創業3年90億円調達、その評価はホンモノか?
具体と抽象を明確に行き来して描く「大型スタートアップのデザイン法」を、ビットキー代表江尻に聞く

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インタビュイー
江尻 祐樹

1985年生まれ。大学時代は建築/デザインを専攻。2008年にリンクアンドモチベーショングループへ入社。入社2ヶ月目に初受注を達成し、その後様々なコンサルタント業務に従事。2009年末、ワークスアプリケーションズへ中途入社。コンサルタント配属後1年でMVPを獲得。2014年には、4000名の中から社長賞を受賞し、数百名程度のコンサルタント・サービス組織の統括も経験。2017年末、旧知のエンジニア中心にメンバーを集め、ブロックチェーン/分散システム研究会を発足。2018年8月、そのメンバーを中心に、ブロックチェーン/P2P・分散技術を活用した、全く新しいデジタルID認証/キー基盤を開発し、事業化する株式会社ビットキーを創業し、CEOとして新たなスタートを切る。

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江尻祐樹氏が、福澤匡規氏、寳槻昌則氏と3人の共同代表で設立したビットキー。スマートロックを手がける企業で、創業3年目ながら累積の資金調達額は90億円超、総受注額は38億円超、売上高も2019年度の数億円から2020年度は3倍以上の十数億円まで成長させた大型スタートアップだ──というのが「わかりやすい」ものさしで見た場合の説明である。

しかし、「スタートアップ」の典型的なイメージ、すなわち単一のプロダクトをバーティカルに立ち上げ、そこから横展開していくという発想が頭にあると、ビットキーという会社の本質を見誤る。さらに言えば、「起業」の誤った理解が促進されてしまうかもしれない。

ビットキーは確かに、スマートロックすなわち”デジタルなカギ”を提供している企業である。このような具体的で捉えやすいなものが目の前に示されると「わかりやすい」「理解できた」と感じるのが人間だ。だがそれだけでは、どのようなビジョンのもとで、どのような考えを経てその「具体」が結実したのか、理解することはできない。

「具体」と「抽象」を、あなたの脳は行き来することができるか?あなたが携わるビジネスの可能性を、無意識に狭めてしまってはいないか?中長期視点に立つ際には、抽象的なビジョンだけで十分だと決めつけていないか?

スタートアップの「型」のようなものができつつある今、そうした枠にはまらず、急拡大を続けるビットキー。代表・江尻氏の「挑戦的な語り」から、自分の可能性をさらに引き出すきっかけを得てほしい。

  • TEXT BY YASUHIRO HATABE
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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“人々の営み全て”を、事業領域にできるか

少々長いが、ぜひ「抽象と具体の行き来」を意識しながら読んでいってほしい。まずは、最も抽象度の高い「ミッション」という概念の捉え直しに挑戦してみよう。

今回の事例であるビットキーという会社のミッションは、「テクノロジーの力で、あらゆるものを安全で便利で気持ちよく“つなげる” 」だ。一言で表せば「コネクトする」とのこと。なんとも抽象的である。

ちなみにこの「テクノロジーの力で」の基盤となる『bitkey platform』は、分散システムや暗号化技術などを用いてID認証・連携、権利移転を行う、同社が独自に開発したデジタルコネクトプラットフォームだ。他のITスタートアップと比較して多くの凄腕エンジニアが携わっているというから、その質も高いのだろうが、今回の記事では一旦置いておく。

上述のミッションに基づき、事業領域を3つに分類。人々の営みの中心となる「暮らし」と「仕事・働く」、そして旅行やコンサート、スポーツ観戦に行くといった「非日常体験」の3つだ。これに合わせて「Home事業」「Workspace事業」「Experience事業」の3つの事業領域を定義し、3つの領域ごとに『bitkey platform』をベースとした『homehub』『workhub』『experiencehub』のコネクトプラットフォームを提供している。

江尻事業領域といいますか、「人の営み」のすべてを、3つに分けてみただけ、とも言えますけどね。

人が行動するあらゆるシーンにおいて、“コネクトしていない”がゆえに、安全性、利便性、体験性が損なわれていることが数多くあります。われわれは、それらを解消していくアプローチをとっています。

