連載ベンチャーNo.2サミット──社長とNo.2の関係性と役割分担

【コネヒトCEO×CTO対談】
二人三脚で乗り切った、事業転換とM&A。共同創業者が信頼関係を6年も保ち続けている秘訣

登壇者
大湯 俊介
  • コネヒト株式会社 顧問 

慶應大学卒。在学中に米カリフォルニア大学に留学し、そこで投資ファンドのインターンを経験。帰国後、島田(現CTO)と出会い、意気投合。外資系コンサルティングファームの内定を辞退し、2012年1月にコネヒト株式会社を創業した。2014年より、同社にて「人の生活になくてはならないものを作る」というミッションのもと、妊娠・出産・子育ての疑問を解決するママ応援サイト「ママリ(mamari) 」をリリース。ママ向けNo.1アプリに選ばれ、月間閲覧数約1億回、月間利用者数約600万人、月間投稿数150万件以上、2016 年に出産した女性の5人に1人が会員登録をするまでに成長を遂げる。2016年にKDDIにグループ入りし、KDDI子会社のSyn.ホールディングスのもとで引続き代表取締役社長を務める。2019年6月に同代表を退任、顧問として引き続き経営をサポート。

島田 達朗
  • コネヒト株式会社 CTO 

慶應義塾大学大学院理工学研究科卒。在学中Sansan株式会社で1年間インターンとして従事し、100万人が使う名刺アプリ「Eight」の立ち上げを経験。その後大湯(現CEO)と共にコネヒト株式会社を創業。創業CTOとしてサービスの0→1の立ち上げを行い、月間600万人以上が利用するママ向け情報アプリ「ママリ」を開発。2016年にKDDIグループにM&Aにされる。現在も取締役CTOを務め、インフラ、機械学習、CTO業務に従事している。博士(工学)。

西川 順

1999年立教大学経済学部卒。オランダ国立マーストリヒト大学経営学部留学。大学卒業後、ブルームバーグテレビジョンでのインターンを経てインターネット業界に転職。 外資ITベンチャー、サイバーエージェント、イマージュなどでWebプロデューサーを経験。2008年11月、赤坂優(エウレカ元CEO)と共に株式会社エウレカを創業。2015年5月、米国Match Groupエウレカの発行済全株式を売却。2017年10月末でエウレカの取締役副社長を退任、現在はエンジェル投資家として、NY、シンガポール、日本のスタートアップ計10社に投資。

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社長を支える重要なポジションでありながら、普段はなかなかフィーチャーされることのない企業のNo.2。そんなNo.2の在り方やリアルに迫る、「ベンチャーNo.2サミット」の第4回『ラクスル&コネヒト 社長とNo.2の関係性と役割分担』が開催された。

後半セッションに登場したのは、出産する女性の3人に1人(※)が利用しているアプリ「ママリ」を運営するコネヒト株式会社。共通の友人を通じて知り合った大湯氏と島田氏が学生時代に創業した会社だ。

※「ママリ」内の子供の誕生日を2018年1月1日~7月31日に設定したユーザー数と、厚生労働省発表「人口動態統計」の2018年1月~7月分の出生数から算出。

同社は当初手がけていたサービスから3年弱で撤退し、事業転換を経て、KDDIグループのSyn.ホールディングス株式会社(現Supershipホールディングス株式会社)によるM&Aを経験した。企業にとって大きな変化を乗り越えることができたのは、共同創業者である大湯氏と島田氏の並々ならぬ信頼関係があったからだ。

「似た者同士」である二人の役割分担や、自社にかける想いを、エウレカ共同創業者である西川氏が伺った。

  • TEXT BY RYOKO WANIBUCHI
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自分にできることをやるだけ。CxOの肩書きは後付けだった

2012年に共同創業されたコネヒトでは、今でこそ大湯氏がCEO、島田氏がCTOの役割を担っているが、起業当時は「CxO」という役職名があることも知らなかったという。

出会った日から意気投合し、創業から6年間。致命的な喧嘩もなく助け合ってきた。そんな二人の出会いや役割分担から話は始まった.

大湯起業のきっかけは、やはり島田と出会ったことが大きいです。小学校からの幼馴染に「面白いやつがいるから紹介するよ」と言われて会い、人間としていいなと感じていたのですが、だんだん一緒に仕事をしたいと思うようになりました。事業の構想などを同じ目線で話せて、自分と似ている部分も多かったので、迷いはありませんでした。

島田僕も同じですね。タイミングもちょうど良かったんです。大学院の修士課程にいた頃で、同い年の友人たちが大企業で働いているのを見ていて、自分はもっとオーナーシップを持って働きたいなと思っていた。漠然と、起業という選択肢を考えていたんです。

二人で起業しよう、と決めてからの役割分担は早かった。役職はともかく、ただ目の前にあるスキルセットで、それぞれのできることをやってきた。

島田大湯は圧倒的な逆算思考でロジカルにビジネスができ、自分はプログラミングができてテクノロジーがわかる。当時持っていたスキルで、自然と役割は決まりました。マインドは似ていても、できる領域は被っていなかったので、意識せずに分担ができたと思います。

大湯僕らの場合は、WHAT・WHYとHOWがはっきりと分かれていました。根本的なところは二人でディスカッションしつつも、僕が何を作るかとその理由を示すと島田がどう作るかをしっかり設計してくれた。開発実務との中間にあることは全部やる勢いでCTOとして回収してくれたので、自分はCEOとしての役割に集中できました。

