連載私がやめた3カ条
“一歩、引く”で、経営を一歩先へ──
J-CAT・飯倉竜の「やめ3」
起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。
今回のゲストは、特別な感動体験に出会える予約サイト『Otonami』と外国人旅行者向けの体験予約サイト『Wabunka』を手掛けるJapan Culture and Technology株式会社の代表取締役、飯倉竜氏だ。
- TEXT BY AYA SAITO
飯倉氏とは──ちょっとお人好しで、日本の文化への愛に溢れる起業家
幼いころに出会った他者の存在は、その人の人生観や価値観に影響するものだ。起業家の場合、物心ついたころから身近に経営者がいる環境だった、ということも少なくない。
飯倉氏の母親は書家だ。幼いころから書道教室を営む母を見て育ってきた。日中は教室に加え、自己研鑽や自分の作品づくりに励み、日が沈むとホームページの作成やSNSの更新など1人でこなす。そんな生活ぶりを目にしてきた。
飯倉母はこう言っていました。「書道の習い事や自分の作品づくりだけで食べていけるのは、ほんの一握りだから」と。
せっかく世界にも誇れる素晴らしい技能を持っているのに、なかなか収益に結びつきにくい現状があるのだということを間近に見て、釈然としない気持ちをぼんやりと抱えていましたね。
一方で、日本の文化が好きな外国人は年々増えているように感じています。どうしたらこの日本の文化の良さを知ってもらって、観光・芸術・文化領域の担い手が正当な対価を得られるようになるか。その仕組みをつくりたいと思うようになっていったんです。
元々起業には興味があり、大学卒業後にスタートアップに入社しようとも考えた。だが、ファーストステップではビジネスの基礎を学ぼうと、住友商事の門を叩く。米国シリコンバレーに駐在中、幼いころ母親が書道教室で四苦八苦していた記憶の光景に、テクノロジーの可能性を見出した。
日本の文化の担い手が抱える問題をテクノロジーで解決しようと、2019年にJapan Culture and Technology(以下、J-CAT)を創業。コロナ禍を乗り越えユーザーも裾野を広げ、2023年2月には、クレディセゾンと富裕層向けコンテンツ事業の業務提携を開始するなど果敢な挑戦を試みている。
新卒で起業やスタートアップを選ばなかったのは、ビジネスの基礎を学びたかったからだけではない。「大手の内定を得ることができて親も喜んでいたので……」。
インタビュー中、時折親想いな一面を覗かせる。そうした身の周りの人への共感や思いやりがあるからこそ、様々な葛藤を経験してきたようだ。飯倉氏はいかにして、そうした迷いを成長に繋げたのか。3つの転機を紐解いていこう。
数字を第一に追うのをやめた
冒頭でも触れた通り、書家の母が事業に四苦八苦していた光景に、独立を後押しされたという飯倉氏。住友商事を辞め、創業したのは2019年。その頃は、インバウンドの需要は未来永劫うなぎ上りだと思われていた。
ところが2020年に新型コロナウイルスが蔓延。体験型のコンテンツの提供を扱う事業だったため、外国人が日本に来れないことには何も始まらない。飯倉氏は頭を抱えた。
飯倉サプライヤー(パートナー)は、日本の文化の担い手。例えば書道に限らず、料理人や工芸品のつくり手も含まれます。彼らや彼女らがずっと大切にしている文化の価値が正しく世の中に伝わって、対価を得て生活できる世の中をつくりたいと考えていたんです。それで代理店のように、外国人旅行客との接点を形成していたんです。
それが、私の独立タイミングでちょうどコロナ禍が始まってしまって……。でも、オフラインでなくてもその社会を実現する何かはできるんじゃないかと考えていました。なので、次の打ち手を必死で考え、着想したのがオンライン形式のイベントです。
日本の文化を表現しているサプライヤーを講師として招き、オンラインでユーザーに向けて講演したり、イベントを企画した。巣ごもり需要が追い風になり、海外旅行に行けずに過ごしている欧米圏の富裕層を中心にユーザーを獲得した。
飯倉サプライヤーさんとユーザーさん、双方から選んでもらえたのは、本当にありがたいことでした。
でも、オンラインで本当の価値が伝わっているのか?いや、そうじゃないかもしれない、そんな思いもありました。
不満やクレームがあったわけではない。だが、サプライヤー起点で事業を推進していたからこそ、サプライヤーに対価を提供できているのか、自問自答していた部分もあった。
苦悩の末、このビジネスを継続はしつつ、考え方を大きく変えるに至った。
飯倉サプライヤーさんたちが、どれだけ継続的に喜ぶような事業の仕組みを創るか、そうシンプルに考えていくきっかけになりました。
自社の売上や利益を最優先には、絶対にしない。そんな思いを強くした。
日々の行動や事業が抜本的に変化したわけではないが、この思考変容が、2つ目の転機に繋がることになる。
「サプライヤーのため」「ユーザーのため」といった個別最適思考をやめた
