連載VCが産業を語る

なぜこれほど熱い?
BtoB SaaS専門の投資家・前田ヒロが注視する「2つのSaaS領域」

インタビュイー
前田 ヒロ

シードからグロースまでSaaSベンチャーに特化して投資と支援をする「ALL STAR SAAS FUND」マネージングパートナー。2010年、世界進出を目的としたスタートアップの育成プログラム「Open Network Lab」をデジタルガレージ、カカクコムと共同設立。その後、BEENOSのインキュベーション本部長として、国内外のスタートアップ支援・投資事業を統括。2015年には日本をはじめ、アメリカやインド、東南アジアを拠点とするスタートアップへの投資活動を行うグローバルファンド「BEENEXT」を設立。2016年には『Forbes Asia』が選ぶ「30 Under 30」のベンチャーキャピタル部門に選出される。

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産業の未来を見据え、 次代のスタープレーヤーに投資しているベンチャーキャピタリスト。 本連載では、既存産業の行く末と新産業勃興の兆しを捉えるため、 彼らが注目している領域について話を伺っていく。

第6弾となる今回は、グローバルファンド「BEENEXT」でマネージングパートナーを務める前田ヒロ氏にインタビュー。同氏は2019年7月、シードからグロースまでSaaSスタートアップに特化して投資と支援を行う「ALL STARS SAAS FUND」の設立を発表。

BtoB SaaSを中心に数多くのスタートアップに投資してきた前田氏に、“SaaS先進国”たるアメリカと比較した際の国内市場の現状、SaaS投資にフルベットすることを決意した理由から、いま特に注目している投資領域まで訊いた。

  • TEXT BY MASAKI KOIKE
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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BtoB SaaSは、「セクシー」なビジネスドメインに

2018年10月、日本経済新聞は、日本が「SaaS元年」を迎えたと報じた。同年の国内SaaSスタートアップの資金調達額は1,000億円に迫り、2019年に入ってもSmartHRによる総額61.5億円の大型調達、Sansanの時価総額1,600億円でのマザーズ上場など、盛り上がりは加速するばかりだ。

だが、前田氏は「まだまだこれからだ」と見ているという。

BEENEXT マネージングパートナー 前田ヒロ氏

前田野球なら2回裏か3回表くらいの感覚ですね。参入余地もまだまだ大きいですし、普及率も決して高くはない。やれることはたくさんあります。

前田氏によると、国内企業でクラウドサービスを導入している企業は50%、さらに全社的に取り入れているのは20%にすぎないという。市場規模で見ても、国内のIT産業全体が12.5兆円ほどであるのに対し、ソフトウェア産業はまだ3兆円に達していない

一方でここ数年、スタートアップ業界において、BtoB SaaSビジネスが大きな注目を集めている。前田氏はこの現状について概ねポジティブに捉えており、「盛り上がりすぎではないかと思うくらい、空前の熱狂を見せている」と語る。

Smart HR、Sansan、ユーザベース、マネーフォワード…注目を浴びるSaaSスタートアップの事例は枚挙に暇がない。北米でも、50社以上が上場を果たしているという。こうした注目度の高まりに伴い、BtoB SaaSが喚起するイメージも変わってきた。

前田最近は、セクシーさが感じられますよね。昔はBtoBビジネスは「カタいおじさんがやる、ダサい仕事」といった印象がありました。

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“SaaS先進国”アメリカへも積極投資する前田氏が見る、日米の差

前田氏はシンガポールを活動拠点としており、北米のSaaSスタートアップへの投資も積極的に行なっている。北米と日本では、いまだ歴然とした差があるという。

前田SaaSの普及率はもちろん、人材の層の厚さも段違いです。SaaSの知見や経験が豊富な人材の流動性が高く、たとえば元セールスフォース・ドットコムの人がSaaS企業を起業して上場させたり、他のSaaS企業の営業部長になったりするようなことも多い。大企業がSaaSを積極的に取り入れようとする姿勢も、アメリカの方が強い印象です。

“SaaS先進国”と呼べるアメリカでは、現在どのようなトレンドが生まれているのだろうか。

前田氏が注目しているのは「コードを書かなくてもプロダクトが作れるように支援する」SaaSの勃興だ。テンプレートを選ぶだけでWebサイトが構築できる『Webflow』、Webサービス同士の連携を可能にする『IFTTT』を例として挙げてくれた。

