共創関係で継ぐ創業者のバトン──ベンチャー企業での成長法を2人の社長が語る

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インタビュイー
長谷川 創
  • 株式会社ベクトル 代表取締役社長 

1971年生まれ。1993年、関西学院大学在学中に創業メンバーとしてベクトルに参画。その後、2年間旧郵政省に入省するが、1997年に株式会社ベクトル入社。2001年より取締役。中国をはじめとする海外拠点設立や複数の新規事業立ち上げ等、ベクトルグループ全体における成長戦略の遂行・及び管理を担当。2020年5月より、代表取締役社長に就任。

田代 正雄
  • シナジーマーケティング株式会社 代表取締役社長 

関西学院大学在学中から人材派遣ビジネスに携わり、1995年に新卒でコスモ石油へ入社。2001年にインデックスデジタル(現シナジーマーケティング)に移り、営業部長やCOOを歴任。2017年に代表取締役社長に就任すると、ヤフーグループからの脱退を推進するなど注目を集めた。

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日本においても2000年前後に次々と登場し始めたITベンチャー。今ではメガベンチャーと呼ばれる大規模な企業も増えてきた。当たり前の存在となり、日本経済の中でも目立つようになる中で気になる話題の一つが、「トップはいつ、誰に交代するのか?」ということではないだろうか?

2代目社長にはさまざまな形がある。例えば世襲、外部からの招聘、あるいは親会社からの出向など。その中で今回取り上げるのは、内部昇格だ。それも、創業者と伴走しながら事業をゼロから生み出したのち、事業拡大や組織の再整備など、新たな局面を担っているパターン。

このポジションにはおそらく、創業者とはまたかなり異なるスキルやマインドが必要とされるはず。それを、ベクトルで創業者・西江肇司氏からバトンを継いだ長谷川創氏と、シナジーマーケティングで創業者・谷井等氏からバトンを継いだ田代正雄氏に聞いてみよう、というわけだ。

対談は就職活動など大学時代の話から、話題となったシナジーマーケティングのヤフーグループからの脱退、会社の将来に対する思いにまで及んだ。時代を切り開いた創業者からの任を受け、いま二人が思考していることとは?

  • TEXT BY YUKI KAMINUMA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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「もう神頼み」「すごいな!としか(笑)」のヤフーグループ脱退

長谷川もちろん、尊敬する社長さんとしては、いろいろな方がいますが、田代さんには正直、「すごいな……!」とただ驚くばかりでした。特に、あのヤフーさんのグループから出ていくという話は(笑)。それもあって、久しぶりにぜひ直接お話がしたいと思っていたんです。

株式会社ベクトル 代表取締役社長 長谷川創氏

読者も気になるであろう、ヤフーグループからの全株式取得による脱退。田代氏の社長としての仕事の中で、最も注目を集める一大決心ともいえたわけで、ベクトルでさまざまな新規事業を推進してきた長谷川氏も驚くばかりだったこのエピソードにまずはぜひ迫りたい。

シナジーマーケティングは2007年、大阪証券取引所ヘラクレス(現JASDAQ)に上場した後、2014年にヤフーのTOBによる全株取得でヤフーグループに参画した。しかし2019年、グループから抜けることとなる。

田代ヤフーとは仲違いがあったわけでもなんでもありませんよ。そうではなく、グループイン後にGAFAを中心とした外資勢がどんどん勢いを増す中で、ヤフーが新たに描き始めた将来像が、私たちの目指していた方向性とは異なるものになっていった。我々のグループ入りするタイミングが悪かったという話ですね。

当然、ヤフーがGAFAに対抗して成長していく上では必要な戦略ですが、当社としては折り合いをつける必要がやはりありました。このことをヤフーさん側に率直に伝えて、話を進めたんです。担当役員だった宮澤さん(現取締役常務執行役員、宮澤弦氏)も、私たちの考えを理解してくれていました。

