連載私がやめた3カ条

起業家たるもの、“自分のメモリ”を確保せよ──Crezit Holdings矢部寿明の「やめ3」

インタビュイー
矢部 寿明

1993年生まれ。大学卒業後、GE(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)に入社。ファイナンスのリーダー育成プログラムであるFMPに所属し、北アジア3ヶ国のファイナンス業務などに従事。2018年3月より、BASEへ入社。子会社BASE BANKの立ち上げ、将来債権譲渡のスキームを活用した「YELL BANK」の企画・開発や融資事業の立ち上げなどを行なう。2019年2月退社し、Crezitを創業。慶應義塾大学卒。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、低コストかつ迅速な与信サービスの立ち上げを可能とする与信プラットフォーム『Credit as a Service (CaaS)』を展開する、Crezit Holdings代表取締役CEO、矢部寿明氏だ。

  • TEXT BY MISATO HAYASAKA
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矢部氏とは?──BASEからの起業、からの「ジョブズ」!?

矢部氏の足跡は、ファイナンス業界にどっぷり浸り、“金融街道”をまっしぐらに進んできた。「お堅い」印象を抱きがちな金融業界だが、意外にも取材当日、黒のTシャツというラフな出で立ちで現れた矢部氏。実はこのファッションにはある意図がある。気になる読者は読み進めてほしい。

矢部氏は大学在学中からマイクロファイナンスへ強い興味関心を抱き、ケニアでインターンを経験。ファイナンスの可能性を目の当たりにし、事業家として課題解決したいと思いを抱いた。大学卒業後は、アメリカにある世界最大の総合電機メーカーGE(ゼネラル・エレクトリック・カンパニー)に入社し、北アジア3ヶ国のファイナンス業務等に従事。BASEへ転職後は子会社立ち上げ、資金調達サービスの企画・開発、さらには融資事業の立ち上げを経験したという。

大企業のファイナンス、スモールビジネスに対する金融サービスを経験したのち、満を持して創業したのがCrezit Holdingsだ。同社が参入する消費者信用市場は、2021年から2026年の間に約5%のCAGRで成長すると予想されている(IMARC Services Private Limitedによる市場調査、2021年9月出版)。

しかし、巨大市場でありながら、今なおレガシーな体制が続く業界でもある。そこに勝ち筋を見出したのが、今回のゲストである矢部氏だ。 世界のファイナンス畑を駆け抜けてきた彼は、いったい何をやめたのだろう?

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できるフリをやめた

「プライドを捨てられなかったんですよね」。仰ぎ見るように、BASE時代の苦い思い出を語り始めた彼。弱冠25歳の矢部氏は当時、子会社や金融事業の立ち上げに奔走していた。「金融エリート」に注がれる、周囲の熱い視線。矢部氏は、“できる人間”を演じていたという。

矢部これまでのファイナンス知識では太刀打ちできない場面に幾度となく遭遇しました。でも、自尊心が邪魔をして決して「分からない」とは言えなかったんです。“できるフリ”をしたとしても、結局はすぐに見透かされるんですよね(笑)。最終的には、各所でハレーションを起こしました。

前職で辛酸をなめた矢部氏はやがて、Crezitを立ち上げた。起業してあらためて痛感したのは、「分からないことだらけ」という事実だった。

矢部広報としてのメディアの付き合い方、お客様への営業の仕方など、経験の浅いものばかりでした。BASE時代の二の舞になってはいけないと思い、今度は経験不足であることを素直に受け止めたんです。「やりたいけれど分からない。だから、助けてほしい」この言葉を口にできるようになりました。

矢部氏は気付いた。事業をつくる、仲間をつくるというのは、知らないことを相互に認め合い、補完し合うことなのだと。何も知らない起業家だからこそ、かえって周囲を巻き込めるようになるのかもしれない。そう、意識が180度変わったのだ。

現在彼は、“できるフリ”をする人間に戻らないように、ある取り組みをしている。自分のレベルを認識する機会をあえてつくっているのだ。消費者金融事業を3〜4回つくりあげてきた方や上場後も大きく成長するスタートアップの経営陣など、ある領域を突き抜けた先輩と定期的に会話して視座を上げてもらう機会を設けている。自身の至らなさを噛み締めるばかりだと、矢部氏は屈託なく笑った。