ソフトウェアのカスタマイズは、潤沢な開発予算を割けるエンタープライズ向けのイメージが強い。しかしアメリカでは、日本よりもAPI市場が成熟していることもあり、フロントエンドからバックエンドまで、SaaSのカスタマイズが“民主化”されつつあるのだ。

前田カスタマイズ性が高まるほど、ユーザーが自分に合ったソリューションを見つけやすくなります。すると、SaaSの普及率もさらに高まっていくでしょう。

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「矛盾のない美しいビジネスモデルだった」SaaS投資の虜になった理由

国内外のSaaSトレンドに精通する前田氏だが、そもそもなぜSaaSに思い入れを抱くようになったのか。同氏のキャリアも振り返る。

前田氏のキャリアは、VCではなく起業家からスタートした。アメリカの大学に在学中の2006年、学生起業にトライするも失敗。2009年には、投資の世界へ足を踏み入れた。

投資を志したのは、次の起業のチャレンジのヒントとなるようなアイデアや、成功のためのノウハウを知るためだったという。しかし、投資活動を続けていくうちに、2014年頃には「投資家が向いているかもしれない」と思うように。そう考えた理由は、3つあるそうだ。

前田1つ目は、自分だけがポテンシャルを信じていた人が、成功していく姿を見る体験を繰り返すうちに、投資から得られる快感に虜になった。2つ目は、経験やノウハウを集め、体系化して伝えることが得意だった性格が、人をサポートしたりつなげたりする投資家にマッチした。そして3つ目は、「自分より優秀な起業家が多い」と気づき、「この人たちと戦うのではなく、同じ側に立ちたい」と思うようになったことです。

投資家としての意識が目覚めていくのと並行し、SaaSの魅力にも取り憑かれていく。2012年、Yコンビネータの日本人卒業生第1号である福山太郎氏が立ち上げた、福利厚生のアウトソーシングサービスを提供するFondへの投資を行ったことが、SaaSとの出会いだった。

当時は現在と比べても、SaaSの普及率はかなり低かったという。しかし、福山氏の勧めもあってSaaSへの興味を高めていき、2015年頃には「ほぼ全ての新規投資をSaaSに振り切ろう」と決断した。

決断の背景には、クラウドストレージサービスを手がけるBoxが2015年1月に上場、ソフトウェア大手のAdobeもSaaS型へのシフトを進めるなど、全世界的とも呼べるSaaS業界の盛り上がりがあった。また、企業の規模や若さ、事業領域を問わず、SaaS導入の波が起きはじめた感覚もあったそうだ。

そして何より、ビジネスモデルや提供価値に魅力を感じ、「今後も世の中、特に日本がSaaSを求め続けるはずだ」と確信できたことが決め手になったという。

前田SaaSは、矛盾がなく美しいビジネスモデルである点が魅力的でした。売り切り型と違い、毎月の支払いを積み重ねていく形なので、お客さまの導入ハードルも低いですし、要らなくなったら手軽に解約できる。逆に提供側は、長く使ってほしいインセンティブが働くので、全力で高品質なサービスを提供せざるを得ません。この矛盾のなさが自分にとってカッチリとはまったんです。

また、人口減少が加速していく日本では、自動化や効率化のニーズも高まります。それもSaaSの普及を後押しするだろうと思いました。

今後は「一流のSaaS企業を支援する、一流のSaaS VC」になることをミッションに、採用・組織マネジメント・生産性最大化の観点を中心に、SaaS企業へのサポートを加速させる。ALL STARS SAAS FUNDの設立も、「SaaSと心中する」という覚悟の現れだという。

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前田氏がいま注目する、2つの投資領域

「BtoB SaaS専門の投資家」として生きることを決めた前田氏が、いま特に注目している投資領域は、以下の2つだ。

1つ目は、「リアルの世界とデータの世界の距離感を縮ませる」プロダクト。2019年3月に刊行された『アフターデジタル』(藤井保文・尾原和啓著)でも丁寧に議論されていたが、前田氏は「IoT技術が発展を見せるなかで、インターネットに接続されたデバイスからリアルな世界の情報を収集・分析することの重要性が高まる」と展望する。

