そんなにみんな、「成功」とか「お金」とか欲しいの?──スタンフォード・BCGという“一流キャリア”を経た一休・榊氏が語る「累積思考時間」重視のキャリア論

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インタビュイー
榊 淳

1972年、熊本県生まれ。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。米スタンフォード大学大学院にてサイエンティフィック・コンピューティング修士課程修了。ボストン コンサルティング グループに入社し、約6年間コンサルタントとして活躍。2009年よりアリックスパートナーズ。13年一休入社。PL責任者として宿泊事業の再構築を担い、14年副社長COO就任。16年2月に創業社長・森正文氏の退任に伴い社長就任。

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スタンフォード大学に留学後、ボストンコンサルティンググループ(以下、BCG)、アリックスパートナーズといったのコンサル畑を歩み、上場企業の事業再構築に尽力。その業績が評価され、代表取締役に。

高級ホテルや旅館、レストランの予約サイトを運営する一休の代表取締役 榊淳氏の経歴には、優秀人材の代名詞が並ぶ。社会的な成功を目指すビジネスパーソンならば、「願わくば同じ道を歩みたい」と渇望しそうな経歴だ。どうすれば、社会的に認められる功績を残し、ビジネスパーソンとしての成功を遂げられるのか。その答えを探るために、FastGrowは榊氏へ取材を申し込んだ。

だが、同氏に話を聞けば聞くほど、「成功」に対しての興味も執着もないことが明らかとなる。努力を重ねても、理想通りに物事が進まない……。そんな葛藤を抱えるビジネスパーソンにこそ、榊氏の歩みを参考にしてほしい。

  • TEXT BY RIKA FUJIWARA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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「社長の前に、メンバーだから!」今でもデータサイエンティストとして一休の事業成長に貢献

一休に足を踏み入れて、驚いたことがある。数百名規模の企業であるにもかかわらず、「代表取締役」の肩書を持つ榊氏の席が、いちメンバーと同じ場所にあるのだ。

同氏は今、代表取締役でありながら、データサイエンティストとして、ホテルや飲食店の予約サイト『一休.com』のレコメンドエンジンの開発を担う。スタンフォード大学で学んだコンピューターサイエンスの知識を生かしながら、顧客データを分析し、ユーザー一人ひとりのインサイトに応じたレコメンドを実現すべく、メンバーとともに試行錯誤を重ねている。仕事内容を問いかけても、「朝から晩までコーディング。いわゆる社長業は週1ぐらいしかしていないですよ」と気さくに笑う姿が印象的だ。

株式会社一休 代表取締役 榊 淳氏

そもそも私は、「一休の社長」である前に、「一休の一人のメンバー」ですからね。社長である私がコーディングをしているというと、他の人が気を遣ってしまうのでは?と思われるかもしれないですが、そんなことはないんですよ。私も含めたメンバー全員でテストをし、いい数字を出したメンバーの案が採用されるんです。「代表である私の案を優先してほしい」という気持ちも多少ありますが(笑)、ユーザーのことを考えるとそんなことは言えません。代表である前に、一人のデータサイエンティストとして、ただただユーザーのためにエンジンの改修をし続けています。

スタンフォードやBCGなど、エリート人材の代名詞とも言える道を歩んできた榊氏だが、その素顔は非常にフランクだ。今回のインタビューの趣旨を伝えても、「あんまり成功とか考えたことがないんですよね」と、屈託なく笑う。

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「五大商社受かったら、そんな偉いの?」
人と違う場所で“楽しみ”を感じ続けた20代

もともと、人生の中であまりメインストリームを歩んできていないんです。小学生の頃はクラスの中心的存在だったこともありませんでしたし、中学や高校で所属していたサッカー部でもキャプテンをやっていたわけでもない。

大学時代は、就活の時期になって「榊はどこに決まったの?」と同級生に聞かれても「え?就活ってもう始まっているの?」と、キョトンとしているタイプでした(笑)。「僕は五大商社に決まったよ」となどと言われても「それってそんなに自慢するほど偉いのかな……」と疑問に感じていましたね。期待通りの答えじゃなくて、すみません。

とはいえ、榊氏は、大学院で金融工学を学んだ後、第一勧業銀行(現 みずほ銀行)のトレーディング部門に入社している。 今の採用市場を踏まえた感覚で見ると「金融工学を学んだ一流の学生が、いい就職をした」と捉えられるかもしれないが、当時はいわゆる「異端の道」。偶然が重なって選んだものだった。