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健全な役割分担で乗り切った事業転換とM&A

コネヒトの創業時は、現在運営するママリではなく、クリエイター向けサービス「Creatty」を主力事業としていた。しかし、サービス開始から3年弱が経ったとき、大幅な事業転換を決断。それが功を奏し、2016年6月にM&Aを経験することになる。

会社として大きく流れが変わるときにも、両者の関係性は安定していた。健全な議論はするが、致命的な亀裂が生まれたということは創業から6年間一度もないという。

大湯二人ともロジカルに議論するのが好きなので、側から見ると喧嘩していると思われることもあるのですが、僕としてはいつも「ディスカッション」だと思っています。感情をコントロールするのは技術だと思っていて、経営の年数を経てそれが徐々にできるようになったので、感情的な議論に終始することはないですね。

島田感情的な喧嘩をしたという記憶は余りありませんね。大湯はよく考えて発言してくれるので、そこにはちゃんと意図があり、大きく間違っていると感じたことはありません。

良い経営をするための、健全な議論ができていると思います。事業転換を考えていた頃は、「受託開発をしながら新しいサービスを生み出さなければ」と現場は入り乱れましたが、そのときにもアイデアの発案自体やプロセスを含めて健全に議論ができたと思います。

そして一度決めた後は、互いのやるべきことに取り組んでいました。

M&Aもトントン拍子に決まったわけではない。二人で議論を重ねながらトライアンドエラーを繰り返した。

会社自体をやめるという選択も一度は浮かんだが、「応援してくれた人たちの恩義に報いたい」という共通した強い想いがあった。根底のマインドが同じだったからこそ、大変な局面においても冷静なディスカッションが続けられたという。

大湯M&Aか、IPOか、株式を公開せずにやっていくか。会社としていくつかの方向性を最後まで並行して検討していました。M&Aは選択肢の一つでしたが、あくまで買い手がいて、初めて実現することです。

幸運なことにオファーを頂くことができたので、すぐに島田に共有して相談した結果、僕らだけではなく会社にとってもベストな選択だろうと決断することができました。

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力技の経営ではなく、仕組みで外の声を取り入れられる会社に

M&Aを経て、親会社という存在がうまれた。時間の使い方が変わり、マインドシェアも大きく変化した。それでも両者の役割は変わらず、会社のステージに合わせて適切な分担を取っている。

島田M&Aは会社にとって大きなことでしたが、僕ら二人の役割はあまり変わっていません。引き続き、エンジニアの組織や技術に対してコミットをしています。

また、個人的には元からあまり役割というものにこだわっていません。会社全体でこぼれたボールを拾い、課題があれば取り組みます。大湯や他のメンバーと力を合わせて全体がカバーできればそれで良いと考えていますので。

ただ、自分たちも会社の成長に合わせて成長していかなければ、という意識は強く持ち、役割は変わらずとも変化していかなければといけないと話しています。二人ともロジカルすぎるところがあって、突拍子もないアイデアを出したりということが苦手なので、それができるようなインプットは意識していますね。

大湯常に変動する会社のテーマに合わせて、やるべきことも変わっていきます。特に僕たちは学生起業ですから、経営者としての力をもっとつけていかないといけません。自分の役割としてはビジョンをしっかり描き、社内へのメッセージングを強めたいと思っています。

創業者の二人三脚は、信頼関係が強すぎるあまりに、他者が介入しづらくなる可能性もある。その環境を壊すほどの勢いがある人を二人は求める。

大湯今は会社にとって「次のフェーズ」を考えながら経営しているところです。会社のカルチャーは守りつつも、経営人材が多層的に存在するような会社にしていきたいと思っています。

私たちを相手にチャレンジし、会社をアップデートしてくれるような人をガンガン採用していきたいですね。会社の成長のためには、自分よりも優秀な人を採り続けなければなりません。こちらも変われるよう努力するので、どんどん提言してほしいです。

島田僕らはどうしても、会社のことを自分のものだと思っているし、自分の要望は何でも通せてしまうところがあります。でも逆に、僕らが意思決定する機会を減らさないといけないフェーズに来ている。創業者の力で意見を通すのではなく、誰がやっても回るような仕組みを作っていきたいですね。

創業者としての責任感は持ちながらも、企業の次のステップを冷静に見据えている。そんな両者が採用する人材に求めるのは、何よりもミッションのフィット感だという。「その人のやりたいこと」と「会社がやりたいこと」が重なって、初めて価値が発揮されるからだ。

何がなんでもやり抜くつもりで起業した当時の決意は、今も二人のなかにしっかりと流れている。「明日死ぬとしても、この会社で働きたいと思ってほしい」と語る眼差しからは、固い信頼関係が育んできた経営への想いが感じられた。

こちらの記事は2018年11月15日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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雪山と旅を愛するPRコーディネーター。PR会社→フリーランス→スタートアップ→いま。情報開発や企画、編集・ライティングをやってきて、今は少しお休みしつつ無拠点生活中。PRSJ認定PRプランナー。何かしら書いてます

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長谷川 賢人

1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。

連載ベンチャーNo.2サミット──社長とNo.2の関係性と役割分担

2記事 | 最終更新 2018.11.15

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