“リビングデッド”を脱し、群雄割拠のHR市場で頭角を現すまで──iCAREは資金枯れをどう乗り越えた?

インタビュイー
山田 洋太

金沢大学医学部卒業後、2008年久米島で離島医療に従事。顕在化した病気を診るだけでなくその人の生活を理解しないと健康は創れないことを知り、経営を志す。10年慶應義塾大学MBA修了。心療内科・総合内科で医師として従事しながら11年株式会社iCAREを創業。16年企業向けクラウド健康管理システム「Carely」をローンチ。

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少子高齢化による労働人口減少や、SaaSの普及によって、活況を帯びるHRテック。カオスマップには、ウォンテッドリーやビズリーチ、カオナビやHERPなどがひしめいている。

群雄割拠の市場で、「健康管理」の領域にターゲットを絞り、急成長を遂げている企業がある──健康労務管理の自動化クラウド『Carely』を開発・運営するiCAREだ。 同社は2019年6月、5億2,000万円の資金調達を実施(累計調達額は8億6,000万円)。2018年度から2019年度にかけてMRRを2倍、獲得アカウント数を2.5倍に伸ばしている

ところが、創業してから2016年までは低空飛行で、何度も資金が底をつきかけたそうだ。iCAREが注目のスタートアップに変貌したきっかけとは一体。代表取締役CEOの山田洋太氏にインタビューし、これまでの歩みと、瀕死状態を乗り越えた軌跡を掘り下げた。

  • TEXT BY KOUTA TAJIRI
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
  • EDIT BY MASAKI KOIKE
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医師だから気づけた、「健康管理」における負

冒頭で触れた通り、『Carely』は健康労務管理業務を自動化・効率化する、人事労務担当者向けのHRテックサービスだ。

健康診断の結果、産業医の面談記録など、これまでバラバラに保管されていた従業員の健康情報をペーパレスで一元管理でき、残業やストレスの多い従業員の自動抽出までしてくれる。さらに、健康管理に関するコンプライアンスチェックや産業医面談の調整もサポート。人事労務の工数を大幅に削減できるのだ。

健康管理領域のHRテックとしては国内導入数トップクラスの実績を誇り、マンパワー不足に悩む中小企業から、グローバルに事業を展開する大企業まで280社以上が導入している。

iCARE 代表取締役CEO 山田洋太氏

『Carely』を立ち上げた山田氏は、これまで医師として医療現場の最前線で、メンタル不調や病を患った労働者と向き合ってきた。その中で、健康管理に関する課題に直面し、「業界の負を解決したい」という想いで起業に踏み切ったという。

山田医療現場で感じたのは、産業医の問題。たとえば、「あなたはこういった病気なので、これをやめてください」と医師が患者を一方的に診断し、治療法を押し付けてしまうことがある。

でも、それって労働者からすると余計なお世話なんですよね。健康の価値観は人それぞれなはず。

そして、人事労務担当者にも課題を感じました。日本では労働安全衛生法が定められていて、企業は労働者の健康を管理する義務があるのですが、そうした法律について勉強している人事労務担当者はほとんどいない。

社内でメンタル不調者が出てから初めて、健康管理の重要性に気づき、慌てる企業が多いんです。

こうした違和感から予防医療の重要性を痛感し、これらの課題をテクノロジーで解決できる『Carely』の着想を得ました。

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「愚かだった」医師として考えさせられた、幸せな医療のあり方

山田氏が予防医療の必要性を痛感した背景には、ある原体験があった。金沢大学医学部を卒業後、沖縄で医師として働いていた頃のことだ。

山田沖縄の総合病院で、50代のガン患者さんの治療を担当したことが、いまでも忘れられません。

その方が亡くなる一週間前まで、私は点滴治療を指示していたのですが、点滴治療を長く続けていると、患者さんの体がふやけていくんです。その患者さんが亡くなったとき、ご遺族は私にこう言いました。「こんなに体が変わるまで治療して、何の意味があったの」と。

久米島でも、似たような体験をしました。ある高血圧の患者さんに「この薬を必ず飲んでください」と指導しても、その方は絶対に薬を飲まなかった。心配になってその患者さんの家に様子を見にいくと、その患者さんは土の上にダンボールを敷いて生活していました。

