連載私がやめた3カ条

顧客と株主分けるの、やめました──ライフイズテック水野雄介の「やめ3」

インタビュイー
水野 雄介
  • ライフイズテック株式会社 代表取締役CEO 

1982年、北海道生まれ。慶應義塾大学理工学部物理情報工学科卒、同大学院修了。大学院在学中に、開成高等学校の物理非常勤講師を2年間務める。大学院修了後、人材コンサルティング会社を経て、2010年7月 ライフイズテック株式会社を設立。14年に、同社がコンピューターサイエンスやICT教育の普及に貢献している組織に与えられる “Google RISE Awards ” に東アジアで初の授賞となるなど世界的な注目を浴びている。主な著作:『ヒーローのように働く7つの法則』(共著、KADOKAWA)

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、中高校生向け IT・プログラミング教育サービスを展開する、ライフイズテック株式会社代表取締役CEO、水野雄介氏だ。

  • TEXT BY SHO HIGUCHI
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水野氏とは?──教育の常識を覆す、ソーシャル・アントレプレナー

こちらの記事にあるように、今やEdTech分野で知らない者はいないであろう水野氏。意外にも起業するつもりは全くなく、学生の頃は教職を目指していた。小学校2年生から野球漬けの少年時代を送っていたが、高校2年生で出会った物理の先生が学校のルールに縛られることなく生徒のためを思って行動をする姿勢に感銘を受け、物理の教員を目指すことにした。

大学では理工学部で物理情報工学を専攻。大学院時代は研究生活の傍ら、私立の進学校で物理の非常勤講師として教壇に立った。「より広い社会を知ってから生徒たちに教えたい」と考え、教職ではなく一旦は人材コンサルティング会社へ就職する。3年ほど勤務したら転職するつもりでいたが、「自分の理想とする教育システムを作りたい」という思いが芽生え、2010年にライフイズテックを創業した。

現在展開しているのは春・夏・冬休みに全国で開催している4日間の短期集中プログラムの『キャンプ』、1年間でプログラミングの基礎から学ぶ長期プログラムの『スクール』、ロールプレイングゲームのように冒険の物語を進めながらプログラミングを学ぶことができるディズニー・プログラミング学習教材『テクノロジア魔法学校』がある。

個人向けに留まらず、中学・高校の新学習指導要領に対応したプログラミング学習教材の『ライフイズテックレッスン』も展開、1,650校以上で採用されている(2021年9月末時点)。プログラミング教育のニーズが高まる中、今後さらに存在感を増すのは間違いないだろう。

日本の教育に変革をもたらすサービスを次々と世に送り出してきた水野氏だが、現在に至るまで意思を持ってやめたことがいくつもある。一体何をやめてきたのだろうか。

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初志貫徹するのをやめた

高校時代に出会った物理の先生への憧れから、大学の学部では教職免許を取得し、大学院時代には開成高校・早稲田高校で物理を教えていた水野氏。教師になる前に社会経験を積もうと一旦は民間企業に就職したものの、なぜ方向転換したのだろうか。

水野当時、子供向け職業体験テーマパーク『キッザニア』が流行り出していたので、こういう新しいタイプの教育スタイルをみんな潜在的に求めているのかもしれない、と思うようになりました。私自身、教育に対してずっと関心は持ち続けて民間企業で働いていたものの、特定の学校の生徒だけではなく、より根本的に「日本の教育全体を変革したい」という思いが強くなってきていたんです。そこで起業というアプローチで教育を変革する決断をしました。

水野氏の考える日本の教育における課題は、起業をする前から明確だった。それはずばり、「大学入学共通テスト(旧センター試験)」と「新卒一括採用システム」だ。

水野社会に出ると、1つの科目で100点を取れるような人のほうが、5科目で満遍なく80点を取れる人よりも活躍すると思うんです。でも、現状、この2つの関門においては、逆のことをしている。つまり、満遍なく色々なことができる人を評価している。

このねじれこそ、これからの教育変革で正さなければいけないものです。変革をするのに、旧来のシステムの中にいてはできないので、「起業」という手段を取りました。

歴史が好きだった水野氏。当時流行っていた大河ドラマ『龍馬伝』を見て、「自分も龍馬のように日本を変えてみたい」と背中を押された。だが、もちろん起業への迷いもあった。