大学院を修了した1990年代半ばは、メガバンクが金融工学の知見がある人材を採用を始めたタイミングだったんです。周囲が商社を選ぶ中で、トレーディングの道を選んだのは私ぐらいでしたね。

ちなみに、金融工学も学生時代にやっていたアイスホッケーに力を注ぎたくて、比較的実験なども少なめだったことから選んだ専攻でした……(笑)。

「部活に力を注ぐあまり、あまり勉強はしていなかった」と振り返る榊氏だが、入社後はトレーディングの世界に没頭していく。毎晩、仕事終わりに数時間ほどプライシング理論の本を読み漁り、トレーディングの腕を上げていった。

その業績を評価され、入社3年目の時にニューヨーク支店への転勤が決まる。世界の金融の中心地であるニューヨークとあり、現地の支社は精鋭揃い。シカゴ大学やオックスフォード大学、スタンフォード大学など、世界的に見ても著名な大学院の出身者が名を連ねていた。

ニューヨークでの勤務はかなり刺激も受けましたね。世界の最先端のビジネスを動かしている人たちの姿を間近で見られました。身近にいる優秀な人って、「自分もそうなれるのではないか」という幻想を抱かせてくれるんですよね。成長を実感しながらワクワクした気持ちで働いていました。

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「ご飯ごちそうしてくれたから、BCGへ」
スタンフォードでコンピューター・サイエンスを学ぶも、
志望企業からは門前払いの30代

ところが、その日々も1年余りで終わりを告げる。榊氏が所属していた第一勧業銀行が、富士銀行や日本興業銀行と統合することになったのだ。

統合に伴い、本社から日本に帰国するように言われました。自分としては、まだまだアメリカに残りたい気持ちがあったのに、です。

スタンフォード出身の上司に相談してみたところ、「推薦状を書くから、留学してみたらどう?」と勧めてくださったんですよね。確かにそれは面白そうだと思って受験してみたところ、合格。意を決して退職し、留学を決めました。

学術的な興味から、当時最先端だったコンピューター・サイエンスを選択。当時は、「専門性を拡張して、ニューヨークの投資銀行で世界最高峰のトレーダーになる」と決意を新たに勉学に励んでいたそうだ。だが、修了を目前に控え、門戸を叩いてみると「Ph.D(博士号)が必要だ」と、まさかの門前払い。その後、コンピューターの知見を生かしてハリウッドの大手CGプロダクションに問い合わせるも、同じ理由で断られてしまった。

自分が想定していた未来を立たれてしまった榊氏。今後の進路を模索する中で出会ったのが、冒頭でも紹介したBCGだった。

学校のすぐ近くの高級ホテルに、BCGがリクルーティングで来てくれたんです。とても豪華な食事を出してくださって「好きなだけ食べてください」と言ってくれて(笑)。これはいい会社だなと思い、話を聞いてみることにしました。

当初、コンサルティング業界には関心はなかったのですが、金融に限らず、広い視野でビジネスに携われそうな点にワクワクしましたね。大学で学んだコンピューター・サイエンスは全く使わなさそうでしたが(笑)、コンサルティングファームの仕事も面白そうだなと、あまり気にしないことにしました。

コンピューターサイエンスの知識を苦労して身につけたのであれば、何としてでもその知見を生かせる場所を選んだと思うのですが、勉強そのものは非常に面白かった。有意義な時間を過ごせたので、自分の中では満足感があったんです。

BCGへの入社後はパフォーマンスを発揮できずに苦しんだこともあったが、次第にクライアントが抱える課題点を見極め、事業成長への貢献ができるようになっていった。現実の事業へと深く入り込み、事業再生を根本から担える人材になるために、経営再生を中心に担うアリックスパートナーズに転職。そこで一休と出会うことになったのだ。

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“ボストンの豪邸付き転職”の誘いを断り、40代で一休へ。

榊氏と一休の出会いは、2012年。当時の一休は、「高級路線」を貫き、独自のポジションを築いていたものの、コア事業である宿泊施設の予約事業の成長が停滞していた頃だ。楽天トラベルやじゃらんなど、強力な競合他社が類似サービスで成長を遂げていたこともあり、危機感が募っていた。この状況を立て直すべく、アリックスパートナーズに声がかかり、榊氏が担当に選ばれたのだ。

