前進か転換か。
ノンデスクワーカーの働き方を変えるカミナシは、究極の選択にいかに向き合ったか?

インタビュイー
諸岡 裕人
  • 株式会社カミナシ 代表取締役 

慶応大学経済学部卒業。リクルートスタッフィングに入社し営業職を担当。その後、家業であるワールドエンタプライズ株式会社に入社し、食品工場やホテル、空港などの労働集約の現場でオペレーション構築に携わる。2016年12月に株式会社カミナシを創業し、ノンデスクワーカーの業務を効率化する現場管理アプリ「カミナシ」を開発。
※詳細はこちらのnote
「負け続けた3年間。最後のチャンスで生まれた『カミナシ』というプロダクト」

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「32歳で起業すると決めていたんです」──そう語るのは、ノンデスクワーカー(ブルーカラー)向けの業務効率化アプリを開発するカミナシ代表の諸岡裕人氏だ。

経営者である父親の影響を強く受け、幼い頃から、父親が起業した年齢と同じ歳で経営者になることを志していた諸岡氏は、念願通り、2016年12月にユリシーズ(現 カミナシ)を設立した。

諸岡氏が立ち上げたのは、現プロダクトの前身となる、食品工場向けのバーティカルSaaS。自身の原体験から、課題が存在することは分かっていた。約3年間、自信を持ってプロダクトに取り組んだが、諸岡氏は「負け続けた3年間だった」と振り返る。

その中で諸岡氏は、食品工場向けのバーティカルSaaSからノンデスクワーカー業務効率化アプリへとプロダクトをシフトさせる。負け続けた先に、何を見て、どう行動したのか。諸岡氏に、起業家として直面した苦難と、それをどう乗り越えてきたのかを聞いた。

  • TEXT BY RIKA FUJIWARA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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課題を尖らせる、食品工場向けのバーティカルSaaSで勝負をかける

諸岡氏が食品工場に特化したバーティカルSaaSを立ち上げた背景には、実家の事業が影響していた。同氏の実家は、空港やホテルの総合管理、ビル清掃業、食品工場などのノンデスクワーカーを対象にした事業を展開している。大学卒業後、リクルートを経て実家の会社に入社した諸岡氏は、「現場の非効率」という課題に直面する。

諸岡現場では、マニュアルや作業の記録などがいまだに「紙」で行われています。食品工場を管轄する部署にいた時には、毎晩50枚ほどの帳票が上がってきて、1枚ずつ確認し、承認印を押していました。書類に不備があるといけないので、常に気が張っている状態。しかも、現場は日本語が堪能でない外国人も多かったので、時には一から書類を書き直す必要があり、毎晩23時ごろまで働きづめでした。

工場で使われていた紙の帳票。(提供:カミナシ)

「優秀な若手が、非効率さに疲弊して辞めていく環境を変えたい」

起業した諸岡氏が解決したいと考えたのは、この課題だった。そして、自身が経験した現場の中でも、衛生上の理由からもっとも管理が難しかった「食品工場」に狙いを定め、課題を解決するプロダクトをつくることにする。

諸岡とにかく「課題を尖らせること」にフォーカスをしたんです。既存のサービスを踏襲したようなビジネスアイデアを出しても、誰も食いつかない。100個ほど温めていたアイデアの中で、ニッチで課題が根深かかったのが「食品工場」でした。この領域は私だからこそできると考えて、食品工場のバーティカルSaaSで勝負することを決めました。

株式会社カミナシ 代表取締役 諸岡裕人氏

課題を尖らせたことで、投資家からの食いつきもよくなり、創業2年目の2017年には500 Startups Japan(現 Coral Capital)、BEENEXT PTEなどから5,000万円を調達。課題に共感をしたメンバーも集まり、2018年5月には食品工場の記録管理を電子化するサービス『KAMINASHI工程管理』をローンチした。

ローンチしてすぐ、ロイヤルホストや星野リゾート、ハウス食品グループといった、大企業の受注獲得にも成功。2018年末には、プレシリーズAで1.2億円を調達し、この流れを加速させようとした。

