連載シンプレクス新共同COO連載

「FinTechからBizTechへの変革は、私が成し遂げる」
ゲームチェンジにより新フェーズに突入したシンプレクス、共同COOに就任した早田政孝氏が語る「経営者としての覚悟」
【シンプレクス新共同COO連載:後編】

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インタビュイー
早田 政孝

慶應義塾大学を卒業後、新卒でアクセンチュアに入社。実力主義の同社でダブルスキップ(2階級特進)を果たしながら、主に大企業と向き合い、システム変革に携わった後、シンプレクスに転職。やはり大手クライアント等と向き合い新規案件に携わり始めたが、古巣のアクセンチュアから復帰を打診されて一旦は帰還して、自ら種まきをしていた事業の拡大普及に努めた。そして2011年、やはりシンプレクスで自らの可能性を追求する道を選択して復帰し、現在に至っている。復帰後は主に非金融機関を相手とするチャレンジングな案件開拓に従事。リアルFinTechの先頭を行くシンプレクスにありながら独自のプレゼンスを確立している。

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創業者の金子英樹CEOに加え、1世代下の2人の共同COOが2020年に誕生し、新たな経営体制で動き出したシンプレクス。この創業以来初の大転換には、全社レベルでの若返りや、新たな成長とイノベーション実現に向かうべく持ち前の突破力をさらに強化する狙いがあった。そのことは前回、助間氏が明らかにしてくれた。

では、もう一人の共同COOである早田氏はどう考えているのだろう。聞けば「理論派の助間、情熱派の早田」というように、2人の副社長は異なる強い個性の持ち主。なんともシンプレクスらしいツインリーダーとも言えるが、きっと助間氏とは違う言葉で新しいシンプレクスを語ってくれるはずだ。

  • TEXT BY NAOKI MORIKAWA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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「好きにしていい、ただし先頭に立つなら決してブレるな」
若かりし20代の男を撃ち抜いた、金子氏の一言

早田助間も言っていましたが、彼と私はこの会社の創業メンバーに比べ、10〜15歳若い。その2人が副社長に就任したという今回の決定には、「オマエらもどんどん上を目指して、俺たちを脅かせ」というメッセージが込められています。

新たな経営体制に移行した理由を尋ねると、早田氏はこう答えた。さすが完全実力主義を唱え続けているシンプレクス。実に明快なメッセージがそこにはあるのだが、そもそも早田氏はかつて在籍したアクセンチュアでも、実力主義体制のもとでダブルスキップ(2階級特進)するなど、頭角を現していた人物。なぜ高評価を得ていたグローバル企業を去り、ベンチャーであったシンプレクスへの転職を決めたのだろうか?

早田人材エージェントの担当者が私のところに来て言うんですよ。「シンプレクスという会社が、アクセンチュアでダブルスキップしているくらいの人材を欲しがっている。冷やかしでもかまわないから、一度向こうの社長と会ってみてくれないか」と(笑)。

正直、ちょうどその頃、自分が手がけてきたプロジェクトがいよいよ動き出すタイミングでもあったし、転職する気なんてなかったんですが、「冷やかしでいいのなら」とシンプレクスに出向いてみたわけです。

待ち受けていたのは金子CEO。「会った瞬間に魅了された」わけではなかったというものの、「何だこの人、面白いな」と胸に刺さったのだという。

早田後から知りましたけれど、シンプレクスの社員の多くは金子の魅力に心を動かされて入ってきた人間ばかり。それもそのはず。

「もしも入社したら、自分の好きなようにやりたいことをさせてもらいたい」なんて生意気なことを言っても、楽しそうに笑っている。会話の端々から、とにかく冷静にいろいろなことをきっちり理解していることが伝わってくる。きっと、面白い会社に違いないと感じたんです。

実はこの後、早田氏は短期間にアクセンチュアとシンプレクスを往復する。シンプレクスへ参画したものの、直後に早田氏がアクセンチュアで進めてきたプロジェクトが窮地に陥る。「このプロジェクトを救えるのはオマエだけだ」と口説かれて、一旦はアクセンチュアに戻ったのだが、一定の区切りまで仕事をやり終えた後の2011年に再びシンプレクスへ復帰したのだという。