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お酒をやめた

現在矢部氏は、一切お酒を飲まない。会食、社内の飲み会、友人との食事、自宅──。場面を問わない徹底ぶりだ。BASE時代は人並み程度に飲んでいたというが、起業してからはジンジャーエールの一択。理由はシンプルで、飲酒によって思考力、体調などすべてにおいてダメージを受けるからだ。

矢部起業してから、目的意識がすこぶる強くなりました。これが仕事の何につながるのか、ミッション達成に貢献するのか、都度考える癖がついたんです。可能な限り自分の脳内メモリを正常な状態で使いたいと思ったときに、「お酒はやめるべきじゃないか?」という考えが浮かびました。あくまで自分の経験談ですが、お酒を飲んで良い議論が生まれたことってないんですよね。それなら、無駄じゃないかと。

お酒の付き合いをなくすことで、かえって仕事に支障はないのだろうか?誰しもが疑問に思う問いを投げかけた。

矢部アルコールをやめただけで、飲み会自体は変わらず行っています。万が一、「このお酒一杯を断ったらむしろ仕事に支障をきたす」と思えば飲むかもしれません。Crezitのミッション達成が目的であって、「お酒を飲まない」は手段のひとつなので。

なるほど、目的はあくまで自社の成功というわけか。しかし、メリットが明白とはいえ、断酒に挑むのは一般的にハードルが高い。お酒には一定のリフレッシュ作用があるからだ。一切の飲酒をやめた矢部氏は、現在どのようにリフレッシュしているのだろう。

矢部仕事に直結するかは別として、スキルの取得に取り組んでいます。動画制作、デザイン、数学など。熱中すると気分転換になるんですよね。あくまで趣味の感覚で取り組んでいますが、業務上のできる幅が増えたり、日常の思考に活きていると感じられたりしています。嬉しい副次的効果ですね。

晴れやかな矢部氏の表情からは、お酒のある世界への未練を露ほども感じなかった。

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私生活の意思決定をやめた

矢部氏は、私生活にいくつかのマイルールを設けている。具体例をいくつか見ていこう。

  1. スティーブ・ジョブズ方式で同じ服や靴を複数持ち、服を選ばない
  2. 2つや3つの選択肢から1つを選ぶ際は、基本的に一番最初のものを答える
  3. コンビニで食べるものは毎回同じ

矢部氏がこの取材の日、黒のTシャツを着用していたのもローテーションの一環だ。なぜこのようなルールを設けているのだろうか?

矢部パソコンのメモリが有限のように、人間の脳のメモリも一定だと考えるからです。特に、メモリを消費する要因は“意思決定”であると私は思います。経営者は評価制度について考えながら、営業戦略を考えながら……と並列して思考する機会が多いので、仕事につながることにだけに脳のメモリを使いたいんですよね。お酒をやめた理由ともつながります。

実際のところ、プライベートの意思決定をやめてから、仕事上の意思決定に影響はあったのか?突っ込んだ質問をしてみた。

矢部正直、まだまだ仕事上の意思決定は満足できるレベルに至っていません。実は私、元々は悩みやすく、深く考えやすいタイプなんです。経営者として、リスクを考慮しながらクイックに意思決定するスキルは身に付けておきたいので、その領域に達するべく、努力を重ねているところです。現在は頑張って意思決定をしないよう心がけていますが、本当は無意識のうちに不要な意思決定をなくせるようにしたいです。今後の課題ですね。

自身の実力も意思決定スキルもまだまだだ──。矢部氏が謙遜ではなく本音として語っていることが伝わってくる取材だった。

経営者たるもの、企業ミッションに全精力を注ぐべき。それは至極真っ当な意見だが、矢部氏のように1秒たりとも余すことなく徹底している経営者は、世の中にどれほど存在するのだろうか。

「できるフリ」をやめて鎧を捨てた矢部氏だからこそ、今後の足取りは軽やかで、駆け抜けるように成長曲線を描くのだろう。リーダーとしての揺るぎない覚悟を携えて。

こちらの記事は2022年05月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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スタートアップ人事/広報を経て、フリーランスライターへ。ビジネス系のインタビュー記事や複数企業の採用広報業務に携わる。原稿に対する感想として多いのは、「文章があったかい」。インタビュイーの心の奥底にある情熱、やさしさを丁寧に表現することを心がけている。旅人の一面もあり、沖縄・タイ・スペインなど国内外を転々とする生活を送る。

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