スマートフォンを通じてさまざまな動きが可能になった現代において、“コネクトしていない”とは、どのようなことを指しているのだろうか?少し具体的に聞いてみよう。

江尻皆さんがお使いのスマートフォンアプリもそうですが、今、さまざまなデジタルサービスが生活のあらゆるシーンに当たり前に存在して、それぞれのライフスタイルやワークスタイルに応じて使い分けていますよね。

このとき、個別のサービスは便利でも、すべて独立していてIDもそれぞれごとにあって、管理したり使い分けたりするのが面倒になってきています。これらの「分断」されたサービスとサービスの間を「コネクト」しようということがまず1つあります。

また、デジタル化が進むことで、例えば買い物はECサイトで24時間いつでもどこでもできるようになりましたが、購入したものを受け取るまでのリアルな体験には、まだ課題が残っています。

受け取るために日時や配達場所を指定し、その時間に家で待っていなければなりません。宅配ボックスというソリューションもありますが、マンションであれば「他の住人の利用で埋まっており、再配達になった」という経験がある人もいるでしょう。しかし、スマートロックと『homehub』を駆使すれば、自室の扉の前への“置き配”はもちろん、自室の中にまで届けてもらえるかもしれません。受け取れる確実性が大きく高まります。ちなみに、再配達の発生による社会的損失は数千億円と言われています。これだけでもビジネスをすることの大きな意味がありますよね?

このような、デジタルとリアルを「コネクト」することも、僕らのミッションの1つです。

少し具体化してもらっただけだが、このようにヒントをもらえばむしろ、この事業の拡張性が見えてくる。そんな「絶妙な抽象度を持ったミッションなのかもしれない」という点を頭の片隅において、さらに読み進めていこう。

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大企業同士が“越境”して生み出す、巨大な価値

さあ、「ミッションに基づく事業領域の広がり」が大きいと理解できたとしても、それで実際に何を事業として行うのか?さまざまな事業がイメージできる状況になると、アイデアは発散こそすれ、絞っていくのが難しいのではないか?

そんな疑問が必ず生じる。では少しずつ抽象度を落として聞いていけばいいだろうか。いや、それでは単なる事業紹介になってしまう。そこで次は敢えて、大きく具体論に振り切り、ごく最近の動きを聞いた。抽象度の高いミッションと、直近の具体的な事例を基に、ビットキーが数年スパンで目指す姿について想像してみてほしい。

まず紹介するのは、2021年5月に発表されたプライム ライフ テクノロジーズ(以下、PLT)との資本業務提携に基づくHome事業領域の取り組みだ。

江尻PLTさんと資本業務提携を結ばせていただきました。資金調達も大事ですが、そのもっとも重要な価値が、業務提携にあります。『homehub』をはじめとした僕らのプロダクトをPLTさんの新規の大型分譲に展開し、タウンポータルサイトとして利用していただくことで、住民への情報共有をはじめ、暮らしを便利にするサービス充実を図っていくことです。

PLTは、パナソニック、トヨタ自動車、三井物産の出資により2020年1月に設立された企業である。出資元企業が持つ住宅やモビリティ、まちづくり、建設などに関わる技術を融合し、まち全体で暮らしの新たな価値やサービス創出を目指している。

この提携に基づいて、年間約2万2,000戸の住宅(戸建、集合住宅を含む)を販売するPLTグループのハウスメーカー3社(パナソニック ホームズ、トヨタホーム、ミサワホーム)が開発する新規大型分譲に、2021年度から『homehub』を提供するのだという。

そうすると何が起こるのか?『homehub』は「暮らしとサービス/モノの間に存在する『分断』をなくし、新しいライフスタイルを実現させるためのコネクトプラットフォーム」と定義されている。その具体的な例としては、IoT家電を操作でき、置き配や家事代行などのサービス利用時には宅配ボックスや玄関の開け閉めを制御できる。さらに、大型マンションでは共有施設の予約や、住民間のコミュニティ機能など、追加で実装できそうなアイデアが社内では無数に出されており、その実現を常に探っている。

江尻僕らは、領域を越えてプレーヤーさん同士をつなぐことが得意なんですね。

どのピースがいつ咬み合うかを計算できる人はなかなかいません。さまざまな企業が「いつかそういう未来が来る」と思っているところでも、こことあそこと組んで、それを連携させて1つのプラットフォームにするという発想や実現方法を描けているわけではないと思います。そこを、われわれが各社をコネクトして一気に仕立てる、そういう事業の創り方を得意としています。

