人類を移動から解放する。
バーチャルSNS「cluster」が挑むSF世界の実装

インタビュイー
加藤 直人
  • クラスター株式会社 代表取締役 

京都大学理学部で、宇宙論と量子コンピュータを研究。同大学院を中退後、約3年間のひきこもり生活を過ごす。2015年に当社を創業し、2017年に数千人規模のイベントを開催できるバーチャルイベントサービス「cluster」正式版を開始。現在はソーシャル×ゲームの要素を加えて新たなSNSを目指す。経済誌『ForbesJAPAN』の「世界を変える30歳未満30人の日本人」に選出される。

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せっかくスタートアップとして挑戦するのであれば、大きなスケールのビジョンを描きたい。だが、ビジョンが壮大であれば壮大であるほど、実装の難易度も上がる。ただでさえ、リスクの高いスタートアップという挑戦のリスクがさらに跳ね上がる。

初期、起業家の描いたビジョンは人々に理解されない。いつだって、後から時代が追いついてくる。時代が追いつくまで、いかにサバイブするか。スタートアップにとっては生き残るための戦略が必要になる。

数万から数十万人規模のバーチャルイベントが開催できるVRプラットフォーム『cluster』を開発・運営しているクラスターの歩みからは、壮大なビジョンの実現にいかに向き合い続けるかのヒントが学べる。

同社代表取締役の加藤直人氏は、新型コロナウイルスが猛威を奮うよりもずっと以前に、人々が移動という不自由さから解放され、バーチャル上で生活する世界の実現を思い描いた。加藤氏の意思決定の変遷と、クラスターの成長の軌跡を追うことで、ビジョンという山を登るための足がかりを探る。

  • TEXT BY RIKA FUJIWARA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
  • EDIT BY JUNYA MORI
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能動的引きこもり中にベンチャーキャピタリストと出会った

「インターネットがこれだけ発達する中で、人はなぜあちこちに移動しなければいけないのか」

新型コロナウイルスの影響により、こうした疑問を抱いた人も増えたはずだ。常識は、なかなか疑われないから常識だと言われる。ほとんどの人が移動に疑問を持っていなかった10年近く前に、この常識を疑いはじめたのが加藤氏だった。

加藤京都大学を卒業した後、大学院に進学。宇宙論や量子コンピューターの研究をしていたのですが、「このテーマを研究していていいのだろうか」と疑問を感じて休学し、そのまま退学しました。不思議と退学に対しての不安はありませんでした。

2011年は、日本でもスマートフォンが普及しはじめていて、アプリの受託開発などの仕事もあったんです。それで、ふと試してみたいことが生まれて。「これはもしかすると、会社で働くことも、家から一歩も出ることもなく生活することができるんじゃないか」。半ば実験のつもりでひきこもり生活をはじめました。

クラスター株式会社 代表取締役 加藤直人氏

加藤氏の生活実験は3年続いた。アプリやゲームの受託開発で収入を得て、ECサイトを活用して買い物をする。友人たちとは、FacebookやTwitter、LINEなどで交流できる。

彼の実験は成功だった。インターネットがあれば、外出しなくても生活に支障はない。「もはや、外出する必要はないのではないか?」そう考えていた加藤氏を連れ出したのは、一通のメッセージだった。

加藤僕は当時、技術ブログで開発のノウハウを公開していました。ノウハウはもちろん、京大を中退して引きこもり生活を送っていることも書いていて(笑)。その内容を見て、Skyland Venturesの木下さんが「面白そうだ」と思ったそうなんです。

連絡をもらって一度お会いしてみたところ、「技術と時間があれば、起業という道もあるんじゃない?」と言われて、初めて起業という選択肢があることを知りました。

もともと、自分の持つ技術を使って新しい未来を作ることには関心があったので、挑戦してみるのも悪くないかもしれない。木下さんとの出会いから、起業を意識するようになりましたね。

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技術をフル活用して新しい未来をつくる

「就職したことのない自分が起業するとしたら、どんな領域がいいだろう?」

加藤氏は、自身の大学院での経験から「技術をフル活用して、新たな未来を作ること」を考えた。まずは「宇宙」「量子コンピューター」「サイバーセキュリティ」「VR」など、興味がある分野を書き出し、リサーチしていった。

