50万ユーザー獲得の先にある自己変革。ヤプリの事業ピボットに学ぶ、エンタープライズ攻略を加速させる組織と戦略

インタビュイー
山本 崇博
  • 株式会社ヤプリ 取締役執行役員COO 

外資広告代理店、ソーシャルゲーム会社にてマーケティング業務に従事。前職では、株式会社アイ・エム・ジェイ(現:アクセンチュア)の執行役員としてマーケティングコンサルティング部門を統括。2019年株式会社ヤプリCMOに就任、2020年より同社執行役員、2023年より現職。

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優れたプロダクトがあっても、大企業には導入されない──エンタープライズ攻略とは、それほどに難しい。長期化する検討プロセス、複雑な社内稟議、複数の意思決定者──。優れた機能だけでは突破できない「エンタープライズ市場の壁」に、多くの企業が苦戦を強いられる。

そんな中、著しい成長を遂げているサービスがある。株式会社ヤプリ(以下、ヤプリ)が提供する『Yappli UNITE』だ。自社アプリで社内コミュニケーションを活性化させるこのサービスは、2023年8月のローンチし、2025年3月現在で導入企業100社、ユーザー数50万人を超えた

だが、ヤプリは現状の成功に安住しなかった。順調な成長軌道にあったはずの事業を、あえて大きく方向転換させる「戦略的ピボット」を決断したのだ。彼らはなぜ、確立された成功モデルを進化させる選択をしたのか。その背景には、さらなる成長角度を求める野心的な戦略と、「挑戦」をDNAとして組織に組み込むための緻密な方法論があった。

本記事では、ヤプリCOOの山本崇博氏への独占インタビューを元に、この注目すべき意思決定の裏側を紐解く。エンタープライズ市場と向き合うすべてのスタートアップにとって、事業開発のヒントがここにある。

  • TEXT BY YANAGAWA YUSAKU
  • EDIT BY TAKASHI OKUBO
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ヤプリの“スタートアップらしい強さ”を解剖する。
事業を飛躍させる「2つの成長エンジン」

『Yappli UNITE』が見せた急成長は、決して偶然の産物ではない。その裏には、ヤプリがエンタープライズ市場で培ってきた独自の戦略が存在した。しかし、彼らはその成功モデルに固執することなく、さらなる成長を求めて大きな進化を決断した。

今回のインタビューを通じて明らかになったのは、ヤプリの現在の強さを支える、緻密に設計された「2つの成長エンジン」である。

取材内容等を基にFastGrowにて作成

  1. 事業戦略エンジン:「市場創造」と「課題解決」のハイブリッド戦略
    ヤプリが得意とする、新たな価値を定義し市場そのものを創り出すアプローチと、顕在化している顧客課題を的確に解決し、速やかに市場を獲得するアプローチ。具体的には、コミュニティを通じて新たな需要を掘り起こす「市場創造」と、「福利厚生」のような既存市場に参入し短期的な成長を確保する「課題解決」を意図的に使い分けている。
  2. 組織エンジン:「挑戦」をカルチャーにするための仕組み
    大胆な戦略転換を絵に描いた餅で終わらせず、確実に実行するための組織構造と文化。そこには、既存事業からプロジェクトを意図的に切り離す「独立チーム制」や、現場のアイデアを経営に直結させる思考法など、再現性を持ってイノベーションを生み出すための具体的な「仕組み」が存在する。後の章で紹介する“独立チーム制”や“問いを立てる経営会議”がその一例だ。

だが、この戦略転換の凄みを理解するには、まず『Yappli UNITE』がいかにして生まれ、どのような成功を収めてきたのかを知る必要がある。次のセクションでは、その誕生の舞台裏を振り返ろう。

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“想定外の使われ方”から、プロダクトが進化する。
Yappli UNITE誕生の構造的背景

『Yappli UNITE』の構想は、祖業であるノーコードのアプリ開発プラットフォーム『Yappli』の使われ方を分析する中で、思っていた以上に「大企業が抱える課題」を解消できているケースが多いとわかったことから始まった。COOの山本氏は、その経緯をこう語る。

山本氏(提供:株式会社ヤプリ)

山本ヤプリは、「プログラミング不要でアプリの開発・運用・分析ができるプラットフォーム」という観点で、あらゆる業態・業種・規模の企業を相手に、活用をいただいておりましたが、消費者向けのアプリ以外での活用も進んでいました。

例えば、大企業、特に製造や小売などデスクレスワーカーを多く抱える企業では、PCを前提とした情報共有ツールがみられないという課題を抱えていらっしゃいました。重要な連絡が届かない、見てもらえないという課題に対し、スマートフォンに直接、しかも最適なUIで情報を届けられる『Yappli』の仕組みが、最適な解決策としてフィットしたのです。

プッシュ通知で「見逃せない情報」の存在を知らせ、給与明細の確認や各種申請といった「必ず使う機能」をアプリ内に集約する。これにより、従業員は業務上、定期的にアプリを開くようになり、その結果として、普段なら見過ごされがちな経営メッセージにも自然と触れる機会が生まれるのである。