もう1つ、Workspace事業の最近の取り組みについても紹介する。こちらも事例としては資本業務提携。その相手は、巨大なオフィスビルを有する東京建物だ。

江尻日本でも、オフィスのスマート化が進んできていますよね。ただ、進んではいるのですが、受付のシステムや入館・入室の管理、エレベーターの制御、会議室の検索・予約システムなど、いずれもそれぞれの機能や設備ごとのスポットのソリューションが1つのオフィスビルの中にいくつも存在する状態です。

そのような状態において、体験の「分断」が起きていると思っています。例えば、これを社員は顔認証による「顔パス」で、来訪者はスマホで完結するような「体験の一貫性」を提供できるようにしたいと考えています。

そこにおいて、顔認証なのか、スマホやカードキーで認証するのかという手段の多様性は確保し、共存させつつ、ユーザーによって使い分けられるようにしたい。

この事例では、何が起こるのか?例えば、クライアント企業への訪問後すぐに「30分ぐらい打ち合わせがしたい」となったとする。そこで『workhub』を利用すると、近辺の利用可能なスペースを見つけて、その場で簡単に利用予約が成立。自動的に鍵(認証情報)が手元のスマホに配信され、面倒な手続きなくシームレスに入館・入室ができ、利用後は月末に利用料の請求書がまとめて発行され、決済まで進む。そんなことを実現しようとしている。

「ワークスペースの予約」に関して想像しうるこれらを全て、多様な企業をつなげることで、ユーザーにとってシームレスな体験を提供できるようにするのだという。

江尻こうした事業によって、多様な働き方に対応したり、その選択肢を広げたりしながら、利用者の体験をデジタルによって“なめらか”にして、働き方の変革を促す。そんなことが、このWorkspaceの領域ではすでにできつつあるんです。

仕事もプライベートも含め、生活を大きく便利に変えていく。それが見て取れるんです。僕もメンバーも、このように新たな価値を生み出していくことを純粋に楽しんでいます。

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スマートロックは“最初の一手”にすぎない

Home/Workspaceという二つの観点から、具体的な事例を見てきた。これらの事例に共通するものは、なんだろうか?それを見つけ、抽象化してみると、ビットキーの数年後が見えてくる。そのヒントがわかるような“抽象”に寄った話が聞けたので、読み進めていこう。

江尻「コネクト」というミッションは、20年後も30年後も、ともすれば永遠に完成形にならないテーマということで決めました。「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」というGoogleのミッションは有名ですが、あれも完全に実現することはないですよね。

では、この「コネクト」に基づいて世の中に最も大きな価値を新たに生み出せるのはどういった領域か?創業期に、今の経営陣3人で徹底的に考えました。メディカル、金融、モビリティ……とひたすら書き出していって。これらは確かにいずれも、インパクトの大きなものだと思いますが、果たして最初に取り組んでいくものとして最適なのか。「そうではない気がする」と感じ、さらに考えを深めていきました。

そうしてたどり着いた「コネクトを実現していくための初手のアイデア」は何だったのか?

江尻「トビラ」です。シンプル過ぎますかね?世の中の「トビラ」を数えてみてください、その数はスマートフォンの数よりも、人の数よりも多いんですよ。

どんな建物でも「トビラ」(物理的な扉)は必ずついています。そしてデジタル化が進む現代においては、さまざまなサービスのログインもいわば「トビラ」(デジタル空間における扉)です。このように、リアルとデジタルの「トビラ」の数だけ「カギ」が必要です。その数を想像するだけでも、デジタルキーが担うべき役割、事業としてのものすごい広がりをイメージできると思います。

実はこのアイデアに思い至ったあとで、僕は初めて「スマートロックというものがあるらしい」と聞いたんです(笑)。でも調べてみると、まだ世の中への浸透は不十分だったので、「コネクト」の世界観を実現していく最初の一手として全力を注ぐには最適なものだと思いました。

