“どう働くか”より“どう生きるか”を思索したら、投資銀行からりんご屋に。最高にスマートで、ユニークなニチノウ松本氏のキャリアに見えた、次代キャリアのホットスポット

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松本 康平
  • 株式会社日本農業 果樹流通事業 事業責任者 

慶應義塾大学卒。新卒でHSBCのM&Aチームの一員として複数のM&A案件に携わる。2019年、株式会社日本農業に入社。果樹流通事業 事業責任者。りんご屋事業リーダー

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投資銀行HSBC(Hong Kong and Shanghai Banking Corporation)にて海外でM&Aを経験した後、ニチノウこと日本農業にジョインし、主力のりんご事業を牽引。頭脳プレイの極致から、泥臭さの極みへ。その飛躍の間でどのような心情の変化が起きたのかとても気になるのが今回フィーチャーする松本康平氏だ。このような経歴の人が、何しに農業へ……?

ビジネスとしての農業を標榜するニチノウの事業を紐解く上で、それを体現している人物は松本氏を置いて他に存在しないだろう。

最高にスマートで、最高にユニークな松本氏のキャリアの軌跡を追体験することで、日本農業の提供する価値の本質が浮き彫りになる。

よく、「イノベーションは辺境から生まれる」と言われる。青森が辺境という意味ではない。変革はつねに、お互いが遠く、異なる異分子同士が掛け合わさることで起こるのだ。ニチノウの場合は、東京で最先端のビジネス仕草を身に着けたプロフェッショナルが、青森の伝統的りんご産業と掛け合わさって変革を起こしにいく、との表現が的を射ているだろう。

農業は何も特別なものではなく、一つのビジネスでしかない。だからこそ、ビジネスのプロフェッショナルが必要だし、非農業人材が活躍できるのだ。

この考えはまた、投資銀行出身の松本氏ならではの視点でもある。まずは早速その経歴を見ていこう。

  • TEXT BY YUICHI YAMAGISHI
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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プロフェッショナル人材としての歩み

大学を卒業後、外資系投資銀行へ就職した松本氏。彼も例外なく、特段の理由もなく就職先を決めた口だった。さして珍しくはない、よくある大学生の動機だ。しかし、今に通ずる「やりたいこと」の萌芽はすでに現れていた。

松本大学3年次にアメリカへ1年間留学した際に感じたことがありました。向こうでは、驚くほど日本のプレゼンスが低かったんです。そのときに、日本企業をもっと強くしてプレゼンスを高めたい、と漠然とした想いが生まれたのです。

ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれ、世界時価総額ランキングのトップ50社に日本企業が半分以上を占めていた80年代までのイメージは現在、面影すら残っていない。

松本だったら、日本の企業が海外へ出ていくサポートがしたい、と。留学の経験があったので、外資系企業で働いてみたいと考えました。当時、金融系外資は花形業界。新卒で入社しても給料がいいことも理由の一つでした。投資銀行で明確にやりたいことがあったわけではないんです。

しかし、ぼんやりとやりたいことの芽はすでに存在していた。まるでConnecting the dotsを地で行くかのように。日本の農業界を盛り上げて、日本の農産物の輸出量を増やしていく。日本農業が貫く想いとオーバーラップする。

松本もしかしたら心の奥底で、自分が生まれ育った国の良さを世界に伝えていきたい、もっと世界の中での存在感を高めたいという軸がすでに存在していたのかもしれません。

就職後は、アジアに強いHSBCの東京支店に配属され、国と国をまたぐクロスボーダーM&A案件を担当。日本企業が海外企業に出資・買収したり、日本企業の事業を海外企業が取得したりする局面で、両サイドから支援できるHSBCの強みを活かして、バイサイドとセルサイドのサポートを一通り経験した。

しかし、こうした華々しく見える経験も「ニチノウの事業に対して、直接的には前職の経験が活きていることはほとんどない」と松本氏は言う。その一方で、プロフェッショナルとして培われた人間力や突破力は、今も生かされている。

松本人的資本が価値の源泉であるプロフェッショナルファームで培ったプロフェッショナルとしての姿勢は、ニチノウの中でも活きていると思います。農業もビジネスですからね。

例えばHSBC時代に所属していたチームは人数が少ない少数精鋭で、かなり負荷の高い環境でした。また、平均的に働くというより、勝負どころのタイミングでグッとアクセルをベタ踏みして走り出すような、仕事の仕方でした。