早田自分で言うのもなんですが、恵まれていたと思います。どちらも好きな会社だし、その両方で必要としてもらっているわけですから。最終的にシンプレクスへの復帰を選んだ決め手は、やっぱり金子から言われた言葉でした。

アクセンチュアに戻る時、私がその旨を金子に伝えると、「お前の人生なんだからお前が決めればいい」と快く送り出してくれたのですが、その時こうも言われたんです。「ただ本当にお前が将来、先頭に立って社員たちを率いてビジネスをしていくのなら、決してブレるな」と。

その後、アクセンチュアに留まるか、もう一度シンプレクスに行くかを考える時、この言葉が鮮明によみがえってきたんです。シンプレクスを退職した当時は、金子の気持ちや、一緒のチームで働いていたメンバーの気持ちにまで、正直気が回っていなかったな、ブレブレなリーダーだったな、と。私は組織においても絶対にNo.1でないと気がすまない人間ですし、同じ過ちはもう繰り返さず、トップにふさわしい人間になろうと決意しました。

そしたらやっぱり、「ブレずにNo.1を目指すならシンプレクスでやりたい」。そう思ったんです。

金子氏は過去のインタビューでも常々言っていた。イノベーションを起こしたくてシンプレクスを立ち上げたのだから、少々クセのある人物でもいいから「尖った何か」の持ち主を集めたのだ、と。王道ビジネスのフィールドで、新参ベンチャーが並み居る列強企業の間隙を突いてイノベーションへつながる道をこじ開けようというのなら、とびきり尖った才能は不可欠であり、少々クセのある人間たちだとしても、その力を最大化してみせるのが経営者である自分の使命だ、というのが金子氏の持論。

興味深いことに、前回インタビューに応えてくれた助間氏も同様の理由で「シンプレクスほど面倒くさいけれど魅力ある面々が揃った集団はなかった」と言い、今ここで早田氏も「一緒にやるならシンプレクス」と選択したことがわかった。

人材に対する経営者の強い想いが採用戦略となり、その想いがブレることなく継承される中で企業カルチャーを決定付けることにもつながるのは自明の理。だが、シンプレクスの場合、そうして生まれた集団としてのアイデンティティが次世代リーダー2人の心をも捕らえたことになる。では、早田氏の目に映るシンプレクスの面々はどういうアイデンティティの持ち主なのか?

早田大前提として驚くほど多様性に富んでいます。創業時から性別、国籍、年齢、その他あらゆる属性に関わりなく、完全実力主義を貫いてきたからだといえるでしょう。その上で、とりわけ際立って感じる特徴を言うのだとすれば、「すごい職人」がいくらでもいる、ということです。

例えばシステム導入系の案件をデリバリーするケース。一応、私もアクセンチュアの最前線にいましたから、例えばJavaを用いたプログラムのチューニングを任されれば、今まで3秒かかっていたレスポンススピードを1秒にまで短縮するぐらいのことはできます。ところが、シンプレクスの職人たちときたらケタが違います。そもそもレスポンススピードが0.003秒だったものを0.001秒にするような仕事を平気でやってのけるんですからね。

そもそもシンプレクスのコアビジネスが金融業界の中でも、マイクロ(100万分の1)秒単位の速度差が、クライアントにとっては億単位の収益格差につながりかねないディーリングやトレーディングがらみのフロント領域。そんな厳しいゴールの達成が求められるニッチな領域で国内トップブランドとしてのポジションを獲得してきたメンバーなのだから、高度な技術力を備えているのは当然とも言える。だが、そもそも「そんな尖り方をしたエンジニア」自体、日本に何人いるのか、というレベルだ。そういう人材がゴロゴロといて、淡々と仕事をしている環境がシンプレクスだ、というのである。