加藤学生時代に研究していた宇宙と量子コンピューターは有力候補でしたが、社会実装の遅さが課題でした。映画の『アイアンマン』が好きだったので、サイバーセキュリティなどのテーマもいいなぁって(笑)。

この先、テクノロジーが発達する中で欠かせない技術だと考えていますが、クライアントが政府関係者や大手企業が中心になるため、技術力よりも営業力が求められる。一つひとつ、どの領域にするかを検討していきました。

マーケットの選定を進めていく上で、決定に影響したのが加藤氏の引きこもり時代の経験だ。引きこもり生活は基本的になんの問題もなかったが、ひとつだけフラストレーションがあったという。

加藤引きこもり時代はとても快適でしたが、唯一のフラストレーションが「人と集まれないこと」だったんです。大して困らないんだけれども、なんとなく集まりたくなってくる。でも、家から出るのが面倒くさい(笑)。

集まるからこそ得られる「熱狂感」は、まだインターネットに実装されていない。VRでこの体験を実装できれば、家から出なくても人と集まり、コミュニケーションできる世界が作れるのではないか。そう考えたんです。

VRは、社会実装までの速度を考えても、非常に魅力的。OculusやHTC、ソニーが近くコンシューマー向けのVRデバイスを発売することが分かっていたので、市場としても成長していくはずだと考えました。

テクノロジーを介さずとも、「体験」を求める人々が増加していることも加藤氏の背中を押した。ライブ・エンターテインメントの市場規模が拡大しており、その体験をバーチャル空間で再現できれば、市場はさらに広がる。スマホの性能の進化や、2020年に開始が予定されていた5Gの普及による、通信速度の向上が予測されていることなども追い風だった。

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実現したい世界はユーザーの共感を集められるのか?

2015年に大学の後輩で、現CTOの田中宏樹氏と共に会社を創業。「集団(cluster)で集まる場をインターネット上に載せていく」という願いを込め、バーチャルイベントプラットフォーム『cluster』の開発がスタートした。

開発には田中氏をはじめ、引きこもり時代に仕事を手伝っていたゲーム会社のエンジニアとデザイナーがジョイン。描いている壮大なビジョンに対して、開発人数は少数だった。

創業当初のオフィスにて。たった4人で『cluster』の開発にあたった(提供:クラスター株式会社)

加藤想像していた以上に開発は難航しましたね。フロントエンド、バックエンド、サーバーサイドといったWebの領域はもちろん、リアルタイム通信の技術も必要。

しかも、ユーザーと交流する際に必須のリアルタイム通信は10年以上アップデートされておらず、モダンなコードに作り変える必要がありました。

本来は15〜20人で作るレベルのサービス。それを僕たちはたった4人で作らなければならない。開発しはじめてしばらくして、「これは完成までに少なくとも2年はかかるな」と認識を改めました。

スタートアップはリーンに進めていくのが定石だ。リリースまでに2年以上がかかるというのはリソース的な限界がある。加藤氏は、重要な判断を迫られた。

加藤プロダクトを完成するよりも「ニーズの検証」を優先させることに決めました。まず、自分たちが実現させようとしている世界を伝える。それで、ユーザーの反応を見ることにしたんです。

2年かけて開発をしても、ニーズがなければ資金も時間もムダになってしまいます。これはスタートアップにとっては致命的。まずは、現状のメンバーで生き残れる道を探りました。

こうして、創業から約半年後の2016年2月にα版を公開。「今から振り返ると張子の虎状態でしたね」と加藤氏は笑う。「“集まる”体験をバーチャル上に作り出す」というコンセプトに、多くのユーザーが反応。公開記念イベントには1,000人以上が集まり、その中にはOculus共同創業者のパルマー・ラッキー氏の姿もあったという。

『cluster』α版のイベントの様子(提供:クラスター株式会社)

ビジョンへの共感が集まった。だが、『cluster』での盛り上がりは、バーチャル空間に参加しなければ体感できない。いかにサービス上での盛り上がりを可視化するか?が次なる課題として浮上した。