水野起業当初はスタンフォード大学で流行っていた教育キャンプを日本にフランチャイズで持ってくることから事業展開を始めようとしていたのですが、現地での交渉が上手くいかず頓挫したんです。そこで1時間ほど、「やっぱり起業って大変だな」と悩んだのですが、すぐに「フランチャイズがダメなら全部自分たちで作ろう」と気持ちを切り替えて走り出しました。仲間もいたので、「ダメだったらまたその時に考えよう」という気持ちでしたね。

仲間と教育への情熱が水野氏をドライブしたのだろう。

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黒字であることをやめた

2010年に起業してから2014年まで、順調に事業をグロースさせてきた水野氏。そのまま堅実に黒字のままで経営していくこともできたが、そこであえて水野氏は「既存事業で黒字にすることをやめる決断」をした。なぜなのか。

水野キャンプ事業は実施当初から手応えがあり、参加者は毎年順調に増えていましたね。ただ、私としては「まだまだやりたい教育変革ができていない」という認識でした。そこで改めて自分たちがやりたい教育を定義するために、『教育変革6か条』というものを創ったんです。坂本龍馬の『船中八策』の私版ですね(笑)。

『教育変革6か条』を実現していくために、安定してきた既存事業のみで黒字を出し続けることをやめて、新規事業に投資して事業を広げる選択をしました。資金調達しようという意思決定をして、まず3億円のエクイティ・ファイナンスを実施しました。でも、当時は具体的な施策レベルには落とし込めていませんでしたね。新しい世界をまずは見に行こう、という決断でした。

水野氏の掲げる『教育変革6カ条』は以下の6条からなる。

(1)プログラミング教育による創造力の育成

(2)アントレプレナーシップによる実行力の育成

(3)オンライン教育による知のオープン化

(4)先生のためのプラットフォーム作り

(5)学校の創設

(6)グローバルで子ども同士が学び合う環境作り。

その中で、まずは(3)オンライン教育による知のオープン化 に着手することに決めた。 だがある意味、「賭け」のようなものだろう。具体的にやることが見えていないなかでの資金調達だったのだから。ところが、水野氏も思いもよらなかったチャンスが突然やってくる。

水野とある日に道を歩いていたら、当時スクウェア・エニックスでCTOをしていた橋本に偶然出会って意気投合したんです。セガのゲームディレクターとしても活躍していた彼となら、『教育変革6か条』の一つに掲げた『オンライン教育による知のオープン化』という目標を実現できるはず。そう思って橋本に CTO(最高技術責任者)に就任してもらえないかとお願いしました。

中高生が没頭できる教育ソフトウェアを作ろうと考えると、面白いものでないといけないんですね。例えば中高生が多く触れるものを考えたら、ディズニーランドやゲームが挙がります。だから、それらよりも楽しいものを作る必要がある。だから橋本の経験とセンスが不可欠だったんです。一見、教育産業とは真逆の業界のように感じるゲーム業界から橋本が仲間入りしたのにはそんな背景がありました。

「ドラクエを超える教育ソフトを作ろう」という名目で、橋本氏のリードの下でオンライン学習プラットフォームの『MOZER(マザー)』を2015年に開発した。この『MOZER(マザー)』が、その後の7億円の資金調達や、現在全国の学校に展開しているプログラミング学習教材の『ライフイズテックレッスン』にもつながった。

2018年にリリースしたディズニー・プログラミング学習教材『テクノロジア魔法学校』は、オリジナルストーリーで構成されるロールプレイング形式だ。本来は学習することは面白いこと。これに気づき、中高生にも学びに没頭してもらうため、こうしたゲームさながらの没入感を味わうことのできる最高の学習体験を設計していったのだ。

しかし、軌道に乗っていたキャンプ事業での黒字をやめ、オンライン教材に注力を始める経営判断を下したのは2014年。小学校でのプログラミング必修化や、新型コロナウイルス流行によるオンライン環境の拡充は2020年に入ってからのことだ。調達資金の使い道も明確ではなかったのに、ここまで未来を見据えることはなぜできたのだろうか。水野氏はこのように語る。

