5分で“マルチバーティカル戦略”のトレンドを押さえる──FastGrowが注目するSaaS企業5社を厳選
ここ1~2年で徐々に市民権を得始めたテーマである“マルチバーティカル戦略”。SaaSビジネスを拡大させていくための新たな戦略論の一つだ。国内でその先駆者とも言えるカミナシにて執行役員ビジネス本部長を務める宮城徹也氏は、マルチバーティカル戦略を以下のように定義している。
多くの市場へアプローチでき、それぞれの市場の中で幅広い用途での利用が想定される。業界ごとの知見も特定業務についても幅広い知識が求められる。
引用:https://note.com/tetsuyamiyagi/n/n434edf27773b
マルチバーティカルSaaSをわかりやすく表現するなら、ホリゾンタルSaaSとバーティカルSaaSの複合型戦略と言える。バーティカルSaaSが得意な「業界特有の課題への深い理解」と、ホリゾンタルSaaSが解決する「広い業務課題へのソリューション」という一見相反する課題に対して、同時進行で挑む非常に難しい戦略だ。
しかし、複合的に考えれば良いなどといった単純な話ではない。ひとえにマルチバーティカルSaaSと言えども、当然解決したい課題が違えば、その様相は全く違うものとなる。
そこで本記事では、マルチバーティカル戦略をとる企業の中でも、特に押さえておきたい5つの企業をピックアップ。それぞれどんな業界の、どんな課題に、どんな切り口で挑んでいるのか、なるべく特定業界への知識がなくとも概要を理解できるよう、まとめている。
マルチバーティカルSaaSという概念はどこから生まれ、なぜ今注目を集めているのか。その背景や文脈を辿っていくとSaaSの新しい姿を感じとれるはずだ。
- TEXT BY TAKASHI OKUBO
クロスビット──シフト管理というチャネルで、ユーザーに一人ひとり寄り添うマルチバーティカル戦略を貫く
業界を問わずあらゆる企業が直面するのが「シフト管理」の問題だ。“シフト管理ツール”と聞くと一見地味なプロダクトに聞こえるが、労働人口の減少、シフトワーカー割合の増加、働き方の多様化...etc。こうしたマクロなトレンドの中で、「シフト管理」が持つポテンシャルは絶大と言える。
このプロダクトをマルチバーティカルに広げていく戦略を掲げ、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長しているのが、クロスビットだ。このスライドを見れば、すでに「外食・飲食」「小売り・サービス」「アミューズメント」といったマルチ領域への展開が進んでいることもわかるだろう。
そして「医療・福祉」や「製造業」といった、さらに大きな市場規模の領域へと拡大させていく様子も見える。これが、クロスビットの掲げる最もわかりやすいマルチバーティカル戦略の一端だ。
そんな同社が開発する『らくしふ』は、LINEで従業員のシフト希望を回収し、わずか数秒で最適なシフトを作成できるプロダクトだ。継続率は99.4%、導入事業所数20,000件を突破している。
その特徴は、単に機械的にシフトを埋めるだけでなく、売上予測に応じて忙しい時間帯にスタッフを多く配置したり、複数事業所を横断した勤務調整を行ったりできることだ。チェーン展開する飲食店やカラオケ店、小売店、介護施設など多くの事業所から急速に支持を集めている。
とはいえ、シフト管理の方法は、複数の店舗でアルバイトを経験した者ならお分かりの通り、業界や業態にかなりの差異がある。放っておくと、“個別最適化されやすい領域”なのだ。
一方のクロスビットは、特定の企業や業界に最適化することなく、個別のユーザーから寄せられたニーズを抽象化してうまく共通項を捉えた上で、プロダクトに昇華している。本質的な部分のみを抜き出す。この絶妙なバランス感覚──「虫の目」と「鳥の目」を高いレベルで両立できなければ実現不可能なプロダクトなのだ。
その秘密を同社に出資するEight Roads Ventures Japanの村田氏はこのように分析している。
クロスビットは、「どうすれば目の前の経営者や働いている人々が幸せになるのか」ということをずっと突き詰めて考えて来た方々なので、まずそこに、「シフト管理ツールをつくれば儲かるかも」というアプローチの企業にはない、圧倒的な深みと信頼感があります。
そうでありながら面白いのは、ひたすら実直にマイクロなユーザーの価値を突き詰めていった結果、「実はぼくたちはすごい広がりを持てるんじゃないか」という可能性に気づき始めているところです。最初から「大きなことをやろう」と思っているんじゃなくて、目の前のお客さんを幸せにすることに向き合っていった結果、プロダクトとしてのポテンシャルが広がっている。この順番がすごくいい。
