現在、サイト上の画像表示に障害が出ております。

Sponsored

「やりたいこと」は見つけるものではなく、思い出すもの
~配属ガチャ問題に直面しながらも、もがき続けた大企業社員が「やりたいことが分からない」と悩んでいる人へ伝えたいこと~

インタビュイー
橘 匠実

新卒でパナソニック株式会社へ入社し、資材購買部門を経て、2014年からブランドコミュニケーション本部にて主に欧米の展示会・イベントの企画を担当。2017年より米国パナソニックノースアメリカにてコーポレートコミュニケーションを担当し、2019年帰任。「新規事業に伴走する攻めの広報」を掲げ、社内の事業開発をコミュニケーション面から支援している。記事で紹介したブログはこちらから

関連タグ

「こんなはずじゃない。とにかく、今日を何とか乗り切ろう」と言い聞かせていた4年間でした。と話すのはパナソニックの橘 匠実氏。

現在の彼の姿から、そんな新入社員時代を過ごしていたとは想像もつかない。

橘氏は、2010年にパナソニックへ新卒入社。資材調達部門を経てブランドコミュニケーション本部へ異動。CESやCEATECなど大規模な展示会への出展企画を担当した後、パナソニックノースアメリカに出向。北米エリアのブランディングを担当してきた。北米でのブランディング・マーケティング活動に従事する傍ら、現地で見つけた最新のビジネストレンドやニュースについて、情報発信を実施。

その後、日本へ戻り「新規事業に伴走する攻めの広報」をテーマに、事業開発に繋がるコミュニケーション戦略を作る仕事をしている。

輝かしいキャリアに思えるが、実際は「配属も思い通りとはいかず、新入社員の頃はおかしくなるほど苦しんでいた」という。

「なぜ、配属ガチャ問題は起こったのか。」

そこからどのようにして「心から熱中できる仕事にたどり着いたのか」について聞いてみた。

  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
SECTION
/

就職活動なんてそっちのけ。没頭していたアカペラのイベント企画

今でこそ、コミュ力高いねって言われることも多くなりましたが・・・中学生の時は先生から“陰キャ”と認定されるほど、全く目立つタイプではありませんでした。正確には「陰キャ界の陽キャ」と言われていました。

「君は陰キャだけど、比較的、人と話すのが好きそうだね。だからクラスの雰囲気を良くするために、他の陰キャの子たちをフォローしてほしい」と言われて(笑)。

「あー、僕は先生からそんな風に見られていたのか」と、衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。

そんな僕にとってのターニングポイントは18歳。大学入学とアカペラサークルの仲間との出会いでした。

高校生の頃、ハモネプが流行っていて全国ハモネプリーグは毎回欠かさず観ていました。だから、大学に進学して、絶対にアカペラサークルに入って、自分もアカペラをやるんだ!って思いながら受験勉強に励んでいました。

ずっと奈良の田舎で育った自分にとって、関東の大学での新しい生活はこれまでの“陰キャ”の自分から脱却し、“新しい自分”になれるチャンスだと思いました。だから、大学へ入学したら、これまで思っていても言えなかったことをちゃんと伝えて、やりたかったことを全力でやるんだと決心していました。

受験勉強の甲斐もあり、志望していた関東の大学への入学。初めての東京。アカペラに没頭し、憧れていた都内のライブハウスをまわる日々。そんな大学生活を送るうちに、“やりたいこと”が見つかりました。

それは、ライブの企画。

「やりたいことが見つかったら全力でやる」

この決心を貫くべく、大学2年生の春に渋谷宮益坂の100人規模のライブハウスを借りてブッキングライブを企画しました。このイベント企画をきっかけに、自分が憧れていた世界に一気に近づいた気がして、そこからイベントの企画に没頭するようになりました。

大学4年間で大小合わせて100本ぐらいのイベント企画に携わりました。来る日も来る日も企画書を持ってスポンサーをしてくれそうな企業を訪問し、イベントをどうやって成功させるかばかり考えていました。

自分が投げかけた想いやアイディアに共感してくれて、協力してくれることで形になっていくというプロセスがめちゃくちゃ好きだったし、とても充実した大学生活でした。そして、何よりも知らない人たち同士が1つになるイベントという場が本当に好きでした。