血圧以前に、明日生きるか死ぬかもままならない状況だったんです。それなのに私は、薬を飲ませることばかり考えていた。診察して、治療することが、目的になっていたんです。愚かですよね。

本人の状況や価値観を無視して患者さんに健康管理を押し付けても、誰も幸せにならないと学びました。

もう一つ、山田氏が予防医療の重要性を痛感した理由がある。医療保険制度の問題だ。久米島で医師をしていた頃、その課題を目の当たりにした。国民に医療を行き届かせるためには、診療報酬など国が負担する医療費の引き上げが必要だが、実際は逆の現象が起きている。

国は、財政赤字も背景にあり、診療報酬の改定を繰り返し、社会保障費を抑えてきた。一方で患者側は、病院にかかる必要があるのかどうかを適切に判断できず、本来は病院にかからずとも自宅で検査や治療できるものでさえ、病院にかかってしまうことも少なくない。

その結果、ますます財政的な余裕がなくなり、社会保障費が抑制される負のスパイラルに突入。将来的に患者の医療負担は、現状の3割から5割ほどまで増えてしまう恐れもあると山田氏は言う。

山田病院にかからなくてもできる検査や治療はたくさんあるのに、みんな病院に期待しすぎてしまうんです。

たとえば運送会社では、トラックドライバーが居眠り運転に陥らないよう、睡眠時無呼吸症候群のチェックを実施しています。その検査の金額をご存知ですか?1泊2日で4万円もするんですよ。『Carely』を使えば、1人400円で検査ができるのに。

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「スタートアップって、牛歩状態だとリビングデッドだね」

「技術だけで医療は救えない」と考えた山田氏は、経営を学ぶため、慶應義塾大学大学院経営管理研究科に入学。MBAを取得する傍ら、2011年にiCAREを立ち上げた。

創業メンバーは、プロダクト担当の山田氏、マーケティング・営業担当、エンジニアの3名。山田氏は病院経営と並行してプロダクトを開発し、2014年には労働者の健康状態を可視化する電子カルテ『Catchball(キャッチボール)』をリリースした。しかし、渾身のプロダクトは全く売れず、何度も資金が底をつきかけたそうだ。

山田ブラックボックス化していた労働者の健康状態を可視化するサービスがあれば、売れる──そう踏んで、『Catchball』をリリースしました。

でも、全く売れなかった。6ヶ月間で、1社しか導入してくれませんでした。次第にメンバー間でも「プロダクトが悪い」「マーケティングが悪い」といった責任の押し付け合いが始まり、険悪な雰囲気が漂うようになりました。

生きるか死ぬかの危機的状況は、次第に山田氏の心をも蝕んでいった。

山田共同創業者と赤坂で信号待ちをしているとき、「スタートアップって牛歩状態だとリビングデッドだね」と話していたのを、いまでも覚えています。死にたい、虚しい、でもなんとかしなきゃ──そんな自分の声が、ずっと頭の中で反響しているんです。

半年ぐらい、満足に眠れない状態でしたね。最初はなんとも思っていなかったんですけど、後で診察を受けたらメンタル不調だとわかりました。皮肉なことに、心療内科医としてメンタル不調患者を診察していた私自身が、不調に陥ってしまったのです。

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プロダクト・アウトとエンタープライズにこだわるのをやめた

資金の枯渇、経営者のメンタル不調と、窮地に立たされたiCARE。「何かを変えなきゃいけない」と思った山田氏は、新しい社員の採用に踏み切った。

結果的に、この判断が風向きを大きく変えることになる。新メンバーの助言から、課題や改善ポイントが明確になり、プロダクトがグロースしはじめたのだ。

山田そもそもプロダクト・アウトにこだわりすぎたことが間違いでした。いま思えば、仮説検証も十分ではなかったし、売り先も悪かった。実績もないのにいきなり大企業にアプローチしたり、決裁権のない産業医向けの見せ方にしたり。

そこで山田氏は、まず中小企業で導入実績をつくってから、大企業を攻める戦略にシフトした。健康管理を効率化する事業にピボットし、中小企業向けに従業員の健康管理の必要性を伝えるアプローチを試みたのだ。

