連載私がやめた3カ条

内省せよ、自身を変えよ──フーディソン山本徹の「やめ3」

インタビュイー
山本 徹

1978年生まれ。北海道大学工学部卒業後、2001年4月大手不動産デベロッパーに入社、2002年10月合資会社エス・エム・エス入社後、組織変更に伴い、株式会社エス・エム・エスの取締役に就任。創業からマザーズ上場まで経験。2013年4月、株式会社フーディソンを設立し、代表取締役に就任。生鮮業界に新たなプラットフォームを構築するべく事業運営中。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは生鮮流通のDXを推進する、株式会社フーディソン代表取締役CEO、山本徹氏だ。

  • TEXT BY MISATO HAYASAKA
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山本氏とは?──自己変容を続ける、生鮮流通のパイオニア

長引くコロナ禍で大打撃を受けた、飲食業界。そんな中で順調に成長してきたサービスが、飲食店向け生鮮EC『魚ポチ』である。市場に足を運ばずとも食材の仕入れが可能なECサイトだ。『魚ポチ』のほか、エンドユーザー向けの魚屋『sakana bacca』の運営など、生鮮業界の活性化、生鮮流通のプラットフォーム化に向けて事業拡大を続けているフーディソン。その創業者が、今回の山本氏である。

山本氏の柔らかな話し方と、言葉の節々に感じる気配り。「温厚な起業家」の印象を抱いた取材陣だが、その経歴は強いプレゼンスを放っている。新卒入社した不動産デベロッパーを退社後、介護医療業界に情報インフラを提供するエス・エム・エスへ創業メンバーとしてジョイン。マザーズ上場を果たした。

起業のきっかけになったのは、岩手で出会ったサンマ漁師。サンマ1㎏10円の値付けに驚愕したという。漁師の「船のガソリン代も稼げない」「息子には漁師を継がせたくない」という言葉が耳に残った。水産業界は、いまだ電話・FAXのやり取りが中心のアナログな業界。「テクノロジーを活用したら、役に立てる余地があるのではないか」。

2012年12月、人生を賭けて向き合いたいテーマと出会った山本氏は、翌年4月にフーディソンを創業。アジとイワシの見分け方すら分からなかった彼だが、サービスは順調を極め、前年比371%という成長率を叩き出した年もあるほどの急成長ぶりだ。

上場経験ののちに、着実に自社のサービスを伸ばしてきた山本氏。順風満帆に見えるその人生だが、意外にも「自分を過小評価してきた」と語る。起業家として、ひとりの人間として葛藤した末に、やめたこと。その3つに迫ってみよう。

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“自動運転モード”をやめた

人間の言動の90%は無意識だという説がある。「歯を磨く」「靴を履く」といった習慣、「怒る」「笑う」といった感情表現は、意識を向けずともそうしているものだ。山本氏は、そのような無意識的な行動や感情に対し、自覚的になったという。「意識して行動を顧みるまでは、例えていうなら“自動運転モード”でしたね」と笑う。

きっかけになったのは、社員からのフィードバックだった。360°評価で辛辣な言葉が散見されたのだ。「山本さんはスイッチが入ると手をつけられなくなる」「山本さんがどのような組織にしたいのか分からない」という意見が噴出した。

山本これまでは、会社運営で上手くいかないことがあると外的要因を探っていました。責任者が悪いんじゃないか、あの人のスキルが足りなかったんじゃないか、と自分以外のところに原因があると思い込んでいたんですね。

でも結局、いつまでも根本的な課題解決にはつながらなかった。一度、「どのような組織にしたいのか分からない」という社員の声を聞いて、全社総会資料を読み直してみたんです。すると、組織に対する理想や方針が一切書かれていないことに気付きました。事業を伸ばすことばかりで、組織への意識が抜け落ちていたとようやく自覚したんですよ。

「身の回りで起きている問題の根本的原因は僕にあったんだ」とハッとさせられました。そこから、起きている問題の原因が自分自身にある、という仮説を持って、自分の“スイッチ”がどんな風に入るのか、自分の感情がどのように揺さぶられるのか、その結果、どのような行動をしているのか、自覚的になるトレーニングを始めました。

たとえば、社員が退職するとき。山本氏は毎回、猛烈な悲しさに包まれていた。前向きな退職もあるはずなのに、なぜか素直に祝福できない自分がいたのだ。根っこにあるのは、「拒絶された」という感情だと気付いた。捨てられるような苦しさが、山本氏の言動に“スイッチ”を入れていたのだ。一筋縄ではいかない問題だと自覚した。

それからは、「なぜ悲しいと感じたのか?」「なぜこのような行動をしたのか?」と自身に問いかけるようになったという。結果、すべての出来事は自分の“色眼鏡”を通して見ているのだと自覚するようになった。自己をメタ認知しなくては、長年培われた自身の価値観の暴走は制御できない。山本氏の、自分自身を紐解く旅が始まった。

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自分への過小評価をやめた

“自動運転モード”をやめたことで、自身にある習性があったことに気付いた。その一つが、過小評価だ。元々、「自分なんて」と卑下する癖があったという。自己評価が低いがゆえに、自分に厳しかった。問題なのは、相対的に他人への評価も厳しくなることだ。「こんな僕でさえできるのに、なぜあなたはできないの」と不満に思った。自信のなさから不安が拭えず、自分は優れた経営者だと誇示したくもなったという。