そこでの演者と来場者のコミュニケーションを設計し、イベントを通じて海外のイベント企画のメンバーの知り合いが増えるなど、どんどん自分の世界や価値観が広がっていく感覚があって、イベント企画にのめり込んでいきました。

高校生まで暗くて、いわゆる“陰キャ”だった僕がこんなにも沢山の人を巻き込んで、ここまでできた!という経験は自信に変わりました。

提供:パナソニック株式会社 橘氏

橘氏は企画するアカペラライブの数や規模を年々拡大。ゴスペラーズのメンバーをゲストに招いたり、RAG FAIRと共演したり、電通と共催したイベントがYahoo!ニュースのトップに掲載されたりと、活躍の幅を広げていった。

しかし、就職活動では音楽やイベント業界は志望せず、全く異なる業界を選んだという。

あの時のイベント企画に対する情熱に素直に就職活動をするなら、マーケティングエージェンシーや広告代理店を希望するのが最善だったと思います。

だけど、そうしなかった。

なぜなのか自分でも正直、理由は分かりません。

何となく、“好きなこと”と“仕事”は切り離さなければいけないと考えていました。

そして、堅実な業界の大手に入った方が家族を安心させられるんじゃないかとか、大学の友達はみんな金融、商社、メーカーのどれかに行っているからとか、そんな想いがあったように思います。

結局、自分がどうしたいのかではなく、周りのみんなが・・・という“外の指標”に振り回されて、本当は自分がどんな仕事をしたいのか全く分からなくなり、毎日考えがコロコロ変わっていました。

僕の祖父のルーツがインドネシアにあり、現地と親戚づきあいがあったことから、最終的には「アジアに住む人たちの生活をより良くしたい」なんて、“それらしく”聞こえる志望動機を作り上げていました。全くの嘘ではないですが本心であったかは、正直微妙です。

今思えば、就職活動に真剣に向き合っていなかった。いや、自分自身に真剣に向き合っていませんでした。

この時、もっと真剣に自分自身に向き合って素直に湧き上がる想いや価値観を軸に将来を考えていれば、こんなに遠回りをせずに済んだのではないかなとも思います。

ですが、その当時は「1日でも早く就職活動を終わらせて、アカペライベントのプロデュースに集中したい」としか思っていなかったんです。

「アジアに住む人たちの生活をより良くしたい」を軸に、金融や商社など様々な業界を受けた橘氏。最終的には、ネームバリューがあり、誰もが就職を祝福してくれるからという理由でパナソニックを選んだ。

SECTION
/

とにかく辛かった、入社後の4年間。“配属ガチャ問題”をいかにして乗り越えたか

その当時はリーマンショック直後であり厳しい状況での就職活動だったので、パナソニックからの内定は素直に嬉しかったです。親戚のみんなも大喜びでした。

しかし、不満は特にないけれど、これまでの経験とか自分が好きなことにめちゃくちゃ合っているという感覚は正直ありませんでした。

パナソニックは入社前に内定者一人ひとりと配属面談の時間を設けてくれます。しかし、その時もしっかりと“自分の気持ち”に向き合いませんでした。

その面談で「希望の部門や職種はありますか」と改めて聞かれた時も、しっかりと考えることなく「海外営業です!」って答えていました。

仕事で海外に行けるなんてなんかすごそうな感じがするし、イベント運営で企業訪問もしていたし営業向いているよね?なんてことを思っていました。

そして、どうなったかというと・・・

配属先は国内資材調達担当。海外でもなければ、営業でもない。いわゆる配属ガチャ問題にぶち当たりました。

でも、僕が海外営業に配属されなかったことに対しては納得できていました。

語学力に加え、“なぜ海外”なのか、“なぜ営業”なのかを考え抜き、自分自身の言葉でその想いを伝えられていた同期が海外営業のポジションに配属されていたので。

そりゃ、想いのなかった僕より強い想いを持っている人を配属するよねって。(笑)それにしても、なんで国内資材調達?と思っていました。

配属が決定された時から、自分の人生が自分でコントロールできなくなっていく感覚に陥りました。調達の仕事がどんなものなのかも全く分からず、入社まで不安でいっぱいでした。

