キャリアよりお金より、挑戦したいことがそこにあった──大手金融機関を経てスタートアップの道を選ぶ葛藤と本音
「私は、人生の岐路に立った時、いつも困難なほうの道を選んできた」
日本を代表する芸術家、岡本太郎の言葉だ。
苦労の多い道を好んで選ぶ人は少ない。それでも世の中には、あえて困難な道に挑戦する人たちがいる。その一例が好待遇で安定した大企業から、スタートアップを選んだ人ではないだろうか。
今回話を伺った、株式会社Finatext CFOの伊藤祐一郎氏と同社のHead of Solutionの木下あかね氏も、大手金融系企業からFinTechスタートアップへ飛び込んだ、あえてリスクをとった面々だ。
なぜ彼らはスタートアップを選んだのか。選択の理由とその裏にあった葛藤を伺っていく。
- TEXT BY ASUKA NAKAGAWA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY KAZUYUKI KOYAMA
起業した元同僚の熱量に火をつけられ、UBSからスタートアップへ
Finatextは、2013年12月に創業したFinTechスタートアップ。「金融を”サービス”として再発明する」をミッションに、これまでにないUI/UXでユーザーにわかりやすいモバイル金融サービスの開発・企画・運営を行っている。
2016年には、グローバルビジネスの拡大を視野に入れ、機関投資家向けにビッグデータ解析サービスを提供する株式会社ナウキャストと経営統合。2017年には大和証券と提携し、手数料0円の株取引アプリ「STREAM」を運営する株式会社スマートプラスを設立した。Finatextは同社を含める3社を組み合わせ「サービス開発」「ビックデータ解析」「証券サービス」を通し、金融のさまざまな領域へテクノロジーでアプローチをおこなっている。最近では、2018年7月30日にKDDIなどから60億円の資金調達を実施。より角度の高い成長へアクセルを踏み込んだ。
同社で2016年からCFOを務める伊藤祐一郎氏の前職は、スイスに本社を持つ金融機関UBS。新卒で2010年に入社し、6年勤めた後にFinatextへ転職した。UBSでは投資銀行本部と呼ばれる部署で、M&Aや上場を検討する企業へのアドバイザーのような仕事をしていたという。
伊藤もともと金融業界に強い関心があったわけではないんです。ただ、誰かのやりたいことをサポートして成功まで導く仕事がしたいと思い、コンサルなどと比較しつつUBSへ入社しました。投資銀行本部という部署での採用だったからこそ選んだ道でしたね。
伊藤氏が入社したタイミングは、ちょうどリーマンショックの影響で金融業界が苦しい時期だった。120名いた日本支社の社員は3年で40名まで減り、入社して2年半でほかの同期も皆退職していったという。その中でも、伊藤氏はがむしゃらに働き、確かなキャリアを築いていった。
彼が転職を決意したのは、入社してから6年目のこと。元同期との再会が、始まりだった。
伊藤起業した元同僚と飲んでいて、仕事にかける思いなど話が尽きず、盛り上がりすぎて朝8時まで語り倒したんです。そのとき「自分がやっていることへの熱量」と「会ってる人の幅の広さ」のレベルが、彼とは段違いだと気づかされました。
自分の違いを感じたのはそれだけではない。飲み会の帰り、タクシーで帰宅しようとする伊藤氏に向かって、彼は「今から仕事する」と颯爽と会社へ戻っていったという。
伊藤そこまで自分を突き動かせるものがあるのはすごい。彼にとって自分の会社とやりたい仕事のすべてが自分事なんです。いかにものごとを自分事にできるかで人生は変わるなと強く感じました。
この再会をきっかけに、自分がより主体的に物事を考えられる環境に身を置かねばと思い、伊藤氏は退職を決意。ちょうど同じタイミングで、Finatext代表である林良太氏から声をかけられた。大学時代の先輩でもある林氏とは、学生のころから一緒にビジネスをする仲であり、UBSに在籍中もFinatextの事業を手伝うこともあった。
伊藤僕が会社を辞めようと思ったときと、Finatextがギアを変えるタイミングが偶然にも重なったからこそだと思います。Finatextなら「金融」という自分が持つ知識から大きく外れることもないですし、林と考え方も共有できている。その前提で考えたときに、いちばん自分がコミットでき、バリューを発揮できると考えたんです。
