連載株式会社オプト

【現役部長×OB起業家】
オプトで学べるのはマーケティング?マネジメント?
いや、“経営哲学”である

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インタビュイー
清水 直哉
  • 株式会社TABIPPO 代表取締役社長 

東京学芸大学在学中に、旅の魅力を広めていくことを目的とする団体としてTABIPPOを結成。その活動を継続しながら、大学卒業後の2011年にオプト入社。在籍2年半の間に最年少マネージャー就任や別法人設立など多様な経験をした後、TABIPPOを会社組織に変更して起業。代表取締役社長に就任し、旅の魅力を様々な事業に乗せて発信している。SNS界では「しみなお」の名で広く知られている。

高木 良和
  • 株式会社オプト メディア戦略部 部長 

学習院大学在学中は、幼少時から続けてきたマジックでプロになる道も模索したが、卒業後の2011年、オプトに入社。メディアコンサルタントとしてモバイル広告の提案および運用支援に従事。入社3年目に全社MVPを獲得した後、2016年には現在のメディア戦略部の部長に就任。技術革新の加速とともに複雑化が進行するメディアの活用と向き合いながらクライアントへの価値提供を担っている。

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近年、優良企業の度合いを計るモノサシとして引き合いに出されるのが「人材輩出企業か否か」という尺度。卒業者が転職先で活躍をしたり、スタートアップで躍進を果たしたりすると聞こえてくるのが「さすがは元●●社」という声。もちろん優秀な人材を失えばダメージはあるはずだが、「夢の実現のためにこの会社をプラットフォームにしてくれていい」と経営者が公言するオプトのような企業もある。事実、元オプトの人材がここへきて様々な領域で名を上げ始めているのだが、彼らを輩出したオプト自体も変革をどんどん進めている。卒業する者も送り出す者も、ともに成長ステージを上昇させているのだとしたら、その秘訣はいったいどこに?同期入社の後、異なる決断をした2人に本音で語ってもらった。

  • TEXT BY NAOKI MORIKAWA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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3ヶ月で異動に。「一芸配属」と呼ばれた2人の対照的な3年間

オプトを卒業して起業を果たした清水氏と、オプトに残り今や部長としてチームを牽引する高木氏。2人は2011年に同期入社し、しかも最初の配属で同じ部署に着任。ともに励まし合い、刺激し合ってデビュー時期を過ごしたという。

清水実は内定者時代から僕ら同期はmixiコミュニティつながっていて、飲みに行ったりもしていましたから、入社した頃にはかなり親しくなっていたんですよ。

高木mixiコミュニティ(笑)、懐かしいね。たしかそのコミュニティで、「スマホアプリを企画するビジネスコンテストに参加しようぜ」みたいな提案をしみなお(清水氏の愛称。以下同じ)がして、いろいろやったよね。

当時はスマホがようやく日本でも使われ始めた時期だったし、私はそもそもスマホにもビジネスにも馴染みがなかったんですが、しみなおをはじめイケてる感じの同期が中心になって取り組んでいったんです。

清水たしかにあのころ、勘違いしてたなあ(笑)「オレたちイケてる」って。

高木しみなお以外にも学生団体を仕切っていたような同期も多くて、事業提案とかにも慣れていたんですよ。素直にすごいなあと思いつつも、腹の中では「あー、イキってるなあ。やだなあ」とも思っていました。これは私の僻みなんですけどね(笑)。

まあでも、そんなわけで入社をしてみたら、42人いた同期の内、私としみなおともう1人同期の女性が同じモバイルセールス部に配属になったんです。

清水一芸配属って言われました(笑)。同期の女性が当時では珍しかったYouTubeアイドルで、僕は当時ほとんど誰もやってなかったTwitterをやっていてフォロワーが数千人いて、高木はプロ並みの腕前のマジシャンで。

高木一時はマジでプロマジシャンを目指そうと思っていましたからね(笑)。ともあれ、ガラケー中心にスマホの広告も売る部署で同期は3人。私がコスメ担当、しみなおが金融主体の何でも担当、女性の同期がエンタメ担当という具合でした。

同窓会のように楽しげに社会人デビュー当時を振り返る2人だが、この後両氏は非常に対照的な境遇に置かれることになる。

高木もともとしみなおは自分でも言っていたんです「あまり人に怒られない性格」と(笑)。実際、本当に優秀で、部内でも仕事で怒られるようなことはまったくなくて、広告をプランニングして提案するという仕事も、初めてなのに自分でやり切って受注もとってしまうというスマートな感じでした。

