連載私がやめた3カ条

アンチMVVをやめた──estie CEO平井瑛の「やめ3」

インタビュイー
平井 瑛
  • 株式会社estie 代表取締役CEO 

東京大学経済学部卒業後、三菱地所株式会社に入社。米国・英国・ASEAN・中国における不動産投資運用業務に従事し、既存・新規を合わせて約1兆円規模のポートフォリオマネジメント。新事業創造部を兼務後、東京におけるオフィスビル賃貸営業やスタートアップ支援施設の立ち上げを経て、2018年12月株式会社estieを創業。商業用不動産市場のデータプラットフォーム構築を目指し、「estie pro」および「estie」を提供。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、不動産データ分析基盤「estie pro」を提供する株式会社estieの代表取締役、平井瑛氏だ。

  • TEXT BY KOHEI KIYOSAWA
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平井瑛氏とは?
大手不動産デベロッパー 三菱地所を経て起業家の道へ

estieは2018年に創業した6期目の不動産スタートアップだ。同社の創業者でありCEOを務めるのが平井瑛氏。新卒入社した三菱地所で海外不動産投資チームに配属され、日本より数十年進んでいる世界の不動産テック業界の最前線を学んだ。

「会社の枠を超え、不動産業界の構造を変えていきたい」

そう思うようになったのは、入社5年目で新たに立ち上がったスタートアップ向けのオフィス営業チームに異動してからとのことだ。学生時代から起業を意識したことがなかったが、オフィスビル事業に関わる中で起業家との接点が増えていき、起業家の道が開き始めた。

大企業出身であるが、既存の常識やセオリーに縛られないユニークなキャラクターを持ち合わせる平井氏。特に、起業当初はMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)は不要とさえ考えていた。

日本を代表する大手不動産デベロッパー企業である三菱地所を退職し、ゼロから事業を立ち上げ、起業家として日々挑戦を続ける足跡を辿ろう。

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日本を代表する大手企業を辞めた

東京大学を卒業し、2014年に三菱地所に新卒入社した平井氏。

大学時代、そして入社してからも起業家になることは考えたことがなかったという。

平井大学時代から起業を考えたことはなかったですし、身近に起業家という存在もいませんでした。三菱地所に入社した時も、一生勤めていくだろうと思っていましたね(笑)。

特に、海外不動産の投資業務に携わることができたのはとても良い経験でした。オフィスビルの営業実務に関わる機会もあり、充実した毎日でした。

三菱地所といえば、誰もが知る日本を代表する不動産総合デベロッパー企業。入社してまもなく海外事業に関わることができ、キャリアとしても順風満帆であった中、いつから起業を意識し始めたのか。

平井1つのきっかけはやはり、海外不動産投資の事業に関わったことです。特にアメリカでは不動産領域のテクノロジー活用が圧倒的に進んでいて、日本が大きな遅れを取っていることを知りました。

アメリカには時価総額3兆円を超える不動産テック企業がすでにいました。30年前には業界の業務インフラとなるような民間会社が設立されており、この分野では圧倒的にアメリカが先を行っているという印象を受けました。

日米間の大きな差を知る中で、国内の不動産業界にイノベーションが長く起きてい ない構造や課題に対して自然と目を向けるようになりました。

海外事業に携わる中で、テクノロジー活用が進んでいない国内不動産業界の課題に気付き始めた平井氏であったが、まだ起業という選択肢を考えるには至っていなかった。そんな折、入社4年目で異動したオフィスビル事業でスタートアップと関わり始め、起業家との接点が生まれた。その中でさらに、考え方が変わっていく。

平井入社5年目、新たに立ち上がったスタートアップ向けのオフィスビル営業に異動が決まりました。そこでのミッションは、丸の内エリアに新進気鋭のスタートアップを誘致していこうというもの。丸の内は伝統的な企業が集積するエリアだったため、スタートアップ誘致を通じて、東京の中心地に新たな風を吹かせていく仕事はとてもやりがいがあるものでした。

この時、母校でもある東京大学が始動するアクセラレータープログラム「FoundX」の立ち上げに携わり、スタートアップの起業家と接点を持つようになりました。

起業家と接する機会が多くなり、彼らの視座の高さや業界全体を変革していく視点がすごく新鮮で刺激を受けました。これまで私が感じていた不動産業界の課題は、会社の枠を超え、もしかしたら起業という形で解決していけるのではと思うようになったんです。