シナジーマーケティング株式会社 代表取締役社長 田代正雄氏

シナジーマーケティングが目指してきたのは、日本の中小企業にも広くCRMを浸透させ、事業継続と拡大を支援したい、という世界観だ。確かに「ヤフーがあのソフトバンクやLINEと組んで海外でも勝負を仕掛けていく」、そんな思想とは乖離も感じる。

田代ヤフーと共に大きな世界観に踏み出してみる、それも選択肢の一つではありました。しかし、それをやるためにヤフーグループに入ったわけではないのです。だから、グループをなんとかして出よう、と私は決心したんです。

とはいえ、簡単な話ではないはずだ。それを長谷川氏も重ねて指摘する。

長谷川大人の事情がいろいろあるでしょ?よく決心して、しかもやりきったなぁ、と、その漢気っていうか、志っていうか。繰り返しですが「すごいな!」と思うばかりです(笑)。

田代大人の事情、ありますね、たくさん(笑)。

「出ていく」と決心はしたものの、それ以外には何も決まらないまま、部長陣に「グループ出るから」といきなり宣言しましたから、社内でもかなり驚かれました。

ヤフーグループにいるからこそ、大きな仕事ができる、そうメリットを感じる社員もいたんです。でも、社としてヤフーグループに入った目的とは違った結果になるなら借金を抱えてでも出るべきだと、強い気持ちを持って決断しました。

もちろん、そこからの調整は大変でした。あらゆる選択肢を考えました。ヤフーに損があってはいけないし、世間からネガティブな印象を持たれるのも良くない。事実上、谷井がヤフーから株式を買い戻すのが唯一の手であり、デメリットも少ないだろうと考え、双方に打診して、あとはもう神頼みですよ(笑)。私の力が一切及ばないところになってしまいました。

ビジネス上は失敗も含めていろいろ経験してきたつもりですが、この件だけは何がどうなるか分からな過ぎて、大変でしたね。

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大学時代から「自らの手で稼いでいた」

2017年2月にシナジーマーケティングの社長を継いだ田代氏。関西学院大学に在籍時はバブル期の最中、学業よりも力を入れていた人材派遣の斡旋業でビジネスを経験していた。卒業後はコスモ石油に入社することとなる。当時の話を聞いた。

田代大学を卒業するころは、もうバブルも終わりかけでした。そんな中でイベントに人材を派遣するビジネスを学生として長く続けていて、卒業後もやっていこうと思っていたんです。でも、学生だからこそできた、という側面もあったので、「このまま社会人になって大丈夫なんだろうか?」と、急になんとなく怖くなったんです。

そこで、お世話になっていた社会人の方々に相談すると、「一流企業に入って3年は仕事を覚えるべき」と口を揃えて言ってくる。なるほどと思って就職を考え始めましたが、やりたいことが思い浮かばないので、どの会社に入れば良いか全くわからない。

でもとりあえず一流企業を知ろう、と思い、あらゆる業種の上位3社を、手当たり次第に応募、合計100社くらいになりました。当時は手書きのエントリーシートだったので大変でした。

面接を経る中で、どんな会社が向いているのか、なぜ自分が人材派遣やイベント設営・運営をしてきたのかが見えてきたという。

田代自分は三人兄弟の真ん中だったからか、全体がうまくいくよう引いてものごとを見る“客観性”を備えていました。だから、演者とお客さんの中間にいる、イベントの運営を楽しんでいたことに気づいたのです。

そこで、自分は小売業のスーパーバイザーのような、お客さんとお店の間に入る仕事が向いているのではと思い至り、最終的にコスモ石油に就職する道を選びました。

一方、長谷川氏は関西学院大学を卒業後、郵政省(現日本郵政)に入省。ベクトル現会長であり創業者の西江氏との出会いは大学時代に遡る。

長谷川ベクトルが立ち上がった当初の話です。1993年にまだ大学生の身分ながら、創業メンバーとしてベクトルに参画しました。大学に行くより長い時間、スーツを着て名刺を持ち、営業して回っていたんです。