たとえば、IoTを活用した素材開発や研究開発の効率化に取り組むMI-6に投資しているのは、そうした見立てに基づく。「人が触れるもの、動くものは、全部データ化できる」と断言する前田氏は、取得したデータを機械学習やSaaSと掛け合わせることで、新しい価値を生み出せるはずだと語った。

2つ目が、「SaaSをサポートする」SaaS。市場が拡大していくなかで、そのマーケットのプレイヤーを支援するプロダクトが勢いを増していくという。前田氏の国内投資先である、カスタマーサクセス管理ツールを提供するHiCustomerも一例だ。

業界の最新トレンドを、前田氏はいかにして学んでいるのか。

情報収集の方法を尋ねると、「投資先の人たちと試行錯誤していくなかで、一緒に学び、体系化している」と答えた。プロダクト設計や価格設定のアドバイスから、組織マネジメント、営業効率や生産性アップまで、多岐にわたりサポートを行っていくなかで、生の情報を集めているのだ。

サポートを続けるなかで、「BtoB SaaSはノウハウを体系化しやすい」と体感したという。

前田SaaSは年単位または月単位の継続売上ベースのビジネスモデルなので、指標が分解しやすいんです。そもそもテクノロジーを活用して既存業務を効率化し、新しい価値を生み出すことがSaaSの根本。ビジネスプロセスそのものを科学して体系化していかないと、整合性が取れないんですよ。

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寝ても覚めても頭から離れない!SaaS企業の成功は「パッション」にあり

数多くのSaaSスタートアップを支援する前田氏であれば、伸びる企業の特徴も知っているだろう。SaaSスタートアップを成功に導くためには「マニアであること」が最も大切だという。

そして、マニア度合いを高めるためには「パッション」が必要である。SaaS企業を創業してから一定規模になるまで、前田氏いわく「なんだかんだ言って8年はかかる」。熱量を保ち続けられるパッションがなければ、スタートラインにも立てないわけだ。

前田氏が「初期に苦労する」と語る、クライアント獲得における“最初の100社”を巻き込んでいく際にも、パッションで共感を得るのがファクターとなってくる。

前田お客さまが日々何を考え、何を課題に感じているのかを深く理解し、「どうすれば喜んでもらえるのか」を考える。理解度の深さは、プロダクトから営業、カスタマーサクセスまで、あらゆる領域に反映されていきます。逆に言えば、お客さまの理解度と人を巻き込む力に長けた経営者であれば、かなり高い確率で成功できると思います。

とはいえ、初めから十全な理解をしている必要はないという。バーティカルなSaaSを手がける際、業界経験者だからといって、成功確率は上がらないと前田氏は語る。逆に業界未経験者でもキャッチアップする力さえあれば、外から見た新しい視点が強みになるケースもあるそうだ。たとえば、建築施工現場のプロジェクト管理SaaSを提供するオクトの創業者・稲田武夫氏はリクルート出身、人事労務SaaSを提供するSmartHRの創業者・宮田昇始氏もHR領域に出自を持っていない。

とはいえ、誰もが大きなパッションをぶつけられる対象を見つけられるわけではないだろう。最後に、熱量を育むための方法について訊くと、「とにかく数を打った方がいい」と答えた。

前田パッションに気がつくタイミングは、本当に人それぞれ。だからこそ、まだパッションが見つかっていない人は、とにかく多くの業種や業界を見たり、さまざまな側面で事業について考えてみたり、思考の数を増やしていくといいでしょう。すると、どこかでカチッと「これが僕のパッションだ」と気づくタイミングが来ます。そうすれば、シャワーを浴びているときも、寝ているときも、忘れられなくなりますから。

日々、国内外のSaaS企業を支援し続け、SaaS業界の最前線に立っている前田氏。終始、丁寧で落ち着いた受け答えをしてくれた一方で、言葉の節々には類い稀ない「パッション」がほとばしっていた。

2011年にMarc Andreessen(マーク・アンドリーセン)が「Software Is Eating The World」と予測してから、8年あまりが経った。前田氏をはじめ、ソフトウェアの可能性を信じ続ける者たちによって、その予測はどんどん現実化している。これから、SaaSスタートアップは、どこまで世界を飲み込んでいくのだろうか。

こちらの記事は2019年10月29日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

小池 真幸

編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。

写真

藤田 慎一郎

デスクチェック

長谷川 賢人

1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。

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