水野社会情勢の変化までは予想していませんでしたが、事業が間違いなく伸びるだろうなという感覚はありました。なぜなら、オンライン教育なら場所や時間を選ばずにサービスに触れられるので、ユーザーにとって良いことばかりですから。

そもそも私達がプログラミング教育を始めた2010年時点で、日本ではまだベンチャー・スタートアップ、web業界って今ほどは盛り上がっていなかったと思うんです。一方で、ちょっとアメリカ見てみたら、当時25歳だったMeta(旧Facebook)創業者のマーク・ザッカーバーグ氏が、米Fobes誌の『世界で最も若い10人の億万長者』で1位になった年でもあるんです。

だからきっと、日本でも若いプログラマーが社会にインパクトを与える時代が来るだろうなという感覚はありました。客観的事実よりも、「将来ブームが来るだろうな」という自分の感覚を大事にしましたね。

「黒字をやめる」という経営判断は、ライフイズテックが他の追随を許さない独自のプロダクトを生むためのアクセルだった。それを可能にしたのは、水野氏が自身の直感を信じるマインド。時に大胆な決断を取るのも経営者の手腕といえよう。

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顧客と株主を分けるのをやめた

株式会社は株主の出資の元に成り立っている。しかし、株主の意思を尊重すればするほど、ビジョン起点の経営が疎かにならないだろうか。起業家であれば誰しもが悩む問いだが、水野氏の答えは一味違う。

水野そもそも我々がライフイズテックを創業したのは、「中高生一人ひとりの可能性を最大限伸ばす」ためです。でももし、上場することになって今よりも株主が増えて、「中高生のためになることよりも株主の利益になることをしろ」と言われたらどうでしょう。私は嫌です。

だから我々は、ライフイズテックが顧客(中高生)のためにあるのか、株主のためにあるのか、切り分けて考えることをやめました。顧客である中高生のために事業を推進することはもちろんですが、株主にも我々のミッションを支持してもらいたい。両方から応援される会社でありたい、と考えています。その結果、上場をすることになるのが理想ですね。

そのためには、我々の事業の社会的なインパクトをきちんと可視化し、投資家も納得できる利益を創出する、両方を取りに行かなくてはいけません。我々はそれを、『ソーシャルIPO』と呼んでいます。

昨年10月にはシリーズDラウンドとして約20億円の資金調達を実施しましたが、出資いただいた中には海外機関投資家の方もいます。短期的なイグジットを前提とせず長期保有がベースにあることや、ビジョンに投資していただけるような考え方がうまくマッチしました。長期で価値を発揮するという考え方は、Amazonが創業から20年間ほとんど利益を出さなかったのと似たような構造かもしれませんね。

事業が発展しなければ顧客も株主も喜ばせられない。だからこそ両取りを選んだということだ。そう考えたきっかけを、次のように振り返る。

水野昔、我々がキャンプをやっている時に参加していた中学生の子が、「こんなにいい会社なら、株主になりたい」と言ってきたんです。「それってめちゃくちゃいいじゃん!」と思いました。顧客がファンになってくれて、ファンになった結果株主にもなってくれる。そういう循環を作りたいと思っています。

私たちが実現しようとしているソーシャルIPOが増えていけば、社会のために役立つビジネスが評価される、現行の株式資本市場とは異なる新しい金融システム、企業価値評価の仕組みが生まれるかもしれないんです。株主が納得できる形で社会的インパクトを計測することが必要で、ハードルは高いですが、その分野のファーストムーバーとしてもチャレンジしています。

そもそもビジネスは社会や人を幸せにし、理念を持って進めるためにあるものだ。しかし実際のところ、理念を最優先していくことには多くの経営者が苦戦しているはずだ。

教育界にとどまらず、株式資本市場の常識を変えるビジョンすら飄々と語る水野氏。これまでに大胆な決断やアクションを積み重ねてきた水野氏だからこそ、こうした壮大な構想を具現化するのは遠い未来ではない。取材しながらそんな印象を抱いた。水野氏の今後に目が離せない。

こちらの記事は2022年04月08日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

樋口 正

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