取材内容等を基にFastGrowにて作成

こうした価値提供を実現するサービスとして『Yappli UNITE』の構想が固まっていく中、市場も追い風となった。企業の価値を人材という「資本」で捉え、その情報を投資家向けに開示する「人的資本経営」への注目が高まり、従業員エンゲージメントへの投資が経営の重要課題となったのだ。

その成長は目覚ましく、多くの企業のコミュニケーション変革を支援している。例えば、ANAホールディングスは「ANA Book」というアプリを開発。経営層のメッセージをリアルタイムで配信するだけでなく、「Good Jobカード」機能で部署を超えて称え合う文化を醸成した。

TBSテレビは「TBS Cloud」で、従来PC限定だった社内情報を「いつでも・どこでも」閲覧可能にし、情報取得の機会を最大化している。

「ANA Book」(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000262.000007187.html

「TBS Cloud」(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000262.000007187.html

こうした実績を積み重ね、『Yappli UNITE』はサービス開始からわずか1年半で導入企業100社、累計ユーザー数50万人を突破するまでに成長したのだ。

『Yappli UNITE』は累計ユーザー数も50万人を突破した
(出典:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000262.000007187.html

しかし、ヤプリ経営陣は、この成功をさらに加速させるために今のモデルでは満足せず、新たな方向性を模索し始めた。彼らがなぜあえて、この“勝ち筋”を進化させるという大きな意思決定を下したのか、その戦略の核心に迫っていこう。

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市場を創り、課題も解く。成長を加速させる「市場創造×課題解決」のハイブリッド戦略

ヤプリはいかにしてエンタープライズ市場に自社のサービスを届け、浸透させているのか。その鍵の一つが、「市場を育てる」アプローチであり、それを体現するのがコミュニティ施策である。

例えば「インターナルコミュニケーション研究会」のような場は、まさに「市場創造」のアプローチを実践するエンジンだ(参考)。

研究会の様子(提供:株式会社ヤプリ)

この研究会で扱われるのは、例えば「従業員のエンゲージメントをどう高めるか」といった、すぐに答えの出ないテーマである。そのため、参加者は自社の課題を持ち寄り、他社と議論する中で、これまで言語化できていなかった、つまり検索キーワードにもならないような、より本質的な課題に気づくことができる。

これは単なるリード獲得施策ではない。ヤプリは営業前に顧客の複雑な課題を深く理解し、顧客は自社の課題解決のヒントを得る。この共創を通じて、製品を売り込む前に信頼を築き、長期的な市場育成を実現する、極めて戦略的な取り組みなのである。

山本一般的なセミナーのように、我々が一方的に課題を解説するのとは異なります。むしろ、参加者同士が議論するワークショップに近い。そこで各社が抱える漠然とした課題を、共に言語化し、新たな課題として“定義”します。その重要性を参加者自身が実感した上で、初めて我々のソリューションが選択肢になる。そうした顧客との共創を起点とするアプローチです。

『Yappli UNITE』が“社内広報ツール”に留まらず、より大きな市場でより速い成長を遂げるには、「市場創造」と「課題解決型」のハイブリッド戦略が必要だった。今回は、福利厚生という、既にマーケットが存在し、企業の課題意識が顕在化している領域にも対応することにより、成長スピードを加速させる戦略だ。

取材内容等を基にFastGrowにて作成

山本これまでの企業目線での情報伝達に加え、従業員が「使いたくなる」という視点を強化しました。例えば、福利厚生の文脈では、利用率の低さやニーズに合った見直しが求められる傾向があります。そこで、そういった課題とアプリでの特性をクロスすることで、新たな課題解決方法があるのではないか?と考えたのです。

例えば、「新しい企画を社内公募で提案する」といった会社が推奨する行動そのものにポイントを付与し、貯まったポイントは特別な休暇などと交換できる、といったゲーム設計です。ポイントの付与方法もポイントの利用方法も様々です。健康経営文脈を大事にされる企業では、スマホで記録された歩数をポイントに変換するなどの動きも出ています。

海外では、HR(Human Resources)Teamから、HX(Human Experience)Teamに変わっていくことが重要だという意見が増えてきている。『Yappli UNITE』は、“イキイキとした組織を”という目的にそって、企業・従業員双方にとって良い文化醸成ができる機能を続々と用意してきている。大きい理想と、手元の課題を上手く掛け合わせる仕掛けが、そこにはあった。

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なぜヤプリは挑戦できるのか?
“非連続な成長”を支える組織の設計思想

これほど複雑で長期的な視野を要する戦略を、なぜヤプリは絵に描いた餅で終わらせずに実行できるのか。その答えは、同社が意図的に構築してきた、挑戦を可能にする3つの組織的仕組みにある。

取材内容等を基にFastGrowにて作成

ヤプリの解①:“アンラーニング”を促す独立チーム

過去の成功体験は、時として新しい挑戦の足枷となる。この「アンラーニング」の壁を越えるため、ヤプリは『Yappli UNITE』のプロジェクトを既存事業から完全に切り離し、あたかも「社内ベンチャー」のように独立したチームとして運営している。