早田例えば私が週末、「こういうビジネスモデルをこういうシステムで動かせば、他社にもまだ出せていないバリューを出せると思うんだ」というようなアイデアをメンバーたちと話したとします。すると、週明け、1人のエンジニアが私のところにやってきて「土日ヒマだったので、ざっくりプログラミングしてみました。こんな感じですよね?」と事も無げにデモをして見せてくれるんです。こりゃあ、どこまでいっても同じ土俵ではかなわないな、と思い知りました。

しかも事は技術フィールドばかりじゃありません。そもそもシンプレクスの強みである金融業務に精通した人材にも、とんでもなく尖った人材がいますし、プロジェクトマネジメントについても、私より圧倒的に豊富なノウハウを有している人間が何人もいます。実際に私も、後輩であろうが先輩であろうが、特定の領域でわからないことがあったとき、彼らのような「職人」に何時間教えを請うたか数え切れないほどです。

「このままではいけない」「自分はこの会社でどういったバリューを発揮するべきか」。そういった危機意識をもった点もまた、前回の助間氏とよく似ている。助間氏は「火消し役を買って出る」ことでブレークスルーを果たしたわけだが、早田氏は違った方向へと動き出した。

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「一番仕事を獲ってきてこそリーダー」。
だからこそ、ビジネスデベロップメントにこだわった

前回も触れたが、シンプレクス内部や同社をよく知る者の間では「理論派の助間、情熱派の早田」というイメージが定着しているという。助間氏が理論派と言われる所以は前回紹介した通りなので、今度は早田氏が情熱派と呼ばれる所以を知りたいと思う。

早田否定はしませんよ(笑)、私が情熱的なキャラで目立っていることは自覚もあるし、社内で常に新しい取り組みに挑戦してきましたから、助間とは対照的なイメージになっているんです。

ちなみにシンプレクスはこれまで、プロジェクトドリブンなフラットな組織体制のもと、多様性に富んだ職人たちが各自の強みを最大限に活かしながら案件のデリバリーを担ってきた。だが数年前から早田氏は、これらの部門とは別にビジネスデベロップメント分野の統括も任されている。ビジネスデベロップメントとは文字通り、新規事業開拓を指すと同時に新規顧客開拓をも意味している。大雑把な言い方をすれば「営業的な取り組みについては早田に聞け」という位置づけがなされている。

早田先ほどまでの話でも言いましたが、このとんでもない職人肌なプレーヤーが揃う会社で私がリーダーとして認めてもらい、成果を上げていくにはどうすればいいのかを考えたんです。その時、金子が以前言っていた話を思い出しました。なぜ金子が社長に就任することになったのか、という話です。

金子氏はアクセンチュアやソロモンブラザーズで、ともに将来ビジョンに共鳴し合った仲間とシンプレクスを設立している。当初は「自分が社長をやりたかったわけではない」という金子氏が結局は社長になった理由について、社内でこう話したことがあるのだという。

「あの時、仲間の誰よりも一番仕事を獲ってきたのが自分だったから、皆も社長はオマエがやれと言うし、自分でもそうすべきだと納得した」。そしてシンプレクスが成長を続けていく過程においても、「リーダーの役目は仕事を獲ってくること」だと自らに課したという話。これを早田氏は思い浮かべたというのである。

早田私の前職はコンサルティングファームですから、原則として営業活動はパートナークラスのミッション。だから私には何の営業経験もありませんでした。

ただ「やりたいようにやらせてくれ」と主張し続けたおかげもあって、「やりたいことがあるなら、オマエのやり方でいいから好きにやれ。その代わり結果を必ず出せ」と金子にも言ってもらっていましたし、本気で取りかかればきっと仕事を獲得できるという自信もあったんです。

コンサルタントとして培ったワークスタイル、すなわち「短期間で顧客の事業や経営を掌握して、そこにある課題を引き出す」ことの繰り返しが早田氏の気持ちを強くしていたのかもしれない。だが、おそらくここまで理屈抜きに自らを信じ切れるあたりが、天性の情熱派たる理由なのだろう。もちろん、「情熱=気合い」だけで仕事を獲得できるはずもない。