同時期、榊氏は自身の進退について考え始めていた。コンサル業界に足を踏み入れて、10年。コンサルタントとして戦略立案を極めるか、事業会社の経営者として企業価値を向上させていくのか。その狭間で揺れていた。

自分が経営者になろうとは考えていなかったのですが、仕事を通して多くの経営者と対峙していくうちに、憧れを抱くようになったんです。例えていうなれば、“喧嘩”に強いのと、“喧嘩の勝ち方”を教えられるのは、全く違う能力が求められますよね。喧嘩の勝ち方をアドバイスするだけでなく、自分自身で企業に入り込み、事業成長に貢献し、実際に“喧嘩に勝てる”人材になりたいという思いが大きくなっていました。

コンサルタントとして、10年余りで約30社の成長に貢献した榊氏。実績豊富な同士のもとには、クライアントから参画の声がかかることも珍しくなかったという。

一休の前に担当していたボストンに拠点を持つ製薬会社からの誘いがあって、迷ったことがありましたね。ボストンの郊外は、湖畔地方でとても環境がいい。「入社すれば、この家を借りられるよ」と言われて、湖畔付きの一軒家を見せられたんです。朝霞が上がって、幻想的な景色が楽しめる場所で、「ここに住めたらいいな」と心惹かれましたね。

でも、ハッとしたんです。「本当に、製薬をやりたいのか?」「ワクワクするのか?」と。

誘いは決して少なくなかったが、どこも「ピントが合わなかった」と振り返る榊氏。ところが、一休に対しては次第に心が惹かれていったという。

社会的な意義と、「高級路線」というニッチな領域で存在感を発揮しようとしている点に惹かれていったんです。

一休は、「こころに贅沢」な時間を世に増やすために存在しています。自分が歳をとって、「楽しかった時間」を思い浮かべた時に残るのは、おそらく自分が好きな人たちと美味しいご飯を食べていたり、一緒に旅行をしたりしている時だと思うんですよね。サービスを通して、心が豊かになるような時間を作るサポートをしていきたいと感じられました。

こういった事業を、「高級路線」を貫き、インターネットを通して届けている部分にも面白みを感じました。アクセスが悪く脚光が当たらなかったとしても、いいサービスを貫き、ユーザーの支持を集めているホテルや旅館、レストランに光を当てられる。非常に大きなチャンスを感じましたね。

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「株主が変わっても、ユーザーが求めるものは変わらないよね?」ヤフーグループジョインでも、残留に迷いなどなかった

入社後の榊氏はPL責任者として、コア事業である宿泊事業を牽引。業績を改善させ、2014年にはCOOに就任した。そして、2015年に転機が起きる。事業連携のパートナーだったヤフーのグループ傘下に入ることが決まったのだ。

それに伴い、創業社長の森正文氏は「卒業」を発表。ヤフー側から次期代表に指名されたのが、榊氏だった。

当時、ヤフーの代表だった宮坂さん(現 東京都副知事 宮坂学氏)から電話がかかってきて、「榊さんに代表をお願いしたい」と言われたんです。理由を聞いたら、「一番、成功確率が高いかなと思って!」との一言でした(笑)。

ヤフーからあらためて代表を送り込むか、一休のメンバーに任せるか、という点が一番の大きな争点だったと思います。一休から代表を任命したのは、私たちがこれまでに尽力してきた「高級路線」や「ユーザーの支持を集められる世界観」を生かして欲しいという考えがあったから。代表に任命された際にも、宮坂さんからは、「一休のカルチャーを残して欲しい」と言われました。

さらに、代表に就任した時の所有株数はゼロ。就任当時は、給与以外のインセンティブは期待できる状況ではなかった。榊氏ほどの経歴を持つ人物であるのならば、より高い報酬を望めるオファーがくる可能性もあるだろう。それでも、迷わず残留を決めた。

経営統合に伴って辞めるメンバーもいたので、「創業社長の森さんと一緒に辞める道はなかったのか?」と聞かれるんですよ。でも、僕からすればサービス自体やユーザーが求めている価値は変わりませんし、極端な言い方をすれば、「株主が変わっただけ」という感覚なんですよね。一休が世の中にとって必要なサービスだと実感していましたし、ユーザーにとってのベストを尽くすという思いは変わらなかった。

