あなたは経営会議で涙を流せる?
大企業変革のきっかけとは──“前のめりで地道な努力”の先にあるディスラプティブ事業創出手法に迫る
Sponsored
日本を代表する老舗SI企業のBIPROGY(旧:日本ユニシス*)。実は次々と新規事業を立ち上げ、イノベーションによる社会課題解決を本気で追求する集団へと変貌しつつあることが、前回の白井久美子氏へのインタビューで判明した。
昨今、メディアを賑わすDXやMaaS、スマートシティ、電子チケット……。不器用だが真摯な技術者集団は今、「サステナブル×ディスラプティブという両利きの経営」を確立しようとしている。そんな同社にあって、とりわけ異色のキャリアパスを歩み躍動する男が、浜田大輔氏だ。
その口から語られたのは「SEとして入社したけれど営業を希望」「経営会議で涙を流し訴えた」「エプロンを付けて保育園へ」……といった不思議なエピソードの数々。はたしてどんな異才の持ち主なのか、そしてそんな男が表現する“同社の本当の姿”とは?
*…旧:日本ユニシスは2022年4月、BIPROGYに商号を変更した
- TEXT BY NAOKI MORIKAWA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
SE→金融機関営業→保育領域変革という謎経歴の男
豪快そうな外見とは裏腹に、終始にこやかに微笑みながら静かにインタビューに答えてくれた浜田大輔氏。「上智大学理工学部でe-Learningの研究に没頭した後に新卒入社した」と冒頭に聞いただけでは、失礼ながら確かに“ありそう”な経歴だ。
しかしそうではない、ここからの語りで、いかにも「型破り」なその経歴と冒険心をぜひ味わってほしい。
浜田私が就活をした2000年代の初頭は、ヤフーをはじめWebサービス系に軸足を置く企業が脚光を浴びていましたから、私の興味もそっちに向いていました。だからSIerに入社する気は全然なかったんです。
でもできることなら、自分が大学で研究をしてきたe-Learningに強みを持つ技術系企業に入りたいとも思ってはいたので、いろいろと調べていたところ、当社の魅力を知りました。実は素晴らしいe-Leaningシステムを提供しており、国内シェアもかなり大きかったということを。
それならこの会社でいつかe-Learningに携われるようになればいい、そう思って選考を受けました。初めはSIの楽しさをあまり理解できていませんでしたが、社会を動かしていくその仕組みに、少しずつ魅力を感じていきました。
そして人事担当から希望する職務を問われた際に答えたのは、なんと営業部門への配属だった。しかも希望通り、金融機関をメインクライアントとする営業部隊に配属された。
浜田もちろん私は技術の世界が大好きです。でもシステムに携わるのであれば、開発や運用に関わるのも、営業担当として関わるのも大きな違いはない。そう感じていたんです。誰にも真似のできないシステムを作り上げる仕事に参画したとしても、それが企業に導入されて世の中の役に立っていなければ、価値は生まれないじゃないですか?
作る仕事と同じくらい、売る仕事も大切だと思いました。それに私のように技術研究ばかりを学生時代にやってきた人間は、ビジネスや経済のことを何もわかっていません。そこを学び取っていくためにも、営業の仕事に就いた方が良いと思ったんです。
このように「クセのある男」ぶりを入社時からじんわりと漂わせていた浜田氏だが、新米営業マンとして向き合ったのは金融業界。とりわけ堅くて厳しいクライアントを相手にすることになったわけだが、「いろいろな意味で勉強になったし面白かった」と振り返る。
浜田確かに制約の多い産業ですし、ミスが許されない厳しさもありました。詳しくは語れませんが、“半沢直樹チックに大人な局面”だって、なくはない世界でしたよ(笑)。
でもおかげで、SEをやるのとは全く異なる成長をさせてもらえたと思っています。当時はちょうど規制緩和の波に乗って異業種からの銀行業務参入なども相次いでおり、私は運良くこうした新興系の銀行を担当することができましたので、めったに得られないような経験を積むこともできたんです。