早田氏は顧客キーパーソンと同等以上に顧客業務、業界トレンドを理解することを自分の中の目標とし、大っぴらには見せないが裏では必死に努力していたという。日頃の業務でも単なる組織運営としてのプロジェクトマネジメントに終わることなく、そのプロジェクトが手がける様々な成果物を、自らもプレーヤーとして生み出すことで現場に背中を見せていた。そして、努力は結果となって表れ始める。

早田要はお客さまのキーパーソンを超えるほどの業務知識や問題意識、解決に向けたビジョンを提示することさえできれば、先方は身を乗り出してくれる。もちろん簡単なことではありませんが、やれば必ず成果は伴うのだとわかりました。

しかもビジネスデベロップメントの必要性が社内でも高まり、そこでも「好きにやれ」と言ってもらえるようになったので、従来のメガバンクや総合証券・ネット証券だけでなく、幅広い業種やフィールドにもビジネスチャンスを見つけ出そうと考えるようになっていきました。

1つひとつの案件は必ずしも大規模ではなかったというが、様々なチャレンジが少しずつ実を結ぶ中、社内組織でも1つの事業部門を任される立場に就いた早田氏。その当時のことを、笑いながらこうふり返る。

早田シンプレクスは創業以来「金融×テクノロジー」の姿勢で、いくつものニッチな領域における国内トップブランドとしてのポジションを築けるようになっていました。大きく分ければディーリング業務に代表されるキャピタルマーケット事業と、個人投資家向けサービスを中心とするリテール事業が収益の大部分を形成していた時期です。

そんな時期に事業部門が3つに分かれ、グループ1はキャピタルマーケット関連、グループ2はリテール関連を中心に案件獲得からコンサルティング、システム開発、運用・保守を担うことになったんです。私が任されたのはグループ3、わかりやすく言えば「その他いろいろ班」でした(笑)。

もちろん、金子氏以下、創業メンバーの経営陣は「グループ3がどこまで伸びるかでシンプレクスの将来が変わる」くらいの期待を込めて新たな体制にしたのだというが、社内の一部には「あそこは新しいチャレンジをしているらしいけれど、正直、何をしているのかよくわからない」というムードや「亜流」と捉える者もいたようだ。

早田そのへんは気にしたことはありませんよ。ただ、自分でも「ポテンシャル重視の若手と一部のシニアエンジニアを中心とした血気盛んなチームだった」と感じていたことは確かです。

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シンプレクスにとって「失敗は財産」。
だから、どれだけ挑戦しても怒られなかった

早田氏はシンプレクスには大きく分けて2種類の人間がいると言う。1つはいわゆるファイナンシャルエンジニアに代表される、圧倒的なパフォーマンスで、他社の誰にも負けない高みを目指してシンプレクスで活動しているタイプ。こちらはいわゆる、職人とか、エキスパートと呼ばれるタイプだ。そしてもう1つがエンジニアにせよクオンツ的な役割にせよ、マネジメント力を磨いていこうという者にせよ、「絶対にこの領域でこれがやりたい」という執着は特別強くはなく、「難易度の高い挑戦があるのなら、それをやりたい」というタイプだという。

早田氏が自らのチームに欲しかったのは、当然、後者のタイプ。「想像していた以上に大勢いて嬉しかった」と言う。「取り柄は今のところ若さとポテンシャルだけで、野心旺盛で実力未知数な若者たち」をどんどん引き入れていった結果、前のめり加減が強大な、やんちゃなチームが出来上がった。

早田リーダーが私ですから、それこそ失敗を恐れず挑戦しました。意気軒昂に大きなプランを社内でぶち上げて、自信満々に説明していたのに、数ヵ月後には撃沈して、支えてくれた経営陣に迷惑をかける、なんてこともありました。ただ、嬉しかったのは、経営陣の誰一人として「この損失をどうしてくれるんだ?」「オマエ新規事業向いてないな」みたいなリアクションをしなかったこと。

失敗をしても基本、「Nice Challenge」と評価してもらえたことです。さらに嬉しかったのは、失敗を体験することで何人もの若手がビックリするほど成長していったことです。