なので、人手不足が常のスタートアップに特段ギャップを感じませんでしたし、繁閑がはっきりしているという点では、秋に忙しくなるりんご産業と似ているかもしれませんね。

「『農業だ』と身構えず、人の気持ちがわかる普通の人に来てほしい」との内藤代表の言葉とも重なる。農業だからといって、ITベンチャーで培ったスキルが活かせないというわけではないのだ。

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「どう生きるか」を実践しているニチノウの仲間たち

新卒から4年を経た2019年、日本農業に入社する松本氏。一体どのようなきっかけと心境の変化があったのだろうか。当時のことを興奮気味に語ってくれた。

松本ニチノウの創業メンバー永田玲士は大学時代の友人で、久しぶりに会ったらとてもかっこよかったんですよ。今どんな事業をやっているのか、すごく目をキラキラさせながら話してくれました。その時、自分もそんなふうに生きてみたいと思ったのがきっかけでした。

そう話す松本氏もまた、当時を思い出しながら目をキラキラさせて話していた。それほど鮮烈な印象が残っているのだろう。

松本(永田)玲士の話がとにかく面白い。タイで一人りんごを売っていた彼は、バイヤーとアポを取ってあるふりして、取次の人が知ってそうな名字を適当に言って当てずっぽうでバイヤーとアポを取り付けたという話や、バイヤーの子どもの宿題を手伝って関係を築いていった話とか。忙しい輸入商社の社長と会うために、2時間くらい張り込んで、社長が帰宅時に会社から出てくるのを待ちぶせた話だとか。

全力で毎日を過ごしている様が目に浮かんで、かっこいいし楽しそうだと思いました。

投資銀行で4年間が経ち、疲れてしまっていた時期でもあったようだ。そこで、話を聞いてみたい人に片っ端から会ってみたのだという。そのうちの一人が永田氏だった。働くことの軸も新卒入社時より明確になり、その頃は人生観もより一層はっきりとしていた。

松本HSBCで携わった案件は大きい仕事で、やりがいも面白さもありましたが、裏を返せば事業全体の一部に過ぎないという見方もできます。そうではなく、ベンチャーなら運転席に座って目的地まで自分でハンドルを握り、自らアクセルもブレーキを踏めると感じました。目的地すら自分たちで決められて、責任を負い、喜びを分かち合える。そんな憧れもありました。

新卒時の入社動機のような浅はかさはなく、どう働くかというよりも“どう生きるか”に考えの重心が移っていました。そんな中、“どう生きるか”を自ら考え、それを実践しているニチノウの友人や仲間を見て、自分もそうして生きたいと思ったんです。

徐々に、ワークライフバランスという言葉が目に触れ始めた時期。仕事と人生を切り分けてバランスを取ることを良しとする風潮が世の中で支配的になった。松本氏は“どう生きるか”を重視し、仕事を人生の一部として包摂させることを望んだのだ。

松本僕はかつてサッカー選手になりたかったんですけど、サッカー選手は試合の90分間だけ仕事をしているわけではありません。毎日コンディションを整え、体作りのための食事をし、風呂に入る時間、ストレッチの仕方から睡眠の方法まで、生活をしている間ずっと自分を律しています。

一流のサッカー選手は仕事と人生を切り分けていないし、サッカーは人生そのものにも見える。その生き方と同じように生きているニチノウの仲間たちを見て、仕事と人生の境界はもっと曖昧でもいいんだと思えた。

仕事自体もすごく楽しくて、休みの日も仕事のことを常に考えている。切り分けなく、人生としての仕事を生きているみんなの姿がすごくかっこいい。だからニチノウへ入るのに何の迷いもありませんでした。

人生そのものを生きる。しかし言葉で言うほど簡単ではないだろう。これまでの投資銀行時代のキャリアや積み重ねたスキルも捨てることになるのではないのか。

松本やる事業の内容に対してこだわりはありません。どこで何をやるのかは今もあまり気にしてないんです。最初はタイに駐留しましたが、それはニチノウにとって大切な場所だったから。いい仲間に囲まれながら、大きな意義のある仕事に向かって自分で考えながら決めて、動いてがむしゃらに進むのが好きなんです。

こうして、あっさりとキャリアチェンジを果たす。ニチノウのメンバーに共通するのは、“ロマンチスト”である点だ。

もちろん投資銀行時代の上司からは引き止められたが、なんと直後にチームが解散。外資では頻繁に起こるケースだが、幸か不幸か時の運も合間って、新天地探しへとすぐに足を運ぶことができた。また、私生活においても運命のイタズラか、ニチノウとの出会いのきっかけとなる出来事が重なったのだ。まるで人生の脚本が書き換えられるような、そんな感覚を覚えたのだという。