それが当たり前の生活になっていたこともあり、そのまま卒業後も会社に居続けたいと思っていたのですが、当時はベンチャーという言葉すら浸透していない時代。「学生企業」と呼ばれる程度でした。一番説得しないといけない相手は実家でしたね(笑)。

というのも、祖父の代で開いた特定郵便局の二代目局長をしていた父親を筆頭に、家族全員から反対の嵐だったんです。公務員家庭ということもあり、理解を得るのが難しかった。「最低2年間は公務員をするように」と強く言われました。ただ、考えてみると、違うビジネス環境に身を置いてさまざまな人がいることを知ったり、公務員の上下関係の中で揉まれてみたり、そんな経験も悪くはないかもしれない。そう考えて、郵政省に入って2年間がんばりました。

ただ、郵政も民営化の流れが来ていたため、それであれば元々関心の高かった民間企業に行きたい、マーケティング領域に戻りたいと再度家族と話しました。またも猛反対されましたが(笑)、最終的にはベクトルに戻りました。

働き方が多様化した現代とは異なり、当時は終身雇用が当たり前の時代。しかし二人は早い段階で、今の自身の会社への転職を遂げている。そこには学生の頃のビジネス経験が共通して影響しているのだとか。

田代自分で学生の頃ビジネスをしていたことで、自分の力で稼ぐのが当たり前の感覚になっていました。お金儲けしたいとか社長になりたいというよりも、そもそも働くスタイルとして、大企業にずっと居続ける自分の姿が想像できなかったですね。

長谷川私もその辺りの感覚は同じです。学生時代に、西江から「不景気に起業して食っていけるなら、何をしても成功する」と教えてもらい、鍛えてもらいました。なので自然と「自分で稼ぐ」という意識が身に着きました。

この考え方は、今もベクトルグループの根幹にあると思います。

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創業者と同じレベルで進化できるか?

世の中に先駆けて、ベンチャー企業に飛び込んだ二人。この選択が結果として、偉大な創業者たちとの長い伴走に繋がる。これが、長谷川氏と田代氏の注目すべき共通点の一つだ。長谷川氏は約30年、田代氏は2001年にシナジーマーケティングの前身インデックスデジタルに入社してから約20年。

この背景には何か共通したマインドがあるのでは?という仮説をもとに聞いてみると、「創業者とのフラットな関係性」が共通して挙がった。そしてその前提となるのが、キャラクターの違いだ。

長谷川創業当初から「○○をしろ」と西江に言われたことはなく、知らず知らずのうちにお互いの役割が決まっていたと思います。先進的なアイデアを発想しプロジェクトオーナーとして実行していく西江と、そのアイデアをクライアントサービスに昇華する方法をより強く思考していく私。このように、お互いのキャラクターが違うので、自然とうまく分担できていたんですね。

企業のトップは、日々さまざまな人や情報と接して自らをアップデートし続ける。さらに、常に事業のことを考え続ける。そんな創業者の近くに身を置き、対話が増えていくことにより、自然と自分もそうなってくる。創業メンバーも同様にアップデートされていくんです。

そう考えると、創業者に負けずに同じスピードで自らをアップデートし続け、それを楽しめるかどうかが、創業者と伴走できるかどうかのポイントだと思います。ついていけなければ離脱してしまいます。

田代そうですね。創業者との関係性が、ある意味で「共に創っていく仲間」のような感じでいられるのは、ITベンチャーの特徴かもしれませんね。創業者が考案した製品を作っていくメーカーのような企業とは異なり、デジタルマーケティングの領域ではむしろ20代や30代といった若手の思考が大切になってくる。流行に乗り遅れないことや、頭の回転を鈍らせないことなどが重要だからです。だから、社内ではフラットな対話も生まれる。

