「スタートアップ=ハードワーク」はもう古い──「家事代行手当」に「コミット選択制」。
成長戦略としての“働きやすさ”とは?
「スタートアップ=ハードワーク」というイメージを持つ人もいるだろう。転職したくても、それがネックで踏み切れないといった声も聞かれる。
そんな中、多額の資金調達を得て、働きやすい環境を整えるスタートアップも増えてきている。
本記事では、2月8日に開催された『Startup Aquarium by Coral Capital』で、「スタートアップの働き方」をテーマに実施したパネルディスカッションの模様をレポートする。
- TEXT BY SUZUKI GAKU
- EDIT BY EMI KAWASAKI
登壇した3社は、いずれも働きやすさに定評があり、独自の人事制度をフックに人材を集め、着実に成長を遂げている。3社が実践している、成長戦略としての「働きやすい環境づくり」とは?
「家事代行手当」に「コミット選択制」。各社のユニークな人事制度
セッション冒頭には上記のスライドが表示された。各社の制度を「働く時間」「働く場所」「お金」「その他の特徴」の4つのカテゴリに分け、一覧にまとめたものだ。まずはこの中から、特徴的な制度を各社が紹介してくれた。
グラファーが取り入れている「生産性向上手当」制度は、従業員の負担を減らすために作られたそうだ。
井原この制度は、もともと「家事代行手当」と呼んでいたんです。プロダクトの質を担うプロダクトマネージャー(以下、PM)は仕事のなかで様々なことを考えなければいけません。ただでさえ忙しいのに家事の負担が増えると、考える時間が足りなくなってしまいますよね。そこで、負担を少しでも減らそうと、手当を出しました。
手当は家事代行に使ってもいいし、疲れた日にタクシーで帰ってもいい。乾燥機付き洗濯機を買うのもありです。当初はPMから導入した制度ですが、評判が良かったので今では全社員を対象にしています。
仕事で疲れたときの家事はわずらわしい。仕事以外の負担を大幅に減らすことで、会社にも還元されるしくみになっている。
次に、松村氏が率いる空の「コミット量選択式」制度。これはライフステージの変化に応じて、労働条件を変更できる仕組みだ。
松村「コミット量選択式」は、稼働時間を自分で決めてもらう制度です。長い人生の中で、仕事にかけられる時間は変化しますよね。「今は複業や勉強をしたい」「育児にも時間を割きたい」など、人それぞれです。
そういった意思の変化に即して、フルタイムやハーフタイムなど、稼働時間を見直しながら働ける制度を作りました。なぜ作ったかというと、「なぜ生きるか」と「なぜ働くか」の2つのWhyを結びつけたかったからです。
成長を求められるスタートアップでは、業務にフルコミットできる人材が重宝されがちだ。このような労働形態はめずらしい事例かもしれない。
続いて、すむたすは「業務時間の30%は、各々スキルアップや未経験領域業務の取り組みに充てることができる」という制度を紹介した。この仕組みは、同社独自のチームづくりに根ざしていた。
角弊社では、複数のポジションを兼務して働くことが前提になっています。webデザイナーでありながら営業を担当したり、人事でありながらエンジニアだったりと、1人につき2〜4ぐらいのポジションを担当しています。このようなチームを実現しようとすると、どうしても学習時間が必要になります。もちろん、そのための時間の確保や費用等は会社からサポートしています。
これらのユニークな制度に負けず劣らず、各社では独自の働き方を模索している。フルリモートやフレックス制は当たり前。グラファーには海外移住を前提に入社し、その後リモートワークをしているエンジニアもいるという。
余裕を作りチャンスを掴む、働きやすさは“戦略”になる
モデレーターの和泉ちひろ氏は2児の母親として子どもを育てながら、空の執行役員も務めている。グラファーの井原氏は週一で別会社の経営に携わっているという。空の松村氏やすむたすの角氏も育児に勤しみ、遅くとも18時には帰宅できていると話す。
一般的にハードワークと思われがちなスタートアップで、なぜ働きやすさに力を入れるのか? その背景には三者三様の戦略と思いがあった。
井原理由を2つ挙げさせてください。ひとつは行政からの受注です。弊社は自治体や官公庁と契約することがあるので、立ち上げ当初からきちんと法令を守っていこうと意識しています。