むしろ、ヤフーという巨人と組むことによって、ニッチな領域で存在感を発揮するチャンスだと感じました。一休は、創業当初から「高級路線」をひた走っています。いわば、ターゲットの市場を狭めることを意味しているんです。それでいて業績は伸ばさなければいけないという、難易度の高い挑戦をしてきました。

ヤフーと連携することで顧客層の相互送客をはじめ、さまざまな可能性が広がる。お互いの強みを生かしながら、より色濃く一休のカルチャーを残せるはずだと考えていました。

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理想の未来を、描きすぎるな!
キャリアは結局「理想通りには進まない」

榊氏のキャリアは、一見すると華々しくも思える。その歩みをたどると、「成功したい」という野心を感じられないのが不思議だ。これまでのキャリアを振り返り、20代から30代のビジネスパーソンに届けたいメッセージを問いかけるとインタビューに際して「社内のみんなで考えた」という言葉を語り出した。

あまり「こうありたい」と、理想を思い描かない方が上手く進みますよ、と伝えたいです。自分の理想にとらわれず、シンプルに、目の前のことを楽しむ。今、興味や関心を惹かれる分野に飛び込み、解決したい課題に向きあうと、知らないうちに道は拓けていくのだと思います。

自分のキャリアって、結局は思ったようにうまく進まない。かつては、私も「あの人みたいになりたい」「業界トップ企業で活躍したい」などといった理想を描いたこともありましたよ。でも、実際には実現しませんでした。投資銀行にも、CGプロダクションにも入社できませんでしたからね。

しかし、私は今ふつうに幸せです。毎日、自分が心から意義があると感じられる仕事に向き合えて、まるで子どもが公園に遊びにいくような気持ちで職場に向かっている。それはおそらく、自分の理想に固執しすぎずに、そのときそのときで楽しそうと思った分野に飛び込んでいったからだと思います。

スタンフォードへの入学も、BCGやアリックスパートナーズ、一休への入社も、あらかじめ計算され尽くしたものではない。その瞬間ごとに、心の赴くままに、軽やかに流れに飛び込んでいった結果だ。

とはいえ、いっときの好奇心だけで突き進むことは、時に危険を孕む。自己都合での転職を繰り返し、「一貫性のないキャリア」が出来上がってしまう可能性もある。好奇心のベクトルを履き違えないために、大切なことは何か。

楽しいというのは、決して「ラク」という意味ではないんですよ。楽しい、面白そうだと感じられる場所に飛び込むことによって、目の前の仕事について考え抜くことが増えると思うんですよね。

BCG時代に、優秀なコンサルタントとそうでないコンサルタントの違いは、「累積思考量」だと感じたんです。世界的に有名な大学を卒業した、経歴がピカピカの人ばかりがトップコンサルタントになるわけではない。経歴がそこまで綺麗でなくても、純粋に仕事が好きだと思えてのめり込んでいるコンサルタントの方が、最終的には高い評価を得ていたんです。

先天的に頭がいいから優秀になるのではなく、純粋に、好きで楽しいと思えることに取り組むと累積思考時間増え、引き出しが増えることで優秀になる。

周囲からの見え方やこれまでの経験にとらわれるのではなく、「今、どんな課題を解きたいか」に正直になることが大切なのではないでしょうか。

それに、イヤイヤ努力をしていると、「努力を認めてほしい」「なぜ報われないんだ」といった感情が湧きがちで、承認欲求が強くなってしまいますよね。やはり、「自分が認められるため」に働いている人よりも、「社会や人の役に立つため」に働き、思考し続けている人のほうが、結果的にうまくいっているように私は思っています。

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本当に楽しめるなら、斜陽産業にだって飛び込むべき。
最後に笑うのは「自ら社会価値を創出できるトップ人材」だ

「スタンフォードで学んだコンピューターサイエンスを、一切使わなかった」。

先程、榊氏は、明朗にそう述べた。だが、人生はいつ何が起こるかわからない。

冒頭で説明したように、同氏は今、コンピューターサイエンスの知識を生かしながら仲間とともにコーディングに励む日々を送っている。

就任した時に初めて気づいたのですが、代表って「暇」なんですよ(笑)。宿泊とレストランの予約事業、それぞれの責任者もいますし、CTOもいます。例えば私が営業担当だったら「今日はあそこのホテルのアポがあって……」とスケジュール帳が真っ黒になるのですが、僕がアポイントに行く必要もありませんよね。