一方の私は広告のことをそもそも知らないし、担当のコスメも知らないし、しょっちゅう先輩に怒られて自信をなくしていました(笑)。入社早々からまわりに一目を置かれていたしみなおのことを心底「すごいヤツだ」と思っていましたね。

清水当時の僕は本当に「器用に生きる」のが得意で、誰にも怒られないように振る舞う感じの男でした(笑)。ただ、高木のほうはたしかに厳しく叱られたりしていたんですが、ある意味、イジられることで可愛がられているように見えてもいました。

高木今ならそうやって振り返ることもできるけれど、新入社員の時なんて、先輩や上司にイジられれば本気で受け止めて凹むわけですよ。自己否定感とか本当にひどくて、朝5時に起きた瞬間から「やばい、早く仕事しなきゃ」みたいに自分を追い詰めていました。

清水当時、神保町の串カツ屋さんとか言って、同期3人であれこれ話をしていたよね。

高木まあそれでも、この時に自己否定感で突き動かされて本を読んで勉強をし始めたおかげで、少しずつ仕事のことや広告のこと、組織の中で働くということ等々を理解できるようになっていったんですよ。

同時に、自分が勉強をするようになって気づいたんです。「しみなおも実は本をたくさん読んで努力していたんだな」と。よけいに「こいつ、本当にすごいや」と思うようになっちゃいました(笑)。

でも、とにかく内省して行動して努力していくことの重要性みたいなものを、当時の環境やしみなおの存在から学びました。

しかし、2人が同じ部署で過ごしたのはわずか3カ月。オプト社内で組織変更が行われたこともあり、この後は別々の道を歩むことになる。

高木社長直轄のソーシャルメディア部門ができて、しみなおはそこに抜擢されたんです。私はスマホ、ガラケーに加えてPCの広告も扱うメディアコンサルタント部門に行き、そこで今度は金融の担当になりました。

清水Twitterに早いうちからハマったりしていたので、先輩にも相談しつつ、社内公募に応募したら入ることができた、という感じですね。実際そこは本当に立ち上げ段階だったので、6人しかいないプロジェクトベースのチームだったんです。

だから集まった途端「何からやる?」でスタート。「ソーシャルメディアのコンサルティングから商材にしていこう」となり、手探りで事業化をしていきました。

結果、最初の1年でかなりの利益が上がったこともあって、6人だったチームが翌年には新卒まで入って20数名になり、僕も8人の新人のOJTを受け持たされました。その後、事業の失敗もあってチームが縮小されたりとか、とにかく短期間でいろいろ経験をしていきました。

高木当時はしみなおが携わったソーシャルメディアが急激に注目されただけではなく、インターネット広告の領域にも様々なテクノロジーが入り込んできて、私の部署のほうでも大きな変化が次々に起きていったんです。

例えばリターゲティング広告が活用され始めたりして、そうした新しい商材をお客様にコンサルティングしながら、提案や運用支援等を進めていきました。

清水僕は結局入社3年目の冬に退職をして起業したのですが、この2011〜2013年というのは、いろいろな意味で世の中が激変した期間でした。

アドネットワークなんて言葉も初めて聞いて、「それって何?」と言っていたら、僕自身が入社して初めて受注をした広告がアドネットワークだったり(笑)。とにかく、時代のスピードについていくのがやっとでしたね。

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「オプトに入っていなかったら、起業なんてしていませんよ」

異なるキャリアパスを歩んだものの「激動の時代にキャリアをスタートした。だからこそ喜びも厳しさも短期間で体験し、成長につながった」という認識で共通する2人。だが、今はもう激動ではないかといえば、そうではない。「選ぶ環境さえ良ければ、今も成長のチャンスが転がっている」という認識でも共感しあう。

だが、どうしても聞いておきたいことがあった。清水氏の起業につながる部分だ。過去のインタビュー記事には、「オプト入社前から起業するつもりだった」かのような記載もあったのだが、尋ねてみると「それ、よく聞かれるんですけど、学生時代に起業しようとは全く思っていませんでしたよ」と清水氏。

清水たしかに学生時代に仲間と一緒にTABIPPOを作りましたが、あくまでもボランティアグループのようなものでしかなかったんです。もともと「趣味は自分探しです」って、真顔で言うくらい、自分の本当にやりたいことややるべきことは何か? と常に考えていました。その中で一番やりたいと思っていた「若者が旅する文化を創る」ということに没頭していたんです。