デジタルIDという概念と結びつけ、プラットフォーム化することで、人々の生活を今までにないほど画期的に豊かにしていけると感じたんです。

「トビラ」と「カギ」を司るための「デジタルIDを管理するプラットフォーム」が、現在のビットキーの姿といえる。先の事例でも「認証」とそれに基づく「制御」が共通項として浮かび上がった。その根幹にあるのが、このプラットフォーム構想なのだ。

ところで、「トビラの数は人よりも、スマホよりも、多い」という点を見れば、売上や利益率の成長といった直接的な業績の拡大がイメージしやすいだろう。しかしそれ以上に重要な点として『bitkey platform』が「インフラ性」を獲得するという狙いがあったという点にも触れておきたい。

2000年代初頭のインターネットがまだそれほど普及していなかった頃にYahoo! BBが行ったADSLモデムの配布キャンペーンと、同じような考えだ。この動きがインターネットのインフラ性を実現させ、「あって当たり前のもの」「人々の生活に欠かせない存在」にした。

ビットキーのセールスは、受注や売上と同程度もしくはそれ以上に、「普及」を重要なKPIとして追っている。短期的な業績につなげることよりもむしろ、将来の事業成長に向けた種まきとして、『bitkey platform』をインフラのように広げていくことを重視しているのだ。創業期の約2年はスマートロック事業の拡大にひたすら専念。3年目になってようやく、冒頭で説明したように、Home、Workspace、Experienceの3つの領域へと事業の幅を広げ始めた。

もちろん、インフラ性の獲得はまだまだ至上命題として取り組んでいく。江尻氏の意識は「まだまだ創業期」に過ぎない。

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なぜビットキーは大きな絵を描き、創造できるのか

抽象論と具体論が繋がり始めたところで、今度はこうした戦略をどのように描くのか?という、方向性を変えた抽象論に話を進めてみたい。

「プラットフォームビジネス」を目指すスタートアップは日本にも増えているように感じるが、このように「トビラ」というキーワードを基にすでに大きく飛躍しうるシステムを構築し、何社ものエンタープライズと協業を進めている企業は、そう多くないだろう。

ではなぜ、ビットキーは多くのステークホルダーが絡む複雑な構造のビジネスを、着実にスピード感をもって進められているのだろうか。この問いを解くキーワードは「デザイン」だと、江尻氏は明言する。

江尻まず、絵を描けることとそれを実行できることは分けて考えなければならないと思いますが、絵を描けるか、価値を創り出せるかは、広義の「デザイン」ができるかどうかにかかっています。デザインできないものは、結局作り出すことができません。

ここまでの事業展開も、ほとんどが「コネクト」というミッションを立てたときに描いていたものです。それも、「いつまでに」「何を」「どのように」変えていくのか、具体的なアクションも含めて描く、つまり、デザインしたのです。

ビットキー社内で話すときに頻出する二大キーワードは、「価値」と「体験」だという。これらはセールスの話でも、プロダクト開発の話でも同様に、さまざまな文脈で使われる。創り出したいものは常に、「顧客体験」という価値である。それを実現するために必要な道筋をすべて抽象度高く思考した上で、戦略をデザインするのだ。

江尻僕はよく、「地図」という言葉を使っています。地図を描くためには、プロダクトのデザイン、組織のデザイン、パートナーとの提携のデザイン、さらにそれを実現させるためのコミュニケーションなどさまざまなものをデザインすることが必要です。そしてその地図が、ステークホルダーの誰にとっても「なるほど」という納得感のあるものになっていること、メリットが感じられるものであることが、最初の一歩だと思います。

ここで大事なのが、「二律背反的なものを同時に考える」こと。抽象と具体はもちろんのこと、ほかにも長期と短期、あるいは論理と感情など。こうした相反するものの間を行き来しながら、考え抜いて、1つのデザインに昇華していく。なぜか?そうしないと、立体的に答えが出ないからですよ。納得感が生まれません。

スタートアップや新規事業に関わっていると、「0→1が得意だ」「自分は1→10に向いている」「いや自分は10→100だ」みたいな話をよく聞きますよね。そういう考え方が必要な場面もあるのかもしれませんが、僕らの場合は、「0→1するときも、100になることを考えながら設計しようぜ」という考え方をします。いずれ100になるのだから、0→1のときに本質まで掘り下げて徹底的に考え抜いて、100になった時にもぶれない「幹」をつくることが重要というわけです。