そこで、「会社にどう貢献するか」を考えました。そもそも、私は代表である前に、一休の成長を担う一人の社員ですからね。

そこで榊氏が目を向けたのが、レコメンドエンジンの開発だ。今や、ホテルや旅館、レストランのインターネット予約は広く浸透し、市場は成熟期を迎えている。他者と同じ施設を取り扱うことも少なくないなかで、差別化を図るのは「ユーザーへの情報のデリバリーの方法」だ。

一休には、長年愛用しているヘビーユーザーの利用履歴が蓄積されている。これらの履歴を分析することで、ユーザー自身が気づいていないインサイトを見つけ、未知の出会いを生み出すことが競争力の源泉になる。そう考えた榊氏は、自らデータサイエンティストとして、一休の成長に貢献することを選んだ。

ここで、「そういえば、スタンフォードでコンピューター・サイエンスを学んでいた」と思い出したんです。エンジニアにソースコードを見せてもらったら、スタンフォードで学んだ知識が十分に生かせそうでした。

思いもよらぬ出会いがあり、目の前の仕事がいろいろなところにつながっていくのだと実感しています。

こうして、「データサイエンティスト兼代表」に就任した榊氏は、自らレコメンドエンジンを開発し、仲間とともに磨き込んでいる。

実は、私が開発したエンジンのことを経営者仲間に話すと、「今すぐ特許を取って会社を立ち上げれば、いまの何倍も稼げるよ」とも言われるんです。私が開発したエンジンは、他のECにも転用できるロジック。汎用性のある技術ですし、経営者人脈を生かして、販売することもできるでしょう。

でも、ワクワクしないんです(笑)。自分の中で、お金を稼ぐために技術を提供する意義を見出せません。それならば、自分自身の稼ぎよりも、純粋に一休のユーザーエクスペリエンス向上のために、技術を使い続けていきたいな、と。

自分の心の赴くままに突き進んだ結果、社会的な意義を感じられ、心から没頭できる仕事を得た榊氏。立場を問わず、同じ目標に向かって進める仲間とともに、ユーザーのために突き進んでいる。

もしかすると、もっと楽して、たくさん稼げる仕事もあるかもしれませんね(笑)。でも、私はあまりその道を探索する気持ちがないんです。いわゆる勝ち馬にフリーライドして、ラッキーを引き当てるよりも、自分自身が心から解きたい課題に向き合い、大きな経済価値を創出できる人になりたい。

今向き合っている仕事が楽しいと感じるならば、シンプルにそれを続けるべきですし、他に解いてみたい課題があるのであれば、飛び込んでみるべき。例えそれが「斜陽産業」と言われる領域であっても同様です。いわゆる稼げる領域に乗り込むよりも、自分自身が斜陽産業の課題を解決して産業全体を元気にすることの方が、ずっと価値があるし、楽しい人生になると思いませんか?今の時代、1日3,000円くらいあれば最低限の生活もできるはずですし、恐れることはありませんよ(笑)。

もし、「心から楽しめることを仕事にしよう」と本気で思っているときに、「キャリア戦略的に良くない」とか「市場価値が上がらない」といったフレーズで否定してくる人がいたとしても、全く気にしなくていいと思うんです(笑)。

そういう風に言ってくる人の方こそ、社会的評価を気にした短期目線に陥っていますし、それこそ社会は今、どんな領域でも「突き抜けたトップの人材」がインターネットを通じて注目を集められ、評価されるものに変わってきていますからね。

ですからとにかく、将来を不安視したり、未来の成功を思い描く前に、「自分自身が目の前のことを本当に楽しめているのか?」を問いかけてほしいなと思います。特に、20〜30代って、累積思考量を蓄積していくフェーズです。40代以降からが、それらを活用して社会への提供価値を拡大していくフェーズ。

若いうちは、自分が心から関心を寄せられる領域で、楽しみながら思考し続ければいいんです。そしたらきっと、どんな領域であっても、気づいたときにはトップの人材になっていますよ。

こちらの記事は2021年08月16日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

藤原 梨香

ライター・編集者。FM長野、テレビユー福島のアナウンサー兼報道記者として500以上の現場を取材。その後、スタートアップ企業へ転職し、100社以上の情報発信やPR活動に尽力する。2019年10月に独立。ビジネスや経済・産業分野に特化したビジネスタレントとしても活動をしている。

写真

藤田 慎一郎

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