証券会社、ロイターを経てFinTechの盛り上がりに危機感を覚えた
Finatextで商品・サービスの企画をおこなうHead of Solutionを務める木下あかね氏は金融一筋のキャリアをたどってきた。
金融業界へ足を踏み入れたのは2000年のこと。高校生から漠然と憧れていた証券会社に絞って就活をし、大学卒業後は大和証券へ入社を決めた。4年間営業として働いたのち、金融情報を提供するトムソン・ロイターに転職。営業を経て、富裕層向け金融サービスの「ウェルスマネジメント」部門で富裕層向け金融サービスの商品企画に携わっていた。
木下大和証券でリテールの仕事をしていた経験から、個人投資家を後押しするビジネスに関心があったんです。個人へ金融情報を提供するウェルスマネジメントは、自身のやりたいことにかなり近いものでした。
彼女が転職を考えたきっかけは業務内容の変化、そして周囲を見渡したときに気づいたFinTechの台頭だった。
木下最初は一過性のブームかなと思っていたんです。でも、どうやらそうではないらしい。金融機関が個人にもっと寄り添える身近なものになれるよう、本気で変わろうとしている。それに気づいたとき、それまでと変わらず、だんだん手に入りやすくなった金融の情報をただちょっと工夫して提供しているだけでその大きな変化の波に乗っている気になっていていいんだろうか、と自問自答しました。
自分がしていることは、FinTechが実現しうる未来と近しいのではないだろうか。木下氏が考える最中に出会ったのがFinatext代表の林氏だった。
木下林はこれまで見てきた金融の人とは明らかに異なる価値観を持っていて、素直に衝撃を受けました。“金融を「サービス」として再発明する”という、既存の文脈とは異なるアプローチで、業界を変えようとしている。林以外の社員に会ったときも同じ印象です。個性ある多様なメンバーが金融の未来を考えていることに、とても魅力を感じました。
実際、Finatextのメンバーには金融機関出身の林氏を含め、金融工学博士、エンジニア、デザイナーなどが名を連ねる。スタートアップらしいカルチャーを持つ者に、金融の現場を体験してきた者などが集まり、テクノロジーで金融のあらゆる領域へアプローチしている。
木下「自分がこのチームでなにか力になれるのなら」と、ほとんど直感的に入社を決めました。そんな素振りもなかったので、周りからは驚かれましたね。
お金というハードルを乗り越える、決断
代表の林氏から声をかけられ、Finatextへの転職を決意した二人。大企業からスタートアップへの転向ということもあり、その決断には大きな葛藤がつきまとった。
両者の口から揃って出たのは「お金」の問題。給料が下がることについては、大きな葛藤があったそうだ。
伊藤正直、僕自身お金を使うほうではありませんでした。多少貯蓄もあったので、極端に言えば1年間は収入ゼロでも死にはしない。しかし、いざ意思決定をするときは勇気が必要でした。加えて、給料の額は自分が世の中に対して提供できた価値の点数だと思っていたんです。それがなくなってしまうと、自分が評価されなくなったのではと不安だったのです。
お金がすべてではない。よく言われる台詞の一つだが、生きることにも直結する問題だ。決断力を要する問題に、どうやって踏ん切りをつけたのだろうか。
伊藤僕の場合、Finatextへは取締役としてジョインしたので、会社全体に対する評価を自分自身への評価と捉えることにしたんです。例えば、企業価値だったり、社会に与えるインパクトの大きさだったり。Finatextという会社が評価されれば、自身へのスコアに執着する必要はないのかなと。もちろん、そう思えるまでには時間がかかりました。あとは今失敗してもまだ金融業界へ戻れる。だったらリスクをとってもいいのかなと。
木下お金の面については、いまでも不安になることはあります。ただ、お給料は減りましたが、暮らせないわけじゃない。ここは一度腹をくくって、新しいことにあと何年か挑戦し、そこからまた考えればいいかなと割り切っています。当時は、39歳。この歳で大きな決断をできるひとは少ないと思うんですよ。家族とかキャリアとか背負っているものがあればなおさら。私は自分のキャリアに執着がなかったので、思い切って決断できたのかなと思います。
