連載パナソニックが提唱するミッションドリブン 〜人生100年時代の新・キャリア戦略〜

大手企業からは新規事業が生まれにくいという定説を覆す
~落ちこぼれだった少年はなぜ、シリコンバレーで活躍するビジネスパーソンになれたのか~

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インタビュイー
中村 雄志

立命館大学大学院を修了後、在学中にインターンを経験したのち松下電工株式会社(当時)に入社。生産技術、研究開発、商品開発、経営企画などを経て、2017年よりシリコンバレーで北米向けIoTサービス事業開発の責任者を担当。現在は、事業部門の事業開発と北米営業、本社部門の組織変革と北米事業開発の併せて4部署を兼務する。グロービス経営大学院2016年卒業。行動指針は「パナソニックを使いこなす、圧倒的に。」

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パナソニックがシリコンバレーに開発拠点を持っていることをご存知だろうか。

ここでは、これまで培ってきたハードウェアの開発力とシリコンバレーならではのスピード感を掛け合わせ、くらしの統合プラットフォームとなる「HomeX」をはじめソフトウエア強化による新たなビジネスモデルの創出・推進が行われている。

今回インタビューをお願いした中村雄志氏は、まさにその場所でIoTサービスの新規事業「ENY feedback」の事業リーダーを務めつつ、「HomeX」の開発にも参画しているパナソニック随一のイノベーティブ人材である。

そんな中村氏だが、「幼いころから何でも器用にこなせるタイプとは言えず、常に最下位からのスタートでした」と話す。逆境でも諦めず、パナソニック随一のイノベーティブ人材にまで成長し、熾烈な争いが強いられるシリコンバレーで新規事業を軌道に乗せることができた理由とは。

  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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公道を走る自動運転車、驚いていたのは自分ひとりだった

中村新規事業開発を行うなら、絶対にシリコンバレーでやりたいと思ったんです。

Panasonic R&D Company of America, Senior Manager・中村雄志氏

中村2016年の3月、初めてシリコンバレーに出張したときのことでした。自動運転車が当たり前に公道を走っていたんですよ。しかも、1台や2台といったレベルではなく、かなりの数です。

そんな光景を見たら、普通は「えっ」と驚くじゃないですか。でも、驚いているのは私だけ。2016年時点でシリコンバレーでは自動運転車が走っている状態が当たり前だったんです。

新しいプロダクトやサービスが社会に実装されていくスピード、新しいものをどんどん受け入れているカルチャーなど、すべてが日本で感じていたものと桁違いで・・・

例えば、シリコンバレーではメールは基本的に「即レス」。会議でも「社内に持ち帰って検討します」の発想は全くなくて。

会議に出席している全員が圧倒的な当事者意識をもって、その場に参加していることは一瞬で感じ取ることができました。

大企業の社員であっても、ベンチャー企業の社員であっても、自分がどこに所属しているかどうかは関係なく、一人ひとりが「個」を強く持って働いている点が日本とは大きく異なりました。

ビジネスに対するスピード感や決断力に圧倒される日々でした。

シリコンバレーで働く人たちの日本や日本人に対する期待値は、驚くほど低かったという。

目を背けたくなるような事実に直面した中村氏はショックを受けると同時に、「シリコンバレーのトップレベルに少しでも近づきたい。その中で勝負をしたい」というモチベーションが湧き上がってきたという。

中村日本のビジネス面での弱点としては、

  • 行動しない
  • 全て(決断、返信など)が遅い
  • リスクを避ける
  • 個の力が弱い
  • 日本人としか仕事をしたがらない
  • 日本市場から出ようとしない(日本市場での成功で満足しがち)

などが挙げられると思います。

日本は観光地としての評価は高いものの、ビジネス面では欧米だけでなく中国や東南アジア、インドにも圧倒的に劣っている事を痛感しました。

このままでは日本のプレゼンスが下がり続けてしまう。日本を背負う一員として世界に挑まなければいけないと思いました。

私は日本や日本人が好きで、誇りに思っています。そして、シリコンバレーで活躍している日本人が大勢いることも知っています。だから、他国との差は超えられない壁ではないはずだと私は本気で信じています。

また、シリコンバレーを始めとした世界トップレベルで活躍するビジネスパーソンや企業に真っ向から戦って、どれだけ良い勝負ができるのか。純粋に知りたいなとも思いました。

決意を固めた中村氏はシリコンバレーの出張から日本へ戻ると、新規事業アイデアを提案。シリコンバレー行きを希望した。

当初は「君がやらなくても、現地組織の誰かがやればいい。それに、この新規事業はシリコンバレーにいるローカル社員でないと実現することは難しい」と却下された。

しかし、必死に食い下がった結果、ついに渡米が許可されることになる。

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ペルソナ設計だけでは不十分。シリコンバレーで求められる徹底したユーザー視点