もうひとつの理由は、創業時から持っている「自分たちが働きたい会社にしたい」という思いです。僕自身、前職ではかなりハードワークだったんです。これは個人の考えですが、そもそも法人って個人を幸せにするための概念だと思っています。法人が個人を不幸せにしてしまうのはありえない。創業時から理想とする組織のあり方を模索していました。
一方、空の松村氏には採用戦略としての意図があったようだ。
松村前提として、「働きにくい環境を作りたい」と思っている経営者はいないと思うんです。せっかく入社してくれたメンバーには、楽しく働いてもらってパフォーマンスを発揮してほしい。
僕が会社を作った理由は、人を幸せにするため。そこにはユーザーやお客様をはじめ、従業員やその家族も含まれます。そのためには高収益かつ安定したビジネスが必要。加えて、「自分たちがこの事業で世界を変える」という従業員のやりがいも幸せの条件だと思っています。
そのうえで、「人はどういうところで働きたいんだろう?」と考えました。待遇や得られる経験だけでなく、「働きやすさ」や「心から信じられるビジョンを持った人と働きたい」という選択軸もあるのだと思います。
柔軟な労働環境は、目的でもあり手段でもある。空の松村氏は「優秀な人材を惹きつけるための採用戦略」と言い切る。
すむたすの角氏もこの、目的であり手段であるという考えに同意していた。
角お客様やユーザーよりも先に幸せにするべきは、一緒に働いているメンバーだと考えています。たとえば、ハードなクレーマーのお客様がいたとして、その影響でメンバーがストレスを溜め込むようならその契約はお断りします。
働きやすい環境を通して作りたいのは、あらゆる意味での「余裕」です。カツカツで働いているとチャンスを逃してしまいますし、ピンチにも弱くなってしまう。チャンスが来たときは、「それいいね。やってみよう」とフットワーク軽く動けますよね。それを可能にするのが、リソースや精神面での「余裕」だと思います。
フルコミットだけでは採用できない、多様性がプラスに
3社が働きやすい環境づくりに務める背景には、それぞれの戦略があった。必要な人材を獲得するためには、柔軟性や、一人ひとりの価値観に寄り添うことが重要だという。その結果、多様性に富んだチームづくりを実現できているのだ。
松村「長時間働けて、仕事が最優先」といった人にフィットした制度を作れば、そういう人しかエントリーしてくれません。すると、ものすごく採用がしづらくなります。
仕事に使える時間は短くとも大きな成果を出してくれる人や、「家庭と仕事のバランスが取れれば入社したい」と言ってくれる優秀な方もいる。そのような方々を受け入れないのはもったいない。間口は広く構えた方がいいんです。
角「優秀」という言葉が出ましたが、私はこの言葉をできるだけ使わないようにしています。なぜかと言うと、「優秀」の定義は様々な解釈ができると思っているためです。従業員には一人ひとりに個性があります。この多様性を活かすことがスタートアップに求められている要素だと思うんです。
というのも今の時代、ベースとなるルールや技術、ツールも次から次へと変化していきます。だからこそ、多様性を持つ組織が変化に強い組織と言えるのではないかと考えています。
ここでグラファーの井原氏から「多様性のある組織の方が、人は定着しますか?」と問いかけがあった。
角それでいうと、弊社は創業3年目ですが、今日の時点で退職者が一人もいません。これはとても嬉しいことです。
井原うちは創業2年半で、まだ27名くらいのチームですけど、退職者は過去に1人だけでした。ほかにもインターンで携わってくれた学生が、外資系コンサルに就職した後、「グラファーの方が良かった」と戻ってきてくれた。必要な人材が定着するので、多様性を許容できる仕組みを作っていて良かったと思っています。
対する空の松村氏は、定着よりも変化を重視していると話す。
松村僕は退職率が低い状況は、ある意味では危ないんじゃないかと考えています。会社の成長に伴ってカルチャーが変化すれば、フィットしない人が必ず現れるはず。誰かが退職しないのは不健全だと思っていて。定着率は高い方が良いのですが、健全なチームを考えたときに、入れ替わりも必要だと考えていますね。
角私はそれについては反対の意見を持っているので、ベースの思想は似ていますが、細かい部分ではやはり各社で異なるようですね。
成長フェーズに合わせた“変化”に合意をもらう
話題は「成長に伴うチームの変化」へ。 企業には成長フェーズに即した制度や働き方が必要になる。3社は今後どのように組織を構築していくのだろうか?