ただ一方で、これまでも何とかなってきたし、頑張れば何とかなるだろう!とも思っていました。この時までは・・・。

配属されたチームは確かに希望通りではなかったけれど、この部署で多くのことを学び、育ててもらいました。

全然使えなかったExcelも使えるようになりましたし、決算書もだいたいは読めるようになりました。契約書も法務部門と協力して作ったり、法改正に合わせて取引のスキームを作り直し、新規の調達先や供給先と条件の駆け引きをしたり・・・本当にできるようになったことは挙げきれないほどたくさんあります。

また、扱う市場はチームのメンバー6人で数十億円。大企業にイメージされがちな縦割りの考え方も無く、新入社員でも責任感を持って仕事することができました。

それに、上司も先輩も僕を成長させようとすごく気にかけてくれていました。

ただ・・・頑張っても努力しても、できることが増えても、お客様と接していても・・・仕事を楽しいと思えませんでした。

「負けたくない」その気持ちだけが当時の自分を支えていました。

今から考えると、何に負けたくなかったのか?それすらよく分かりません・・・

「今逃げたら、この先も逃げ続ける人生になってしまう」と意地を張り、頑張って・・・頑張って・・・頑張って・・・

けれど結果を残せず、周囲の期待に応えられない日々が続いていました。

“逃げたら負け”そんな気持ちを抱きながら、頑張り続ける。そんな日々を打開するために橘は社会人3年目にして“自分自身の素直な気持ち”と向き合うことにした。

悩み続けるだけではなくて、現状を打開するために様々な行動を試しました。

例えば、悩みを相談できるような友達を作ってみたり、資格や専門知識を身に付けてみたり、ワークとライフを切り分けてみて、プライベートを充実してみたり・・・。

そんなことをしているうちに、自分の素直な気持ちや価値観をだんだんと言語化できるようになっていきました。

  • 自分はワークとライフを切り分けられない。仕事が充実していないとプライベートも楽しめない。
  • だから、人生を楽しむためには仕事を充実させることが必要。
  • やりたいことをやれている状態=仕事が充実していると言える。
  • だけど、そもそも自分がやりたい仕事が分からない。
  • だから、転職や異動をしたくてもどこにしたらいいか分からない。

このように言語化できたことで、やっと自分の想いを自分自身で客観的に理解することができるようになってきて、やるべきことが少しずつ見えてきました。

その時までは、とにかくがむしゃらに努力し続けていたので、長くて暗いトンネルに一筋の光が見えたようなイメージでした。

まず、今の仕事で成果が出せるように頑張ること。そして、やりたいことを見つける。そのためには、“自分自身の素直な気持ち”に向き合い続けながら様々な人と会って話をし続ける。そんな目標を立てて、行動を開始しました。

「パナソニック」と一言で言っても様々な部署、職種の人たちが働いています。部署や職種が変われば同じパナソニックなんだろうかと思うぐらい、雰囲気や価値提供しているお客様が異なります。

だから、まずはパナソニックの中で自分とは異なるタイプの営業、マーケティング、新規事業の立ち上げ、企画など様々な仕事をしている人に話を聞くようになりました。

そして、社内だけではなく社外のNPO法人にもいくつか所属し、様々な角度から自分の気持ちに向き合うための行動を取り続けました。

そんな日々の中でいつか、この仕事を離れる時に「もっとやれることがあったんじゃないか」って思うことがないように、今日をとにかく頑張り抜こう。そんなことを自分に言い聞かせていました。

「そんなに辛かったのに、転職や異動をすぐに決断せずに、その部署で頑張り続けられたのはなぜ?」とよく聞かれます。

それは、逃げたら負けだという思い込みに加え、自分自身の「やりたいことが分からない」ということもありました。

そして、何よりお世話になっている上司や先輩方に現業で「何かしら役に立ちたい」「恩返しをしてから次のステップにいきたい」という強い想いがあったからだと思います。

そして、入社して4年目の2月にやっと「これは自分がやりたい仕事かもしれない!」と思える仕事に出会えました。

それは、パナソニックのブランド部門にある海外でのイベントや展示会をプランニングする仕事でした。

この仕事は、社内のある人に広報の仕事の話を聞かせてもらった後、その人を通じて宣伝の部門、CSRの部門、展示会の部門・・・と人づてにコミュニケーションの仕事について話を聞かせてもらう中で興味を持ちました。