だが、課題を尖らせ、ターゲットを絞ったことが裏目に出ることになる。

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想定よりも小さな市場、前進か転換か

諸岡氏によると、カミナシがターゲットとしていた食品製造業は、日本に4万の事業所が存在するという。諸岡氏は、その10%の4,000事業所のシェアが取れると見込んでARR(年間経常収益)50億円を目指し、月額10万円で提供していた。

しかし、実際に展開してみたところ、売上20億円以下の企業への導入は進まなかった。売上20億円を超える企業が展開する事業所は、全国にたった4,000、その10%となると、400事業所しかないことになるという。

諸岡2019年に入ってから、ですかね。「もしかすると、市場が小さいかもしれない……」と思ったんです。市場が小さければ、目標とするARRを達成するためにはプロダクトを高単価で売らなければいけない。本来は起業する前に気づくべきことでしょうが、私たちは走り出してから気づいた。このまま進めるべきか、方向性を変えるべきか、ひたすら悩み続けましたね。

想定されるマーケットシェアで、目指すARR50億円を達成するには、月額40万円で販売する必要がある。現在、成功しているBtoB SaaSであっても、この価格帯でうまくいっている例はほとんどない。

「市場を選定し直すべきなのではないか」──諸岡氏の頭に、何度もその考えがよぎったという。だが、クライアントも、メンバーも、投資家も、「食品工場の生産性を向上させ、労働環境を整える」というビジョンに共鳴して集まっている。何よりも、自分自身がそのビジョンを変えられなくなっていた。

このままでは先がないことは分かっている。けれど、引き返せない。そんな状況を脱し、現実と向き合う覚悟を決めたきっかけは、共同創業者である三宅裕氏からの「諸岡さん、もう無理ですよね。違うことやりませんか」という一言だった。

諸岡思い返せば、あれが助け船でしたね。彼の一言を聞いた瞬間に「そうだよね」と素直に受け取れたんです。なかなか、自分からは言い出せませんでしたから。

諸岡氏は、初志貫徹は重要だが、違和感やシグナルを感じたのであれば、ピボットも含めて検討したり、周囲に相談したりするほうがいい、と語る。

諸岡創業から3年が経っていたのに、市場の攻め方やプロダクトのコンセプトのことに思考の99%を割いていました。今思うと、危険なシグナルだったと感じます。

私は共同創業者の一言がきっかけで決意できました。ただ、自分自身で少しでも「ピボットしたほうがいい」と感じるのであれば、勇気を出して言ってみたほうがいい。

立ち上げ時期と比較して、事業の解像度も上がっていますし、市場の情報も得られているはず。試行錯誤を経てから下す判断の方が、絶対に成功に近づけるはずなんです。

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新たな方向性の仮説を素早く検証する

起業家はビジョンを語る。仲間や投資家にビジョンを語り、事業を前進させる。描いていた通りにいかなかったことを認め、別の方向性を模索したいと関係者に語るには、かなりの勇気がいるはずだ。

諸岡氏も、ピボットを決めてからもメンバーへの共有に抵抗があったという。だが、自身の決意を伝えたら、意外なほどすんなりと受け入れられた。事業に課題感を抱いていたのは、諸岡氏だけではなかったのだ。

諸岡メンバーに伝えたところ「ピボットを決めてくれてよかった」と喜んでくれました。現場の様子を私以上に把握していたからこそ、危機感を覚えていたようです。

諸岡氏は、市場を「ノンデスクワーカー全域」に拡大。市場規模の小ささに苦しんだからこそ、大きな市場に狙いを定めた。

諸岡「一つの業界にフォーカスし、小さな市場を攻めるべきだ」「市場を広げすぎるとサービスの価値がぶれる」といった声も挙がりました。けれど、前回と同じ失敗を繰り返すわけにはいきません。誰に何と言われようと、自分を信じて大きな市場で勝負しようと決めていました。

翌月にはランディングページをオープンし、ニーズの仮説検証を行った。すると、わずか1カ月で、前のプロダクトの問い合わせ数を抜き去った。さらに、全国に数千店の飲食店を展開する大企業からの問い合わせもあり、新たな事業の方向性に対する自信をより強くした。