しかし、許された駐在期間は「テスト期間として3ヶ月。最長でも10カ月」だった。

駐在期間を延長できる唯一の方法は、新規事業であるIoTサービス事業の仮説検証を高速で実行する体制を構築し、その成果を出すことだけだった。渡米後、すぐに中村氏は世界へチャレンジできると思えるメンバーを国籍や社内外に関わらず集めた。

そして、その仲間たちと中村氏は「ENY feedback(2019年から日米で展開しているサービス)」の前身となる eny Home を開発。

そのサービスをサンフランシスコの25世帯にサブスクリプションサービスとして生活のなかで使用してもらい、そのフィードバックを受けながら改善を繰り返し、仮説検証を進めた。

日本のQUANTUM社と現地ベンチャー企業のサポートも受けながらではあったが、中村氏のチームはわずか3ヶ月で開発体制の構築までやり抜いた。

こうして、会社から提示された条件をクリアし、シリコンバレーでの駐在期間は半年、1年と延びていった。現在は3年目を迎える。

シリコンバレーの事業開発環境、社内外のメンバーとOne teamで活動
提供:パナソニック株式会社 中村氏

2016年にパナソニックとして初めてオースティンのSXSWへ出展、QUANTUM社と共同出展
提供:パナソニック株式会社 中村氏

中村氏に熾烈な争いが繰り広げられるシリコンバレーで生き残れた理由を聞いてみた。

中村理由があるとするなら、それは、「ユーザー視点」に基づいた意思決定や行動にどんな状況でもこだわり続けたことでしょうか。それも「徹底的なユーザー視点」です。

シリコンバレーでは常に、「誰の」「どんな問題を」解決するのかが問われます。ペルソナを作るだけでは、まだまだぬるい。

特定の1人である「この人に」を具体的に示した上で、「この人のこの問題を解決する」と言えなければ相手にされません。

組織の理屈や人間関係や肩書に引っ張られず、会社やチームの中での衝突を覚悟してでもユーザーに徹底的に向き合い続ける姿勢が求められます。

これまでも日本で商品開発に携わっていたので、ユーザーに向き合ってきたつもりではありました。

しかし、シリコンバレーの企業がユーザーに向き合う姿勢と比べたら、これまでの自分は社内組織や関係企業の意向に引っ張られ、徹底的にユーザーに向き合っていたとは言えないと思いました。

シリコンバレーで徹底的にユーザーに向き合い続けた結果として生み出されたのが、IoTサービス「ENY feedback」である。3つのボタンで構成されており、見た目も操作性もシンプル。リテール店舗やスタジアムなどに設置し、顧客の満足度をその場で収集することができる。

例えば、スーパーの出口で買い物後の顧客に対し、「接客態度はどうだったか?」と投げかけ、「Awesome!」「Good!」「Bad」といった3つのボタンを押してもらうことで満足度を測る。

「ENY feedback」はどのような社会課題を解決するために生み出されたのかを中村氏に聞いてみた。

中村それは、ユーザー理解はまだまだ不十分であり、この課題感は多くの企業が持っています。

「私たちはユーザーのことを100%理解しています。ユーザー理解については、向上をさせる必要がありません。」と言い切れる企業は、おそらく世界に1つもないはずです。

だから、様々な企業のユーザー理解をよりサポートできるサービスを作ることができたら、多くの企業の課題解決に繋がるのではないかと考えました。

では、ユーザー理解のポイントは何か。それは、満足度の把握です。

満足度の把握は、すでにWEBアンケートやインタビューなど多くの調査手法があります。しかし、現行の満足度調査の手法だけでは不十分だと考えています。

そもそも、人は基本的に忘れやすい生き物ですよね。

店舗ですごく良いサービスを受けて感動しても、時間が経つと何に対しての感動だったのか曖昧になり、1時間後には56%を忘れると言われています。(※エビングハウスの忘却曲線より)

だから、接客を受けた直後に意見を聞けば、より実体験に沿った精度の高い満足度を計測することができます。その精度の高い満足度をデータ化、そのデータをクラウドサーバーに保存し、それぞれの企業のサービス向上に活かしていく。

それを実現するために、生まれたのが「ENY feedback」です。

このプロダクトは、ハードウェア部分は一般消費者とサービス事業会社向け、ソフトウェア(スマホやPC向けアプリ)は事業会社向けとなっています。世の中で IoT や SaaS (Software As A Service) と呼ばれるものです。