今から考えたらすごくシンプルなことなんですけど、この仕事って僕が学生時代に熱中していたイベント企画とすごく似ているんです。

「これ、学生時代にやってたことやん!」って1人で突っ込みました。(笑)

こんなにシンプルなことなのに自分自身のことを全く分かってなかったんです。大学生の頃には、どんなことに熱中できるのか分かっていたはずなのに、なぜか忘れてしまっていたんです。

どうして、この時まで全く気づかなかったのか本当に不思議なくらいです。

SECTION
/

仕事が楽しくなったら、人生も楽しくなった

念願の異動が叶った橘氏だが、正直、素直に喜べなかったという。当時を振り返り、橘氏は「過去の自分に、意地を張らなくていいよと言ってあげたい」と語る。

異動したかった部署の課長には自分の想いは伝えていたので、いつ欠員が出て異動できるのかな・・・と思っていたら、すぐに欠員が出ました。想定していたよりも早くその部署に異動となりました。

希望が叶いとても嬉しかったです。しかし、国内資材調達部門のみなさんに恩返しができないままに異動してしまっていいのかな、というもやもやする気持ちもありました。

そんな異動の直前に、国内資材調達部門で社長賞を獲得しました。

正直言って、自分の成果だって素直に胸を張って言えるものではなかったですし、自分に求められていた結果を十分に出せていた訳ではなかったです。

しかし、異動の直前というタイミングで表彰されたことは「お疲れ様。ここまでよく頑張ったね。」って誰かが言ってくれているような気がして、救われた気がしました。

異動してからは、海外でのイベントや展示会を企画する仕事に携わるようになり、面白いぐらいに全てが良い方向に進み出しました。とにかく、毎日会社に行くのが楽しくて。

提供:パナソニック株式会社 橘氏

提供:パナソニック株式会社 橘氏

提供:パナソニック株式会社 橘氏

提供:パナソニック株式会社 橘氏

一緒に仕事をした仲間との写真がこんなに沢山あります。モノクロだった世界がカラフルな世界になったイメージです。

イベントの仕事はとにかく楽しくて!ワークとライフを切り分けられない僕にとっては“仕事が楽しい=人生が楽しい”この変化が何よりも嬉しかったです。

そして、仕事が好きになればなるほど、パナソニックのこともより好きになったし、自分がこの会社にいる存在意義も感じることができるようになりました。

異動から3年後、パナソニックノースアメリカへの海外転勤が決まる。そこで、のちのキャリアに大きな影響を与える経験をする。

SECTION
/

アメリカで知ったパーソナルブランディングの重要性

パナソニックノースアメリカ(ニュージャージー州)での2年間は、これまた挫折。自分の無力さを痛感する日々でした。

たった2年間でしたが、成長できたこと、学んだこと、衝撃を受けたことは本当に沢山あります。

例えば、日本とのキャリア意識の違いについてです。

Up or Outの競争社会であるアメリカにおいて、向上心のある社員が自らの成果をしっかり周囲に伝え、次のステップアップに繋げていくことは当たり前に行われています。

特に日本との違いを感じたのが、SNSの使い方です。LinkedInやGlassdoorなどのキャリア系サービスを駆使して、自らの成果について発信し、今よりさらに良い条件のポストを探すことは当たり前。

ごく普通の会社員でもSNSを駆使してパーソナルブランディングに取り組んでいます。駐在前の自分のキャリア観にはなかったこの考え方や様子に刺激を受け、まずは自分の市場価値を知ろうと初めて転職サイトに応募しました。

海外駐在の経験は、転職の条件面でも有利に働くと言われていて、驚くほど好条件のオファーも来ました。

でも、素直に喜べませんでした。

“海外駐在経験あり、マーケティング経験あり”という経歴やスキルだけ見てオファーされたのだと思うと、好条件のオファーにも違和感を覚えました。僕がどんな価値観を持っていて、どんな想いがあるのか、何も知らないじゃないかと。

だから、まずは自分の価値観や想いをしっかりと社会に対して発信すること。そして、転職や異動といった機会があれば、そういった価値観や想いを理解してもらった上で次に進むべきだと思いました。