サプライヤー起点で事業をつくってきた飯倉氏。幼少期の原体験もあり、とにかく「日本の文化の担い手」の一人ひとりに対しての支援を最大化しようという気持ちから、事業の拡大を図っていた。徐々に訪日客の足が戻り、オンライン形式から創業当初に構想していた体験型のコンテンツへと、ようやくといった思いで軸足を移しはじめた。
順調に……と、そんな簡単にビジネスがうまくいくわけではない。利益の継続創出にはなかなかつながらない。綺麗ごとだけでは立ち行かない。
飯倉数字だけを追い求める考え方をやめた後なので、自分の決断の結果なのですが……。
ここで学んだのは、企業を経営するうえでの変数はものすごくたくさんあるのだということ。経営者の仕事は、その公約数を大きくすることなのだと、やっと腹落ちしました。サプライヤーだけではなく、投資家や社内のメンバーを含めたステークホルダーの全員の幸せを求めていくのが仕事なんだと、認識するようになったんです。
ビジネスを継続させるうえで、売上や利益を上げるのは当然のこと。それは、サプライヤーさんのためでもあれば、メンバーのためでもある。ユーザーもそう、株主もそう。そんな意識を持つようになって初めて、「私たち独自の価値観を大切にしながら数字をつくる」という命題に、本気で立ち向かえるようになりました。
経営理念がビジョナリーであればあるほど、定量的な成果に落とし込むのは難しいと感じてしまうのがビジネスだ。綺麗ごとだけでは成立しない。きっと、多くの起業家が葛藤しているに違いない。
「サプライヤーが正当に評価される仕組みをつくる」という考え方と、売り上げを追うことを両立する──。この立ちはだかるジレンマに繰り返しぶつかってきた飯倉氏。「少しずつではあるがようやく、価値観の変容が数字にも跳ね返ってきている」と話す。
現行のサービスではプラットフォーム『Otonami』にて特集記事などのコンテンツを展開し、予約サービスで実際の体験予約ができる。このコンテンツの質が向上し、SNSで拡散されコンバージョンが上がることで、予約数の向上につながってきているのだ。
飯倉サプライヤーの良さを正しく伝えたいというマインドが、メンバーや株主にもかなり浸透してきたと感じています。結果として質の良いコンテンツが拡散され、集客に結びついているんです。
いろんなやり方があると思いますが、ビジョンと数字はトレードオンで追求すべきものですし、自分たちもそうでありたいですね。
美学をいかに数字に落とし込むか──。ビジネスにおける永遠のテーマと言えるだろう。飯倉氏は、具体的にどのような行動を取ってクリアしたのか。3つ目のやめたことを紐解いてみよう。
表に立つのをやめた
「メンバーが同じ方向を向くことって、やはり大事ですよね。その前提があれば数字は後からついてきますし、少なくとも現在のJ-CATは高いレベルで実現できているようになってきたと思います」。そんな手応えがあった。それは、飯倉氏があることに相当な時間を費やすようになったからだ。
飯倉ステークホルダーを幸せにするというのが自分の仕事だと認識するようになってから、採用にかなりコミットするようになりました。
営業もコンテンツの企画も社内の意思決定も、結局ビジネスは人の手で推進していくものです。日本の文化を残していきたい、日本の良さを海外にも伝えていきたい。そんな価値観を持っていれば、おのずと成果を上げていける。このことを、最近は強く信じられるようになってきました。
以前は、自分も営業やサプライヤー開拓にかなりコミットしていたんですけど、そのほとんどを思い切って任せることに決めました。マンガの「キングダム」じゃないのですが、武将として戦場の最前線からは離れ、採用や組織開発に注力しています。
現在では代表の飯倉氏が面接・面談を担当する場面も増やしている。できるだけ多くの候補者に会おうという意識を高めている。特にミッションや日本文化への考え方について、飯倉氏が入念に確認したり伝えたりしつつ、ほかのメンバーとともにカルチャーマッチ・スキルマッチのより確かな見極めを進めているのだ。
飯倉日本文化や観光に関心があるかどうかという方向性を、僕は重点的に対話しながら意見交換させていただいています。
逆に、事業のほうはほとんどメンバーに任せているので、のびのびと推進できるはずです。イレギュラーが発生したら僕が少し入るぐらいで。観光や日本の文化に関心のある方だったら、ビジネスとしてやりたいことを形にできる打ってつけの場所だと思います。
意志を持ってやめる決断には勇気が要る。組織の拡大に伴って事業の推進を任せる際に、なかなか権限を委ねられない経営者も少なくない。「自分が入るより上手くやってくれてるので、マネージャー陣は本当に信頼しています(笑)」。
ビジネススキルを厳しく確認するのはもちろんだが、まずは任せてみるのが第一歩なのではないか。経営者としてステークホルダーへの配慮を忘れない、懐の深さを感じさせられたインタビューだった。
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