提携を結ぶときも、それをすることによってもたらされる「エンドユーザーにとっての価値とは」「パートナーにとっての価値とは」「ビットキーにとっての価値とは」という3点を同時に考えていく。

この価値をいかに「デザイン」するか。江尻氏だけが考えているわけではなく、ビットキーのメンバーの多くがこの考え方にこだわり、鍛え続けているのだという。

江尻最終的にもたらす価値に目が向いているので、そこを考える時に、プロダクトサイドとかビジネスサイドとかの区分けはなくて、みんながどちらのことも考える。そこが面白いところです。

そしてもちろん、デザインされた戦略に固執していくわけでもない。「スタートアップだから当然」と改めて前置きした上で語る。

江尻デザインした地図があるからこそ、寄り道や脱線、先ほどの「幹」という表現に即して言えば「枝葉」に当たる打ち手も無駄なく選択していけます。僕らがよく使う言葉に、「計画性と偶発性」というものがあります。スタートアップである以上は常に世界の変化に対応していかなければなりませんが、一方で、しっかりと計画性を持っているからこそ、変化に際しての偶発性を楽しめる、楽しんで変化していけるのだと思っています。

教科書のように「スタートアップはこうあるべき」と語る本や記事が増えてきていますが、僕らはそうしたものを理解しつつも縛られないようにしています。結果論ともいえますが、むしろ逆行するような選択も必要に応じてとってきたことが、ここまで一定程度順調に進んできた要因でしょうね。

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資金調達、注目すべきは“額の大きさ”だけじゃない

戦略の組み方はなんとなく理解できたが、「本当にできるのか?」という疑問を持つ読者もいることだろう。そこで、ここでも具体論に振り切ってみよう。デザインされた戦略に基づき、どのような打ち手をとってきたのだろうか。特に他のスタートアップとの違いがわかりやすく感じられる「資金調達」を例に聞いてみた。

スタートアップ周辺では「どこのスタートアップが○億円の資金調達をした」ということが度々話題になる。その調達額の多寡をもって、企業や経営者を値踏みする風潮があるのは否めないところだ。ビットキーも直近2021年6月に約32億円超の資金調達を発表し、累計調達額は90億円以上にのぼる。しかも、創業からわずか3年未満で、この大型調達を進めているスピード感に、社外からの注目は集まっている。

しかし、生み出す「価値」にピンを留めているビットキーにとっては、資金調達もそこへ向けた手段の1つであり、デザインの対象であるのだという。

江尻資金調達は、その“額の大きさ”だけを見ていては、ビジネスの本質を見誤ります。投資家の方々と「事業価値、社会的な価値をどうやって一緒に創造していけるか」にこだわって、お話をさせていただいています。現在、一緒にビジネスを推進する事業会社さんと資本業務提携する形で、その相手方となるパートナーから出資いただくかたちを優先的にとろうとしています。

具体的には、3つの観点があります。一つはもちろん、資金的な支援をいただく「投資家」としての観点。これ以外にも、われわれのプロダクトやサービスを利用していただく「ユーザー」としての観点、また、われわれの技術を活用して共同プロダクト開発をしたり、これらを一緒に市場に広めていく「アライアンスパートナー」としての観点があります。これらの多層的な提携によって、単なる資金調達のみならず、この提携により、投資してくださった企業さんの事業価値が、そして、わたしたちのプロダクトの社会的な価値が高められる。

資金調達を伴う業務提携の相手企業には錚々たる顔ぶれが並ぶ。先に述べたPLTや東京建物のほか、パナソニック、オカムラなどだ。

江尻資金が絡まないかたちでも、佐川急便といった大手企業さんや、官公庁さんとのアライアンスや実証実験を多く動かしています。例えば甲子園球場で行っているのは、観客が入場の際に顔認証を活用することを目指した実証実験。これらも、アライアンスによって得られるものを明確に意図して行っているものであり、資金調達が伴っても伴わなくても、本質的には同じ取り組みなのです。

スタートアップでよく聞くのは「運営資金面で不安がある」というタイミングでの資金調達ですよね。でも、ここまでの僕らの調達はそういうタイミングのものではありません。「資金に困っていない」と言えばさすがに言い過ぎですが、それよりも重視しているのがここまでに述べた「ビジネスチャンスの獲得や拡大」なんです。