『cluster』は、急ぎTwitterとの連携機能の優先順位を上げて実装。その結果、バーチャルイベントに参加したユーザーが写真を撮ってTwitterに投稿し、拡散されたことで話題を呼んだ。その反応も含めて、「十分にニーズはある」と確信できたと加藤氏は語る。

正式版のリリースに向け開発を進めることにしたクラスターは、2016年4月にSkyland VenturesやEast Venturesなどから、約5,000万円を調達。2017年5月、正式版のローンチと同時に、エイベックス、ユナイテッド、DeNA、Skyland Ventures他から2億円の資金調達と、エイベックスとの資本業務提携を行った。

正式版リリースの記念イベントの集合写真。誰でも自由にVR空間を作れるようになった(提供:クラスター株式会社)

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遠大なビジョンの実現のために、ビジネスモデルを発明する

構想していたプロダクトは形になった。だが、加藤氏が実現したいビジョンまではまだ遠い。ビジョンの実現のためには、ビジネスとして成長させる必要があった。プロダクトを正式にリリースし、資金調達を実施した『cluster』はまだマネタイズができていなかった。

加藤最終的に実現したいのは、『レディ・プレイヤー1』に登場するVR世界「オアシス」のように人々がバーチャル上であらゆるエンターテインメントを楽しみ、交流する場です。その世界を目指すときに、ゲームを作るのか、ユーザーがイベントを開催するプラットフォームを作るのかを考えました。

スタートアップとしての戦い方を考えて、選んだのはイベントです。イベントはチケット収入による売上が生まれるだけでなく、開催自体が話題となり、『cluster』のマーケティングにもなるからです。目指す世界の実現に近づくために、まずはイベントで土台を作ろうと考えました。

イベントを事業化の軸に据えたが、実績がなければイベントの開催依頼はない。イベントが開催されなければ、売上も立たない。エイベックスとの資本業務提携も、それだけでは状況は好転しなかった。

「まだバーチャル空間でのイベント開催は早すぎるのか...」と頭を悩ませていたところに、大きな変化が起きる。2017年の年末から、バーチャルYouTuberが一気に注目を浴びはじめたのだ。

加藤「いつか来るだろうな」とは予想していましたが、こんなにタイミングよく来るなんてと驚きましたね。

バーチャルYouTuberは基本の活動がバーチャルなので、リアルの場での音楽コンサートや握手会の開催が難しい。リアルでのイベント開催はできなかったとしても、ファンと触れ合いたいという思いは持っているはず。バーチャルYouTuberに『cluster』を使ってもらえたら、明確なユースケースになると思いました。

突破口を見出したあとの動きは早かった。2018年には、ソニーミュージック所属で人気バーチャルYouTuberの輝夜月(かぐやるな)さんとのコラボレーションも決定し、コンサートの開催に向けて計画を進めていった。

こうして開催されたのが、2018年8月の「輝夜月 LIVE@Zepp VR」だ。発売開始10分でチケットは完売。『cluster』のみならず、全国の7都市でライブビューイングが行われ、総勢5,000人を動員した。このコンサートが起爆剤となり、翌年はイベントの開催数が増加。有料イベントの数は、約100倍にまで上った。

加藤イベントの開催自体がサービスプロモーションになり、『cluster』でバーチャルアイドルによるコンサートのようなリッチな演出のイベントができると認知されていったんです。サービスのシステム的なアップデートを行い、イベントを同時に複数開催可能な環境が整ってきました。

クラスターのオフィスには、イベントの開催に必要な配信設備がそろえられた収録スタジオが完備されている

イベントがサービスの成長とマネタイズを両立するための突破口になると見定め、バーチャルYouTuberの登場がその後押しとなった。サービス自体もバーチャルYouTuberのイベントに合わせて環境を変えていった結果、イベントのプラットフォームとしての価値も向上した。

最近は、5,000円ほどの値段でチケットが売れるようになってきた。音楽コンサートのチケットの平均価格が5,000円〜6,000円と言われているため、ユーザーがリアルと同じだけの価値の体験が得られると判断している証だ。バーチャルYouTuberのライブは、映画館などでパブリックビューイングが行われることもあるが、『cluster』上のライブの方がチケットの値段が高い。集まることで得られる熱狂感を、バーチャルに実装させるという狙いが、実を結びはじめている。