高木たしかにしみなおはメタ認知癖がすごい(笑)

清水そうそう(笑)。世界一周の旅から帰国した後に「人間の本質はやりたいことをやることにある」と気がついたんです。ただ、僕はサッカーしかやっていなかったので、ボール蹴ることと走ることしかできない。人間として力をつけなければいけないな、と思って「成長できるところに就職しよう」と決めたんです。

そう語る清水氏が就活でターゲットにしたのは広告代理店だった。電通、博報堂、ADK、東急エージェンシーなど大手総合系代理店を志望する傍ら、「オプトの存在もその過程で知ったから受けてみよう」程度の気持ちで説明会に参加すると、俄然魅力を感じて入社を決めたのだと話す。

清水とにかく、説明会で出会う社員や経営陣の人たちが他の企業とは全然違っていたんですよ。特に鉢嶺さんが説明会でしてくれた講演は、就活史上で最も感銘を受けましたね。

当時の社長(現オプトホールディングCEO)である鉢嶺氏を筆頭に、謙虚でありつつも生真面目に人材の成長を考えている姿勢に共感し、「この人たちと仕事ができたら、きっと成長できる」という確信のもと、入社を決めた。

高木私なんて、業種さえ絞っていない中でしたが、入社を決めた理由はしみなおと同じです。たまたまオプトを受けたら、説明会の段階からビビッとくるものを感じ、面接に進んでも面接官に軸を持った思いやりのある人が多いな、と思い「この人たちと働きたい」となったんです。

「成長できる会社に入りたい」という願望は、時代の流れとは無関係に学生が強く胸に抱くポイント。だが「どの会社ならば成長できるか」は、そう簡単にはわからない。清水氏と高木氏はともに、「今この会社にいる人たちが伝えてくる何か」に共鳴をすることで同じ会社を選んだというわけだ。

しかし、話を聞けば聞くほど、清水氏のオプトへの愛着の深さばかりが伝わってくる。いったいどんなきっかけで起業を思い立ったのだろうか?

清水何か1つ決定的なきっかけがあったというよりは、いろいろなことが重なって起業を決意していったというのが本当のところです。

そのうちの1つは、就職後もボランティアとして続けていたTABIPPOを法人にして、起業しようという話が、一緒にやっていた仲間から出てきたことでした。

それまでの2年半で、僕はかなり濃密な経験をオプトでしていました。先ほども言いましたが、当時まだどこまで一般的に普及をしていくかわからなかったソーシャルメディアに携わり、事業の成功も失敗も体験。最年少でマネージャーになったこともあって、2年目の社員なのに、5-6名のチームの中で部下を持つ経験をして人を育てる仕事やチームをマネージメントすることも学習できました。

「まだまだここで学びたい」という気持ちも強かったし、反面、TABIPPOが携わる事業が膨らんで、この先本気でやるならば法人化すべきだとも感じたし、僕が参加しないなら残る仲間たちで起業するとも言われ、「やるなら俺もいれてよ」と思ったし、心が揺れました。

抜擢人事によって、ビジネスをまわしていく面白さや難しさを体感し、人やチームを束ねていくマネージメントも学習した。その後、再び現場に戻り、直に数字を稼いでいくことで自信を復活させた清水氏。

「やりたいことをやるための成長の場」として選択したオプトで、一区切りがついたタイミングともいえた。起業へと心が傾きつつも踏ん切りがつきかねている中、先輩社員や上司、さらには鉢嶺氏とも話をしていった。

清水ビックリしたのは、退職をするか悩んでると相談しても全然誰も止めてくれないんですよ(笑)。本当に快く送り出してくれようとする。最後の最後、背中を押してくれたのはある先輩の言葉でした。

「オマエは恩返しをしたいというけれど、このまま鉢嶺さんのもとで働き続けても、正直、恩は返せないよ。ここにいるかぎりは恩をもらい続けるだろうし、100%返せるタイミングは一生来ない。やりたいと思っていることがあるなら応援してくれる会社だし、外に出て活躍して、そうなってから『育ててくれたのはオプトだ』って胸張って言うことのほうがよっぽど恩返しだろ」と。

そんな清水氏は、「引き留められていたら残っていたかもしれない」と語る。少なくとも「2年半でバッチリ成長できたし、起業して成功してやるぞ」というような気分とは違っていたともいう。そして、驚かされたのは「オプトに入っていなかったら起業していませんよ」というセリフ。その真意はどこにあるのか?

