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日本がシリコンバレーのようにはなれない決定的な理由──起業家を支える「セーフティーネットの欠如」

細谷 元
  • Livit ライター 

シンガポール在住ライター。主にアジア、中東地域のテック動向をウォッチ。仮想通貨、ドローン、金融工学、機械学習など実践を通じて知識・スキルを吸収中。

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FacebookやGoogleなど世界規模のスタートアップを輩出しているシリコンバレーの起業家文化に注目が集まり、各国ではそのエコシステムを再現し、国内のスタートアップを盛り上げようとする動きが活発化している。

最近ではフランスの取り組みが成功事例として取り上げられることが多い。

日本も例外ではなく、起業エコシステムを創出しようという試みは増えているようだ。

しかし、まだシリコンバレーのようなエコシステムには至っておらず、相変わらず「第2のソニーが出てこない」といった嘆きの声が聞こえてくる。

なぜフランスが成功事例として取り上げられるのか。

日本がシリコンバレーのようなエコシステムを創出できない理由はどこにあるのか。

今回は、アジアのスタートアップ事情に詳しいシリコンバレーの投資家の視点を踏まえ、フランスと日本、そしてシリコンバレーの状況を「セーフティーネット」という切り口で考えてみたい。

  • TEXT BY GEN HOSOYA
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シリコンバレー、フランス、日本、起業エコシステムの発展レベル

起業エコシステムという観点から日本とシリコンバレーの違いについて知るには、両方をよく知る人物の意見を参考にすべきだろう。

米サンフランシスコと中国・深センに拠点を構えるベンチャーキャピタルHAXのゼネラル・パートナー、ベンジャミン・ジョフェ(Benjamin Joffe)氏は、日本、中国、韓国を中心にアジアのハイテク産業に16年以上関わる事情通だ。起業した経験を持つだけでなく、投資家・メンターとしても活躍。アジアでもシリコンバレーのような起業エコシステムを構築すべく数多くのメディアで情報発信をしている。

ジョフェ氏はmedium.comへの最近の寄稿記事で日本の起業事情に触れつつ、シリコンバレーのような起業エコシステムを構築する上で最も重要となる要素について指摘している。

それは「文化」であるという。シリコンバレーでは、起業が失敗した後でも、仕事を見つけることができること。この文化がシリコンバレーが機能する最も重要な要因というのだ。

一方、ジョフェ氏は日立グループの元会長との会話を引き合いに出し、日本では一度起業するために退職してしまうと、もうその企業には戻れない文化があると指摘している。この元会長は、そのような行為は「許されない」と回答したという。特に大企業においては、起業のための退社は裏切りとみなされることがあるようだ。

ジョフェ氏は、起業エコシステムを創出するためには、大企業がより多くの起業経験者を雇用することが重要と結論づけている。起業を失敗しても戻る場所があること、つまり「セーフティーネット」の存在が、シリコンバレーで数多くのスタートアップが生まれる理由なのだ。

その成功事例の1つがフランスだ。Dealroomの調査報告によると、フランスは2017年上期、ベンチャー資金調達額で英国、ドイツをおさえ、欧州第1位にランクインされている。

フランスでは大企業が起業経験者の雇用を始めたことで、起業する人々のモチベーションが高まり、起業エコシステムが生まれ、活気づいているという。フランスでは企業在籍中でも最長2年間のサバティカル休暇を取得することが可能で、その期間を活用して起業活動をする人も少なくない。もちろんサバティカル休暇後に、元の職に戻ることは保障されている。

最近話題となっている世界最大のスタートアップキャンパス「StationF」はフランス起業エコシステムの活況ぶり示すものだ。StationFは、2017年6月にフランス・パリにオープンした起業家育成・支援コミュニティーだ。3万5000平方メートルと東京ドーム約0.75個分のスペースがあり、世界にある同様の施設では最大の規模を誇る。収容人数は3000人以上、約1000社のスタートアップが入居している。政府や投資家らの支援も厚く「次のシリコンバレー」として注目を集めている。

起業を推進するだけでなく、起業が失敗した場合を想定したセーフティーネット作りが起業エコシステム創出に不可欠ということをフランスの事例から見て取ることができる。

1000社以上のスタートアップが入居する「StationF」(StationFプレスキットより)

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起業・退職=裏切りの日本、それと対照的なシリコンバレーやフランス

この「セーフティーネット」という切り口で日本の状況を見てみると、まだまだ改善の余地があることが分かってくる。社会的、経済的、2つのセーフティーネットについて考えてみたい。

ジョフェ氏が指摘するように、日本では起業のために一度退職してしまうと、ほとんど場合もう同じ企業に戻ることはできない。つまり、起業して失敗してしまうと、再就職活動を一からすることになってしまう。起業失敗での経済的損失に加え、再就職活動での時間的・経済的コストを被ることになるのだ。一度起業で失敗してしまうと、人生を狂わしかねない状況になることを想定し、躊躇してしまう人は多いはずだ。