日本を代表する大手SIerの営業マンとして忙しく働き、5年が経ち、6年が経つ中で結婚もした。「なんだ、異端児というほど型破りではないじゃないか」と思うかもしれない。だが、妻との出会い、そして当時は専務だった平岡昭良氏(現CEO)との出会いが、浜田氏の未来を変えていくことになった。
浜田学生時代からの付き合いだった妻は、保育士として働いていました。当然、家ではお互いに仕事の話もするわけで、そんな中、日本の保育をめぐる環境に様々な課題があることを知るようになったんです。
一方、この会社も当時はまだ、今ほどアグレッシブに新しい可能性を追求する形にはなっていませんでした。良くも悪くも真面目に、システムをきちんと構築していく。私は「もっとこうしたらいいのに」と思うシステムを提案できないことに、若干の窮屈さを感じ始めてもいました。
しかし、平岡の行動には強いあこがれを感じていました。既存のSIerの枠を超えていこうとするチャレンジングな姿勢を示していたのです。見聞きした若手の価値観を真剣に受け止め、時には自身の価値観を見直し、事業について考え抜くその姿に対して、驚くとともに、「もっと頑張らなければ」と思わされていました。
浜田氏は、平岡氏が開いていた社内の私塾「プリンシパルプロジェクト」の第3期生だ。有志でやる気に満ち溢れた社員が集まり、やりたいことを提案したり、それを聞いて学んだりできる環境があったのだ。
2012年に参加すると、さっそく日本の保育園が抱えていた課題をITやデジタルの技術で変革していく事業プランを提示したのだという。そう、これが後に新規事業『チャイリーフスペース』としてローンチされることになる。しかしそこまでの道のりも、決して平坦ではなかったようだ。
「プロジェクト終了」を乗り越えた“2年越しの粘り腰”
浜田保育士の皆さんの働く環境を効率的にしたり、お子さんや親御さんが安心して保育園との信頼関係を築いていけるようにしたり、といった改善や変革に、デジタル技術を活用していこうというのが主旨です。これは企画立案当時からあり、一貫して変わらないものです。それが現在の『チャイリーフスペース』につながっていくのです。
ですが立案当初、共鳴した仲間4人で3ヵ月かけて作成したプランは、平岡から良い評価を受けられませんでした。4人とも当然のごとく、本来の業務をこなしながらなんとか時間を作って集まって作業を進めていました。今思い返せば、そんなことは言い訳にもならないほどに不完全な提案でした。
もちろん、ここで浜田氏の挑戦が終わるわけではない。むしろこの「プロジェクト終了」を乗り越えるため、尋常ではない粘り腰で専務の平岡氏に食らいついていった。
浜田仲間4人は「簡単にはあきらめたくない」という想いも共有していました。だからすぐ、チャレンジの延長を平岡本人に申し出て、半ば強引に延長を勝ち取りました。いただいたのは「勝手にすれば」との言葉だったのですが、所属部署には「専務の許可をもらったから」と伝えていました(苦笑)。
結局、事業化が認められるレベルのプランを作り上げるまで、なんと2年を費やしたのだという。苦難を乗り越えた当時の浜田氏は、現在の『チャイリーフスペース』の基礎となる子どもの記録や保育計画、データに基づいた保育環境の改善ビジョンをまとめあげると、意気揚々と各地の保育園へと出向き、営業を始めた。
しかし、ここでまたも壁にぶつかる。思うように発注を得ることが、まったくといっていいほどにできなかったのだ。
浜田皆さん「いいですね。今までになかった発想です」という風に評価はしてくださるんです。でも、だからといってこのサービスを買ってくれるかというと、そうはいかなかったんです。サービス自体には手ごたえのようなものもあったので、余計にもどかしく、悔しかったですね。
この時期の苦労については、前回登場の白井氏も語っていた。そして新規事業確立までの道のりは『スタートアップ・ガールズ』というタイトルで、2019年に映画化されている。
