連載私がやめた3カ条

「強すぎる想い」は事業をダメにする──WORK HERO大坪誠の「やめ3」

インタビュイー
大坪 誠

埼玉県さいたま市生まれ。父の仕事で幼少期を米国バージニア州で過ごす。東京大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。南米銅鉱山投資事業の予実管理、在英・在蘭特定目的子会社の記帳・会計を含む管理業務を担当したのち、金属資源本部の戦略企画に従事。その後、大手医療系ベンチャーのエムスリーキャリアにて新規事業責任者に就任。薬剤師人材派遣事業を、2年半でMRR(月次売上)を4500万円から3億6000万円へ、組織規模も10名から40名へ成長させる。派遣薬剤師の給与計算、労働法・派遣法に関連した労務管理や営業事務部門も統括。その後、WORK HERO株式会社設立、代表に就任。中小企業・スタートアップのバックオフィス支援を行う。趣味はジム、温泉、麻雀。プロ麻雀団体RMU所属。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、スタートアップ特化のクラウドバックオフィス『WORK HERO』を足掛かりに、バックオフィスの社会インフラ化を目指すWORK HERO株式会社の代表取締役、大坪誠氏だ。

  • TEXT BY TEPPEI EITO
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大坪氏とは?
物腰が柔らかい「元」仕事人間

大坪氏が持つ起業家精神の根底には、「人類の進化」に対するただならぬ関心がある。先人たちが積み上げてきた資産のおかげで、今の豊かな生活を送れているという感謝の気持ちだ。

自分も、微力ながら人類の進化に寄与する“何か”をしたい──。いつしか、そんなことを思うようになったという。

東京大学を卒業し、新卒で入社したのは大手総合商社の三菱商事。彼がその“何か”を「起業」に見出したのは、同社に在籍しているときだった。「社会への貢献価値」を最大化するには、成熟したビジネスモデルを持つ三菱商事で働くよりも、起業して“0→1”を創り出すことに注力すべきなのではないか、と。彼は入社3年目にして退職を決意した。

しかし、その後すぐに起業したわけではない。会社経営をしていくにあたり、「組織マネジメント力」が足りないと感じた彼は、その修業の場としてエムスリーキャリアに転職。新規事業の責任者候補として入社した。

ここまでは起業家のバックグラウンドとして非常に綺麗なキャリアに思えるが、そこから現在までの道のりは太い一本道というわけではなかった。事業責任者からの降格を経験したり、立ち上げた事業をピボットしたり……。

そうした過去を振り返りながら、大坪氏は「失敗はそのまま放置すれば浪費だが、反省して学びを次に繋げれば、投資になる」と話した。彼はどのように反省し、何を“やめる”ことで、失敗を投資に変えてきたのだろうか。

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みんなが仕事人間だと思い込むのをやめた

事業責任者候補としてエムスリーキャリアに入社した彼は、3ヶ月後には正式に新規事業の責任者になった。担当した薬剤師人材派遣事業は順調で、売上も着実に伸び、組織も拡大していったという。

しかし、あるとき上司から「メンバーの疲弊」を指摘されてしまう。

大坪「仕事を頑張るのは当たり前」って思っていたんですよね。みんなこの仕事がしたくて入社していて、より良い仕事ができるように学んだり情報収集したりと努力したいと思っているし、歯を食いしばってでも目標を達成したいと思っているのだと。そういう誤った認識を前提とした“正論”を振りかざしていたんです。

でもその“誤った正論”が、メンバーを疲弊させていたんですね。表面上はみんな「頑張ります」と言っているし、数字もどんどん上がっているのですが、プレッシャーの反動で不満の声が事業部長や他部署のチームリーダー経由で伝わるようになって来ました。みんなのSOSみたいなものだったのだと思います。

結果的に、彼は一度事業責任者からメンバーを直接見るチームリーダーに降格することに。しかし、そうしてメンバーとの距離が近くなったことで、“気付き”を得たのだという。

大坪言葉にしてしまえば当たり前のことなんですが…。大事にしていることは人によってそれぞれ違うんだな、と。それを本当の意味で理解できました。

とにかくお金を稼ぎたい人もいれば、家族を最優先に考えている人もいる。めちゃくちゃプロダクトを売りたいって人もいれば、「そんなに頑張りたいと思っていないけど、周りに『ダメな人』とは思われたくない」という思いの人だっている。

そういうことがわかってくると、今まで以上に人間って面白いと感じるようになって、自然と伝え方を工夫できるようになってきました。メンバーと直にコミュニケーションを取る機会が増えたことで、個々人がどうありたいかに耳を傾けられるようになりました。