山本『Yappli UNITE』のマーケティングのメンバーは、『Yappli』をずっとやってきた既存メンバーより、新しいメンバーを積極的にアサインしています。製品としての新しさやイノベーションが求められる部分は、まっさらな視点の方がワークすることが多いからです。もちろん、既存顧客とのリレーションが必要なセールスなど、引き継ぐべきノウハウは慎重に選別し、事業のフェーズに応じて人員配置のバランスを柔軟に変えています。

ヤプリの解②:言語化されない“問い”が生む価値

ヤプリのイノベーションは、明文化された課題リストや戦略資料から始まるものではない。むしろ現場に散らばる、言語化されていない「違和感」や「小さな問い」が出発点になることが多い。

営業やCS、開発、クリエイティブなど各現場で、「なんかここ、引っかかるよね」「この動き、ちょっとおかしくない?」といった日常的な気づきが共有される。そして、それらが経営合宿や様々な会議体で拾い上げられ、議論され、再構成されていく。

例えば、「顧客は本当にこの機能を求めているのか?」という問いを、「そもそもこの体験全体はどうあるべきか?」という設計思想に昇華。また、小さな“兆し”を「こんなサービスあったらいいのではないか?」と仮想のPR記事にしてみてイメージを膨らませたりすることもある。

こうしたプロセスは、単なるボトムアップでも、トップダウンでもない。各経営陣がもつ視点──例えば、創造者としての視点、顧客目線での問い、そして「テクノロジーを誰もが使える社会インフラに」という長期思想──が混じり合うことで、「まだ誰も定義していない価値」が少しずつ輪郭を持ち始める。

現場の声を兆しとして捉え、それを問いに変換し、価値に結晶化させていく。この連続こそが、ヤプリが市場を更新し続ける原動力となっている。

ヤプリの解③:理論と実践の融合

ヤプリの組織論は、現場の革新的なアイデアを“消さない”ための仕組みとしても設計されている。山本氏は、スタンフォード大学経営大学院のRobert A. Burgelman氏の研究を引用し、その理論的骨格を説明する。

山本イノベーションの多くは、常に新しい環境に触れている「現場」から生まれます。しかし、その自律的なアイデア(Autonomous Strategic Action)が、中間管理職の抵抗や無理解によって経営まで届かず、消えてしまうことが多い。重要なのは、現場のアイデアを経営が直接吸い上げ、全社戦略(Concept of Corporate Strategy)に繋げる仕組みです。

『Yappli UNITE』を独立したチームとして運営する体制は、まさにこの理論を実践に移すものだ。現場の小さな気づきやアイデアを、組織の壁に阻まれることなく、迅速に事業戦略へと昇華させるのだ。

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進化する仕組みが、成長を止めない。ヤプリが実践する“スタートアップであり続ける”組織設計

挑戦を許容し、むしろ推奨する組織的仕組み。これが、多くの企業が陥る「成功のジレンマ」──既存事業の成功が大きすぎるあまり、リスクを伴う新たな挑戦を妨げてしまう現象──を乗り越える原動力となっている。

エンタープライズ市場で着実に実績を積み重ねてきたヤプリ。その堅実な成長イメージを持つ者にとって、今回の『Yappli UNITE』における大胆なピボットは、ある種の「驚き」をもって受け止められるかもしれない。しかし、その挑戦は単なる賭けではない。本稿で見てきたように、その挑戦は計算された一手なのだ。

ヤプリの軌跡は、「プロダクトを売るのではなく、市場を育てる」という哲学を、いかにして組織全体で体現し続けるかという挑戦の連続である。彼らは、「市場創造型」で培ったブランドや顧客基盤という資産は維持しつつも、「成長スピード」という課題に対しては、既存の成功モデルに固執するという選択を捨てた。この冷静な判断こそが、挑戦を成功に導いたのである。

『Yappli UNITE』の今回の挑戦は、単独の事業の成長に留まらない。山本氏は、ヤプリ全体の未来像をこう語る。

山本ヤプリとしては、ノーコードのアプリプラットフォーム『Yappli』の認知もかなり高まりました。ここからは、これまでサポートしきれていなかったHR領域などの新市場へのアプローチを強めたり、WebやSNSといったマルチプロダクト化を加速させていきたい。我々が目指すのは、カスタマーエクスペリエンスとエンプロイーエクスペリエンス、その両輪で全ての「体験」を良くしていくことです。

(同社、IR資料より)

スタートアップは、成功に安住した瞬間から停滞が始まる──。

一つの成功に満足せず、自社の強みを活かして隣接する新たな市場へ参入し、事業ポートフォリオそのものを進化させていくこと。ヤプリの軌跡は、非連続な成長を実現するための最大のエンジンが、挑戦し続けるための「自己変革力」そのものであることを、我々に力強く示している。

こちらの記事は2025年07月15日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

柳川 湧作

編集

大久保 崇

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