前のめりでやんちゃな人間ほどピュアであり、事業が途中で頓挫したりすると悔し泣きするメンバーもいるのだという。

早田例えば新卒3年目で大手顧客の役員陣の前に立ち、挙げ句窮地に陥ったときのこと。もうそのメンバーは「自分の責任だ」と思い詰めていました。

でも、私としてはなんとかその経験を次に活かしてもらいたい一心で、現場にどんどんおりて、日中は一緒に客先にお詫びしに行き、夜な夜な案件対応を一緒にやりました。そうして、なんとかそのプロジェクトを収拾して、心折れそうな経験をともに味わった若手メンバーが、次のプロジェクトでは驚くほど成長しているんです。

その時、「成功からはもちろんのこと、失敗からはより多くのことを学ぶことができる」。そう確信しました。そして、「だから金子をはじめとした経営陣は、私のこれまでの失敗を責めなかったんだ」ということも理解しました。「失敗」は、シンプレクスが人材輩出企業であるために必要な、かけがえのない「財産」なのです。

このように、「オレにやらせろ」と血気盛んな早田氏を決して責めない経営陣がいて、現場で心折れそうなメンバーに寄り添う早田氏がいて、その熱意についてきた血気盛んなチームがあって、結果、早田氏がヘッドを務めたグループ3が担った事業の内いくつかが、社内をざわめかせるほどの成功を収めていくことになった。

代表例が保険会社をクライアントとするDX系の取り組み。発端はネット専業の保険会社からの案件受注だったが、そこを足がかりに早田氏以下、皆で未知の保険業界の深淵を短期間で学び取り、同業界から一躍期待を集める存在にまでなったのだ。

早田今では、いわゆるキャピタル系、リテール系以外の事業による売上がシンプレクス全体で見ても大きなシェアを築くところまできています。過去の失敗が別のチャンスを連れてきてくれたケースもあります。

私が最初にシンプレクスに参画した時に手がけた案件は、その後私がアクセンチュアに戻っている間にトラブルが発生し、助間にも火消し役として苦労をさせることになったのですが、その当時、お客さま側で誰よりも厳しくシンプレクスに意見してくださった方が、その後、生命保険業界に転身され、声をかけてくださったんです。

「私自身まだ保険のことはよくわかっていないけれども、どうせ一緒にチャレンジをするならシンプレクスしかないと思った。君たちなら安心して任せられる」と。

件の事例は前回の助間氏のインタビューにも登場した。シンプレクスの躍進ぶりばかりに注目している学生や若手ビジネスパーソンにしてみれば、その驚くほどの成長曲線と、ベンチャーでありながら日本において最も参入障壁が高いといっても過言ではない金融業界に深々と爪跡を残しながら成果を上げている点に目が行くだろう。だが、この集団は外部で思うよりもずっと多くの「失敗」を経験している。

助間氏も語っていたとおり「つま先立ち」がシンプレクスの人材育成の真骨頂なのだから、成功続きの挫折を知らない会社ではないことも納得できる。ただ、他のベンチャーと一線を画するのは、その失敗を必ず、組織的に次のチャンスに活かしている点。しかも、助間氏、早田氏という新たな経営リーダー2人が、それぞれ違った経緯とはいえ、「誰よりも苦渋を味わった存在」だという点だ。

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FinTechからBizTechへ。
「一流」が集うシンプレクスは、非金融領域でも求められている

さて、助間氏にも聞いたように早田氏にも聞いてみよう。「順調に成長するシンプレクスが今ここで新しい経営体制に移行した理由」だ。「組織全体の若返り」以外に、「今だからこそ」という理由はあるのだろうか? あるのなら、それは何なのか。

早田一言でいうならばゲームチェンジをするタイミングが来た、ということです。

もともと金子たち創業メンバーはイノベーションを起こして世界に打って出ることを目指して、この会社を設立しました。そんな中、創業メンバーのバックボーンや蓄積していた知見が「金融×テクノロジー」にあり、金融工学のロジックを積極的に活用していくというグローバルな手法を国内のどの金融機関も実現できていない現実があった。そのため、シンプレクスはすぐにオンリーワンのポジションを得たんです。

