連載私がやめた3カ条

“オーバーコミット”は、身を滅ぼす──TOKIUM黒﨑賢一の「やめ3」

インタビュイー
黒﨑 賢一

1991年生まれ。筑波大学情報学群中退、東京大学 エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(東大EMP)修了。私立武蔵高校在学中から「CNET Japan」などIT系メディアでテクニカルライターとして執筆活動を行う。大学在学中の2012年にTOKIUMを共同創業。2013年に家計簿アプリ「Dr.Wallet」、2016年に経費精算クラウド「TOKIUM経費精算」、2020年に請求書受領クラウド「TOKIUMインボイス」をリリースした。未来へつながる時を生む支出管理クラウドとしてTOKIUMプラットフォームを開発。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、『TOKIUM経費精算』や『TOKIUMインボイス』など、法人の支出管理サービスを展開する株式会社TOKIUMの代表取締役、黒﨑賢一氏だ。

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黒﨑氏とは?
ファーストキャリアで起業を選んだ苦労人

黒﨑氏がTOKIUM(創業当時の社名は「BearTail」)を立ち上げたのは2012年。今から10年も前のことだ。

立ち上げ時は大学生だった彼。だが、大学卒業を待たずに会社経営に専念する道を選んだ。その背景には2つの原体験があった。

1つは、在学中に参加したあるスタートアップカンファレンスだ。学生スタッフとして参加していたそのイベントでは、ベンチャー企業の経営者たちが熱いピッチを繰り広げ、それに対して投資家たちも鋭いコメントを投げかけていた。しかし、それを冷静に見ていた彼は、「自分にもできそうだな」と考えていたのだという。経営者とは学生の自分には手の届かない存在だと感じていたが、実際に会ってみることでそうでもないように思えてきたのだ。

もう1つの原体験は、東日本大震災の際に参加したボランティア活動だ。活動内容は、避難所に掲示された安否情報を写真で送ってもらい、それをGoogleのパーソンファインダー(※)にひたすら登録していくというもの。これによって被災者の状況を家族や友人に知らせることができた。

この経験から彼は、「人のために何かしたい」という起業家魂と、「画像読み取りによるデータの可能性」という事業アイデアを得て、toCプロダクトの家計簿アプリを主力事業とする会社を立ち上げることになる。

起業して10年後の生存率が1割未満だと言われるなか、今年11年目を迎えたTOKIUM。その間に、代表である黒﨑氏は何をやめてきたのだろうか。

※パーソンファインダー:Googleが提供する、個人が災害の影響を受けた親類や友人の状況を掲示したり、検索することができるウェブアプリケーション。

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先にインプットするのをやめた

大学在籍中の“学生起業”は、今では珍しくなくなってきた。それでも会社経営を行いながら、なんとか大学を卒業するというほうが多いだろう。

しかし黒﨑氏の場合は違っていた。起業してすぐに大学に行くのをやめ、卒業することなく退学することを選んだのだ。

黒﨑大学に行かなくなった理由はいくつかありますが、最も大きな理由は「出したいアウトプットに必要なインプットとして、大学の授業が最適ではない」と思ったからです。

「インプットをしてからアウトプット」という考え方って、ビジネスだけでなくあらゆる物事でよくあるものだと思います。ただ、この考え方自体が、自分には昔から合わなかったんです。いつ使うかもわからないようなことをインプットしていても無駄になる可能性がありますし、モチベーションの観点から見ても学習効率は大きく下がります。

そうではなくてアウトプットを優先し、行き詰まった段階でインプットするほうが、自分には合っていました。会社を経営するとなると、一切の無駄な時間を排除しなくてはいけません。だから、大学に行くこともやめてしまったんです。

必要なことがでてきたときにインプットをする。こう聞けば当たり前のような話だが、ほとんどの人が無意識に「まずインプットを」と考えてしまっているのではないだろうか。

何も「大学などやめて、今すぐやりたいことに取り組め」とまでは言わないが、「将来必要かもしれない」という理由でのインプットにかなりのリソースを割いているのであれば、少し見直してみてもいいかもしれない。