作中では上白石萌音さんとともに主役を演じた山崎紘菜さんが「マジメだが安定思考な大企業社員」として登場。試行錯誤を繰り返しながら成長していく様子が描かれている。その大半のエピソードは浜田氏やその仲間たちがリアルに直面してきたものだったという。
浜田映画にもありましたが、私自身、何度もあきらめそうになった時があったんです。でも、そのたびに仲間が背中を押し、発破をかけてくれました。
白井はこの会社で働く人間を「真摯」という言葉で表現していましたね。このころの私が実感したのは「ここにいる人たちは、保守的でともすると冷たいような一面もあるけれど、いざとなったらとても温かい」というものでした。
2016年にCEOに就任する平岡氏による「サステナブル×ディスラプティブの両利きの経営」という変革が、折しも動き出そうという時期と重なっていた。ひたむきに生真面目に、サステナブルなシステム構築やソリューション提供という事業に取り組む社員が大多数であった大規模集団。それがディスラプティブなチャレンジにも動き出そうとしていた時期だ。
『チャイリーフスペース』以外にも、数々の新規事業が確立に向かって動き出していた。何せ大集団であり、変革期といっても皆が皆「右向け右」でディスラプティブな思考や行動を起こしたわけではないが、空気は少しずつ、確実に変わりつつあった。そしてその中で、浜田氏らも絶好の逆転チャンスを得る。
「システム屋」を超える学びを得た保育園の現場
浜田最大手の一角である保育園の方々が、大いに共感してくれたんです。その反応の中でも特にうれしかったのが次の言葉です。
「このサービスを導入したら、私たちが提供している保育そのものの質が大きく変わる、ということですよね?」
今でこそ当たり前というか、なんてことのない反応だと思うかもしれませんが、当時の私たちはこの言葉に、頬を打たれるような衝撃を受けたんですよ。
浜田氏の言う通り、いったい何が衝撃だったのかいまいちわからず問い直す。すると、こう説明するのである。
浜田システム屋の立場であれば、「最適化したシステムやWeb技術を現場の運営に活用するのだから、保育の質が変わるのは当然じゃないか」と思うわけです。もっと言えば「そんなことより、業務の効率化ができて収益も上がるでしょ。そっちの方が魅力でしょ」とさえ思っている部分がありました。
でも違うんだ、と教えられたんです。『チャイリーフスペース』の提案活動で保育園の皆さんと向き合う中で気が付いたのは、どこへいっても「子どものためになるのかどうか」「子どもたちにとって価値あるものになるのかどうか」という純粋な評価軸が最重要視されていたということです。
それまで自分たちが仕事のやりがい、仕事の目標として捉えていたものは、業務上の成果、もっと言えば収益や生産性向上といった数字で示される結果だった。しかし、そんなことよりも「質」や「環境」の向上、子どもたちやその家族の幸せが「やるのかやらないのか」の基準になっている世界がある。そう気づかされたからこその「横っ面を引っぱたかれたかのような衝撃」だったのだ。
極論すれば、提案活動の開始当初、「この人たちはITで何ができるのか具体的にイメージできないから買ってくれないんだ」という思いさえ頭によぎることのあったのだという。そんな浜田氏が、保育園で聞いたひとことで、自らの誤りに気が付いた。
「自分たちの考えた仕組みやシステムをどう売り込むのか」ということではなく、「保育の世界をどうすれば良くしていけるのか」というテーマをもっと突き詰めて考え抜こうと、思いを新たにしたのだという。
浜田2015年にサービスとしてローンチの見通しが立ってきたタイミングで、会社から「本業にして良い」と許しをいただき、医療・福祉分野の担当となりました。
しかし、ここで「めでたし、めでたし」と終わりはしないのが、浜田大輔物語の真骨頂だ。ある日、社内のある会議で「こんなことじゃダメなんだ」と泣いてわめき散らしたというのである。いったい何があったのか?