角これは難しいですね……。せっかくの場なのでお伝えすると、すむたすはIPO時でも50人程度、その先も規模を大きくしすぎず、最大でも100人程度に留めることを考えています。それはおそらく5〜10年先の話かなと思うのですが、今のカルチャーをその人数で実現するイメージはまだ描けていません。
50人までは今のカルチャーのままで成長していけると確信していますが、100人を超える規模となると難しい。今後は現在の思想やカルチャーを大規模なチームに継承していくことが課題になると思います。
ここは松村氏も同様の考えを持っているようだ。「あくまで予想の範囲で」と断ったうえで、こう続けた。
松村規模が大きくなると、理想的な働き方に対する従業員の価値観も多様化していきます。いろいろな思惑のステークホルダーが関わるようなり、徐々に理想を実現しづらくなっていく。おそらく上場までは大丈夫でしょう。それまでは、カルチャーやビジョンなど、深いところでの価値観が合う人だけを採用する予定です。正直なところ、そのときにならないと求められるカルチャーや制度は分からない。不安もありますね。
変化はどうしても避けられない。スタートアップは拡大フェーズに対してどのように制度を整えれば良いのか? 井原氏からは、「制度の変化についてあらかじめ合意を得ることが大事ではないか」という意見がでた。
井原前提として、今働きにくい社会になっているのは、専業主婦が当たり前の前時代に作られた制度が温存されているなど制度疲労の側面が大きいと思っています。スタートアップでも今の時点で最適な制度を変えずにそのまま置いておくと、いつか働きづらくなってしまうのではないでしょうか。
先ほど紹介した「生産性向上手当」も組織に合わなくなってきたら、すぐ止めるつもりです。逆に必要な制度があれば、サクッと導入すると思います。そうした変化があることを、あらかじめ社員とすり合わせしておく。ただ、それができるのは、カルチャーの共有や信頼関係があってこそですね。
企業を成長させるため、必要な人材を獲得する。それは、スタートアップと大企業、スタートアップ同士における戦いでもある。
人々が仕事に求めるものが多様化し、スタートアップにおいても「やりがい」や「成長」だけではなくなってきている。働く人のニーズに応えて、各社が採用に成功しているところを見ると、今後このような企業は増えていくだろう。
いずれは「スタートアップ=柔軟で働きやすい」という価値観も浸透していくのではないだろうか。
こちらの記事は2020年03月31日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
1986年生まれ/日本大学芸術学部卒業 開業から現在まで、400以上のインタビュー記事を手がける。得意領域はスタートアップ・VC・HR・仏教など。著書に『京都の小商い〜就職しない生き方ガイド〜(三栄書房)』。
編集
川崎 絵美
編集者。メディアの立ち上げや運営をしています。2006年インプレス入社後、企画営業、雑誌・ムックの編集者を経て、ニュースサイト『Impress Watch』の編集記者に。2014年ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン入社後、スポンサードコンテンツのディレクション、編集、制作に従事。2019年に独立。現在は「ランドリーボックス」などを手がける。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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