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「事業成長」だけを追うのはやめた

スタートアップ創業期における最重要課題とは、一体何だろうか。

黒﨑氏の場合、それは「事業成長」であった。一にも二にも事業成長。他の選択肢など考えもしなかったという。

しかし、そうして事業成長だけをひたすらに追い続けた結果、TOKIUMは創業後3年目に深刻な組織崩壊に陥る。それまで共に戦ってきた同志たちが次々にチームを離れていってしまったのだ。

黒﨑今から思えば、長期的に頑張り続けられない体制でした。朝から晩まで働いてオフィスで寝泊まりする、みたいな生活を、僕自身はもちろん、メンバーにも要求していましたから。加えて人間関係もかなりドライでした。

コミュニケーションはすべてチャットですし、“笑顔で団らん”なんてありえないような雰囲気でしたね。それでもなんとか2~3年は頑張れたんですが、それだけやっても成果が出ないとなると、さすがにみんな愛想を尽かして離れていってしまいました。

この経験で彼は圧倒的な無力さを感じた。「メンバーたちの人生に対して、何の価値も与えられなかった」と。そうして、彼の中での“最重要課題”は、「事業成長」から「組織づくり」へと変わった。

コミュニケーション方法を見直し、メンバーそれぞれとの1on1を実施。方向性を揃えるために会社のビジョンも定めた。

こうした変化によって劇的に会社の経営が改善したかというと、そういうわけではない。しばらくは苦しい時期が続いた。しかし、それでも組織崩壊を再び起こすことなく耐え抜くことができたのは、組織の土台作りをしっかりと行うことができたからだと黒﨑氏は振り返る。

スタートアップ創業期では、“死ぬ気で働く期間”もないことはないかもしれない。しかし、走り続けられるのはせいぜい2~3年。その期間は、事業成長のための期間でもあるが、経営者が組織づくりの大切さに気付くための猶予期間でもあるのかもしれない。

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「オーバーコミット・アンダーデリバリー」をやめた

前述した通り、TOKIUMは苦しい時期が長かった。組織崩壊までの期間はもちろん、その後もしばらくは事業がうまく伸びていかず、なんとか売上が立つようになってきたのは2018年頃だったという。

そんなときに、初めてクライアントをオフラインで招き、ユーザーミートアップを開催した。ユーザーから開催の要望もあり、黒﨑氏もユーザーと話してみたかったのだ。

黒﨑そのイベントには導入を検討している段階のお客様もいらっしゃったんですが、その人たちに対して、既存のクライアントの方がTOKIUMの製品の魅力を語ってくれていたんです。「何の忖度もなかった」とまでは言えないかもしれませんが、それでもとにかくめちゃくちゃ嬉しくて……。

これまでやってきたことは間違ってなかったんだって思って。自分の人生までも肯定された気分でした。もちろん満足できたというわけではありませんでしたが、方向性は間違っていないんだと確信した出来事でした。

人の役に立ちたいという創業当初の想いは確実に実現へと向かっている。そう感じた黒﨑氏は、改めてその思いに立ち返り、これまで以上に「お客様のためになるサービス」をつくりたいと考えるようになったという。

それまでは、不安の裏返しからか、とにかく新規クライアントの獲得に奔走していたこともあった。しかし、ただ受注をしても、実際に使ってもらい価値を体感してもらわなければ、長期的な付き合いは実現できない。

黒﨑大風呂敷を広げて結局期待に応えられないのでは意味がないですからね。今では「アンダーコミット・オーバーデリバリー」になるように心がけています。新しいお客様との繋がりを増やすことだけでなく、既存のお客様の期待を上回り続けることに注力しています。カスタマーサクセスの部署も大幅に拡大して、結果的に高い継続率を維持できています。

資金面に余裕のないスタートアップにおいて、長期的な目線で営業活動をすることは簡単ではない。どうしても目先の受注を優先してしまう。しかし、短期的な目線でのオーバーコミットは、長期的に見ればクライアントにとっても自社にとってもマイナスになってしまう。

黒﨑氏がそうした目線を持つことができているのは、組織崩壊で感じた無力感があったからこそだろう。目下の事業成長を追求するあまり、チームが走り続けられなくなったのは痛いほど記憶に刻まれている。スタートアップであっても、いやスタートアップだからこそ、長期目線で考えることが重要だと身を持って思い知らされたのだ。

こちらの記事は2022年07月07日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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