連載SmartHR 特別座談会
【特別座談会・前編】理想のSaaSとは、永遠に完成しないものである──なぜか低下する自己採点、そのワケから知るSmartHRの意外なカオスさ
Sponsored日本において、理想のSaaSプロダクトを持つ企業はどこだろうか?それはやはり、上場企業約30社のどこか、と答える人が多いはず。だが、未上場のSmartHRを挙げる人もきっと少なくない。いや、むしろ最も多い可能性だってある。特に、現役のプロダクトマネージャーに聞いたら、多数派を占めてしまうのではないか。
そんな急成長プロダクト『SmartHR』の現在地を探るべく、CEOやVPとして開発を司る4人を招き、現状を“ぶっちゃけ”で語ってもらった。
取材前に用意していたのは、これらの質問。「完成度の高いプロダクトはどのように生み出されているのか?」「顧客の課題を適切に取り入れる方法とは?」「SaaSの王者はマーケットでどのような戦いをしているのか?」等。
だが実際に得られた答えは、「完成度は25点」「永遠に完成しない」「後発・少数での難しい戦いを強いられ続けている」といった生々しい話。まるで反省会の様相を呈した。
これを、期待外れとあなたは思うだろうか?いや、きっと、これが本当の“SmartHRらしさ”なのである。日本随一のユニコーンSaaS企業の実態を知る、2本立ての記事の旅に、あなたを連れていく。まずは前編、テーマは「プロダクトも組織も、驚くほど未完成であるという現状」だ。
(後編記事はこちら)
- TEXT BY YUI MURAO
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
プロダクトの完成度、40点→30点に?
ユニークな自己採点の裏側
今回集まったのは、未上場ながら日本随一の成長を続けているSaaSプロダクト『SmartHR』の開発責任を負う4人。もしあなたが情報感度の高いビジネスパーソンならば、(やや大げさに言うのなら)彼らを知らないなんてことはきっとないだろう。
さあ、まずは、プロダクトとしての完成度という観点で、現在地についてその本音を聞いてみたい。
芹澤私たちが解決しようとしている課題は、おそらくみなさんの想像よりもかなり大きいです。なので今、プロダクトとしての完成度は30点くらいに採点し直してもいいかもしれないと思っています。
さて、さっそく読者の頭の中には「?」が生まれているかもしれない。
『SmartHR』については、人事・労務管理クラウドサービスとしての第一想起であり、すでに洗練されたプロダクトであるという印象を持つ人も多いだろう。ちなみにこの記事原稿を執筆・編集している2022年8月現在、同社の採用ページでは、「プロダクトとしての自己採点」を「40点」だと公言している。
そう、自己採点は「低下している」のだ。
ユーザーが増えれば増えるほど、そして導入先の企業規模や業種が多様化していくほど、解決したい課題が増えていく。芹澤氏の「30点」という現状分析の裏側には、そういった事情がある。
とは言っても、VP3人に聞けば「良い採点」もきっと出てくるだろう。聞いてみよう。
安達私個人の視点では、2020年頃が25点、そこから今は30点くらいに上がった感覚です。以前は障害が発生してしまうこともたびたびあり、基本的なサービスの提供が一部できていませんでした。この5点分は、プロダクトを提供する組織としてベースや体制が整ってきた成果を加味しています。
森住「100点」をどこに置くかで到達度も変わるかと思いますが、私たちがサービスビジョンに掲げる“Employee First.”──すべての人が、信頼しあい、気持ちよく働く社会を実現することがゴールだとすると、到達度としてはまだまだ20~30点かなと思います。
それは私が管掌するエンジニア組織においても同じです。社内のプロダクトエンジニアは現在70人ほど。今後、数百人規模の組織を目指していくとなると、もっとスピーディーな開発環境やマネジメント体制を整えていかなければならない。シンプルに、やりたいことに対して人が足りていないという意味で、この点数にしました。