「経営会議で涙ながらに訴えた日」がターニングポイントに
「本当に涙を見せてわめいたんですか?比喩ではなく?」。そう問い直すと浜田氏は「はい」といって笑う。それは「たまたま発言の機会があった」という、ある日の経営会議での一幕だった。
浜田当社が社会に対してもっと大きく早く価値を出す事業をするために「もっともっと外に出ていかなければならない」「走りたい人が走れる環境を作るべきだ」という意見を述べさせてもらいました。具体的には事業創造のための独立プログラム実施や、スタートアップとの共創を行うアクセラレーションプログラム実施などを提案しました。
しかし、言うだけでは何も変わらないというのもわかっていました。当時の私は本当に必死だったので、文字通り涙を流して、大声で訴えたんです。
浜田氏をそこまでさせた理由は、事業を進める上でのスピード感と、その根本的な姿勢にあったようだ。
浜田せっかく他にはない視点と切り口で新しいサービスや事業が立ち上がり始めても、そのたびにどうしても「自分たちがやるからには、軽率なミスやセキュリティ面での問題発生などは絶対に避けなければいけない」という心理が働いていたんです。
このことは決して間違いではないと思うんですが、ともすれば過剰なセキュリティ確保のために多大なコストと時間をかけてしまう懸念がどうしても付きまといます。スピード感は失われ、イノベーションの芽を摘み取ってしまうことにもなりかねません。もどかしさを肌で感じていました。
この時、前述の平岡氏はすでにCEOとなっていた。「社会課題解決のためのデジタルコモンズを提供する会社に我々はなるんだ」というステートメントを度々発しながら、「サステナブル×ディスラプティブの両利きの経営」を推進し始めていた。
とはいっても、長年実績を築いてきた同社ゆえに「サステナブル」寄りの発想が当時はまだ多数派だったというわけだ。「ディスラプティブ」なチャレンジをまさに実行する浜田氏が痛感していた歯がゆさがひしひしと伝わってくる。しかし、それでも平岡イズムは少しずつ浸透。
学生の読者であれば、ちょっと引いてしまっているかもしれないこの男泣き。しかしその行動は報われる。きっかけとなったのかどうかは定かではないものの、その1年後、浜田氏のもとに思いも寄らぬ打診があった。
急転直下のCVC立ち上げ参画打診が、企業変革の兆し
2016年、浜田氏のもとに届いた打診は「CVCを立ち上げたい。その実質的な担い手をやってみないか」というものだった。今でこそCVCは、意味を説明する必要さえないほど日本国内においてもその存在が浸透しつつある。だがほんの4年前には、大企業のビジネスパーソンの間ではまだまだ「VCと何が違うのかわからない」「何の意味があるのか」というレベルだった。そんな時代に浜田氏は「絶対にやるべきだと思った」のだと言う。
浜田私が適任なのかどうかはさておき、既存の安定の中にしがみついたままだったら、イノベーションなんて起こせない、という想いを大いに体感・実感していたので(笑)、大きなチャンスだと考えて引き受けることを決めました。
立ち上げの中心責任者となったのが当時のCTOだったことも、浜田氏をまた奮い立たせた。
浜田当時のCTOを中心に、ビジョナリーに仕掛けていくことができる、そう感じました。そして、真にディスラプティブな面を磨いていこうというのなら、スタートアップと真摯に向き合い、一緒に汗をかいてイノベーションを目指すしかない、という意見でも一致したので、どんどん前に進むことができました。
このようなオープンイノベーション的な発想を、今なら多くの大企業が提唱しているものの、当時はなかなかいませんでしたね。
こうして、浜田氏が先陣を切って始動したCVCがキャナルベンチャーズ。投資活動を通じて、スタートアップとともにイノベーションやDXを追求していく存在が、ついにグループ内に生まれたのである。
この時すでに、同社は投資活動はもとよりクロスボーダーなDXの枠組みを形成したり、地方創生の可能性追求も含めた官民交流の場作りなどにも着手したり、といった多様な実績を重ねていた。
しかし、どうしてこうも変われたのか。
浜田いくつかの要因が絡んでいます。まず大きいのはCEOの平岡に加え、キャナルベンチャーズの取締役や本体のCMOを務める齋藤(昇氏)といったトップ経営陣が率先してイノベーションの必要性を強く訴え、自ら行動を起こしていること。
加えて、外的要因として、DXやオープンイノベーション等に注力する大企業が増えたことにより、ディスラプティブな挑戦に多くの社員やマネジメント層が理解を示すようになったことも大きいと思います。
この社内外の要因が掛け合わされたことで、当社はついに、間違いなく変わり始めたんです。もちろん、従来通りの発想や手法に誇りを持ち、それゆえに事業立ち上げでの変化に対してわだかまりを抱いている人もいます。
ですから、スタートアップとの共創の最前線にいるキャナルベンチャーズとしては「よしよし変わり始めたぞ」という手応えとともに「まだまだ変わらなければ」という課題意識もあります。
