連載私がやめた3カ条

「正しそうな道」よりも、「ワクワクする道」を選んで成功を創れ──AirX・手塚究の「やめ3」

インタビュイー
手塚 究

神奈川生まれ。早稲田大学創造理工学部卒業、早稲田大学会計大学院修了。株式会社フリークアウトで旅行・航空業界のデジタルマーケティングを支援、広告商品企画などを経験。マザーズ上場後、2015年株式会社AirXを創業。2018年より空の移動革命に向けた官民協議会(国交省/経産省)構成員。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、ヘリコプター貸し切りサービス『AIROS(エアロス)』や、遊覧予約サービス『AIROS Skyview(エアロススカイビュー)』、さらに旅客輸送など多面的に事業を手掛ける株式会社AirX(エアーエックス)の代表取締役、手塚究氏だ。

  • TEXT BY AYA SAITO
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手塚氏とは──サッカー人生をやめた。
そこに始まる起業家人生

エアモビリティに新しい風を吹かせるAirX。2021年10月にはビジネスジェット事業を展開する双日から資金調達を発表するなど、観光以外にも事業の裾野を広げつつある。最近ではジェットやドローンへと事業を展開させており、自社事業にとどまらず災害支援を専門とする国土交通省認定ドローンスクールを共同開講(同)を発表するなど、これまでにない多角的なエアモビリティの事業展開を見せている。

そんな手塚氏は、空の移動革命の官民協議会にも参加し、次世代のエアモビリティ産業を牽引する存在である。創業は8年前。フリークアウトから独立するかたちだった。手塚氏を腹の底から奮い立たせるのは、身も心もサッカーに捧げた経験である。

手塚氏は小学生から高校生までサッカーを続け、全国大会の常連となるほどの強豪チームで腕を磨いた。小中学生以降、神奈川の選抜に招集。「一定のレベルまではいけた」とさらりと口にするが、そのような厳しい環境では、経験した者にしかわからない苦悩や悩みがあったに違いない。

所属していた県選抜では、Jリーガーになったチームメイトもいた。そんなハイレベルなサッカー人生を送る中、手塚氏の頭に渦巻いていたのは「日本を代表するレベルまでいけるのか」という葛藤だった。

手塚結局、サッカー人生を歩もうと思ったのですが諦めたんです。挫折といってもいいものですね。

本題に入る前に「やめたこと」が出てきてしまった。悩んだ末、サッカーと同等の熱量を注げるであろう次なるフィールドに選んだのが、ビジネスの世界だったのだ。起業に興味を持ったのは、高校生の頃。ある講演を聴いたのがきっかけで、起業家という生き方を知った。

早稲田大学に進学後に学生起業も経験した後、社会的なインパクトの大きさに惹かれ、創業間もないフリークアウトにインターン生としてジョイン。そのまま新卒入社した。

手塚サッカーと共通することを感じましたね。苦しいことをやり続けた結果、得たいものに結びついていく感覚です。

サッカーは普段、苦しいことしかなかったのですが、苦しいことをやった結果、チームの勝利に結びつきます。もっと細かいところでいうと、毎試合同じ試合がない。感情で左右されるゲーム性がある。ビジネスでも、変数の多さは共通しているところがあります。

だから、サッカーに人生を捧げていた人間だったわけではありつつ、今もビジネスに没頭することができていると感じます。

もっともらしい正解を選択するより、取った選択が正解になるよう行動し続けるのが、手塚氏特有の「スポ―ツ発の思考法」かもしれない。さあここから、まずはフリークアウトから独立した経緯における「やめたこと」を追っていこう。

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「わくわくする感情」にふたをするのをやめた

学生インターンとしてジョインしたフリークアウトは、当時社員が15人に満たないスタートアップ。手塚氏は事業だけでなく、とにかくゴミ捨てに掃除、電話番、サーバー組み立てなど当時の自身にできることを誰よりも徹底して取り組んだ。