現時点では飲食や小売、エンタメ業界といった領域がメインではあるものの、同社は今後更に介護や工場、病院といった次なるシフト管理が求められる市場への展開を進めている。
なお今回は詳しく触れることができないが、「業界・業態の拡大(マルチ化)」と並行して、『らくしふ』から取得できる誰がいつ働くのか、実際のパフォーマンスはどうだったのかなどのユニークなデータの横展開やM&Aによる、「プロダクトの拡大(マルチ化)」にも積極的に取り組む構想だ。「シフト管理」を軸に、労務管理や勤怠管理、タレントマネジメントなどの多角化と、適正な評価や柔軟な給与変動の機能追加による、『らくしふ』の提供価値の最大化に挑む。
特定の業界に個別最適化することはなく、それでいてN=1のニーズにとことん目を向ける。このバランス感覚こそマルチバーティカル戦略に必要な要素だと言えよう。2024年1月に合計約9億円の資金調達を発表した同社が、新時代の働き方の多様性を広げる旗手となれるか、引き続き注目したい。
hokan──保険業界はバーティカルSaaSの思想では通用しない?“超”がつくほど、マルチバーティカルな視野が求められるワケとは
2023年10月、シリーズBにてエクイティとデッドの戦略的二刀流を駆使し、総額15億円の資金調達を実施したhokan。同社はクラウド型保険代理店システム「hokan®」を提供する、InsurTechだ。“保険代理店”を主なクライアントとし、着実にテクノロジー活用やデジタル化が進む銀行や証券に比べ、金融関連領域の中でも最もレガシーと言われる保険業界のDXを推進する。
「“保険業界”なんだから、バーティカルSaaSでしょ」と感じた読者は、hokanが挑むこの業界の複雑性を捉えきれていないかもしれない。
hokanの組織の中でも“もっともユーザーに近い場所”で働くCS羽鳥氏とTech Div小倉氏曰く、保険代理店業界には「テンプレート対応が一切通用しない、特有の難しさ」が存在しているという。
以下、要約
現在hokanが主に向き合うクライアントの中には、中小企業や、一代で保険代理店を築き上げたような企業も多い。これらの企業は、代表的な保険代理店向けの管理システムではなく、自前でシステムを作られて長年運用されてきたユーザーさんもいます。独自の思想でデータが蓄積された状態なので、どのデータのどの部分を、どのように『hokan®』に持ってくるべきか、一社一社じっくり向き合う必要があるんです。
また、経営体制や思想も企業によってかなりばらつきがあるんです。例えば、保険のセールスパーソンの報酬制度を見ると、固定給のところもあれば、インセンティブ設計がなされているところもある。
そうした制度によって、フローがどのように運用されていくかが異なります。すると『hokan®』のベストな活用法も変わってくる。
この経営体制や社風によって、DXどころかシステムやプロダクトをうまく機能させられない可能性だってあるんです。
バーティカルSaaSが、ホリゾンタルSaaSに比べて社風や経営体制による管理、インセンティブの設定の自由度が高い傾向があることはなんとなく想像できるかもしれない。
しかし、保険代理店業界は他のバーティカルSaaSと比べても、その複雑性の高さが際立つ。「地方の1人〜10人くらいの保険代理店」、「大きめの都市に拠点を置く数十人〜数百人規模の保険代理店」「ナショナルクライアントと呼ばれる数千名規模の超巨大企業」。企業の規模もバラバラであれば、経営体制や社風によって、使用しているシステム、報酬体系も千差万別なのだ。
「hokanのカスタマーサクセスに画一的なテンプレート対応が存在しない」のはこのためである。
もちろん、FastGrowが「hokanのビジネスにはマルチバーティカル戦略の視点が必要だ」と主張する理由はこれだけではない。
シリーズBラウンドで15億円の調達を機に、今後CRMのさらに保険会社や銀行等への横展開を進めるとともに「新規事業開発の一環として、EV(電気自動車)オーナー向け特化型プラットフォーム事業に取り組むことを発表している」のだ。
一見既存事業からは“飛び地”のように映るかもしれないが、hokanが目指すのは「保険流通のプラットフォーム構築」。つまり、電気自動車の保険市場も同社にとっては押さえなければならない重要な市場なのだ。
業界の複雑性の高さに面食らうばかりか、“飛び地”での新規事業、M&Aなどあらゆる手段を講じてコンパウンド化を目指すhokan。その業界変革に挑むプロフェッショナリズムや、スピード感あふれる事業展開には、「保険業界は知らない...」といって忌避することなく、注目すべきだろう。
カミナシ──マルチバーティカル戦略の生みの親。
汎用性の高さに深度を加えたホリゾンタルSaaSの進化