松本ちょうどニチノウと出会う前に婚約を破棄することになり、購入予定だった家をキャンセルしたり、また結婚式場を探していた時間に空きができました。だったらと、会いたい人をリストアップした中の一人が玲士だったんです。だからタイへも青森へも身軽に行けたんです。

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青森に来てくれる仲間の家族への責任感と

ニチノウの最大の拠点である青森県の弘前支店には、松本氏以外にも優秀な東京のビジネスパーソンが、3人も家族と一緒に移住してくれた。メンバーそれぞれが、守るべき家族とともに生活拠点を移したのだ。

松本本人たちは自分の意志で来てくれていますが、家族と一緒に赴任してきてくれたメンバーもいます。東京ではクルマに乗らなかったのに、青森ではクルマがないと生活できないので、運転免許を取得して慣れないながらクルマで生活されているパートナーの方もいます。さらに、移住時は小さかったお子さんが今年から青森の小学校へ通うようになっていたり……。

家族がいる人たちも住む環境を変えるという大きな決断と覚悟の上でコミットをして来てくれています。自分なんかは今も独身で比較的自由ですけど、メンバーには家族と共に日々楽しく幸せに過ごしてほしいと想いますし、そういった環境を作っていきたいです。

仲間と家族を迎える側として、松本氏は一人ひとり、すべての人の覚悟を見てきた。

松本だからこそ、青森の事業は絶対に成功させたい。青森で事業を拡大させるには、現地の地元を盛り上げたい!という想いのある人たちと、東京を始めほかの世界で経験を積んできたプロフェッショナルな人たち。その両極が掛け合わさっていくことで、スピード感を持って事業を成長させることができる。

こうしてプロフェッショナルなチームの面々が農業と掛け合わさることで、従来の農業とはまったく違う新しい価値が生まれていく。そのダイナミズムに比例して、関係する人は増えていく。関わる人の多さに、松本氏は責任を感じずにはいられない。

松本みんなで食事にいったり夏の海へいったり、釣りへ誘ったり、家族も一緒にレジャーに出かけたりと、楽しく過ごせるようにしているんです。従業員の後ろには家族がいて、その家族の人生も背負っているつもりです。家族もみんな幸せになってほしいとの想いがあります。

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遠くて違うもの同士でしかイノベーションは起きない

「かけ離れた存在同士を掛け合わせることで、想像を超えて大きくなる」と松本氏は強調する。この言葉に、日本農業の提供する本質的価値が象徴されている。

松本近くのもの同士をかけ合わせるのは簡単ですが、それではあまり大きくはなりません。遠くのもの、違うものを掛け合わせて初めてイノベーションが起きます。だから、東京から来てくれるメンバーと青森の現地のメンバーが反応し合って、意見が掛け合わされると新しい提案がどんどん出てきます。青森のりんごの一大産地という伝統と、プロフェッショナル人材の持つ戦略性という離れた要素をかけ合わせることで、革新が大きくなる。両方が必要です。

掛け合わせで事業が急拡大して伸びています。掛け合わせの新しい価値創造をやりたい人にぜひ来て欲しい。

この掛け合わせこそが日本農業の強みだ。M&Aとも通ずるかもしれない。かけ離れているからこその難しさもあるし、反発や、不安や恐怖心によるドロドロした人間関係も発生する。

前回の取材でも、悲喜交交の人間模様の中で“コテコテの商売”の中に身を置き、悪戦苦闘しながらも一歩ずつ農家の方々の信頼を獲得していく。そんな同社COO河合氏の姿が描かれたばかりだ。

時間をかけて、「雨降って地固まる」の精神で、じっくりと進めていくことで大きなイノベーションへとつながる。そこに介在できる価値を発揮できるのが日本農業の強みだ。

松本青森の人も最初はニチノウがなにをしようとしているのか分からないから怖いという気持ちもあると思いますが、一度分かるとすごく優しいんですよね。理解を得られるまで、私たちも相手を理解できるまで、上手くいかないことは多々あります。でも最後は分かり合えると超優しい人達です。

しかし、ウェットな対人関係を築きつつも、そこにある視点はあくまでビジネスであり、プロフェッショナリズムである。

松本りんごの一大産地である青森で、ビジネスを行っているのが私たちで、農業は何も特別なものではなく、一つの確固たるビジネスです。しかもポテンシャルが大きいビジネス。だからこそビジネスのプロフェッショナルが活躍できるのです。

そして最後は人間力がものを言います。だから、これまで農業に携わったことがなくても、農業のプロでなくても全然いいですし、むしろそのほうがいい。僕もそうでしたから。

ビジネスのプロフェッショナルとして強い想いを持って動ける人を歓迎します。ビジネスパーソンとして強い人は、農業でも活躍できる。現地には農業のプロがたくさんいるので、仲間としてお互いに補完し合いながら事業を進めていく。こんなダイナミズムに溢れた企業はほかにはありません。