二人を待ち受ける試練は他にもあった。スタートアップという未知の世界では、大企業で培った経験が活きることもあれば、全く通用しないこともある。大手金融業界で10年以上のキャリアを築いた木下氏ですら、Finatextに入社してからも、分からないことや身につけるべきスキルはたくさんあったと話す。
木下いくら金融の経験があっても、不安になることはもちろんあります。けれど、思い切った仕事ができる喜びのほうが大きいです。今までの会社にはびこっていた「これはあなたの仕事だからやって」「これはあなたの仕事じゃないからやってはいけない」という暗黙の了解が、この会社にはない。私が「これやりたい」って言うと、みんながたくさんアイデアをくれてみんなが主体的になって助けてくれることにとても救われています。
手段として「スタートアップ」を選んでほしい
大企業からスタートアップへ転職した二人に、同じ道を歩もうか悩んでいる人がいたら何を伝えるか。この問いに対し、伊藤氏は二つの心配事について言及した。
一つ目は、前段落でも触れた「お金」の問題。大企業からベンチャーへの転職を考えたとき、「給料の減額」が決断の足枷になることもある。だが肝心なのは、それが自分にとってどれほど大切なのかを考えることだという。
伊藤人それぞれの意見がありますが、僕は生活に困らない程度であれば、そこまで気にしなくていいと思っています。不安の根源が何か考え、それが自分にとってどれだけ大切かを考える。お金は大切なものですが、それが人生にとってどれだけ大切なのか。僕の場合はたとえ何千万ともらったとしても、人生はそこまで大きく変わらないだろうなと思いました。
二つ目は、スタートアップで上手くやっていけるのかという不安の問題。大企業とスタートアップでは、組織の規模や風土など大きく異なる点も多い。伊藤氏はスタートアップで求められるマインドに言及する。
伊藤自分で仕事を洗い出す力が大切だと思っています。決まった業務を渡されるのではなく、物事を想像して、そこから自分のToDoを見つけ出せるか。自分の仕事は、自分の手で生み出すという意識がなければスタートアップでは難しいと思いますね。
この話に木下氏も言葉を重ねる。
木下スタートアップの仕事は、0から100までやらなければいけません。その状況に耐えられるか、考えておいた方がいいかなと思いますね。とはいえ、自分自身で全ての仕事をするわけではありません。一緒に仕事ができると思えるメンバーがいるかどうかということにも気を払うといいですね。私はFinatextのメンバーからすると年齢層は上ですが、周りの若い人たちから刺激をもらうことがたくさんあります。その会社にいる人のことは、ちゃんと見てほしいです。
少し間を置き、最後に伊藤氏は「なぜスタートアップを選ぶのか」という根本を考えてほしいと語り、話を締めた。
伊藤「何となく上手くいってそうだから」「エグジットして儲かりそうだから」っていう理由でスタートアップを選ぶなら絶対にやめたほうがいい。「本当に自分がやりたいことは何なのか」「何をやっているときが一番幸せなのか」。その手段としてスタートアップが最適な手段であるのなら、僕は挑戦すべきだと思います。
こちらの記事は2018年08月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
フリーライター。1994年生まれ。学生時代に国際交流事業に携わるなかで、スロバキアに興味を持ち、長期留学を決意。その体験記を旅行メディアで執筆し始めたことをきっかけにWebメディアの魅力を実感。帰国後は名古屋・東京の複数メディアで本格的に執筆を始め、フリーペーパーの営業・編集を経たのち、フリーランスの道へ。執筆領域はグルメ、ビジネス、スポーツ、ライフスタイルなど。
写真
藤田 慎一郎
編集者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサル会社の編集ディレクター / PMを経て、weavingを創業。デザイン領域の情報発信支援・メディア運営・コンサルティング・コンテンツ制作を通し、デザインとビジネスの距離を近づける編集に従事する。デザインビジネスマガジン「designing」編集長。inquire所属。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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