連載パナソニックが提唱するミッションドリブン 〜人生100年時代の新・キャリア戦略〜

「周囲の言うことに耳を傾けすぎないで」
出産、転職も経験した
パナソニックのマーケティング責任者とカムバック社員が投げかける
これからの未来を担う世代へのメッセージ

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インタビュイー
山口 有希子
  • パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 常務 エンタープライズマーケティング本部 本部長 

新卒でリクルートコスモスに入社し、シスコやヤフー、日本アイ・ビー・エムと、国内外の企業で要職を歴任し、BtoBマーケティング業界を牽引。2017年12月より現職。

太田 治子
  • パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 エンタープライズマーケティング本部 

学生時代にAIESECで海外インターン事業に従事。留学を経て、新卒でパナソニックに入社。2015年に一度、外資系メーカーへ転職した後、2019年2月にパナソニックに出戻り入社し、コネクティッドソリューションズ社にてコンテンツマーケティングを担当。

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「将来やりたいことがない」「何者かにならなければ」…。やりたい仕事も将来のビジョンも定まっていない読者のなかには、焦りを感じている人もいるかもしれない。

しかし、パナソニック株式会社コネクティッドソリューションズ社常務の山口有希子氏と、同社 エンタープライズマーケティング本部の太田治子氏は、「20代のうちはやりたいことが明確に見えなくて当たり前。焦る必要はない」と口を揃える。

山口氏は新卒でリクルートコスモスに入社し、シスコやヤフー、日本アイ・ビー・エムと国内外の企業で要職を歴任してきた。

太田氏は学生時代にAIESECで海外インターン事業に従事。留学を経て、新卒でパナソニックに入社。2015年に一度、外資系メーカーへ転職した。そして2019年にパナソニックに再び戻ってきたカムバック社員である。

両者の経歴だけをみると、「グローバル志向のキャリアウーマン。自分とは別世界の人」といったイメージが湧いてしまうだろう。ただ、彼女たちは決して特別な人たちではない。人並みに悩み、もがきながら、キャリアを歩んできたのだ。

「学生時代は明確にやりたいことが見つからなかった」「様々な経験をしてはじめて、好きな仕事が見つかった」──2人のキャリアを紐解くと、目の前の仕事やライフイベントに一生懸命向き合っていくことで、自分なりのミッションが形作られていった過程が浮かび上がった。

  • TEXT BY YUKO TAKANO
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
  • EDIT BY MASAKI KOIKE
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派遣社員も、職業訓練校も経験。20代は「とにかくチャレンジ」

国内外でマーケターとして活躍し、子育ても両立する山口氏と太田氏。「自分とは別世界の人」と感じてしまっても無理はない。しかし、決して順風満帆なキャリアを歩んできたわけではないという。学生時代を振り返り、「その当時からやりたいことが明確にあるわけではなかった」と口を揃える。

山口氏は20代のとき、一度、仕事を辞めた。失業手当をもらいながら職業訓練校に通ったり、派遣社員として働いていた時期もあった。「当時は自分が何者かがわからず、つらかった」と話すが、すべてが後の人生のプラスになる経験だったという。

パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 常務
エンタープライズマーケティング本部 本部長 山口有希子氏

山口就職する前からやりたいことが明確にわかっていたら、苦労しませんよ(笑)。20代のまだ経験値が少ない段階で、自分に合う仕事を無理に決める必要はないと思います。

「30代になるまでに、自分に合う仕事が見つかればいい」くらいに考えても良いのではないでしょうか。悩むのではなく、様々なチャレンジをしてみる。「ベンチャーだからこう」「大手だからこう」と、先入観で決めつけてしまい、試さないのはもったいないと感じます。どんなことでも、チャレンジした経験すべてが学びになりますから。

パナソニック株式会社 コネクティッドソリューションズ社 エンタープライズマーケティング本部 太田治子氏

太田私も同感です。直感を信じ、とにかく行動してみることが一番です。悩むくらいなら、どんどん行動してみてほしい。自分が興味のあること、良いと思うことだったら、とりあえずなんでもやってみて、合わなければ方向転換すれば良い。実際、私もこの10年で2回キャリアの方針を変えてきました。

一度、パナソニックを退職し外資系メーカーに転職したことで、新たな視点を持つことができました。外に出たからこそ気付けたパナソニックの良さや課題はもちろんのこと、自分でも気付けていなかった、自分が大切にしたい価値観に気付くことができました。実際に経験することで、自分の価値観や「やりたいこと」がより具体的に見えてくるように思います。

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「やりたいこと」が見つからなかった、学生時代

では、両氏はどのようにキャリアを歩んできたのか。

山口氏は、国内外の大手企業でマーケティング関連の要職を歴任し、BtoBマーケティング業界を牽引してきた。そんな同氏でも、ファーストキャリアの判断軸は、ごくありふれたものだったという。

山口私は、新卒でリクルートコスモスに入社しました。当時の会社選びの軸は、「給料が良くて自立できる」「男女差別がない」の2つでした。私が就職をする頃はまだ「男性は総合職、女性は一般職」といった考えが主流でした。この2点を満たしてさえいれば、どんな仕事でも頑張ろうと思っていました。