諸岡「その企業が展開する店舗数と『カミナシ』の単価を掛け合わせるとMRR(月間経常収益)100万円を突破できそう」「ここで勝ちパターンをつくることができれば、同じような業態の店舗に横展開できる」などと、前向きな妄想が膨らんでいきました。かなりのガソリンになりましたね。

その後も、飲食チェーンや工場、製薬メーカー、介護施設、保育園など、さまざまな業界からの問い合わせが後を絶たなかった。ニーズは確かに存在した。

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ピボットではなく“進化”。壮大な仮説検証を経て、目指す未来に向かう

ピボットを決め、仮説を検証した後はプロダクトの開発が必要だ。この点においては、自身が負け続けた期間と表現した3年間の積み重ねがプラスに働いた。

以前のプロダクトの主は食品工場の帳票記録だった。対象が広がったとはいえ、ノンデスクワーカーの業務負荷を下げるための機能は開発していたため、新プロダクトにも活かすことができる。

また、ノンデスクワーカーに使ってもらうためには、ITリテラシーはもちろん、言語に頼らない使いやすいサービスであることが必要不可欠だ。そのため、直感的に使えるUIにこだわった。

こうして、以前のプロダクトの強みを活かした形で開発を進め、2020年6月に『カミナシ』を正式にリリース。3カ月後の9月時点で、月に200件以上の問い合わせが入り、導入が進んでいる。

KAMINASHIレポート紹介動画

新たに開発した『カミナシ』は、作業に必要な手順やマニュアルを登録すると、作業の指示や違反の指摘、作業記録のチェックのほか、報告書の自動作成もできる。

さらに、タスク管理やレポート作成の機能も付加されていて、自分たちで必要な機能を組み合わせて使える。2020年12月には多言語翻訳機能もリリースする予定だ。これらの機能は、ピボット前に顧客から集めた意見が基になっている。

諸岡食品工場のバーティカルSaaS自体はうまくいきませんでした。けれど、3年間の蓄積があったからこそ、今、大きな手応えを感じられています。これはピボットではなく“進化”。壮大な仮説検証を経て、ようやく本当の事業を生み出せました。

カミナシの画面。直感的に使えるUIが大きな特徴。

カミナシは今後、現在の業務効率化の分野を皮切りに、コミュニケーションや教育、評価などにも手を広げ、ノンデスクワーカーの働き方を変えていく。

業界横断型の「作業記録」という、もっともタッチポイントが多く、難易度が高い領域をカバーできているからこそ、蓄積されたデータを元に次の展開を見据えられているのだ。

諸岡私たちがノンデスクワーカーの働き方を変えるためには、長い道のりを歩む必要があります。けれど、どれだけ長い道のりだったとしても、私はノンデスクワーカーの働き方をスマートに変えていきたい。

帳票のチェックや現場のオペレーションで忙殺され、モチベーションが下がってしまう人を減らすことが使命だと思っています。その使命を達成するには、まだまだ多くの領域を開拓する必要がある。これまでの蓄積を武器に、ビジョンに向かって突き進んでいきたいです。

カミナシにとって、食品工場のバーティカルSaaSに挑んだ3年は負け続けた期間だったかもしれない。だが、その蓄積は確かな血肉となり、ビジョンに向かうための道筋を形成しているのだ。

こちらの記事は2020年10月26日に公開しており、
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執筆

藤原 梨香

ライター・編集者。FM長野、テレビユー福島のアナウンサー兼報道記者として500以上の現場を取材。その後、スタートアップ企業へ転職し、100社以上の情報発信やPR活動に尽力する。2019年10月に独立。ビジネスや経済・産業分野に特化したビジネスタレントとしても活動をしている。

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藤田 慎一郎

校閲

タテイシサエコ

校正/校閲者。PC雑誌ライター、新聞記者を経てフリーランスの校正者に。これまでに、ビジネス書からアーティスト本まで硬軟織り交ぜた書籍、雑誌、Webメディアなどノンフィクションを中心に活動。文芸校閲に興味あり。名古屋在住。

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