そのことに気づいてからは、すぐに転職サイトは解約して、その分SNSでの自分の価値観や想いの発信に注力するようになりました。

SECTION
/

SNSを駆使して、自分のキャリアを自分でつくる

帰国後の仕事について、上司と面談した際にnoteのリンクを送って、「僕がやりたいのはこういうことなんです」とプレゼンしました。

自分の価値観や想いを知ってもらった上で、帰国後の仕事について話し合うことができました。アメリカ駐在中にSNSを通じて、僕の価値観や想いを発信し続けていたのでそれが役に立ちました。

僕が帰国後にやりたかったこと、それは、パナソニックを「名もなき社員の集合体」ではなく、「個性的なタレントの集まり」にすること。

パナソニック社内にいる様々なプロフェッショナルや事業を作り出すイノベーターたちが、自分の専門性を自分の言葉で伝えることで、個人の集合体としての企業ブランドを作り上げていくことが大切だとアメリカでの経験を元に伝えました。

この想いに上司も共感してくれ、日本への帰任時に、新しい役割を作ってくださいました。

その仕事は、“新規事業に伴走する攻めの広報”だ。

パナソニックで活躍するパナソニック内の新規事業を生み出すイノベーターに伴走しながら、彼らの事業をメディアや顧客のもとに届けるだけでなく、ブランディング戦略から社員個人のSNSアカウントづくりまでサポートする。

こういったチャネルを超えたコミュニケーションを策定することで、一貫したストーリーの発信に挑んでいる。

今まで、僕はイベント企画が好きだと思っていました。でも、さらに深いモチベーションの源泉を探っていくと、新しい文化が生まれる瞬間や、人の可能性が広がった時にすごくワクワクするんだと気がつきました。

振り返ると、やはり大学時代の経験が全ての始まりだった気がします。大学生の頃に経験して分かっていたはずなのに、いつの間にか忘れていたんですよね。

田舎の“陰キャ”だった僕が、アカペラ文化をもっと広げたいという一心で活動を続けた結果、大規模なアカペライベントを主催して成功させたり、有名アーティストと同じステージに立てたりするまでに変われました。

文化の広がりを肌で感じられるのがすごく楽しかったし、自分がそこまで成長できるなんて思ってもいませんでした。音楽と人の可能性ってこんなにも広がるものなんだと実感し、ものすごくワクワクしました。

今の仕事は、まさしく“新しい文化を生み出し、人の可能性を広げる”ことがゴールだ。

社内のイノベーターを支援することで彼らの可能性を広げられることに加え、事業が成功すれば、世の中に新たな文化が生まれる。“会社の方針と自分のやりたいことがしっかりマッチしている”状態だという。

自分のやりたいことを実現できているという橘氏だが、「やりたいことをやるなら組織が身軽なスタートアップの方が良いのでは?」と疑問をぶつけると、「パナソニックのような大企業とスタートアップは社会で求められる役割が違う。大企業にまた違った面白さがある。」と語る。

僕が今、パナソニック内のイノベーター支援の仕事をしているので“イノベーター”という観点で答えると、例えばイノベーターが枠を越え、世間に認知されるためには、“フォロワー”の力が必要です。

イノベーターが作り出した未来を社会に広く浸透させるためには、大企業や行政のような組織がうまくフォロワーにまわる必要があると思います。

スタートアップと大企業がそれぞれの役割を全うし、協力し合うことで社会が変わると思うと、自分がこの組織でやることが多くあると思います。

もう1点、橘氏がパナソニックに感じる魅力がある。それは、パナソニックで働く“人”が好きなのだ。

みんな、本当に真面目で誠実。純粋に人として尊敬していますし、これからの時代を生き抜くうえで、誠実さは強みになると考えています。

現在、ソーシャルメディアにはフェイクニュースがはびこっていますが、偽物はいずれ淘汰される。長い目で見れば、誠実な人や会社は絶対に強いはずだと思います。

SECTION
/

“やりたい仕事”を手にしたいなら、“想い”を発信しよう

社内のイノベーターを支援する立場にいる橘氏は、学生からキャリアについて相談される機会も多い。よくある相談は「やりたいことをすぐにやらせてもらえる環境をどうやって見つければいいのか」だという。