この「ENY feedback」のサービス提供を通じて、ユーザーが直感的にボタンを押してしまうようなリアル空間でのUX(User Experience)デザインのデータベース化や、ノイズデータの除去、限りなくシンプルなUI(User Interface)のアプリ開発、利用事例のプッシュ通知システムなど新しい顧客価値の発見があり、その発見をまた開発に活かしていくというサイクルができています。

シリコンバレーの厳しい環境で、ユーザーに徹底的に向き合いながら活動をしてきた結果、これからのパナソニックが目指す「くらしアップデート事業」に合致するプロダクトになったと思っています。

さらに、自分も含めて関わったメンバーや組織がこの事業を通じて成長できたとも感じています。

2018年に事業部として初めてラスベガスのCESへ出展、ホームと工場向けのIoTサービスを展示
提供:パナソニック株式会社 中村氏

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英語、サッカー、成績・・・。いつも最下位からのスタート

シリコンバレーで怯まず戦い続ける中村氏。その度胸は、いかにして培われたのか。

中学2年生のとき、中村氏は父親の仕事の関係で茨城からドイツのミュンヘンへ移住。現地のインターナショナルスクールに通ったが英語がほとんど喋れないうえに、サッカーにのめり込んだこともあり、勉強は二の次で、成績はふるわず。

のめり込んだサッカーでは、現地の高校で新設されたチームとクラブチームの2チームへ所属。しかし、プロを目指せるほど上手いとは決して言えないレベルだった。

高校まではドイツで過ごしたが、大学は日本の大学へ進学。しかし、「大学へ進学しても相変わらずで、勉強は全然ダメでした」と苦笑いを浮かべる。

中村大学は、環境問題に貢献するためのモノづくりを学べる学校を選びました。

ドイツをはじめヨーロッパでは、当時から環境への関心がとても高く、ゴミの分別もビンの色毎に分別するなど生活の中での環境配慮の徹底ぶりとこだわりのレベルが日本とは全然違いました。

そんな環境で育った事もあり、自然と環境への意識が芽生えました。それと同時に、幼い頃からLEGOやプラモデルなどモノをつくることが好きだったので、機械工学と環境問題への貢献を両立できる大学を探していました。

そこで出会ったのが立命館大学 理工学部でした。入試の小論文や面接では「便利ではなくても、環境に優しい洗濯機などを創るべき」と語ったことを今でも覚えています。

そして、大学4年生からはじまった研究室での研究に興味をもち、大学院に進もうとしたんですが、成績が良くなくて・・・推薦はもらえませんでした。

次に一般受験にも挑戦したのですが、合格点に5点だけ足りず、落ちてしまって・・・。友達にも驚かれました。「みんな、だいたい推薦で進学するし、さらに一般試験まで落ちる?」って。(笑)もう、笑えないというか・・・笑うしかないというか・・・。

教授に「必死で頑張りますから、なんとか進学させてください!!」と頼み込みました。

結果的に教授のご厚意で、なんとか進学することができました。

ただ、せっかく進学できた大学院でも、1年目は「出来損ない」でしたね。めちゃくちゃ悔しかったです。

だから、時間がかかっても、カッコ悪くてもがむしゃらに努力し続けました。そうしているうちに、徐々に研究成果が出るようになり、周囲も認めてくれるようになりました。

最終的には国際学会での発表や博士課程への進学を薦められるまでに成長することができました。

あ、そうそう。この時に一緒に研究をしていて、とてもお世話になった先輩2人は、後にパナソニックで同じ部署になりました。どこで何が繋がるか分かりませんね。

どんな逆境に立たされても諦めず、粘り強く取り組んで成果につなげた中村氏。辛くても、なぜそれほど努力できるのか。秘訣を聞いてみた。

中村腐らずやり続けるには、今日の1歩を丁寧に積み重ねていくことが大切です。どんなに成績が悪く、周囲から遅れを取っていると感じていても、まずは「今日だけ」でも頑張れば、ほんの少しは成長できる。

とにかく自分の努力を継続し、昨日の自分より少しでも成長できているか、という視点で自己ベストを更新するイメージです。何もしなかったら0は0のままですけど、何かしたら0ではないですよね。

学校の勉強や研究、サッカーの時も、「まずは今日を頑張ろう。今日のベストを出すんだ」って自分に常に言い聞かせていました。

自分はいわゆる優等生タイプではないので、他人と自分を比較すると落ち込んでしまいます。だから、「過去の自分と比べてどれだけ成長できたのか」という自分の中での相対比較を重要視しています。