合わせて気になるのが、こうした資金調達や業務提携に際して提案する「価値」をどのように検討しているのか、という点だ。これに関しても、独特のスタイルを示す。

江尻新規事業を検討する際によくあるのが、「ある特定の領域において、困っているという“ペイン”を起点にする」という考え方ですよね。うちではそういった話題を、まず出しません。

マイナスを打ち消し、ゼロにしていくような課題解決のサービスももちろん大事ですし、事業として成り立たせるための重要な要素でしょう。しかし、そうしたきっかけばかりに固執してしまうと、大きな地図は描きにくいのではないかと思うんです。

先ほどから言及している「価値」と「体験」とは、圧倒的に新しいという“プラス”の概念でなければなりません。今よりも安全で、便利で、快適な生活を実現するという”プラス”の価値と体験を徹底して考え、実現させる。この考え方を創業時から意識しています。

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アウトプットし続けることが「学び」のカギ

江尻氏の言う「デザイン」に倣うような形で、この記事でも抽象論と具体論を行き来してみた。あなたの「スタートアップの戦略」の読み解き方に、新たな感覚が芽生え始めたのではないだろうか。

しかし中には、こうした疑問が浮かぶ読者もいるかもしれない。「納得感はあるが、とはいえ理想論ともいえる。そもそもこの江尻氏は何者なのか」と。確かにこうした起業戦略を語るのは、世間では連続起業家やベンチャーキャピタリストといった肩書きの人物が多い。

江尻氏はそうした経歴の持ち主ではない。大学では建築とデザインを専攻しつつ、リンクアンドモチベーショングループとワークスアプリケーションズでコンサルタントとして活躍した後、ワークス社の資金調達や先端技術研究などにも関わった。一貫しているのは「上流の戦略を緻密に組み、実行まで進める“プロジェクトマネジメント”」だという。

そんな江尻氏についてメンバーは「学びへの意欲が半端ではない」と語る。この点について尋ねると、想起されやすい努力や義務といった意識はないのだと答えた。「学ぼう」と意識して本を読んだり人に会って話を聞いたりということはないのだ。

江尻僕はたぶん、普通の人よりインプット量もアウトプット量も多いタイプの経営者だとは思います。

例えばアートや音楽のように、教養や前提知識がないとそもそも面白さがわからない領域ってありますよね。それはビジネスも含め、実は他の領域にも言えることで、何かを学んでしっかり身につけて初めて見えてくる景色がある。僕は、そうやって自分がその領域を専門家と同じくらい楽しめたり、扱えたりすることに至上の喜びを感じるんです。

シンプルに、面白いからやっている。興味を持った対象を扱えた先に見える景色を面白そうだと思うから、自然にやってみるし、気がつくと身についている。

しかも江尻氏の場合は、興味の対象となる領域が尋常でなく多岐にわたり、かつそれぞれの領域が深い広がりを持つものである。聞くと、自分で料理もするし、ワインを楽しんで飲んでいるうちに1万種類以上のワインを飲み、ソムリエ資格を取得するまでになっている。

「面白い」「楽しい」を求めているだけで、「役に立つから学ぶ」「必要だから学ぶ」意識はない。でも逆説的に、「これに打ち勝てる学習の仕方ってないんじゃないかな」とも江尻氏は話す。

大型案件の提案やプロダクトのUIデザイン、事業計画やKPI設計、株主総会で使用するスライドに至るまで、営業も、プロダクト開発も、ファイナンスも、現場のメンバーとディスカッションをしつつ、自ら手を動かして、フォーマットを考えたり、資料を作ったりすることも多いのだという。

江尻アウトプットがものすごく好きなんですね。楽しいからやっているし、単純に面白いからキャッチアップして、自ら手を動かしてアウトプットしていく。そういうことを十数年も本気でやり続けてきたというだけの話であって、自分をすごいと思っているわけではないし、世の中の人と比べてスーパーマンかというと全然そんなことはないです。

ただ、専門家と話ができるレベルまで知識を得たり、その手前くらいレベルまでは自分でアウトプットできるようにする道を100も200も持っていて、それを組み合わせて、価値をデザインしたり、クレイジーな結果を生むような実行をみんなでやれるところは、自分のバリューとしてひとつ大きいところかなとは思っていますけどね。