その後、世の中にFX取引が普及すると、この取引システムをゼロイチで手がけられる存在が他にない中、シンプレクスはこのビジネスチャンスもものにしてオンリーワンになりました。いずれの成功事例も当初は決して大きなプロジェクトではありませんでしたが、オンリーワンとなって、しかも成果を着実に示したことでお客さまからの期待値も案件の規模もどんどん大きくなっていったわけです。

こうして、これまでのシンプレクスの歩みを説いた早田氏だが、原点は「イノベーションを起こす」ことにあるのだと重ねて言う。

早田なぜこの数年で、金融以外の領域でもシンプレクスが大きな成果を得るようになったのかといえば、今まで私たちが金融機関を相手に提供してきた技術やサービス、姿勢やこだわりというものを、金融以外の領域も実は待ち望んでいたからだと思うんです。

本来的な役割から言えば、新規案件獲得のために新しいチャレンジを各業界に促す役割をコンサルティングファームが行い、その実行段階をいわゆるシステムインテグレーターが請け負う構造だと思うのですが、実はこれが必ずしも機能しきっていない局面が多数ある。

そして気がつけば、私たちシンプレクスはいつしかこの「コンサルティングファーム×システムインテグレーター」と対抗しうるだけの力と価値が身についていた。だから、保険業界で期待をされるようになり、建設業界をはじめ、いくつもの業界から注目されるに至っているんです。

それならば、今こそがゲームチェンジを明確に打ち出すべき時。本来の「イノベーションを目指す会社」として、金融フロンティアに固執することなく、あらゆるビジネスのフロンティアでニッチトップの成果を築いていけるチャンスが来ているわけです。

表現を変えると、まさにシンプレクスは、「FinTech」の会社ではなく、「BizTech」の会社へ変貌していく、ということです。

すでにリアルFinTechにおける国内トップブランドとしての認知が広がり、シンプレクスは厳選採用のスタンスを維持しながらも毎年100名規模の新卒社員を迎え、今や800名を超える規模まで成長している。だが、シンプレクスが同社の流儀にこだわり、イノベーティブなチャレンジを繰り返してきた結果、その力量をあらゆる業種・業態が熱望し始めているというわけだ。

早田そしてそうなれば、1人のカリスマ経営者が、あらゆる事業領域すべてにコミットし、これまでの成長率を維持できる企業フェーズを、数年内で簡単に超えます。

こうして「シンプレクスとはそもそも何を目指す会社なのか?」から紐解いていくと、1人ではなく3人で経営を司るという変化は、必然的だったと言える。私はそう捉えています。

2020年というタイミングで経営体制が大きく変わったのは、必然なのだと語る早田氏。それだけに、「BizTech企業へと変革しようとする」シンプレクスの構想にワクワクすると共に、今後参画してくる学生や中途入社志望者にはぜひ伝えておきたいことがあるとのこと。

早田「ビジネスパーソンとして一流になる覚悟と意志がある人」にだけ、シンプレクスという「イノベーションを起こすことにこだわる船」に乗るチャンスがある、ということです。逆に、その覚悟と意志がない人は、悪い事は言わないからシンプレクスに来ないほうが良い。主体的にやりたいことがある人材以外はシンプレクスには不要です。

では、「一流」になるために「主体性だけ」あればいいかというと、もちろんそうではありません。私はアクセンチュアとシンプレクスで、年代を問わず、相当数の人材の成長を見てきましたが、「一流だな」と思う人は若いときからすべからく、「当事者意識」と「中期ビジョン」を持っていると確信しています。

この2つを兼ね備えていると、「あれがやりたい、これは嫌だ」なんて若いときから仕事を選ぼうとしないし、むしろ、どんな仕事からも学ぼうとします。それに、「私の仕事はここからここまでです。自分の仕事は終わったので失礼します」なんて、絶対に言いません。