大前提として、「世の中は不公平で理不尽。努力が報われる保証はない」と思っています。

保証がないからこそ、「目の前の仕事にベストを尽くす」ことで少しでもチャンスを掴める確立を上げていくことを大切にしています。

また、「自分がどこに向かっているのか」という目的やゴールを意識することも大切だと思います。向かっている方向さえ合っていれば、毎日少しずつ進むことで、ゴールにいつかは必ず到達しますからね。

ただ、ずっと一人で頑張り続けるのは正直辛いですよね。だから、ある程度努力を積み上げたら、1週間単位、1ヶ月単位などとスパンを決めて、定期的に成果を振り返ったり、周囲に報告したりするなどして自分を褒めてあげる時間をつくることがおすすめです。

大学院での経験を事例に、もう少し具体的にお話しますね。

院進学して間もない頃は、教授や先輩に指摘されたこともすぐには改善できなくて、同期の2倍の時間をかけてやっとできるという感じでした。教授から、「こんなこともできないのか」って言われて落ち込むなんて日常茶飯事。そんな状況がしばらく続いていました。

しかし、先ほどお話したことを意識しながら非効率でも時間をかけて途中で諦めることなく、実験を積み重ねることで、少しずつ成果が出るようになりました。

そして、隔週の打ち合わせなどで、その成果を研究室で共有していくと、少しずつ教授や先輩の私に対する見方が変わっていく事を実感でき、自信に繋がっていきました。

最終的には教授から国際学会での発表や博士課程への進学を薦められるまでに成長することができました。

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深刻な業績不振、相次ぐリストラ。それでも会社をやめなかった理由

就職活動では研究室の先輩からの勧めもあり、パナソニックの研究部門でOJT型のインターンシップを経験。そこで、「専門領域において技術的な知識レベルが高い」「世話好きな社員が多い」とパナソニックで働く人に魅力を感じたという。

「将来的にこんな風に尊敬し合いながら和気あいあいとしたチームをつくりたい」という想いからパナソニックを志望した中村氏。

晴れて入社を果たしたものの、配属先は想定外だった。

中村インターンシップでお世話になった本社研究部門の上司や社員の方々からも評価していただき、「入社後はうちにおいでよ、中村君ならすぐに活躍できるよ」と誘われていたので、てっきりそこに配属されるものだと思っていました。

しかし、蓋を開けてみると本社でもなく、研究部門でもありませんでした。地方工場の車載製品を扱う事業部門の配属で・・・。正直、面食らいました(笑)。

さらに、自分は器用にこなせるタイプでもない上に、大学院時代の専門性や英語やドイツ語を十分に活かせる部門でもなくて・・・

そういった事が相まって、新入社員の頃は同期と比べて後れをとっていると感じていました。

でも、ここでも先輩がすごく助けてくれたんですよね。厳しく叱られることもありましたが、愚痴を聞いてくれたり、程よくいじってくれたり。(笑)

「愛情を持って育ててもらっているな」と感じられる職場だったからこそ、腐らず自分を高めていこうと思えました。

また、得意じゃない場所は自ら望んで来ない場所なので、この場所で得られる経験値は全て得ようと、思うように心がけていました。

周りの社員に助けられながら、日々の自己ベストを更新する事だけに集中した。すると、自分の得意な領域が見つかっていく。

中村転機になったのは、工場で最も課題だった商品の品質改善業務担当になったことでした。それまでは、1つの部門で特定の作業に向き合い続けている仕事でした。

しかし、品質管理業務は複数部門と密に連携しながら製品の改善点を見つける仕事になります。

自分自身はHUB(ハブ)の役割としてみんなを繋ぐ「要(かなめ)」になることが得意だと気づいてからは、改善業務で工場の品質改善、コスト削減に貢献できるようになり、仕事において「ありがとう」とか「良いね!」って感謝されるような機会も増えました。

また、自分のささいな行動1つであっても、それによって組織の雰囲気が前向きに変わっていくことを実感しました。これは今の自分にとって貴重な原体験の1つです。

初期配属された事業部門で成果を残した中村氏は、かねてから希望していた研究部門へ異動。ようやく研究に集中できると思いきや、再び厳しい局面に立たされる。

中村私が入社してから所属部門の経営は安定していたのですがプラズマテレビの事業に失敗した影響で、数千億円単位の赤字を計上したんです。しかも、2011年と2012年の2期連続で。