昨今の新型コロナウイルス感染拡大の影響によって、同社においても多くのメンバーが、否応なく「変わるしかない」と実感するようになったことも指摘する。「よしよし」と「まだまだ」の比率でいえば、前者の割合がどんどん膨らんでいることは確かだというのである。
「前に倒れろ!身体を預けろ!」が浜田流の事業創造手法
そこで、最後にお約束の質問だが「今後、どういう人材が参画し、彼らがどう働いてくれることを期待しているのか」を浜田氏に聞いた。
浜田いまだにわだかまりを持っている層もあるのだと知れば、それならスタートアップで働いたり、自ら起業したい、という人もいるでしょう。良くも悪くも、それが大企業です。
でも、まだ完全に変わりきっていないとはいえ、連結で8000名近い人間が働く大きな組織が、いま目に見えて変わり始めているのは事実。サステナブルなビジネスでの実績があるからこそ、非常に多様な産業や事業に広く深く関与して、トライしていけるのも事実。複数のディスラプティブな新規事業が成果を上げ始めていることも、キャナルベンチャーズ等を通じてスタートアップとのつながりが強化され続けていることも事実です。
そういう本気で変わり始めた大所帯を面白いと感じ、資金面や福利厚生面などが恵まれた環境下でイノベーションに挑戦したいと望んでくれる人がどんどん参画すれば、さらにこの会社は変わっていくし、その変化を自分ごととして体感することができます。ですから、イノベーションを本気で起こそうという人にはぜひ来てほしいし、それなりに良い環境があるとは思っています。
浜田氏の願い通り、チャレンジングな人材は実際に増え始めているようだ。実際に立ち上がった事業についても、いくつも名前が挙がった。『マイホームマーケット』『災害ネット』『スマートキャンペーン』『バリューカード』……。
しかしやはり、かつての異端児としては「まだまだ覚悟が足りない」と感じることも少なくないらしい。
浜田「こういう新規事業をゼロから創りたい」と言い始める若手が増えているので、話を聞いてみると、正直「まだまだ全然大したことない」と感じることも多いんです。事業プランの中身以前の問題として、“覚悟”が足りてない。
私が『チャイリーフスペース』のプランを詰めていった時には、自らエプロンを着けて保育の現場に立ちました。ついには保育士の資格も取りました。このくらいのことは当然、というような覚悟で「サービスの対象者=顧客企業や生活者」を知ろうとしなければ、今どき流行りの「形だけのDXやエコシステム」しか手にできません。CVCだろうと本体だろうと、はたまた全然別の企業に勤めていたとしても、同じ事だと思います。
ですから、私は若手社員らに「もっと前に倒れていこう」と言い続けています。当社がスタートアップと違うのは、「前のめりに態勢を倒していった結果、本当に倒れてしまったとしても、ここならば再チャレンジできる」ということ。私自身、今のキャナルベンチャーズで「前のめりに態勢を倒し」ながら走り続けています。同じように前傾姿勢で戦える仲間が増えてほしいと願っています。
「もっと前に倒れてこい」とは、いかにも浜田氏らしいメッセージ。だが、白井氏が前回教えてくれた「暴れたい、でも真摯でありたい、という方に来てほしい」というメッセージとも合致する。「前のめりに暴れたい」と願う者にとっては、この「変わり始めたSIer界の巨人」もまた選択肢の1つだといえるだろう。
こちらの記事は2020年09月14日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
次の記事
執筆
森川 直樹
写真
藤田 慎一郎
連載希望ある未来へ導く社会的価値の創出へ──社名を新たにしたBIPROGYの挑戦
3記事 | 最終更新 2021.07.21おすすめの関連記事
"新陳代謝は当たり前か?"非連続成長を追求する組織の落とし穴━Asobica×ナレッジワークが挑む、新・スタートアップの成功方程式とは
- 株式会社Asobica VP of HR
そんな事業計画、宇宙レベルで無駄では!?プロ経営者と投資家が教える3つの秘訣──ラクスル福島・XTech Ventures手嶋対談
- ラクスル株式会社 ストラテジックアドバイザー
組織の“多様性”を結束力に変える3つの秘策──Nstock・Asobica・FinTのCEOが実証する、新時代のスタートアップ経営論
- 株式会社Asobica 代表取締役 CEO
隠れテック企業「出前館」。第2の柱は32歳執行役員から──LINEヤフーとの新機軸「クイックコマース」に続く、第3の新規事業は誰の手に?
- 株式会社出前館 執行役員 戦略事業開発本部 本部長
「令和の西郷 隆盛」、宇宙を拓く──Space BD代表・永崎氏が語る、“一生青春”の経営哲学
- Space BD 株式会社 代表取締役社長
経営者は「思想のカルト化」に注意せよ──企業規模を問わず参考にしたい、坂井風太とCloudbaseによる“組織崩壊の予防策”
- 株式会社Momentor 代表