この勢いを加速させるべく、同社は2020年1月にKDDI Open Innovation Fundなどから8.3億円を調達。同時にテレビ朝日と、バーチャルYouTuberに特化したライブエンターテインメントを提供するWright Flyer Live Entertainmentと資本業務提携を締結した。

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イベントは理想の世界に向けた一歩目。二歩目となるゲームを実装し前進する

調達から間もなくして、世界を新型コロナウイルスが襲った。イベントの自粛やリモートワークの推奨がされる中で、会議やオンラインイベント、カンファレンスでの活用を望む問い合わせが100倍に増えたという。

加藤相手のリアクションを見ながら進める必要がある、勉強会やプレゼンでのニーズが高いです。「参加者の反応がわかりやすい」と、とてもいい反響をいただけています。

既存のオンライン会議ツールは、少人数だととても便利だと思うんです。しかし、30人や50人など、参加人数が多い場合は、全員の反応を一斉に把握するのは難しくなる。『cluster』だと参加している人たち全員の姿が見られますし、リアルイベントに近しい感覚を得られると思います。

『cluster』で開催されたエンジニアの採用イベントの様子(提供:クラスター株式会社)

リアルでしか伝わらないと思われていた人々の“熱”が、『cluster』によってバーチャルに実装されはじめている。いずれ私たちの生活の場が、完全にバーチャル上に移行する世界が来るかもしれない。その世界が実現した暁に、『cluster』が果たす役割とは何なのだろうか。

加藤僕たちは『cluster』を通して、人と人との接触点を届けていきたいですね。そのためにも、今後はバーチャル空間でのイベントやゲームなどの体験を届けられるようなエンターテインメントの面を強化したい。

バーチャル空間で友達とコミュニケーションをしたり、新たな出会いを作ったりできるような場ですね。バーチャルイベントは、その世界に向かうための第一歩。この次なる一歩として、多人数で参加できるオンラインゲームを軸とした体験を実装します。

2020年6月、『cluster』は大型アップデートを実施。誰でもマルチプレイゲームを制作・公開できる新機能をリリースした。『cluster』という世界でイベントが行われるだけでなく、ゲームをプレイでき、さらに様々なゲームが生まれていく場所になる。加藤氏が目指していると語ってくれた『レディ・プレイヤー1』の「オアシス」にまた一歩近づいた。

【cluster大型アップデート】「ゲーム機能」紹介動画

壮大なビジョンを実現するためには、まだまだ道のりは長い。ユーザーがバーチャルの世界に没入できるよう、クラウドレンダリングを使ったユーザーの端末に依存しない映像生成の研究など、技術的な挑戦も続けていきたいと加藤氏はいう。

「人はなぜ、あちこちに移動しなければいけないのか」。10年前であれば非常識と言われていた加藤氏の考えが、近いうちに常識として人々の間に浸透するかもしれない。

心に夢を描くことを忘れず、自らが登れる山を見つけて一歩ずつ進んでいく。その姿勢こそが、道なき未知を歩むための足がかりなのだ。

こちらの記事は2020年07月14日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

藤原 梨香

ライター・編集者。FM長野、テレビユー福島のアナウンサー兼報道記者として500以上の現場を取材。その後、スタートアップ企業へ転職し、100社以上の情報発信やPR活動に尽力する。2019年10月に独立。ビジネスや経済・産業分野に特化したビジネスタレントとしても活動をしている。

写真

藤田 慎一郎

1987年生まれ、岐阜県出身。大学卒業後、2011年よりフリーランスのライターとして活動。スタートアップやテクノロジー、R&D、新規事業開発などの取材執筆を行う傍ら、ベンチャーの情報発信に編集パートナーとして伴走。2015年に株式会社インクワイアを設立。スタートアップから大手企業まで数々の企業を編集の力で支援している。NPO法人soar副代表、IDENTITY共同創業者、FastGrow CCOなど。

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