自分がなりたい姿や、与えられている業務の意味を、自ら中期ビジョンから逆算して捉え直し、そのビジョン達成に毎日を活かしていく働き方ができるのが「一流」です。

例えば、3年でPM(プロジェクトマネジャー)になりたい新卒入社者がいたとしますよね。「一流になれる素質」がある人であれば、証券取引サービスのリニューアルプロジェクトで、1つの画面設計を担当したとしても、「いま私は画面設計をしている」とは考えません。

自ら上司やクライアントにヒアリングしながら「このプロジェクトの目的はなにか?」「なぜ画面設計もリニューアルしないといけないのか?」「顧客が感じている課題はなにか?」といったことさえも主体的に情報を取得し、考えていきます。

そして、顧客に提出するたった1枚の画面設計図を上司に提出するときも「チェックしてもらっていいですか?」ではなく、生意気にも、「コレで行きます」と言うんです(笑)。なぜならそのメンバーは「3年後にPMになるために、自分が決めるという覚悟をもって、日々仕事している」からです。

その新卒が目指しているのは「3年後にPMとして、リスクを取って意思決定していくこと」ですよね?シンプレクスのような「一流ばかりがいる集団」でマネジャーやリーダーを目指すのならば、「いま一歩目を自ら踏み出せないのに、そのビジョン達成など到底無理だ」ということですよ。

こういう考え方や働き方を組織全体として培ってきて、定着しているからこそ、「シンプレクスの人材は一流だ」と言われる集団となり、会社として次なるフェーズへと飛躍するチャンスが訪れているのだと私は信じています。逆に言うと、「イノベーション」や「高付加価値」の源泉が「一流人材」であるがゆえに、シンプレクスで働くメンバーには、「一流になる覚悟」が求められるのです。

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人の人生を背負う覚悟をもって、変革の道を突き進む

そんな一流人材ばかりが集い、前回助間氏も言っていたとおり「これほどまでに扱いが難しい組織はない」のがシンプレクス。最後に、その「トップに立つ」と覚悟を決め、シンプレクスに出戻り、COOとなった早田氏に、「早田さんが考える理想の経営トップとは何ですか?」と尋ねてみた。

早田人の人生を背負える人。私はそう考えます。

言い換えれば、赤字での資金調達を当てにせず、事業から生み出される収益を再投資しながら企業を継続成長させ、メンバーに成長環境を提供しながらも、同時にメンバーの報酬を1円でも多く上げていくことができる人。そういう両立し難い厳しさの中でも、夢を求めて這い上がる人間を私は「経営トップ」と呼びたい。

例えば、見事な構想と戦略を描き、VCや投資家から数億円を引っ張ってきて得意顔になっている人がいても、私が思う「経営トップ」とは違う気がするんです。

VCや投資家は事業を評価するプロではあるけれども、事業そのものを実行するプロではない。そのような人にどれだけ認められ、たくさんお金を投じてもらえても、実際の事業を黒字化できなければ、「トップ」としては「その程度のものだった」と評されるべきだと思っています。

シンプレクスでは、社員が声を上げ、新しい事業を自由に提案できるし、私もそうした環境のもとで何度も事業立ち上げに挑戦し失敗をしながらもここまできました。ただし、そんなシンプレクスであっても、立ち上げた事業を2−3年以内に黒字化できなければ、それは「事業」とは認めてもらえませんし、そのリーダーも「トップ」とは認められません。

「人の人生を背負う」というからには、そういう義務も背負っていると考えています。

そう話す早田氏も、実はシンプレクスを辞めて起業する選択肢が頭に浮かんだ時期があったのだと言うが、「なぜ辞めなかったのか?」を問うと、早田氏が「シンプレクスの情熱派COO」として、どこまでの高みを目指しているのかが感じられた。

早田役員に昇格するというフラグが立った時、ちょっと迷いました。やはり役員にまでなったら、一層の責任をもってこの会社と向き合うべきだし、そうなれば辞めるわけにはいきません。「辞めるなら今が最後のチャンスだな」と考え、迷いが生まれたんです。