今後は東京のほか、青森でもプロフェッショナル人材の採用を進め、掛け合わせを推進していくという。

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私たちの事業はあくまでビジネス。
だからプロフェッショナルに来て欲しい

設立から7年が経ち、創業メンバーによる立ち上げ期から現地の農業のプロを巻き込み、現在はバックグラウンドの異なる者同士が掛け合わさるフェーズにいる日本農業。まさに、ビジネスのプロフェッショナルが求められているフェーズだ。

松本氏は青森の事業全体のP/L責任を負い、トップラインを伸ばしつつ、一方で利益率を高めるために機械や新しい技術を導入していくそうだ。

松本青森でりんご事業に携わり4年が経ちました。ここからは、より筋肉質な経営をしていく必要があります。売上・利益を伸ばすため、採用や制度設計などそれを支える組織づくりが不可欠です。

もちろん、りんご以外にも様々な品目を立ち上げていく必要がありますね。

りんごで培った商流を全国へ広げ、横展開させていくなかで、松本氏も積極的にりんご以外の品目にも関わっている。また、M&Aにより、事業を加速させる動きも見せている。

松本M&Aは、ゼロから工場を立ち上げるよりも、時間を買う意味合いが強い。これまでは賃貸借で工場や選果場を取り入れてきましたが、今後はM&Aの選択肢も視野に入れていきます。

ニチノウが行うのは、敵対買収ではなく、後継者不足の企業を引き受ける事業承継M&Aだ。もちろんニチノウにも“時短”というメリットがあってのものだが、結果的に地元の雇用を守ることにもつながる。

松本事業承継して従業員さんたちの雇用を継続しながらグループとしてより大きな売上を追っていくのは、みんなにとってWin-Winだと思います。その機会をつねに求めています。

M&Aの主な対象はりんごの流通を行う会社だ。青森には、りんごを調達して選果梱包して市場に売る流通法人のりんご商社が70社近くある。しかし、そのほとんどが家族経営の零細企業で、10億円程度の規模。多くが「跡継ぎがいない」という問題を抱えている。

事業を畳んでしまうと従業員の仕事がなくなってしまうため、気にしているオーナーは多いという。育成や引継ぎも困難で、また、銀行に個人保証で借りている数億円規模の借金を、家族ではない社員メンバーが引き継げるかというと難しい。

そこで日本農業が事業を承継することで、雇用が失われることなく、社員もそのまま活躍できるのだ。直近でも、後継者不足に悩むヤマナリ西塚をニチノウがM&Aした事例が取り上げられていた。

日本農業による「ヤマナリ西塚」の株式取得について:りんごで世界を目指す第一歩:
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000020.000024854.html

ヤマナリ西塚8年ぶりとなる輸出が再開、日本農業による事業継承で輸出を拡大:
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000025.000024854.html

もちろん、地方で買収となると、最初は黒船でもやって来たかのような反応をされることも多かったという。当然、海外から輸入したメソッドである高密植栽培も最初は眉をひそめられた。農家の方々に代わって、最先端事例をまずは自ら取り入れ、農家の方々の恐怖心を取り除くのも日本農業の役目だ。

松本分からないから怖いことも、私たちがやってみる。それが日本農業。日本農業が入ることで、現地の方々も触発されてやり始める。仲間が増えていく。その動きを農家の方々だけでなく流通にも広げていく。

リスクは進んでみなければ分からないこともある。例えば日本農業が事業承継をしたあとに、それまで借りていた銀行から、「東京の企業だから」という理由だけで資金を借りられなくなるケースもあった。しかし、ニチノウはつねに道なき道をまっすぐ進んでいくのだ。

松本プロフェッショナルのチームで農業を泥臭くやることで、従来の農業とは全く違うものにしていくのが、ニチノウの醍醐味です。また、多くの従業員や家族を背負っているという責任を感じながらも、同時に目の前のことに没頭できる喜びも感じます。この、どう生きるかを実践する生き方は、何ものにも変えがたいと思います。

辺境同士、異質同士、遠いもの同士、違う者同士が掛け合わされることで、新しい価値が創造される。そこに展開するのは生々しいまでの人間同士のぶつかり合いだが、通底しているのはビジネス視点による戦略性だ。日本農業は、どう生きるかを徹底的に実践できる場だ。

こちらの記事は2024年01月12日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

山岸 裕一

写真

藤田 慎一郎

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