マルチバーティカル戦略の生みの親とも言えるのがカミナシである。同社が提供する『カミナシ』は、作業チェックなど現場の業務フローをノーコードでデジタル化する現場DXプラットフォームだ。
社名の通り、「紙での管理や無駄な作業をなくす」がコンセプトであり、モバイルデバイスやSaaSの普及によって現場のDXを推進。 2023年3月にはシリーズBラウンドで約30億円の資金調達も発表している。
そんなカミナシは元々、自社プロダクトを“ホリゾンタルSaaS”として捉えていた。しかし、サービスのリリースから1年が過ぎてきたところで、「業界ごとで利用ユーザーや使われ方が全く違うので、そもそも業界の解像度が高くないといけない」「全業界を横串で考えるホリゾンタルというよりは、一つ一つの業界についてしっかりと掘り下げるバーティカルの方がアプローチとして近いのでは?」という声が現場からあがってきたのだという。
業界を一つずつ攻略しながらも複数業界にアプローチする─。つまり「マルチバーティカル戦略」という呼び名がしっくりくるのではと。
一般的なホリゾンタルSaaSとバーティカルSaaSの定義
- ホリゾンタルSaaS → 多くの市場へアプローチできるぐらい汎用性が高いが、利用される業務は特定される。業界ごとの知見はそこまで必要ないが、特定業務について詳しい知識が求められる。 (freee社・SmartHR社など)
- バーティカルSaaS → 特定の市場にアプローチすることが多く、その市場の中では幅広く使われる。業界ごとの知見が深く求められる。(ANDPAD社・Ubie社など)
カミナシの提供形態
カミナシはSaaSの形態としてはホリゾンタルSaaSだが、以下の観点で"マルチバーティカル戦略"としている。
- 全業界を横串で考えるホリゾンタルというよりは、一つ一つの業界についてしっかりと掘り下げるバーティカルに近い
- 業界を一つずつ攻略しながらも複数業界にアプローチする戦略を取っている
また同社は、2023年の資金調達に際して、中長期のプロダクト戦略である「まるごと現場DX構想」を発表。これまでカミナシは、現場の紙をなくしデジタル化を推進することに尽力してきたが、今後は新規プロダクト開発を含めたマルチプロダクト化によって、これまで以上に対応できる業務と業界の幅を広げていく。マルチバーティカル戦略×マルチプロダクト化でカミナシがどのように進化を遂げるのか、今後も目が離せない。
STORES──予約という機能からスモールビジネスを変えていく
2022年6月、SOTRESのPdMの宮里氏が、自身のnoteで「STORES予約をマルチバーティカルSaaSと再定義した」と公言した。“予約”は事業者・利用者双方にとってメリットが大きく、店舗ビジネスには欠かせない仕組みだが、一方で、予約の間違いや記録漏れによるバッティング、利用者側の間違いなど、予約の管理にかかる事業者側の負担は大きい。
しかも、業態によって予約にかかる業務も異なるため、汎用的に使える予約管理システムというものは存在しない。その結果、未だに予約業務に悩まされる、もしくは本当に解決したいと思っている課題を解決できていない店舗オーナーは少なくないのだ。
こうした状況を、肌で感じてきた同社だからこそ、この課題を解消するべく、取り組んだのがマルチバーティカル戦略というわけだ。“予約”という、店舗を持つ企業であればどの業種にも存在する機能を、1つの業種ごとに深く掘り下げていく。そしてゆくゆくは予約に限らず、レジや決済といった機能も同様の展開を目指しているという。
改めてSOTRESとは、個人商店やECなどのスモールビジネスの課題を解決するべく、ネットショップの開設から、決済、予約、顧客管理などにかかわる課題をテクノロジーの力で解決する企業だ。
STORESの強みは、店舗のフロントオフィス業務を総合的に支援できる点、オンラインとオフラインのOMOの実現のサポートにある。決して、オンラインストアを立ち上げられるだけのプロダクトではなく、ネットショップの開設からCRMとの連動まで、スモールビジネスのビジネスプロセス全てをサポートする総合支援型プラットフォームなのだ。
日本は小売りを始め、中小企業やスモールビジネスに取り組む人たちが多い国だ。また、予約という行為は、日常生活の身近な行為のひとつだからこそ、その効果や変化を感じやすい。より深く、より難しく、そしてより身近な“予約”のマルチバーティカル戦略。その展開には胸踊らされるばかりだ。
こちらの記事は2024年02月16日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
大久保 崇
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