私が入社した時の社員数は10名足らずで、私は2人目の営業として入社したので、初めは売り上げの創出だけを考えていました。ところが規模が大きくなり、ポジションが目まぐるしく変わっていく。さまざまな組織を俯瞰して見ることが重要になっていくなかで、その都度相談していた相手も、ほかならぬ谷井本人でした。私とは違う視点を持っている人でしたからね。

特に、事業責任者という立場では、現場で起こっていることと、谷井がもっと上のレイヤーで思考していることとをすり合わせる役割を果たしていました。常に頼りになる人が隣にいた、そんなような感覚がありますね。

遠慮か、謙遜か。西江氏や谷井氏と共に走り続けた日々を爽やかに振り返る二人だが、当時の苦労やプレッシャーがとてつもなく大きなものであったことは、想像に難くない。それでも創業者に食らい付き続けた日々が、今の両者、そして両社を創っているのだろう。

長谷川再ジョインしてから、西江とは5年ほどですかね、ほぼ毎日、夜ご飯を一緒に食べていました。「起業家とは」「経営者とは」っていう創業者の考えが、自然に身に着いていく時間だったと思います。

事業家たるもの、24時間365日、事業のことを考えるべきです。創業者についていくのなら、この生き方こそを好きになり、同じように実践する必要があります。そんな姿勢を目の前で示し続けてくれた西江からは、今も多くの学びがあります。トップは走り続けなければならない、楽をしようとしてはいけない、そう伝えてくれているようにいつも感じています。

笑い話ですが、後回しになっていたのが、自分たちの給料です。私たち二人の年俸は、最後まで決まらない、っていうか、話すことがなかったように思います。

田代私たちも給料の話は基本しませんでした。お金のために働いていたわけでもなかったので、私自身はずっと、安い給料でも一向に構わなかった。ただ、結婚する時には「流石に上げてくれ」と頼んだんですけどね(笑)。

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社長が会社を変えるわけではない

フラットな関係性で会社を創り上げてきた二人だが、その立場が「社長」ともなれば、考え方も走り方もきっと変わるはず。何を引き継ぎ、何を変えるのか。率直に聞くと、ここでも共通した答えが。それはまさかの「変わらない」「変えない」ということ。

田代谷井がいきなり「辞める」と言って、私に社長の打診をしてきました。でも「嫌や」と言っていたんです(笑)。そんなふうになるつもりは全くなかったですから。

ただ、社員がいて、プロダクトがある。誰かが引き継いで守っていかなければならない。やはり私が守らなければならないだろう、と思い至り、引き受けました。

最初の1年半くらいはあえて谷井とは全く会わず、自分が「最後の砦」だというプレッシャーと孤独に戦っていました。今はたびたび会食をしていますが、谷井が経営の細かいことに関わることはほとんどありません。谷井が何か言うと、社内で大きな影響力を持ってしまうので、あえて一歩引いた形で見ているのだと思います。

やはり事業について谷井が語り始めると、何か違うものが見えている感じがします。最近ようやく当たり前になってきた「クラウドサービス」を、約20年前から試行してきた人間ですからね(笑)。そうした先見の明はいまも色褪せていませんよ。

長谷川私も代表になったことで、副社長の時とはプレッシャーや責任の重さが全然違うと実感しています。副社長でいた時も当然責任を負っていますが、西江が最終決断してくれていた部分はやはり大きかった。事業の最終決断を任されると、未だに悩むことも多いです。

ただ、シナジーマーケティングとは異なり、私と西江の間には、大学時代の創業から30年の伴走を経て、阿吽の呼吸というか、以心伝心に近いようなものがあります。ひとつの言葉やセンテンスの理解度とスピード、そしてそこから広がるイメージでこれまでもずっと事業をやってきたので、自ずと補完し合う関係で進化してきているような気がしています。

先ほども言いましたが、西江はアイデアや直感が強く、一方で私は人の力を借りてアイデアを具体的に実行するのが得意です。このような感じの呼吸を尊重しながら、伴走するように経営を行ってきていて、今でも全く変わりません。