「全てを懸ける気持ちでジョインしたので、必死だったというのもあります。下級生ってよく雑用や練習の準備しますし」と笑う。その泥臭くコミットする姿勢はサッカーで培った。

そうして培った信頼から、新卒で入社した際には営業チームの責任者に抜擢される。新商品を企画したり、広告主となるクライアントをひたすら開拓したりと、夢中になって働いた。ジョインしてから3年足らずで、同社は2014年6月に東証マザーズ(現グロース)市場に上場、手塚氏の貢献も小さくなかったようだ。

創業フェーズからコミットし、上場を支えた手塚氏。これからフリークアウトで、中核を担う人材としてキャリアを歩む未来が容易に想像できる。しかし、手塚氏が選んだのは、「上場直後の独立」という選択だった。

手塚母親ががんになってしまったんです。上場してすぐの秋でした。幸い母は一命を取り留めましたが、自分自身もその先の人生について考えるようになりました。限りある人生で、時間は有限なのだと思い知ったんです。

フリークアウトへの強い愛着はありましたし、そのままやりたい事業のアイデアもありました。でも、自分の手で起業し、限られた時間をよりよくできるビジネスを大きくしていきたいと決断しました。

「会社をつくること」と「事業をつくること」は、似て非なる経験だ。大きな夢を携え、フリークアウトの同期だった多田大輝氏と共同創業した。

とはいえ、手塚氏はフリークアウトを創業から上場まで押し上げたコアメンバーの1人だ。退職した頃には、メンバーの数は130人ほどの大所帯になっていた。創業メンバーからは引き止められたとか。

手塚もちろん感謝していましたし、惜しい気持ちもありはありました。ただ、ビジネスのつくりかたを学ばせてもらったからこそ、残るよりも独立してさらに大きなビジネスをつくりたいという意志は固くなってしまっていました。

フリークアウトでそのまま働かせてもらう選択をしたとしても、きっと楽しかっただろうし面白いビジネスをつくっていったと思います。

でも、それ以外の道について考え、共同創業者となる同期の多田といろいろと話している中でわくわくしてしまったので、この感情を大切にして選択しようと思ったんです。自分も残ったメンバーも、手塚が独立して良かったと思えるようなビジネスをつくっていきたいですね。

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「コロナ禍という言い訳」をやめた

2015年2月、晴れて創業した。一貫してエアモビリティのサービスを開拓し、2017年には日本初となるヘリコプターのライドシェア(相乗り)サービスをリリース。少数精鋭ながら、革新的なサービスを世に送り出していった。

ところが状況が一転したのは、2020年のことだった。新型コロナウイルスが蔓延した。行動制限が発令され、街を歩く人の姿はまばらに。ビジネスの根幹をなすヒト・モノ・カネの動きのうち、ヒトの流れがほとんどストップし、企業活動はオンラインが主流になった。

まず打撃を受けたのは観光業。その影響は運輸業にも波及した。AirXも、その対象となった。

宿泊需要と連動して旅客輸送の需要が落ち込み、取引先である宿泊事業者からは「これ以上取引を続けられない」「今すぐにはちょっと……」と、やむを得ず打ち切りになるケースもあった。この間、社内でも徐々に空気が変化していった。

手塚返金の嵐のような日々でしたね。財務面も含めて追い込まれた状況。コロナが蔓延し始めた2020年4月は売り上げがゼロになってしまい、支払いばかりが増えていきました。毎月数千万円のキャッシュが失われ続けてしまうかもしれないという、非常に苦しい時期でした。

それでも、この状況をチャンスにできないか、ずっと考え続けました。「コロナ禍でこのビジネスはできない」などという言い訳はやめよう、と自分自身や、会社全体に強く発言しました。その結果行きついたのが、プライベート輸送なんです。コロナ禍という状況も相まって、集団で移動するより、プライベート空間で移動する需要がありました。

ただもちろん、コロナ禍の間だけのビジネスでは、あまり意味がありません。そこで、感染症はどのような時間軸で収束していくかを徹底的に調べ、あらゆるパターンを想定し、そのうえでメンバー全員にじっくりと説明して進めました。