清水僕は今でも学生に「オプトいいよ」ってすごい勧めてるんですよ(笑)。ビジネスパーソンとして成長する、という意志でオプトを選んだのは大正解だったと、今も変わらずにずっと思っています。

大きい仕事を若いうちからできるし、大きな会社なのにマインド的にはベンチャーであり続け、とにかく真面目にチャレンジを繰り返します。特に大きかったのはマーケティングとマネジメントの両方をここで学べたこと。会社を経営するとなれば、どんな事業をやるにしても絶対にマーケティングしなければいけないし、人を束ねてマネジメントする責任も背負います。

仮に大手総合系の広告代理店に入ってテレビCMのプランニングを2年半だけ現場の一兵卒としてやっていたとしても、起業後に活かせるスキルもノウハウも知識も身に付きづらいと思います。

学生時代から育ててきた「やりたいこと」が膨らんだ、という要因があったにせよ、たった2年半で経営に役立つ経験とスキルの一通りを学び、成長できたこと。そして、そんな彼の背中を押すカルチャーがあったからこそ、気を引き締めながら起業へと一歩踏み出せた、というわけだ。

では、高木氏のほうは当時どのような環境にいて何を思っていたのだろうか? そして同期の清水氏の選択をどう受け止めたのだろうか?

高木しみなおが起業することを聞いた時は「やっぱり、あいつはすごい」という心境でしたし、「あいつがやるなら絶対にうまくやるだろう」と確信もしていました。「なぜ辞めるんだよ」というような気持ちは不思議なくらい湧いてきませんでしたね。

ちょうどその頃、私はチームマネジャーになって、全社MVPをもらっていました。実は1年目の後半から自信がついてきて、自分で言うのもなんですが(笑)、しみなおと一緒に働いていた時とは見違える感じになれたんですよ。たぶんしみなおにも触発されて、内省し、努力する事を習慣化していくうちに自信が持てるようになったのだと思います。

とにかく既存の知識や情報ならば先輩にかなわないかもしれませんが、業界では新しい動きがどんどん起きていたので、そういうことについての情報ならばスタートラインは皆同じ。そう捉えて「だったらそこで違いを見せてやろう」と勉強もしているうちに「新しい商品とかが出てきた時は高木に聞くといいよ」みたいに部内でも言われるようになっていました。

ただし「結果を出せるようになったから、辞める気にはならなかった」というような単純な話でもないようだ。

高木私自身は起業や転職を考えたことはありません。私の場合、「自分のやりたいことをやる」よりも「今いる組織をどう大きくするか」に強い興味を持つようになっていたからですね。

松下幸之助さん(パナソニック創業者)のような、「自分流の経営論」がある大人ってカッコいいじゃないですか。そんな大人を目指す上で、「どの役職か?どこに所属しているか?」は正直そこまで問題じゃない。

転職先で社長や役員になれば、組織を大きくするような仕事もできるかもしれません。でも今オプトにいたって、同じようにそれを任せてもらえていますし、経営姿勢やカルチャーを大事にするオプトの中で「先義後利」(オプトグループのGroup Valueの1つ)を体感しながら、自分なりの経営論を磨いていくこともできる。何も外に出て行く必要もないだろう、というのが正直な気持ちです。

清水今でも高木や、オプトに残ってる同期や先輩、後輩たちと会って話をすると、ストレートにうらやましいな、と感じます。結局、起業をするのと会社に留まるのとで、どっちが良いかという話じゃないですし、シンプルに高木がやっていることや考えていることを聞いていると「楽しそうだな」と感じる。

こうやって、一緒にやっていた人間が違う状況下でも気持ち良く頑張っていることを知ると、自分も頑張りたいなと思えますからね。良い同期を持ったもんです(笑)。

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成功した企業ではなく、課題感のある企業を選べ

こうして2人に話を聞いていくと、起業をするのであれば、まずは伸び盛りの企業に入社し、成長してからの方が良いのかもしれない、と感じる人もいるだろう。そのあたり、彼らはどう捉えているのだろうか?