例えば、ボトムアップで生まれた事業アイデアに対して、「これは厳しいかもしれないなー……」と私が感じた時に西江と話すと、そのアイデアが昇華されて良いビジネスが生まれることがあります。一方で、私は良いと思っても、西江が「なんとなく違う気がする」と直感した事業アイデアは、うまくいかなかったこともあります。このような呼吸は今後も大事にしていきたい部分です。

起業し、長く組織を引っ張り大きく育て上げた創業者の谷井氏と西江氏について語られたのは「事業を見定める目」だった。同じことはできない、しかし、やり方を大きく変えるわけではない、そんな矛盾するような方向性を同時に追求する難しさがあるのだ。

長谷川ご存知のとおり変化の激しい時代ですし、お客様や生活者の価値観、世の中の空気も常に変化している。この社会的な流れに、よりフィットした経営が求められていると思います。

つまり、スピードをさらに重要視しないといけない状況だということ。同時多発的に事業を立ち上げ推進していくために、私が社長として動かすチームを増やし、補強して、プロダクト開発や事業展開をしています。

そういう意味では、自分が社長になったことを一つのキッカケとして、機動力を一気に上げているというのはあるかもしれません。

田代「自分が社長になったからこう変えよう」なんてことはありませんし、そういうものでもないような気がします。私はお客様と社員のために、社のあるべき姿を追求し続けることに邁進します。

特に、社のポリシーにしている「101点のサービス」は、谷井が言い始めてずっと大事にしていきたいもの。培ってきた文化や雰囲気は続けていきたいと思っています。

田代氏と長谷川氏は「経営は変わらない」と口を揃えたが、やはり「創業者は、誰もマネできない唯一無二の存在」だということをあくまで示しているようにも感じる。そして田代氏も長谷川氏も、その創業者の最も近くに身を置いていたのだから、社長になったからと言って突然何かを大きく変えるということはあり得ない、そんなマインドが共通するようだった。

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変化の時代、何よりも「メッセージング」を

「変化を意識しない」重要性を語った二人。一方で当然ながら、社長就任後に注力したこともあったはず。特にコロナ禍という時代の変化もあった中で、二人の社長としての日々を振り返ってもらった。

長谷川当社はPR会社が出自ですので、PRという職業上、あまり積極的に自社のメディア露出をしてきませんでした。しかし近年では、PR事業を核に新規事業がどんどん立ち上がり、それぞれが軌道に乗ってきていることもあり、グループ従業員数が1300名規模にまで大きくなり、多種多様な職務の方が集まってきています。なので、会社のメッセージを取材を通じて伝えていけるように心掛けています。

会社としての事業の方向性を社会に向けて発信することで生まれる良い効果は、必ず多くあります。特に、思ったより良いと感じているのが社内への影響。メンバー個々人の事業への理解が深まったと思います。

以前は事業の説明と言うと、せいぜい決算説明資料の1ページだけ、といった具合で、説明不足の一面も否定できなかった。でもインタビュー記事が出たら、多くの社員が読んでくれるんですよね(笑)。

例えば昨年、新規事業としてPriv Techという子会社を立ち上げました。これはプライバシー領域への参入なのですが、ベクトルに対してPR事業の企業というイメージがあれば、やはりかけ離れた領域に見えますよね。しかしそんなことはなく、しっかりとしたシナジーを生むための背景や将来ビジョンがあるんです。それをきちんと発信することで、社内外で理解が進みます。お客様から社員に「こういうことやるらしいね」と声をかけて頂くことも、社員のモチベーションに繋がります。

西江のビジョンは引き継ぎつつ、さらに理解が深まるように、メッセージを発信するのは、まさに自分の役割だと認識しています。

「社を変える」のではなく、「変わらない姿を、さらに正しく伝えることで、良いイメージを醸成する」といったところだろうか。田代氏もこの点に同調する。

田代私が最初の2年で最も注力したのは、やっぱりヤフーグループを出ることでした(笑)。もちろん、出るだけでなく、出たあとにどうするか、という話も含めてです。買収コストも発生したので、取り返さなければなりませんでしたし。