不特定多数の人と接触する状況を回避するために、電車や新幹線など大量輸送型の交通手段は避けられ、一方で自家用車やタクシーという選択肢が選ばれていた。今後もこのニーズがなくなることはないだろう。そう考えて、「プライベート便」という事業参入の価値を見出したのだ。

プライベートチャーターサービスを開始すると、すぐにユーザーを獲得。3カ月後には経営が上向き、一気にV字回復を成し遂げた。売り上げは前年同時期をあっさりと越えた。

手塚「言い訳をしない」という文化は、今も組織全体に根付いています。

どうしても人間なので言い訳を可愛がってしまうところはある。だからこそ、そうしたバイアスをまずは認知して、そのうえで困難な状況を打開するための方策を考え続けることが必要なんです。そういうことを再認識した出来事でしたね。

ただ、手塚氏自身も大きな課題にぶち当たっていた。

手塚経営は巻き返したと思い安心したら、気が抜けたのか、身体に激痛が走って、救急車で運ばれてしまったんです。大事には至りませんでしたが、どうやら相当な疲れがたまっていたようで。

私自身の力技で攻めていくばかりになってはいけない、権限移譲していかなければならない、と気づかされました(笑)。

この頃社員は10人未満。業績のV字回復は誇らしいことだが、健康を損なっては元も子もない。大事に至らなくて何よりであるが、言い訳をしないという学びと、権限移譲という新たな挑戦が始まることになる。

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「堅調な自己流」をやめた

プライベート輸送に本腰を入れてから、売り上げ自体は右肩上がりに伸びていった。この事実に喜ばない経営者はいないはずだが、手塚氏は違和感を覚え始めた。

手塚良い言い方をすると“堅調”でした。しかしそのことに甘えてしまっていた。劇的には伸びていなかったんです。

事業をつくりだす思考法から見直すことにしました。たとえば会議の作法や、事業の戦略立ての手法を、外から学んでいくことにしたんです。

本から理論を学ぶのではなく、圧倒的に成果を出したエキスパートに声をかけ、直接教えを請うた。野村証券で伝説的な営業成績を残した市村氏や、会議のお作法を指導いただく和田氏らを招き、事業や組織開発の思考法を学んだ。「当所売り上げを1.5倍にするという目標を立てたのですが、結果として3倍以上になりました」と手応えを感じている。

効果は数字だけではない。組織開発の助言をもらい、課題だった権限移譲も徐々に形になっている。

手塚マネージャーの発信で組織が動くようになりました。自分の声が大きいと、マネージャー陣が気付いても口にしたり行動に移したりしにくいことがあります。組織として共通してここが課題だったと感じていたので、マネージャー一人ひとりの意識は高く、少しずつですが、成果が出始めている感覚がありますね。

バリューも設定し、組織開発に力を入れている。特に「チームでインパクトを」は、それまで手塚氏個人のコミット量が大きかったスタイルから、大きく変化している部分だ。

AirXのバリュー

手塚自分は良くも悪くも突破力や瞬発力のあるタイプでした。自己流だったんですね。長期的に事業を推進したり組織を開発したりするためには、学び直すのも大事な手段になるはずです。

会議に臨むとしても、考え方次第でその準備や話し方のパフォーマンスが変わっていきます。そうした積み上げが最終成果、つまりは事業の成果に出てきます。本来行きたい場所より上の部分に行くには、そうした日々の積み上げから直していくという発想が、今のAirXにはかなり浸透してきましたね。

日々の行いの質から底上げしていく思考もまた、ひたすら高みを目指してボールを追いかけた経験に由来している。正解がないからこそ、ビジネスもサッカーも、何を選び、何のために行動するかが常に問われる。そうした自問自答を繰り返し、行動を続ける手塚氏に、起業家としての歩み方を垣間見た。

こちらの記事は2023年04月07日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

齊藤 彩

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