清水それはケース・バイ・ケースだし、人それぞれだと思います。別に学校を出ていきなり起業をしても、成功する人はしているわけだし。ただ、本音を言わせてもらうと、実際「起業しようかな」と言っているヤツのほとんどは結局やらないじゃないか(笑)、という気持ちはありますよ。

イキって吹いてるばかりで行動に移さないのなら、無駄な時間を過ごしていないで成長できる環境を選ぶ方が賢いとは思いますね。

あと、先ほど僕は「オプトでマーケティングとマネージメントを経験を通じて学んだことが大きかった」という話をしましたが、もう1つ大きな収穫があったんです。それは「会社経営における哲学を肌で感じた」ということです。まわりに今も同世代の経営者はいますが、僕の場合はオプトで学んだことを生かしてやれている自負があります。

例えばTABIPPOでは「トップダウンの経営は絶対にやらない」と決めています。それはオプトが昔から、今で言うティール組織やホラクラシー経営みたいなものを目指して、様々なことを実践していてそれが今ごろになって注目されだしたので「俺たちがやってること、なんかスゴイみたいだぞ」と笑っていたりします。それもこれもオプト時代に経営陣から学んだおかげです。

そう語る清水氏には忘れられないエピソードがあるという。入社2年目の時に鉢嶺氏と当時COOの石橋宜忠氏(現グローバルグループ社長)とが、新人との飲み会で『奇跡の経営』(リカルド・セムナー著)の話題を出し、「ああいう経営をしたい。給料を自分たちで決めて、主体的に働くような組織にしたいんだ」と語り始めたというのだ。

「よくある営業会社のような、軍隊のような組織は作りたくない。右向け右で全員が右向くような組織を作るのは簡単だし効率的だろうが、そんなことをしたくて会社を作ったのではない。みんなで一緒にこの会社を作っていきたいんだ」などという話を、トップマネジメント2人が真剣に熱く語る様が、心に刺さり、今もなお影響を受けているという。

清水「ああ、この人たちがこういう想いでやっているから、オプトってこんな組織なんだな」って思ったんです。僕はその飲み会が原体験になって、その哲学を自分の会社でも組織作りに生かしています。TABIPPOでは仲間たちと共に、新しい時代における社会のロールモデルとなる組織作りをめざしていますが、それはオプトという比較対象があるからこそ出来ることだと思っています。

さらに高木氏は、オプトグループで現在進んでいる変革の1つとして、人材教育についての話を教えてくれた。

高木うちは今、教育組織を立ち上げているんです。そこで重要な鍵となっているのはコンピテンシー*1です。何を考えて行動に至ったのかというコンピテンシーを、実際のオプトの現場でのモデルケースを集めながら学べるような組織を作ろうとしています。

私の目には、今後オプトはこうした教育の価値によってもビジネスを展開できるんじゃないかと思えるくらい、先進的かつ汎用性の高い教育モデルを構築中です。でも、それはもともとオプトの中に脈々と流れていたものだと考えてもいます。

私も清水も、最初の3年でこのコンピテンシーを学べていた。だから行き先は違っていったけれども、2人とも十分納得できるくらいに成長ができたと感じています。

*1: 高業績者に共通してみられる行動特性のこと。

「いきなり起業すべきか否か」あるいは「どんな会社ならば成長できるか」という問いに、次々と返答をくれる2人。結局のところ、共通しているのは「オプトはいいぞ」になるわけだが、「それは置いておいて、どういう企業を就活生に勧めたいのか」を最後に聞いた。

清水僕が学生だったら、課題感をちゃんと持っている会社に入りますね。例えば「何もしなくても今ものすごくうまくいっている会社」って、ベンチャーやメガベンチャーにもいくつかあるじゃないですか?

でも、そんなところにこれから入ったって、その成功を少し大きくするくらいしかやれることがない。面白くないでしょ、そんなの(笑)。成長なんてできやしませんよ。言い方は変かもしれませんが、「ちゃんと、うまくいっていないものもあって、うまくいっているとしても課題や危機意識を会社全体で。そしてそれをトップダウンではなくボトムアップで1人1人が変革に携わっていける会社」に入社します。

そして、解決のためにもがきながら成長を手に入れていく。それをお勧めしたいですね。

高木方向性は一緒です、やっぱり(笑)。ただ私の関心は組織のあり方なので、今自分が学生ならば「もう組織が出来上がっていて、自分が入ったからといって何かが変わるわけでもない」ようなところには行きたくないですね。

ちなみに私の持論は、「誇りと成長環境と給料とが揃ったら最強の組織になる」なので、今私の部署では「ここは誇りを作る部署だ」と宣言しています。誇りを積み重ねながら、成長に向かって内省をしていける組織。そういう企業を就活生にはお勧めしますね。

こちらの記事は2018年11月29日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

森川 直樹

写真

藤田 慎一郎

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