宮原私も、公言している40点よりも少し下の25点くらいだと捉えています。デザイナーの視点で言うと、やはり事業やアプリの規模が拡大する中で、「機能を跨いでいかにユーザーに平易な使い心地を実現するか」の難易度も上がってきていると感じていて。まさに、一歩進んで二歩下がる日々といった印象ですね。
三者三様の視点が興味深い……とのんきに聞いている場合ではない。2015年11月のローンチ以降、ユーザー数や売上を右肩上がりに伸ばし続け、実際に市場でのシェアは4年連続1位という地位を確立しているのが『SmartHR』というプロダクト。だが、この開発責任者たちは一様に、まるで反省会でもしているかのように、苦笑いで落第点を披露し続ける。
これには、SaaSプロダクトの開発を担う読者諸君も、「自分の考えは甘かった」と痛感するのではないだろうか。
SmartHRという会社では、プロダクトの“現状の到達度”について、常に共通してシビアな見方をしているのだ。しかし、到達度に対する自己採点が低いということは「決してネガティブな話ではない」と、宮原氏は強調する。
宮原SmartHRが掲げるデザイン原則の中に「完成のないプロダクトをみんなで作ろう」というものがあります。
当たり前のことですが、私たちのプロダクトは使い続けてくれるユーザーがいるから成り立っている。だからこそ、社会情勢やユーザーのニーズの変化に応じて、プロダクトを常に成長させることが求められているんです。
ユーザーや社会の課題に常に向き合い続けるプロダクトは「永遠に完成しない」、そんな宿命を持っていると言えるのかもしれない。
CEOの芹澤氏も、プロダクトや組織における“未完”の状況をポジティブに捉えている一人だ。
芹澤プロダクトも組織も、常に進化し続けています。2016年に、当時社員が3人だけだったSmartHRに入社してからもう6年。今では従業員が700人近くになっているのですが、さまざまなアウトプットの質と量が格段に上がってきています。
プロダクトについても、昔は労務業務の効率化でいっぱいいっぱいでしたが、今では並行して人材マネジメント領域に進出し、働きやすい組織づくり・選ばれる組織づくりまでサポートできるようになりました。このように、昔だったら到底できなかったであろうことに挑戦できているのは、シンプルに楽しいです。
レベルを上げれば上げるほど、やれることが増えていく、終わりのないRPGをプレイしてるような感覚ですね。
実は非常に不利な戦いをしている、
新規事業の現場──少数精鋭の裏返しとは?
「なぜ永遠に完成しないのか」を考えるうえで、特に重要になるのが“マーケット”への向き合い方だろう。プロダクトとマーケットは、常に背中合わせ。「プロダクトアウトorマーケットイン」という議論が白熱した時期もあるが、最近はむしろ「いかに両立するか」「この事業における最適なバランスはどのようなものか」という考え方が当たり前になっている。
そのマーケット状況について、「このようにお伝えしたら、プロダクトや組織がいかに進化の過程にあるかをご理解いただけるのではないか」と切り出したのは、安達氏だ。
安達クラウドで人事・労務領域の業務効率化を支援する事業は、私たちが市場を切り拓き、つくってきたという自負があります。これまでスピードを落とすことなく、トップランナーとして走ってきました。一方で現在は、後発で参入してきた優秀な競合プロダクトと常に戦っている状況です。
ソフトウェアそのものをコピーすることはそう難しくありません。そうなると、他社と差をつけるのがどんどん難しくなってきます。業種を問わず汎用性のあるホリゾンタルSaaSであれば、なおさらですよね。
さらに、今見るべきマーケットは、人事・労務領域だけではありません。人材マネジメントという、私たちが明らかに後発で参入した領域もあります。