また多くの起業家と会う中で「自分にもできるんじゃないか」とフラットに感じたことも大きなきっかけの1つです。

社内で新規事業を立ち上げるという選択肢もあったかもしれませんが、三菱地所という枠を超えて、産業全体にインパクトを生み出すためには、新たな存在として中立的な役割を担い、より大きなイノベーションを起こしたい。そう思って起業へ踏み出しました。

「起業」という選択肢は一見、遠く感じるものだと思うが、ふとしたきっかけでそれが一気に現実的な選択肢に変わりうる。起業を考えるならば、平井氏のように、実際に起業家がいる場所に飛び込んでみて、起業家のリアルを知ることから始めてみると良いかもしれない。

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「事業を全て自分でやること」を辞めた

そうして平井氏は5年勤めた三菱地所を退職し、2018年12月にestieを創業した。

オフィスビルの営業を経験した時に痛感した、日本におけるオフィスビル情報流通にまつわる課題を解決すべく、1つ目のプロダクトとして『estie pro』の立ち上げに奔走することとなる。

何もない状態から事業を立ち上げる起業プロセスは、営業や採用、プロダクトマネジメントと、あらゆる業務をこなす幅広いスキルが求められる。平井氏も例外ではなく、創業して1年間は営業やプロダクト開発、採用など、全ての業務を自らも担当していた。

平井三菱地所ではマネジメント経験がなかったですし、起業も初めての経験だったので、営業もプロダクト開発も全て関わり、創業者である自分が、手も足も頭も、一番動かしているべきだと考えていました。

しかしとあることがきっかけで、平井氏は現場で手を動かすことを辞め、メンバーにどんどん仕事を任せるようになった。そうすると、事業が一気に成長していく様子を目の当たりにし、考え方が根本的に変わったという。

平井創業から1年が経つタイミングでプレシリーズA調達の検討が始まりました。当時リリースしたばかりの『estie pro』はPMFを目指している状態で、その頃からグロービスキャピタルパートナーズの湯浅エムレ秀和さんと毎週、調達に向けて事業ディスカッションを行うようになりました。

エムレさんとのディスカッションや資金調達の議論に時間を費やすことで、物理的に私が現場から手を離さざるを得ない状況に陥りましたが、結果的に事業は急速に成長し始めました。私が現場から手を離すようになった後、短期間で「PMFだ!」と言えるところまで一気にグロースしたんです。正直、驚きました。

そして『estie pro』は我々の主力事業にまで成長し、その勢いは止まっていません。ちなみに余談ですが、私が立ち上げを主導したプロジェクトはほかに2つあり、結果として全て閉じています(笑)。

今では僕よりも事業立ち上げが得意な人がたくさん入ってくれたので、得意な人に任せるようにしています。

自分が手放すようになってから事業が急速に成長すると、普通はショックを受けそうだが、平井氏は特に悔しさを感じなかったという。それよりも、「estieが提供するプロダクトを通じて顧客に本質的な価値を感じていただくこと」が重要だと強調する。そして、結果を出すためにチームで協力することが第一であるため、自分が手を動かして関わったかどうかは問題ではないのだ。

創業者として何から何までやるというこだわりを捨て、任せきる。平井氏の場合、当初は任せざるを得ない状況の中ではあったが、そのおかげで事業が大きく成長した。

estieが組織としてスケールする上でも、ある種、経営者としては避けては通れぬステップだったのだろう。結果として、プロダクトはPMFに達し、平井氏は組織基盤を強化することにフォーカスできるようになった。

平井また、このタイミングで会社から各メンバーにどういう期待をかけて、日々成果を上げてもらうかを定義し始めるようになりました。estieでは10以上の職種区分があり、それぞれ7段階のミッショングレードが定義されています。

会社からは明確な期待値を伝えると共に、メンバー自身が描く成長イメージと業務ミッションを合致させることを大切にしています。単純に「任せる」という言葉で終わらせずに、双方でコミュニケーションを繰り返しながら、お互いの期待値調整を正しく揃えるようにしています。

事業が急成長する中で、常に学習しながら最適な組織のあり方を模索し続けている。

estieでは役職者採用を行わないという。たとえ前職が大組織のNo.2や、本部長クラスであったとしてもだ。実際にエムスリーグループやマイクロソフト、リクルートといった著名企業からの転職もいるのだが、例外はない。

そもそもestieは、役職名にこだわる文化ではないそうだが、ハイレイヤークラスが入社してもまずは一人のメンバーとして入り、周囲との信頼関係を構築しながらポジションを作っていくプロセスにこだわっているという。