正直に言うと「自分が本当にやりたいこと」なんて分からなかったです。当時はインターネットも発達しておらず、会社を知る術も限られていました。会社の良し悪しを判断する指標は日経の人気企業ランキングぐらいしかありませんでした。だから、「日経のランキングに入っている大企業に入っておけば、とりあえず安泰」と思っていました。

一方の太田氏も経歴を見れば、「グローバル」「マーケティング」という明確な軸を学生時代から持ってキャリアを歩んできた特別な人だと思う人もいるだろう。

しかし、実際は学生のうちに明確なキャリアの軸は定められなかったという。

太田高校までは田舎の閉鎖的な環境で、部活ばかりの毎日でした。

その反動で、大学では「とにかく様々な世界を知りたい!」と思っていました。学生団体のAIESECで活動したり、家庭教師のアルバイト、代議士のサポート、さらには携帯電話の販売員もしていました。

その他には発展途上国に関して興味がありました。だから、発展経済のゼミに所属し、発展途上国を支援するコンサル企業で秘書業務のアルバイトをしたり…本当に何でも「おもしろそう」と思ったものはトライしました。

そんな大学生活の中で最も私の好奇心を刺激したのは、シアトルへの留学です。大学3年生から1年間、留学していましたがここでの経験から私のミッションの種が生まれたような気がします。

留学中、日本人の性格やカルチャーってすごく素敵な部分もあるけれど勿体ない部分もあると感じていました。例えば、日本以外の国から来ている留学生と交流するとき、空気を読んで遠慮がちになり発言機会を逃したり、文法が合っているかということに対して不安になって考えている間に会話が先に進んでしまう…なんてことは日常茶飯事でした。けれど実際のところ、英語のテストなどではスコアが日本以外の国から来ている留学生より比較的高いんです。

何を伝えたかったのかというと、せっかく日本、日本人が良いものを持っていてもグローバル視点で伝えることが上手ではなく、このままでは様々な機会損失をしていってしまう危機感を持ったということです。また同時に、海外に住むことで今までは当たり前だと思っていたサービスやプロダクトのレベルの高さ、安全性など日本の素晴らしさを再認識しました。

この経験から「日本の魅力を海外に伝えられる役割」を担える仕事に就きたいと思うようになりました。

実際の就職活動の時はこの軸ともう2軸。自分の時間をコミットする価値があるブランドなのかという観点から「自分が信頼を寄せられるブランドであること」という軸。もう一つは10年後、20年後、自分自身がどのような働き方をしたいと思っているのかは分からないけれど、自分のキャリアの可能性を広げられる場なのかという観点から「女性が活躍している企業であること」という軸を加えて就職先を探していました。

私はその3軸で就職活動を行い、縁があったのがパナソニックでした。

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偶然の積み重ねでトップマーケターに。そして気付いた「働くこととは、生きること」という価値観

では、2人はどのようにして自分なりのミッションの種を見つけ、育ててきたのか。

まずは山口氏。彼女がマーケティングに携わるようになったのは、小さな偶然の積み重ねだった。その「偶然」をたゆまぬ努力によって「機会」へと転換し、トップマーケターと言われるまでになった。

山口正直に言うと、「マーケティングしかやりたくない」と思ったことはありません(笑)。初めてマーケティングに関わったのは、2社目のときです。そこまで大きな組織規模の会社ではなかったので、必要なことは「何でもやる」状況。海外事業から新規事業開発、海外製品の国内販売まで幅広く対応していました。そんな中で偶然、イベントや広告、PRなどのマーケティングにも取り組むようになりました。

山口氏は当時を振り返り、「もしかしたら営業をやっていたかもしれないし、企画系の仕事についていたかもしれない」と語る。目の前の仕事と全力で向き合い続けるなかで、自然と後に繋がるキャリアの道筋が拓かれていったのだ。

転機は、マーケティング担当として参加したイベントだった。

山口出展ブースに1人の海外の方が訪ねてきて、様々な質問を私に投げかけてきました。一生懸命、英語で説明しました。すると、実はその人はヘッドハンターで、「外資系企業でマーケティングをやってみないか」と声を掛けられたんです。

この誘いを契機に、山口氏はマーケティングのスペシャリストとしての道を歩み始める。シスコでは、出産と育児を経験しながら、とにかくパフォーマンスを追求し続けた。その活躍が評価されると、さらに別の企業から声がかかるようになる。縁を1つ1つ大切にしながらヤフー、日本アイ・ビー・エムと、挑戦の環境を変えていった。仕事内容としては一貫してマーケティングに従事し、プロフェッショナルとしてのキャリアを歩んでいった。

日本アイ・ビー・エムでBtoBマーケティングを担当していた頃に、ぼんやりとだが「キャリアの最後は、これまで外資系企業で得た知見で日本企業に貢献したい」と考えるようになったそうだ。とはいえ、すぐに転職しようとは考えていなかったという。そんな折、マイクロソフトから「出戻った」樋口社長による経営改革(以下、樋口改革)が始まったばかりのパナソニックと出会う。