その結果、中小企業の導入実績を一定数増やすことに成功する。とはいえ、さらなるスケールを目指すためには、エンタープライズにシフトする必要があった。しかし、大企業に中小企業向けの営業手法は通じない。

そこで、プロダクトの「見せ方」を“人事労務担当者向け”に変えることを決意する。従業員の健康を管理するBtoBtoCサービスから、人事労務担当者の健康労務業務をサポートするBtoBサービスへと、方向性を大きく変えたのだ。これにより売上は劇的に改善し、現在は280社で導入されるまでに成長した。

山田誰がお金を払うのか、その人たちがどうすればお金を払いたくなるのか、そう思ってもらうにはどんな伝え方をすればいいのか。ここを改善したことが一番のポイントでした。

いまでこそiCAREは健康管理領域のHRテックで業界トップクラスの導入実績を誇っているが、『Carely』の類似サービスは20〜30年前から存在している。業界においては圧倒的に後発なのだ。

それでも多くの企業から支持されている理由は、クラウドサービスとしての徹底した「差別化」にある。たとえば、競合の大企業が提供するサービスは、導入だけで数千万円、運用で数億円というコストがかかる。開発期間も2〜3ヶ月ほど要する。マニュアルも分厚く、UI/UXも優れているとは言い難い。

一方で『Carely』は、導入期間は2週間で、導入コストも大手の6分の1程度。さらに、マニュアル不要で使える、優れたUI/UXも強みだ。コスト、スピード感、UI/UXと、あらゆる観点でプロダクトを磨き込んでいったことで、現在のポジションを実現したのだ。

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“病院に通わないこと”が評価される世界を

成長フェーズに差し掛かったiCAREは、予防医療のインフラを構築し、「病院に行かないことが評価される世界」を実現しようとしている。「国内全ての労働者の健康管理をiCAREが担う状態をいち早く実現し、働くひとと組織の健康を創ることに貢献したい」と山田氏は意気込む。

そのためには、個々の状況や価値観にマッチした健康サービスを、『Carely』というプラットフォーム内でどのように提供していくかが鍵を握る。山田氏が医療現場で経験してきたように、押し付けでは人の心は動かせない。

山田予防医療って、啓蒙することが難しい領域なんです。たとえば、糖尿病の人に「ラーメンを食べてはいけない」と押し付けがましく伝えたところで、反発されるだけでしょう。

本当にラーメンをやめさせたいなら、何かしらのインセンティブやエンターテイメント性が必要です。「この基準をクリアしたら希望の生命保険に入れる」とか、「みんなで楽しくダイエットができるサービスができました」とか。

iCAREは2020年3月、『SIXPAD』を提供するMTGとの業務提携を発表した。『Carely』で労働者の健康状態を可視化し、診断結果が芳しくない方が多い部署に対して、MTGが健康をテーマにしたセミナーを提供するものだ。

今後はメニューをさらに増やし、あらゆる価値観の人にフィットしたサービスを提供できるプラットフォームを目指す。

社内にはトレーニング器具が並べられていた。日常的に健康管理に気を遣うメンバーも多いという。

その先に見据えるのは、海外進出だ。日系大手メーカーの生産拠点が多いアジア諸国は健康管理に関する法律が日本に近しいため、『Carely』がフィットしやすいと山田氏は語る。

山田3年以内には、アジア進出を果たしたい。そのために、直近の経営合宿では英語でプレゼンする場を設けるなど、語学力を養う機会も増やしています。

いまはコロナショックで採用を止めている企業も多いと思いますが、うちは積極採用中です。来期までに20人は増員する予定なので、興味がある人はぜひ声をかけてください。

医師として、起業家として、あの手この手で予防医療を啓蒙する。「医師が必要とされない世界」の実現に向けて、iCAREの挑戦は続く。

こちらの記事は2020年05月21日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

田尻 亨太

編集者・ライター。HR業界で求人広告の制作に従事した後、クラウドソーシング会社のディレクター、デジタルマーケティング会社の編集者を経てフリーランスに。経営者や従業員のリアルを等身大で伝えるコンテンツをつくるために試行錯誤中。

写真

藤田 慎一郎

編集

小池 真幸

編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。

デスクチェック

長谷川 賢人

1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。

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