誰も困らないんですよ。

そこで、まずは「そういう問題に取り組んでいる会社で経営をやりたい」という想いを胸に、LITALICOの門を叩きました。

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やると決めたら妥協はできない。言うべきことは全て言う

新卒入社して2年目で、長谷川さんはLITALICOの社長になられていますね。どのような経緯だったのでしょうか?

入社時から役員陣に、「HPのリニューアル」、「営業戦略の変更」、「新規事業の立案」、「役員全員の給与を下げてもらう」などを進言していました。それが会社にとってベストだと思ったからです。図々しくもそのような進言をどんどんしているうちに、創業者だった当時の社長が会社を離れるタイミングがあり、その時に「長谷川くんが経営したほうが会社は良くなっていきそうだ」という話をいただき、社長を務めることになりました。

新卒であれば物怖じしてしまいそうな状況ですが、なぜ経営陣に「言うべきことを言えた」のでしょうか?

そもそも僕自身が、やると決めたら妥協ができない。昔から人のことを気にしながら生きてはきましたが、自分が命がけで解決したい課題があって、それに挑んでいるとなると、それができないことだけはどうしても嫌なんです。

若干24歳で株式会社LITALICO(当時社名:ウイングル)の代表取締役社長に就任

僕にとっては、「世界を変える」の1択。プライドも恐怖心もありません。前にすすむ、やるって決めたらあとはタスクに分解して、PDCAを回すだけ。

LITALICOの事業によって、障害のある方が楽しく働ける環境を実現するために、妥協をしたくなかったし、性格上できなかったんですね。

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「本当に課題解決になっているのか?」という視点

ご自身が社長になってからはどんなことを行ったのですか?

BtoCの事業開発に注力していきました。かつての主力事業であった、障害者の遠隔地雇用支援サービスの顧客は企業でした。お金を支払い、障害者を採用する企業のニーズとしては当然、「障害があってもそんなに重くない人を紹介してほしい」といわれました。

しかし、それが障害者の雇用促進に向けた本質的課題解決に向かっているか?と考えたら、あまり向かっていないと思いました。障害者の中で一番働き先に困っているのは、重めの障害がある人たち。本当にこの業界の課題を解決していくなら、その方々をターゲットにした事業を創っていこうと決意しました。 根本的にこの業界の負を解決するためには、障害のある人自身が顧客となるサービスを創っていくことが重要だったんです。それが今のLITALICOワークスとなりました。

そこからどうして教育事業を立ち上げたのでしょう?

(障害者就労支援事業である)“LITALICOワークス”利用者の約6割は精神障害を抱えているんですが、なぜそのような病を患うことになったのかについて調べていくと、幼少期の失敗体験がトラウマになって発症した方が複数いることに気付いたんです。

障害特性への理解があるスタッフにより、身体障害・知的障害・精神障害のある方に限らず、発達障害や難病のある方など幅広い方が利用できる環境を整えている。

さらに、精神疾患の方に会っていくと、たしかに少しユニークな方が多かった。そこで僕は、「ユニークな子どもを受け入れられる教育がなかった結果、症状を患うことになった人が結構いるんじゃないか?」という仮説を立てました。

「ユニークな子どもの個性を伸ばす教育ってどんなものだろう?」と日本を調べてみましたが、ほとんど存在していなかった。一方でアメリカやオーストラリア、イギリスに視察に行ってみると、学校と福祉機関が連携した個性を伸ばす教育機関、教育システムがいくつもあったんです。まさにこういうものが日本にも必要だなと思い、一人ひとりに最適な学び方と環境を提供し子どもの可能性を拡げる教育を提供する“LITALICOジュニア”を開始。その後、プログラミングを始めとした最先端のものづくりを学べる“LITALICOワンダー”を立ち上げるにいたりました。

将来的には、絵画や音楽といったもっと幅広いジャンルでも、得意なものを伸ばせる教育環境を増やしていきたいと思っています。

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障害者が活躍できる社会の実現を目指して

これからLITALICOはどういったことを目指していくのですか?

障害のある方にとってのプラットフォーム、インフラカンパニーになることを目指しています。世の中に既にある良い商品・サービスも紹介するし、今ない商品・サービスは自ら創っていく。

障害のある方みんなが利用するインフラにLITALICOがなり、そこに市場が出来上がることで、「障害のある方々にこんな商品を使ってもらいたい」、「こんなサービスを提供したい」と考える企業も増えていきますよね?

だから「障害者みんなが利用するインフラ」は、障害者が活躍できる社会をつくるために絶対必要だと考えています。その大枠のコンセプトが整えば、あとは会社の状態を考慮しながら戦略的に、「規模が大きくて、成長しそうで、勝てそうな」領域からサービスを拡げていきます。

これまでの取り組みに「よくそんなこと実現できましたね」と言われたこともありますが、まだまだやりたいことはたくさんあり、それに比べて実現できたことはほんの少し。今後も「障害のない社会をつくる」という大きなビジョン実現に向かって走っていきたいと思っています。

お子さま一人ひとりの得意や苦手を見つけ、それぞれの特性に応じた指導をおこなうソーシャルスキル&学習教室、LITALICOジュニア

テクノロジーを活かしたものづくりを通して、子どもの個性に合わせ、創造力を育む学びの場、LITALICOワンダー

将来的には絵画や音楽といったもっと幅広いジャンルでも、得意なものを伸ばせる環境を増やしていきたいと思っています。「よくそんなこと実現できましたね」と言われることもありますが、あくまでリタリコはビジョンに忠実に事業を成長させてきただけ。今後も「障害のない社会をつくる」という大きなビジョン実現に向かって走っていきたいと思っています。

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REAPRAの見解「長谷川さんは稀有かつお手本のような経営者」

長谷川さんは、REAPRAがまさに対象としている「将来大きくなるが現状は小さく、複雑性が高い」という領域において、小さく立ち上げた足元の事業を大きく成長させている稀有な経営者と認識している。

原動力となる独自の価値観を持ち、かつ行動ベースで走りながら事後的に分析サイクルを回し事業をドライブしていくことができており、REAPRAの対象領域における、お手本のような経営者だと捉えている。

写真提供:株式会社LITALICO

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[文]松本 玲子

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