フランスのように、起業のために退職し、もし失敗しても元に戻れるようになったとすると、それは「社会的セーフティーネット」が構築された状況といえるだろう。

社会的セーフティーネットを構築するためにまず、なぜ日本がこのような状況になってしまったのかということを考えなくてはならない。つまり、起業や転職のために退職することがなぜ裏切りとみなされてしまう文化ができてしまったのかということだ。この質問に直接答える文献は見当たらないが、社会心理学などでのこれまでの研究・文献を参考に考えてみたい。

一橋大学特任教授、山岸俊男氏の『心でっかちな日本人』がヒントを与えてくれる。同著で山岸氏は、日本人の集団的・協調的行動の背景には「集団の利益に反するように行動するのを妨げる社会のしくみ、相互監視と相互規制のしくみが存在」するからと指摘する。

さらに「まわりの人たちがとっている行動によって、その行動をとることの利益とコストが変わってくる行動」を ”頻度依存行動” と呼び、相互に依存的な頻度依存行動は経済学における「戦略的補完性」に相当すると指摘。終身雇用と年功序列の日本的雇用慣行を雇用者と労働者の戦略的補完性と説明しているのだ。

戦略的補完性とは経済学・ゲーム理論で用いられる概念で、複数均衡が存在する状況下において、各経済主体から見た場合、現状維持を選択することが自己の利益が最大化している状態のことをいう。

つまり、企業にとっては同じ労働者を雇い続けることが、労働者にとっては同じ企業で働き続けることが、それぞれの利益の最大化となっており、現状を変えるインセンティブが起こりづらい「均衡」状態であるということだ。均衡を破る者、つまり起業のために退職する者は、全体の利益を損ねる存在として嫌われてしまうともいえるだろう。

また、集団の利益に反する行動を妨げるしくみや文化・規範ができてしまっているので、均衡を破ろうと考えても、なかなか実行できないのが現状であろう。

有給休暇に関するデータにこのことが如実に現れており興味深い。厚生労働省が実施した有給休暇に関する調査では、全体の3分の2が有給休暇の取得にためらいを感じていることが明らかになったのだ。ためらいを感じる理由で最も多かったのは74%で「みんなに迷惑がかかるから」である。

シリコンバレーやフランスではこの均衡点が異なる所にある。企業は起業経験者を雇用することが、雇用者は起業することが、それぞれの利益最大化になる状態で均衡しているということだ。また投資家にとっても起業家を増やすことが、ポートフォリオの分散、リスク最小化、リターン最大化につながるため、均衡状態を保とうとするインセンティブが働くと考えられる。

日本で起業に失敗しても元に戻れる社会的セーフティーネットを構築するには、いったん現在の均衡状態を崩し、新しいポイントで均衡させる必要があると考えられる。

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起業家の挑戦を支える「経済的セーフティーネット」も必要

最後に、経済的セーフティーネットについても触れておきたい。特に注目したいのは、起業するため、または起業初期に必要な資金についてだ。

前出のジョフェ氏も、文化ほど重要度は高くないが、起業家向けの経済的支援はエコシステム創出で重要であると指摘している。

シリコンバレーにおいては、成功した起業家らがエンジェル投資家となって、立ち上げ間もないスタートアップに投資することはめずらしくないといわれている。一方、フランスでは失業保険が最長2年に渡って支給されるほか、スタートアップ向けの資金的な支援制度が充実している。

ソニーやサムスンを見ても起業当初には事業を存続させるためのセーフティーネット的な資金があったことが伺え、その重要性を無視して起業エコシステム議論はできないだろう。

ソニーの場合は、創業期の社員の給与が共同創業者の1人である盛田昭夫氏の実家の酒屋から出ていたという逸話があるほか、盛田氏の親戚がソニー株を大量購入して事業を支えたともいわれている(ウィキペディアより)。

サムスンの場合、創業者イ・ビョンチョル氏はサムスンの前身である三星商会を設立する前に、精米所事業を開始したが失敗している。しかし、同氏の父親は韓国慶尚南道の大地主だったとされていることから、精米所事業失敗後も最低限の資金援助には困らなかったと推測できる。

今回は「セーフティーネット」を切り口に起業エコシステムについて考えてみた。スタートアップに関する今までの議論は起業家精神の育成といった個人を対象にしたものが多かった印象であるが、フランスの事例、ジョフェ氏や山岸氏の洞察から、社会、文化、規範など視野を広くして構造的なものにも目を向ける必要があることが見えてきたのではないだろうか。

こちらの記事は2018年01月04日に公開しており、
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細谷 元

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