つまり改めて、自分たちで収益性を高めるといったチャレンジをする環境を整えてきたんです。社員のがんばりがあって2020年は過去最高益を達成する見込みです。ただ、スピード重視でやってきたので、社員から見ると、まだ会社の方向性がわかりにくい部分もあるかもしれません。

そこを長谷川さんと同様に発信していくのが、2020年末から来期にかけてやっていくことですね。2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で業界が大きく変化してきました。マーケットにおける情報の取り扱い方も変わってきた。私が社長になったからというよりも、時代の流れが変化したことで自分たちのビジネス構造を改めて整理する機会になりました。役員で話し合う機会を作り、12月には社内イベントで新たなミッションやビジョンを発表。今後新しいチャレンジをたくさん行っていく段階になっています。

長谷川私がここ最近、強調しているのは、実は「事業家集団である」ということ。やはり社外からは「PR事業の企業」というイメージが強いのですが、どこの企業にも負けないほど「事業家」が揃っています。

子会社の社長やボードメンバーはもちろんですが、部長・マネジャーの職務でも、部員や部下を持つようになった時点で、部長を社長として置き換えて一つの会社としての意識で運営してもらっています。社員全員が事業家としての気持ちで日々の業務に推進してほしい。 これらのメッセージを発信することで、自分ごと化して会話できる社員が増えてきた感覚はあります。この姿を、社外にもしっかり伝えていきたいんです。

とはいえ長期的な将来ビジョンを聞いてみると、創業者の思想とはまた違った一面も見られるのでは、と思い、最後に聞いてみた。培ってきた強みを引き継ぎながらも、どのような世界を創っていくのか、を。

田代私がシナジーマーケティングにジョインしてから約20年が経ちます。「20年」には、社の一つの区切りという感じがします。今は「次の20年をどう創っていくか」を考えるために多くの時間を使っています。

特に次世代の人材教育への意識は強く持っていますね。先にも述べましたが、IT業界は変化が早いので、他の業界よりも特に、我々の世代よりも若い世代がビジネスを創っていくもの。彼らをいかにバックアップしていけるかが鍵となってくるでしょう。

ヤフーグループからの独立という大きな変化を乗り越えた今だからこそ、責任をもって自由度の高い環境を作っていく必要があると感じています。

長谷川PR事業を主力にしながらも、各事業責任者がそれぞれの判断で事業を拡大解釈し“PR”を拡張していく。これはベクトルの強みであり、今後も意識している考え方です。グループシナジーがあり、ある程度マーケットシェアが取れるのであれば「やってみなはれ」と挑戦させる。そういう環境をさらに活性化させていきます。

田代さんが言うように、若手のチャレンジも非常に重要です。どの世代に新規事業を任せるかというのが重要な視点。私たちの世代が新しい事業をやっても、戦えるのは実質あと10年くらい。体力や頭の回転、記憶力といった自分では如何ともし難い乖離が出てくるわけですから。

「次の20年」を戦える会社にするために、30代や40代前半の人材が新しい事業に携われる機会にどんどん飛び込んでいけるようにしています。日々、新しくトライし続けることで、事業は拡大しますし、その繰り返しこそが、未来永劫繁栄していくグループを形作るんです。このことこそが、私の仕事だと心得ています。

こちらの記事は2021年02月25日に公開しており、
記載されている情報が異なる場合がございます。

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執筆

上沼 祐樹

KADOKAWA、ミクシィ、朝日新聞などに所属しコンテンツ制作に携わる。複業生活10年目にして大学院入学。立教大学21世紀社会デザイン研究科にて、「スポーツインライフ」を研究中。

写真

藤田 慎一郎

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