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「デザイン」で大切なのは「意志」

個性を存分に発揮して経営していることがよくわかる。しかし、あまりに強い個性を見ると、社内メンバーとの関係性やコミュニケーションが気になるところだ。具体と抽象を行き来し、本質まで掘り下げて考える「思考」は、江尻氏だけがしているのではなく、全メンバーがやっているというが、既存のメンバーも新規のメンバーも、どこまで同じようにできるのだろうかという疑問も浮かぶ。この点についても率直に聞いた。

江尻シニアのポジションが挑める「抽象と具体の行き来」と、ジュニアの人が考えられる「抽象と具体の行き来」は、大きさが全然違うし、対象物も違うので、それぞれのレベルに合わせたマネジメントをすべきだと思っています。

僕はよくサッカーに例えています。ヨーロッパのトップリーグのプレーヤー個々人が持つ自由度、プロフェッショナリティ、イマジネーションは当然、すごく高いものですよね。一方、言い方が悪いかもしれませんが、日本の高校サッカーも面白いけれども、トップリーグとはやはり別で、そこでのトレーニングや目標値は違うものです。

でも、キャリアや年齢によってレベルは違っても、「エクセレントな試合しようぜ!」という気持ちだけはそれぞれのステージで「Yes」なはずですよね。そこが違っていないことが重要だと思っています。こうした思想に基づく仕事への向き合い方を、社内では「ハイスタンダード」と表現しています。つまり、一人ひとりそれぞれに高い基準を設け、全力を尽くしていこう、という事です。

もう1つ、懸念を感じた。江尻氏が何でもものすごいスピードでキャッチアップしてしまい、多くのことに関わってしまうがゆえに、トップダウン型の組織になったりはしないのだろうか。

江尻さっきも話したように、僕が世の中の人と比べてスーパーマンかというと全然そんなことはないんですけど。ただ、「今のビットキーでは」と限定すると、あらゆるシーンや職種、ミッションに対して、少なくともメンバーの専門分野以外では、たぶん一番頼りにしてもらえていると思います。

そういう意味では、僕に聞きに来る人はもちろん居てくれるんですけど、自分なりに考えた上で「相談」しに来るか、はじめから「答え」を聞きに来るかが、組織づくりの最大のポイントだと思っています。

どんな組織でも交わされる議論だと思いますが、ホントに何も考えずに答えを求めるような極端な人こそいないとはいえ、後者に寄らないようにすることが大事で、めちゃくちゃ考えてます。僕はよく「意志」という言葉を使っていますが、少なくとも「どうしたいのか」がないとコミュニケーションにならないですよね。人によっては、意志を求められることは結構しんどいです。転職直後は特に。でもやっぱり、意志を持って仕事ができる人に、仲間になってほしいと思っています。

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誰もが「価値」をデザインすべき

江尻会社をやっている根っこにあるのは、瞬間の面白さを求めたいわけではなくて、本質的な楽しさ・面白さに対して素直にいたいということ。どんなものに僕らが興味を持ったとしても、それがエンドユーザーにとって価値が最大化する限り、やったら楽しいじゃないですか。お金のためにやるだけなら、楽しくないですけど。

われわれにとってメリットがあって、相対するパートナーさんも喜んで、ユーザーの生活や働き方を良い方向に変えるかもしれないインパクトのあるものを考えられたら、それだけで純粋に幸せだし、楽しい。

それは、組織論においてもそうで、ただ数字を上げてる人よりも、価値をデザインしている人、価値を生み出している人が評価されて、もっと自由に働ける環境の方が楽しいんですよ。

本質的なことを考えながら、でもそれを変に気取らずに、素直に楽しめる環境や状況を生み出し続けたいなっていうのが、僕の会社を存続させる意味であり、意義です。

ここまでいろいろな話を聞いて気づくのは、突き詰めると「面白いから」「楽しいから」やっているという江尻氏のスタンスである。これは、決してイージーなほうへ流れるわけではなく、むしろ「わかりにくいこと」「難しいこと」に挑み続けるこだわりの表れだ。