プラズマテレビの部門ではリストラがあったり、メディアでもパナソニックが批判され続けたりしていて、本当につらかったです。

それでもパナソニックはここで終わる会社じゃない、もっと可能性があるはずなんだって思っていました。

この時から、自分自身が何をすればこの状況を打開できるのかを真剣に考えるようになりました。

中村氏は、この苦境を「自分がなんとか打開しなければいけない」と衝動的に思い立つ。赤字から抜け出すには、売れる商品を作るしかない。

とはいえ、エンジニアとしてキャリアを歩んできた中村氏は事業立ち上げの経験やノウハウを持ち合わせていなかった。

そこで、ビジネスの素養を身につけるため、働くかたわら大学に通い、MBAを取得。現在では、ビジネスとテクノロジー両方の視点をもって、新規事業開発に取り組んでいる。

あえて困難な状況に身を置き、圧倒的な当事者意識で行動し続けることができたのは、なぜだったのか。

中村シンプルにパナソニックの仲間が会社を去らねばならない状況がつらかったんですよね。黙って何もせずに見ているだけなんてできなかった。パナソニックに入社したのも、会社の風土や人が決め手でしたから。

インターンの指導担当はもちろん、仕事上関係ないチームの人たちも声をかけてくれたり、コーヒーに誘ってくれたりしました。その「人の温かみ」みたいな部分は入社してからも全然変わらなくて。

みんな世話好きというか、お節介というか。だからこそ、これまで自分に良くしてもらった分、何か少しでも恩返しがしたかったんです。

苦境に立たされたパナソニックから「逃げる」ことを選択しなかった中村氏。とはいえ「逃げるのは決して悪い事ではない」とも語る。

中村無理をしすぎて、身体や心を壊す事だけは避けなくてはなりません。インパクトや価値の大きさと、実現する難しさは比例することが多いです。

だから、自分の身体や心が壊れてしまうほどのどうしようもないチャレンジだと判断したら、諦めて逃げることも選択肢として持つべきだと思います。

私の場合、無理かどうかを判断する際は、「自分自身の素直な気持ち」と「自分が心から信頼できる人の意見」を大切にしています。

迷った時は、夜寝る前や週末にじっくり内省する。同時に、家族や心から信頼できる仲間に相談するようにしています。

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大人こそ、志を持つべき。私は絶対に諦めない

現在は、2011年、2012年の業績不振の時とは異なるモチベーションに突き動かされている。

パナソニックでチャレンジし続けるなかで、中村氏は自身のミッションを見つけた──「大企業は変われない」「大企業では新規事業が起こりにくい」「日本企業は世界では戦えない」といった定説を覆すことだ。

中村これまでの世の中を支えてきているはずの大企業が「苦境に立たされている」と言われ続けるのは、悲しいじゃないですか。

大企業は、個人もチームもパフォーマンスをまだまだ最大化できていないと、パナソニックで16年働いて感じています。

まだまだ可能性があるんです。諦めたらそこで試合終了です。私は絶対に諦めません。これからの環境に応じたベストな働き方や体制を再構築してみせます。

大企業が培ってきた事業開発メソッドは、顕在化した顧客に対して、時間をかけて高品質なものを創る手法。一方で、スタートアップは潜在顧客に対して、スピード感を持ってイノベーションを創出することに長けています。両者を掛け合わせれば、最強の組織になれるはずです。

さらに、大企業がスタートアップのように個々のパフォーマンスを最大化させる働き方ができるようになった時、どこまで行けるのか。私はその景色を見たいんです。

ミッション達成に向けて、まずは新規事業「ENY feedback」や「HomeX」に取り組む。容易に達成できないミッションである事は十分に承知した上で、中村氏は揺るぎない意志を見せる。

中村世の中の変化のスピードは、ものすごく速くなっていますよね。今日の常識が明日には変わっている事なんて、ザラにある。

シリコンバレーにいても、「それは無理、昔やって失敗した」など色々な声を聞きますが、これだけ変化が激しい世の中にいるので、諦めない限りチャンスはあり続けると信じています。

どんなに壮大な志でも、諦める必要はないんですよ。それは組織でもそうですし、個人レベルでもそうだと信じています。

「いい大人が志を持つのはダサい」と言われるかもしれませんが、むしろ逆。大人こそ志を持つべきです。私も、シリコンバレーで日本のプレゼンスを上げたいという志を持っていたからこそ、数々の苦難を乗り越えてこられました。

志を諦めず、実現するために試行錯誤し続ければ、結果が必ず伴ってきます。

どんなに厳しい状態であっても、愚直に自己ベストを更新し続けることで、道を切り開いてきた中村氏。

そんな彼の周りには自然と仲間が集まってくる。彼を見ていると、「本気で取り組む姿には人を惹きつける力がある」と思わせてくれる。仲間と共に「大手企業からは新規事業が生まれにくい」という定説を彼が覆す日はそう遠くないのかもしれない。

こちらの記事は2020年04月08日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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藤田 慎一郎

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