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アンチMVVを辞めた

経営において非常に重要視される「MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)」の概念。

近年では「パーパス経営」という言葉が注目され、企業の存在意義を根本から問い直す動きが増えている。

ARRが200億円を突破したユニコーン企業のSansanは、全社員が年間2,000時間以上(2021年当時)もミッション・バリューについての議論を行っているそうだ。

出典:急成長でも失われない一体感 Sansanはどのように“ミッションドリブン”な組織をつくりあげたのか

しかし、平井氏は創業当初、MVVの重要性について全く意識していなかったどころか、その意義について半信半疑で、「制定なんて一切考えていなかった」という。

平井創業時から2年間ほどは「アンチMVV」と言えるほど、MVVの重要性に懐疑的な立場をとっていました(笑)。理論としては分かるものの、MVVが実際に行動レベルでどのように影響するのか、まったくもって理解できていなかったんです。

特に創業当時は手探りな状態で事業作りに必死だったこともありますね。

他の企業が取り組んでいるのを見ても、「採用ブランディングのためにやっているだけではないか」と、ひねくれた見方をしていました(笑)。

そんな中、様々なことがきっかけで考え方が大きく変わっていく。

平井考え方が変わってきたきっかけは、いくつかありましたが、そのうちの1つは、主力事業が立ち上がり、軌道に乗り始めたタイミングでのことでした。事業が順調に伸びていく中で、不動産業界がestieに求めるものが見えてきたのです。しかし、同時に創業メンバーの数名が辞めてしまい、組織も20名を超えた状態で、お互いの目指す方向や価値観を全く知らないまま仕事をしてしまっている現状もありました。

そこで、まずは仕事における約束事であるコミットメントを明確にするために、行動指針とも言えるバリューの策定を始めました。これにより、メンバー全員が共通の目的意識を持ち、お互いを理解することができるようになりました。

バリューを策定し、組織に浸透し始めてきたタイミングで、改めてMVVをはじめとしたカルチャー施策について検討を始めた。そして「パーパスの策定」の重要性に目覚め、急速に進めたのだ。

「estieが不動産産業、ひいては社会にとってどういう存在意義があるのか。」この問いに向き合い、パーパスを策定してからは良い変化がどんどん起き始めたという。

平井何度も議論を重ねた結果、estieが存在する意義、つまりパーパスを「産業の真価 を、さらに拓く。」というものに定めました。

私たちはオフィス向けのデータベースサービスを提供しているわけなのですが、事業作りを通じて、人々の経済活動を支える商業用不動産に対して、データとテクノロジーで価値を生み出すことができると考えています。

我々が日々行う事業活動の究極の目的は、商業用不動産の先にある世の中の経済活動全てに良い影響をもたらしていくということ。パーパスには明確な意思を持って、”不動産”というキーワードも入れませんでした。

パーパス・バリューが明確になったことでestieの組織は一段と強くなったと振り返る。組織の存在意義が明確になったことで、平井氏はじめ、メンバーも事業への想いが強くなり、ドライブ感が増した感覚が強いという。

平井改めてパーパスを言葉にすると僕自身、気持ちが乗ってきました。日々仕事に向き合う中で、「産業の真価を、さらに拓く」ために何をすべきか?ということを真剣に考えて、行動するようになっています。今、目の前のお客様に喜んでいただくこと以上に、estieの存在意義を考え抜くことで、事業に向き合う視座は格段に変わり、制定したことによる大きな効果を感じました。

振り返ると、起業当初からパーパスは制定しておけば良かったなと思います。途中で変わってもいいので、真剣に考え抜いて、言語化しておくことが大事かなと。シリアルアントレプレナーの方々が、必ずといっていいほどまず初めにMVVを制定する意味が、やっと分かりました(笑)。

パーパスがあることで経営判断の指針になることに加え、日々の業務レベルの判断基準も明確になりますし、組織としての意思疎通もスムーズになった実感があります。要は、短期的なその場しのぎの判断ではなく、パーパスを拠り所にした本質的な意思決定を全員で目線を合わせてできるようになってきていると感じています。

パーパス制定後、平井氏は社内外でパーパスについてひたすら語るようにしているという。話すたびにパーパスを制定した背景やその真意についてあらゆる角度で聞かれるため、伝えるべきパーパスの輪郭はさらに明確になったそうだ。

確固たるパーパス・バリューが制定され、主力事業の「estie pro」は「Whole Product構想」という業界のバリューチェーンに対して一気通貫でサービス提供を行うため、複数の新サービスを同時並行で開発しているそうだ。商業用不動産を土俵にしながら、産業構造の変革に挑んでいくestieから目を離せない。

こちらの記事は2023年05月11日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

清沢 康平

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