特に大きな組織で自分がやりたいことをやらせてもらうためには、自分の専門性や想いを発信し続けることが大切です。

なぜ自分がその仕事をしたいのか。その想いを裏付ける専門性や経験はどの程度あるのか。普段から社内外問わず伝える癖をつけ、周囲にも理解してもらうこと。それが自分のやりたいことをやらしてもらうための秘訣だと思います。

例えば、責任者が「この仕事を誰にお願いしようか」と思ったときに、普段から伝えておけば声が掛かりやすいし、自分の存在を思い出してもらえます。

さらに、仕事をする上で大切にしてほしいことがもう1つあります。それは、どんな人たちと一緒に働ければ自分は幸せなのかということを理解しておくことです。

自分自身がどんな人たちなら尊敬でき、一緒に頑張ろうと思えるのか、その価値観を因数分解して言語化してみてください。

そして、一緒に働くチームメンバーがどのような人たちなのか、とにかく人と会って部署の雰囲気を知って自分の価値観と合うのか、照らし合わせてほしいと思います。

とはいえ、会社の規模に関わらず、想定外のチームに配属されることもあるし、やりたかった事業がなくなってしまう可能性もゼロではありません。

そういった可能性をなるべく避けて、少しでも“理想の職場”に近づくためには、まずは自分の気持ちに素直に向き合うこと。そして、やはりその素直な想いを発信し続けることが大切です。

例えば、単に「営業がやりたい」と希望を表明するだけではなく、「なぜ営業をやりたいのか」という想いを綴ったブログを100件ぐらい更新していれば、絶対に本気度は伝わりますよね。

人事も人間なので、強い意志があると分かれば、希望を汲んでくれる可能性は高くなります。

もちろん、別にSNSにこだわる必要はなくて、デジタルでもリアルでも、自分に合う手段を使えばいいと思います。

理想を抱いているなら、勇気を出して発信してみることをおすすめします。そうすれば、必ず仲間になってくれる人たちに巡り合えます。

最後に、橘氏に改めて「やりたいことが見つからない」と悩んでいる人に向けてメッセージをもらった。

タイトルに戻りますが、僕は「やりたいことは見つからないのではなく、忘れているだけ」だと思います。

これまで自分が経験して面白い、人に負けたくないと思ったことを思い出せば、もうすでにみんな自分のやりたいことやありたい姿に気づいているものではないかと思います。

一方、組織から求められることでまったく意識していなかった自分の得意に気づけたり、自分にとってはあまりに当たり前にできることが他人から見て真似できない特別なことであったり・・・みたいに、人から言われて自分の可能性に気づくこともあるでしょう。

だからこそ、自分が感じたこと、学んだこと、違和感を持ったこと、1つひとつアウトプットして、時には人からフィードバックをもらうことが大切なのではないかと思います。

いま、まさに自分のキャリアや仕事に悩んでいる方がいれば、その悩みを見える形で外に出してみてはどうでしょうか。忘れている自分の想いを思い出せるかもしれません。

輝かしいキャリアの裏側にあった葛藤を、赤裸々に語ってくれた橘氏。何度苦境に立たされても決して環境のせいにすることなく、自ら道を切り拓いてきたからこそ、今がある。

彼はひたすら自分と向き合い続け、結果的に熱中できる仕事を得られた。最も大きな転機は「自分は何に心が震えるのか」を思い出した時だろう。

橘氏の言う通り、誰でも生きているなかで一度は心が震える瞬間を感じたことがあるはずだ。それはどんなタイミングだったのか、なぜ心が震えたのかを掘り下げてみると、熱中できる仕事を見つけるためのヒントを得られるかもしれない。

こちらの記事は2020年03月18日に公開しており、
記載されている情報が異なる場合がございます。

記事を共有する
記事を保存する

Presented by

写真

藤田 慎一郎

この連載の他の記事

この連載のすべての記事をみる

おすすめの関連記事

会員登録/ログインすると
以下の機能を利用することが可能です。

When you log in

新規会員登録/ログイン

SNSアカウントでログイン

パスワードを忘れてしまった方はこちら

メールアドレスでログイン

*の項目は必須項目になります