「仕事なんだから、やって当然」と言われてしまえば、反論できない。何も間違ったことは言っていない。しかし、そう単純には動かないのが人間だ。

組織マネジメントにおいて必要なのは、誰もが納得するような正論ではなく、個々の人間性を知ろうとする気持ちなのかもしれない。

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“想い”を起点に事業をつくるのをやめた

大坪氏がエムスリーキャリアを退職し、起業してから最初につくったサービスは『WORK HERO』ではない。ランチデリバリーサービスだ。

彼がそのサービスを最初に立ち上げたのは、「人の健康」への強い関心があったからだという。

大坪どんなに優秀な人でも、どんなに人柄が良い人でも、健康を損なってしまえば高いパフォーマンスは出せないし、精神的に不安定になり人に害を及ぼすことさえあります。前職のエムスリーキャリアにいるときも、部下の健康を常に気にしていました。自分のPL責任(事業利益への責任)の範囲内で、目に優しいPCモニターとか、耳に優しいヘッドセットをメンバー向けに揃えたりもしました。でも、健康を維持するために重要な「食事」を提供することまでは自分はできなかったんですよね。

転職サービスという性質上、昼休みや夜遅くにお客様からの電話がかかってくることが多く、食事を抜いてしまう人や、手軽だからカップラーメン等で済ませる人もいました。そういう姿を見ていて、最も手軽に入手できるランチが健康度の高い食事であれば、結果として世の中のビジネスパーソンの健康度は上がるんじゃないかと思ったんです。

そうした背景で立ち上げたランチデリバリーサービスだったが、ビジネスモデル上、損益分岐点が遠いという問題があった。中途半端な資本ではすぐにキャッシュが尽きてしまうため、シードで多額の調達をする必要があったが、それは叶わなかったという。

大坪継続率・注文率もよかったのですが、当時のフードデリバリーに対する国内VCの見解・調達環境と自分の資金調達力を考慮できておらず、必要な金額が集まりませんでした。

ビジネスとしてシンプルに損益分岐点を前に倒す施策を考えれば、選択肢はいくつもありました。注文率や粗利のより高いファストフードの取り扱いを増やしたり、単価を上げて健康意識の高い富裕層向けのサービスにしたり。

でも、もともと「世の中の人の健康度を上げたい」という想いで立ち上げているので、提供する食事の質や、ターゲット層を変えたら、何の為の事業か分からなくて。結果、サービスはクローズしました。

事業への想いが強すぎるあまり、事業を続けるための変化さえも拒絶してしまった。そう振り返る。

彼はこの経験から、スタートアップビジネスに求められる要素の検討順序を変えたのだという。事業アイデアを考えるときは、やりたいことから考えるのではなく、まず最初に「ビジネスとしてどれだけ優秀なのか」という視点でいくつもビジネスプランを出し、最後に「その事業を自分が本当にやり続けたいか」チェックをするという順番にしたのだ。

事業の立ち上げに「想い」は必要不可欠だろう。しかし、そのこだわりが強すぎると柔軟性を失ってしまう。彼がこの経験で得た教訓とはそういうことなのだろう。

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仕事人間をやめた

あなたの趣味は何ですか──。そう聞かれると、彼は決まって「仕事です」と答えていた。それは冗談でも何でもなく、まごうことなき真実だった。

しかし最近になって、彼は起きている間に仕事しかしない生活をやめたのだそうだ。趣味として大学時代に打ち込んでいた麻雀を再開したり(もっとも、趣味が高じてプロ団体にまで所属しているが)、サウナや飲み会にも行くようになったりと、仕事とは直接関係のないことの時間を増やすようになった。

大坪スタートアップの経営をやっていると、明確な正解がなかったり、正解を論理的に導ききれない問題に突き当たることが多いんです。そんなとき、真面目くさって論理的に考えるんじゃなくて、その問題から一度離れてみることで意外な解決策が浮かんだりするんです。論理的に解決できないときはセレンディピティを求めてみよう、みたいな感じですかね。

もちろん短期的には仕事だけに集中したほうが一時的なスピードは早いのですが、会社経営は超・長期戦ですから。ずっと目的志向な行動や思考だけを続けていると、どんどん出力が低下していく気がするんです。だから、そのスイッチを一度切り替えるというイメージでしょうか。メカニズムはよくわかりませんが、私はそのほうがうまくいくんです。

会社経営には仕事と関係のない趣味をつくるべし、といったふうな一般化はできそうにない。しかし、彼のように実直な性格で、仕事一筋というタイプの経営者には、案外そういった“スイッチ”が重要なのかも知れない。

彼への取材を通して感じたのは、「意識的な俯瞰視点」だ。起業家として最重要とも思える「想い」をいったん脇に置いて、仕事にのめり込む自分を冷静になだめる。これは冷然と仕事をしているという意味ではない。むしろ、仕事人間である自分を意識的に抑えることが、会社経営において大事なのだと感じているように見えた。

こちらの記事は2022年08月23日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

栄藤 徹平

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