でも、よくよく考えてみたら、この会社で学んだたくさんのことを元手にして、仮に売上数十億円、時価総額数百億円クラスの会社を作ることが出来たとしても、「なんかちょっと卑怯だな」と感じちゃったんですよね。

「オレが0から立ち上げたビジネスではないな」「オレが目指したいトップの姿ではないな」と……。「それなら、世の中を変えていけるようなシンプレクスをここにいる皆と作りあげていくほうが、絶対に面白い」と気づいたんです。

あと、もう1つ、今シンプレクスを辞めたら、永遠に「金子を抜いたぞ!」と胸を張って言うことができないじゃないか、とも正直に思いました。「絶対にいつか金子を抜いてやる」なんて豪語し、役員の中で一番金子に勝負を挑んできた私ですから、その可能性を捨て去るのは絶対にイヤだったんですよね。

自ら起業の道を断ち、シンプレクスでイノベーションを起こすことを自らに課したCOOとしての心意気。他の役員陣からも「金子との議論は何よりも熱を帯びている」という声が聞こえてくるほど、事業やイノベーションに情熱を持つ早田氏。事業創出において、誰よりも挑戦し、誰よりも創業者である金子氏と意見を交わして来たこの「情熱派」が次に繰り出す新たな一手によって、シンプレクスは変革への道を突き進む。

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FastGrow編集長ジョニーの見解
必見。「企業DNAを体現した情熱派」トップのもと、非金融領域でNo.1事業を生み出せるか!?

「この人は、本当に金子さんを超えていくのかもしれない。いや、どうか超えていってほしい」──私はそう本気でそう思った。とにかく早田氏は、「絶対に自分たちがNo.1じゃないと気が済まない性分」なのであり、「そのNo.1集団のトップでありたいがために、創業者である金子氏とも本気で議論しながら、誰よりも努力してきた男」だ。

まさにシンプレクスが5DNAとして掲げる「No.1」を体現したような人物である。そしてそのトップがリードしながら、FinTech領域をはみ出し、様々な領域で高付加価値な新規事業を創造するBizTech集団に変貌していくというのだから、「知識やノウハウをイノベーションエコシステムに共有するハブとなり、事業家人材輩出に貢献したい」と願うFastGrowとしても、彼らの動向、新規事業の成否からは目が離せない。

しかし一方で、正直言って、「まだまだどうなるかはわからない」と思う気持ちもある。たしかにシンプレクスに所属する、「当事者意識」と「中期ビジョン」を持つ「尖った人材」は、金融領域において他社には出せない圧倒的付加価値をマーケットに提供してきた。しかし、本当に彼らが非金融領域のマーケットで、圧倒的高付加価値な事業を生み出せるかどうか、については未知数である。

ただ事実、様々なベンチャー・スタートアップを取材している私から見ても、シンプレクスに所属する人材のように、「テクノロジーへの知見」×「高付加価値な業務遂行をするためのオペレーショナル・エクセレンス」の両方を高度に併せ持ったプロフェッショナル人材は、そうそういない。それは私にはわかっている。

でも現実には、新規事業がうまい、といった評判をもつ上場企業でさえ、別マーケットに参入し、数ヶ月、数年で撤退するといったニュースも多く見受けられる。それぐらい、特定領域で成果をあげた組織・人材が、異領域に参入し、新規事業を立ち上げていくことは、世の中一般に言うと難度が高いのだ。

でも、である。私は、シンプレクスなら、そして、早田氏・助間氏という2人のCOOがリードするこの集団なら、この難業を成し遂げてくれると信じているし、信じたい。

失敗を失敗で終わらせず、誰よりもNo.1にこだわるトップたちのもとに一流人材が集えば、どんなマーケットであっても、圧倒的高付加価値な事業は創造できるはず──それはFastGrowが提唱する、「真の事業家人材は、どんなマーケットでも通用する」という仮説をも証明することにもなるのだから。

変貌を遂げつつあるシンプレクスがこれから超えていくであろう数々のHard Things。そこから読者にどんな学びを提供できるだろうか。乞うご期待だ。

こちらの記事は2020年12月22日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

森川 直樹

写真

藤田 慎一郎

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