安達氏が言うように、特に人材マネジメント領域は昨今「人的資本」が経営や事業戦略において注目されている流れもあり、さまざまなプロダクトが続々と生み出されている。
安達人材マネジメントのプロダクト開発だけを切り出してみてみると、意外と不利な戦いをしているのだなと感じてもらえるかもしれません。現時点では、各プロダクト10人程度の小さなチームで開発を進めています。
競合はどうか。上場企業で、数十人~百数十人の開発組織になっているところもあります。海外の競合なら、数百人いるかもしれません。実は今、そういう戦いをしているわけなんです。みなさんが思っているよりもハードな挑戦をしていると言えそうです。
同社であれば、社内リソースをもっと投入したり、採用数を大きく増加させたり、あるいはM&Aを進めてプロダクトや開発リソースを取り入れたり、といった打ち手もとれそうだ。
にもかかわらずなぜ、自ら「ハード」と呼ぶほどの戦いに挑んでいるのだろうか?それはもちろん、彼らの描くロードマップを実現するために必要な過程だからだ。
以前取材した倉橋氏(記事はこちら)によれば、SmartHRの原点であり主力事業の「人事・労務」領域が、プロダクトで提供したい価値の全てではない。その先には、プロダクトに蓄積された人事データのさらなる活用や、多種多様なシステムとの共存・共栄を目指す「プラットフォーム構想」を見据えているのだ。
先ほど安達氏が示したように、開発リソース面における競合との差分のような「点」だけを見ると、厳しい状況に置かれているようにも思える。だが、当然、計算ずくだ。戦略はもっと未来を見据えている。
だから、社全体で700人規模の組織となった現在も、これまで以上と言っていいほどの勢いで積極採用を進めている。芹澤氏も、「組織はまだまだ完成形ではない」と話す。
芹澤海外に目を向ければ、事業としても組織としてもさらに大きなBtoBサービスを手がける企業は世の中にたくさんあります。売り上げだって、一桁も二桁も額が違う。
そういった企業と単純比較しても仕方ありませんが、僕らにもまだまだやりたいことはたくさんあり、壮大なビジョンのもとに企業活動をしています。そのビジョンの実現を考えると、プロダクトも組織も現状は「未完成」といえます。
先ほど採点してもらった「プロダクトの完成度」において、判断基準は微妙な違いがあったが、共通しているのは「解くべき課題が増えていること」と、それに伴って「やりたいことも増えている」点というわけだ。
SmartHRが目指すゴール自体が、どんどん壮大なものになっているとも言えるだろう。ただでさえ変化の激しいSaaS業界。膨大なタスクを抱える中、優先順位をつけて意思決定していくことが、今後さらに求められるはず。
そこで重要になるのが、経営戦略と紐づいたプロダクトロードマップ。この記事で詳細をうかがう余裕はないが、芹澤氏にはかいつまんで語ってもらった。指摘したのは、「足下でやるべきこと」と「中長期視点で達成したいこと」を明確に分けて考えるべきということ。
芹澤まず中長期での視点でお伝えすると、「SmartHRという会社がそもそもなぜ存在しているのか」というパーパスを、改めてしっかり意識することが何よりも大切だと考えます。
創業時から続く人事・労務領域では、業務を効率化して、日本の働き方をより良くすること。
そして最近本格参入した人材マネジメント領域では、会社と従業員の関係性をさらに良くするため、エンゲージメントを高め、個のポテンシャルを発揮できる環境づくりのサポートをすること。
事業の軸として、この2点だけはブレずにやっていかなければなりませんね。
そして短期的なゴールで言うと、とにかく顧客企業の現実に即した目線で、ユーザーからのニーズをもとにやるべきことを精査し続けることに尽きるでしょう。
現在も『SmartHR』というプロダクトには、とんでもない量の要望をいただいています。これはお客様からの期待の表れでもあるので、幸せなことですし、しっかりと向き合って解決する仕組みをつくっていきたいですね。
「顧客価値」は、理想論か?