江尻社外の人から「何をしている企業なのかわかりにくい」と言われることもありますが、僕にとっては「誉め言葉です」みたいな(笑)。確かに抽象的な面ばかり外向きには出てしまっているので改善の余地はあると思いますが、起業ではわかりやすいことをやればいいというわけでもないですし、わかりやすいことをやっていくだけでは楽しみ続けられません。

そうではなく、本質に向き合って禅問答のような問いに答えを出したり、デザインをしていくことそのものが、わかりにくさも孕んだ「面白さ」なんです。

でも、こういう考え方って、ビジネス現場で常に評価されるわけではないですし、考えても答えが見つけられない可能性もあるから不安だったり怖かったりして、普通は実践し続けることが難しい。だからみんな、世の中の常識なやり方や仕組みを模倣してしまう。ある意味、諦めちゃうわけですね。

でも僕らは、ゼロベースで考えることを一切諦めていない。

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「before / after Bitkey」のある世界を創る

それでは、ビットキーの現状に何か課題はあるのだろうか?「そんなものはない、計画通りにやっていくだけ」といった回答が出るかと期待したが、ここは意外にも苦笑いを見せて語り出した。

江尻それはやっぱり「人」なんです。もちろん頭数が揃えばいいわけではなくて、僕らのビジョンやミッションを信じられて、かつ学習し続けられて、価値を生み出すために横断的に動ける人。そういう人に仲間になってもらうことが課題です。

なぜかというと、世の中の期待や、顧客・パートナーからの期待が、現状の僕らで対応できる限界よりもずっと大きいから。だから、仲間を集め続けない限り期待を上回ることが難しい。もちろん計画して予測してはいましたが、特に難しい部分ですね。

うちに入ってやれることは、本当に多岐に渡ります。ニーズを基にアイデアを出し、製品化し、提供して価値を発揮させ、さまざまに汎用化させる。ここまでまさに“一気通貫”で手掛けようとする企業は、現代ではなかなかないですよね。

AppleにとってのiPhoneや、Googleにとっての検索エンジンがそうであるように、世界のパラダイムを変えて、「before iPhone」「after Google」と時代が語られるようなエポックメイキングなプロダクトとそれによる価値や体験を、本当に人生を懸けて、いくつも生み出していこうとしているのが僕らビットキーという会社です。

「Appleのような企業を目指す」「Googleを超える企業になる」と語る起業家の存在自体は、もはや珍しくない。しかし、その未来の姿を緻密にデザインし、逆算と積み上げを重ねて驚くべきスピードで突き進む例は決して多くない。江尻氏の言葉に期待を抱き、ジョインや提携を検討する人が多いのは、こうした理由からだろう。

江尻創業から数年のスタートアップとして見れば、現在の200人という組織規模は大きく、ある程度“出来上がった”組織に見えるかもしれません。でも、思想や価値提供の仕方は違っても、AppleやGoogleのような存在を見据えている僕らからすると、まだ全然小さいし、穴だらけだし、足りないパーツだらけだと思っています。だから、今テックジャイアントと呼ばれる企業が200人規模だったときをイメージして、今のビットキーを重ねてみてほしいです。

そう考えると、組織が“出来上がっている”なんてことはありえないんです。この状態に飛び込んでもらえたら、事業自体も任せたいし、事業における重要な役割だってどんどん任せていきたい。コーポレートのファンクションにおいても人が足りていないので、権限委譲して任せていきたい。いい仲間が増えれば、打てる打ち手や取れるマーケット、生み出せる価値の桁が変わってくると思っています。

ここまで読みつつも、まだ「理想論だ」と言いたくなる読者も中にはいるだろう。確かに、そうした想いが取材陣一人ひとりの胸に浮かんだのも事実である。しかしインタビューの最後に思い切って尋ねてみると、変わらず無邪気な様子でまくしたてるのだった。

江尻そうなんです。みんな、こういうスタートアップの姿は理想形だけど、無理でしょ、って諦めちゃっている。僕はそう感じています。

でも、だからこそ僕は、僕らは諦めたくない。この方向で頑張り続けることが、間違いなく新たな価値を世の中に生み出していける。すでに僕らは、このことをいくらか証明できていますし、そのことが何より楽しいんですよ。だから、諦めずに突き進みますよ。

こちらの記事は2021年07月28日に公開しており、
記載されている情報が異なる場合がございます。

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執筆

畑邊 康浩

写真

藤田 慎一郎

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