山本意見がぶつかったときに曲げられなかったんです。適度な自己評価は謙虚さにつながりますが、過度な自己評価の低さは傲慢さと同じでアンバランスです。「ありのまま」では生きられない、自己認知の歪みを自覚しました。

人の価値観には、環境や経験等さまざまなものが影響する。なぜこのような自分が育まれたのか、山本氏は人生を振り返ってみた。

山本内省をして振り返った今、両親には感謝の気持ちが強くありますが、うちの父親、めちゃくちゃ厳しかったんです(笑)。「自分でやりなさい、自分で乗り越えなさい」のように自立を促されることが多く、幼少期はどこか満たされない感覚をもって過ごしていたのかもしれません。

自分は頑張っている、結果を出している、自分に価値があると思いたい。そんな思いが消えず、「上場して結果を出さないと」「誰かに認められたい」と焦っていたのかもしれません。

ターニングポイントになったのは、叔母との会話だった。思いもよらない事実を聞いたのだ。

山本父が嬉しそうに、「徹がこんなに活躍しているんだ」と叔母によく連絡をしていたそうなんです。幼少期に父から褒められた記憶はあまりないのに、陰では僕の頑張りを認めてくれてたんですね。ほかにも両親と会話して気付けたことがあって。

僕の両親はともに、幼少期に片親と死別しているんですね。「親は早くいなくなるもの」という共通した価値観があったんだそうです。だから僕が一人でも生きていけるように厳しくしていたんだ、その厳しさの背景には強い愛があったんだとようやく理解できたんです。親だって一人の人間なのに、完璧な人間を求めて親の真意を理解できていなかった、そんな自分の色眼鏡に気づきました。

「愛されている」という実感を持てた。春の訪れで雪が溶けていくように、山本氏の心にあった欠乏感は消えていった。ありのままの自分でいいんだと、初めて心から思えたという。自分を正しく評価できなかった頃は、まるで吊り橋を渡り続けているようだった。足元が揺らぎ、不安でたまらなかった。それが、堅固な橋に変わり、足取りがぐらつくことは無くなった。“自動運転モード”をやめ、過小評価をやめた。山本氏の変化はそれだけにとどまらない。

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孤軍奮闘をやめた

幼少期から厳しく育てられたこともあり、「小さい頃から自立心が強かったかもしれない」と振り返る山本氏。その影響もあってか、深い親交のあった友人はいたものの、広く交友関係を持つのは上手くなかったという。前章の「過小評価」にも繋がるが、自信を持てずにいたことで、滑らかな人間関係を築けずにいたそうだ。

山本私のコーチングをお願いしている方がいるのですが、彼にこう言われたんです。「山本さんの太陽系には、太陽と地球しかない。水星、金星、冥王星といった距離感の星は存在しない。人との距離感は多様なはずなのに、山本さんは“つながる”“つながらない”の二択になっている」と。

自分で言うのも恥ずかしいですが、良くも悪くも初対面の人に感じのよい人だと言われることが多かったんです。”無色透明な人”。拒絶されたくないという理由から感じよく接しようとしていたんですよね。ハレーションは起きないんですが、どことなくぎこちない人間関係ばかりを築いてきました。

山本氏はそんな人間関係すらも変えていこうとした。自分への過小評価をやめ、ありのままの自分を受け入れられるようになることで、好奇心が芽生え、新しいコミュニティに所属する勇気をもてるようになったのだ。

自分一人でなんとかする、という発想から人を頼るという発想に変わった。英語を習い、講師や受講生とのコミュニケーションを深めていった。ゴルフのレッスンで出会った知人と定期的に交流を深めるようにもなった。ゆるやかなつながりを増やしたところ、びっくりするほど友人知人の輪が広がっていった。会社経営上でも、以前より適切に社員を頼ることができるようになったという。

山本これまでの僕の“幸せ”って、会社がうまくいっているかに左右されていたんですよ。でも今は、成果うんぬんじゃない、社内外のコミュニティや家庭との繋がりのおかげで“幸せ”が安定したし、増えた実感があります。

友人知人の顔を思い浮かべているのか、山本氏は嬉しそうに微笑んだ。

彼がやめたことは、どれも簡単に真似できるものではない。幼少期からの価値観をガラリと変えるのは、人生を“生き直す”レベルの途方もない挑戦だからだ。しかし、彼はその挑戦から逃げ出さず、自分の殻を打ち破った。

山本内省を繰り返すことで、徐々に自分を変化させてきました。すると、会社、家族、地域社会にまで、よい循環が生まれてきたように思うんです。「心理的安全性」という言葉がありますが、経営者がありのまま生きられていないのに、組織に心理的安全性がもたらされるわけがないですよね。ありのままの自分を受け入れて、感情を素直に発信できるようになったおかげで、誇示したり、自己卑下したりする必要がなくなりました。

僕が数年かけて積み上げてきたことを、今度は組織づくりに反映できないかなと思っています。社員のみんなが本音や感情を見せることができて、自分らしくいられる会社にしたいんです。

愛を渇望した、孤高の経営者はもうここにはない。ビジネスパーソンとして、1人の人間として変容を続ける山本氏から、今後も目が離せない。

こちらの記事は2022年05月24日に公開しており、
記載されている情報が異なる場合がございます。

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執筆

早坂 みさと

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