いや、蓄積と実践が裏付けする、真のテーマである
最終的に、SmartHRが目指す未来はどこにあるのか。それを語るうえで欠かせないのが、単一のプロダクトを越えた「プラットフォーム」の概念である。
『SmartHR』と他社サービス間で人事データの連携をしたり、他社サービスの機能をプロダクトにアドオンしたりすることで、多種多様なSaaSやシステムとの相互作用を目指している。現在、2023年の本格始動に向けて着々と仕込みを行っている最中だ。
安達従業員情報を扱うバックオフィス業務はたくさんありますが、現状多くの会社ではデータやプロセスが部署間で分断されてしまっています。私たちは人事・労務業務で使われる正確な従業員データを持っているので、これをプラットフォームとして提供すれば、大きな価値を提供できると考えています。
HRテクノロジーの分野で、こういったプラットフォームの提供は、少なくとも国内ではまだほとんど誰も手がけていません。自社プロダクトだけでなく、さまざまな分野のSaaS事業者と相互成長していきたいと思っています。
そのための勝ち筋として、この4人全員が何度も口にするのが、「どれだけ顧客に価値を提供できるか」という視点だ。
安達もちろん私たちは企業組織なので、各サービスでマーケットシェアを取ることや、セールスの観点で導入数や売り上げを増やしていくことが不可欠です。ただ、それらは手段であって目的ではありません。それよりも重要なものとして常に考えているのが、「顧客への価値提供」なんです。
私たちのサービスを通じて、働く人にとってより働きやすい環境をつくる。そこをゴールにおいて着実に開発していったプロダクトが、結果として「勝つ」ということではないでしょうか。
森住あくまで、私たちがつくったプロダクトが「実際にどれだけ、顧客企業の改善や成長に影響をもたらせたのか」という観点で勝負していかなければならない。常にそう考えていますね。
「導入数や売上」あるいは「競合との比較」よりも、「顧客の価値」の実現につながるか否かを当たり前に優先し、意思決定の材料とする。このことが、“完成のないプロダクト”という考え方にも通じるのだろう。
導入数や売上の指標を第一に考えてしまえば、例えば目標をクリアするレベルの成長率を実現できたタイミングで「完成した」もしくは「完成に近づいた」といった感覚を抱いてしまうかもしれない。競合を意識してしまえば、「すべての機能や指標で上回る」という地点をゴールに設定してしまうかもしれない。
そうではなく、顧客企業で働くユーザー一人ひとりが抱える課題に向き合い続けるのだから、ゴールなどそう簡単に設定できるわけがないのだ。
また、森住氏は「競合との差を、機能別に比較して優先度を検討すること」にあまり意味はないという考えも示す。
森住機能などの提供価値ごとに、“星取表”のように整理して比較するようなイメージで、競合との差別化を考える人がいるかもしれません。でも、“星取表”が埋まればSaaSプロダクトの提供価値が高まるという単純な話ではないと思うんです。
たとえば「競合が備えている機能を、すべてより高いレベルで備えよう」と考えたとしたら、ユーザー視点がどう考えても抜けていますよね。「顧客への価値提供」にはつながらないので、事業インパクトに向けた最短距離を歩むことにはなり得ません。
宮原「事業インパクトありき」になってはいけませんが、「顧客への価値提供」を実直に考えれば、事業インパクトもついてくるはず。当たり前のことのようですが、実践するのが難しいんですよね。だからこそ、ものすごく意味のあることになるわけです。
デザイナーの面接でも、候補者の方へこれまでの経験の中で「自身のアウトプットがどう事業インパクトを起こせたのか」をいつも聞くようにしているんです。会社の経済活動やユーザーへの価値提供を、きちんと自分の仕事と紐づけて思考できるかはすごく大事だと思っています。
常に顧客の視点でビジネスを考える。言葉にしてしまえば至ってシンプルだが、組織全体で意識を共有し、実践し続けることは非常に難しい。短期的なKPIの達成や、売り上げのグロースにつながりやすそうな施策、競合との差別化をつくる開発といったことを、つい進めたくなってしまうだろう。
この4人の言葉が、“理想論”に見えてしまう読者もいるかもしれない。だが、冷静になってほしい。圧倒的な急速成長を実現し続けてきた国内SaaS企業の代表格であるSmartHRで、実力主義の現場の苦しさを経験しながら成果を残してきた人物たちの言葉である。この言葉を参考にせずして、何を参考にすべきだというのか。
驚くべき純度で、ユーザーと向き合ってきた歴史を、これまで積み重ねてきた。そんな蓄積を基に語られる、「顧客への価値提供」の実践論を、記事の後編で深く掘り下げていく。
こちらの記事は2022年08月30日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
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執筆
村尾 唯
写真
藤田 慎一郎
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2記事 | 最終更新 2022.08.31おすすめの関連記事
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