山口「パナソニックには技術力・製品力はあるものの、マーケティング力が不足している。だからこそマーケティングのプロフェッショナルが必要だ」と言っていただけました。

パナソニックコネクティッドソリューションズ(CNS)社長の樋口や人事責任者、戦略責任者と話をしていると、パナソニックが大きく変わろうとしている空気をひしひしと感じました。古い慣習を捨て、スピード感を持って改革を進めようとしているな、と。

このとき、山口氏は改めて「何の為に働くのか」という働く理由を自分自身に問い直した。いうまでもなく、彼女であれば様々な選択肢が提示されていたはずだ。労働環境、賃金、地位、ネームバリューなどなど。様々な選択軸がある中で、山口氏は「自身の価値観」を大切にすべきであると考えた。

山口様々な経験をしてきて感じるのは、「働き方は生き方」ということです。先ほどもお話しましたが、20代の頃は「とにかく給料が良くて稼げる会社がいい」という価値観を持っていました。しかし今は、「社会的意義のある仕事かどうか」「自分のスキルをどう活かせるか」を重視するように変わってきました。

「働くこととは、生きること」。ライフステージによって価値観や大切にしたいことは変わって当たり前。その時々の価値観に合った仕事をする。自分の価値観に素直になって選ぼうと考えました。

そこで、山口氏が「社会的意義のある仕事かどうか」「自分のスキルをどう活かせるか」という2つの軸に加えて転職先に求めたことは「会社が掲げるミッションと自分の想いが適合するかどうか」だった。

山口社長に就任した樋口が目指そうとしている、パナソニックのミッションに共感したんです。私のミッションとも同じだと。パナソニックコネクティッドソリューションズ(CNS)社長の樋口が目指そうとしているミッションを、マーケティングという手段を用いて、社内外にもっと浸透させたい。

たとえサービスやプロダクトが変わっても、根幹にある企業理念をベースにした企業改革に関われたら、これ以上幸せなことはないと考え、今の仕事を選びました。

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理想と現実のギャップに悩み、退職。それでも「パナソニックに戻りたい」と思ったきっかけは、日本ブランドへの愛着

一方の太田氏は、新卒入社時に「日本の魅力を海外に伝えられる役割」を担える仕事というキャリアの方向性は定まっていたものの、なかなか思い通りの社会人生活を送ることができず、もがいていた。

最初の配属先はバリバリの国内マーケティング部門。その中で最前線の営業や、営業企画、商品企画を経験し、やりがいは感じていたものの、入社当初から希望していたグローバル部門への異動はなかなか叶わなかった。

太田入社4年目ごろになると、「このままだとグローバル関連の仕事にまだしばらくは就けそうにもないのでは」と焦りを感じるようになりました。そこで、グローバル事業部への異動希望を記載したところ、すぐに異動が決まりました。

念願の海外事業部。ASEAN6カ国の販売促進、管理、商談会のディレクションなどを担当。日本から遠隔ではあるがグローバルの仕事に携わることができ、これで理想通りの日々を送れる──そう思っていた。

しかし、そこには別の壁が立ちはだかる。ASEAN6カ国分の業務を上司と2人でこなす仕事は、多忙を極めた。想像以上の激務が続く中、徐々に違和感が強くなっていったという。

太田希望通り異動させてもらえたことは感謝していますし、何よりも仕事そのものは、本当に楽しく、充実していました。出張ベースではありますが現地に赴き、ASEANの販売会社メンバーに新製品のトレーニングをしたり、お客様に商品の良さを実感してもらうために、その地域では実施したことないような実演も各国で展開しました。

日本とのカルチャーの違いから、各国の現地社員とスムーズなコミュニケーションを取るだけでも大変で、試行錯誤していました。そうして他国のカルチャーを尊重することの重要性も知りながら、少しずつグローバルのマーケターとしての力をつけている実感がありました。

ただ、働き方に対する価値観だけが合いませんでした。これは、異動してこの働き方をやってみて初めて気付けた自分の大切にしたい価値観でした。非常に優秀で尊敬出来る先輩方に囲まれて働けること自体は幸せでしたが、当時はグローバルでの競争が激化するなかシェアが伸び悩み、それを挽回するためとにかく盲目的に働くカルチャーがありました。

もちろん今ではそういったカルチャーはありません。ただ、当時は私が所属していたチームは私以外、体育会出身の男性社員ばかり。体力では敵うはずもありません。「仕事も頑張りたいけれど、結婚も出産もしたいし、この働き方を続けるのは無理だ」と思っていました。

そんな折、念願の海外駐在のオファーが舞い込む。より自分の理想に近づけるチャンスだった。しかし、プライベートでは結婚の話も出ており、このままの働き方を続ける自信もなく、素直に飛び込むべきか太田氏は悩みに悩んだ。

結果、「海外駐在は違和感を持ったまま挑戦できるような仕事ではない。より自分にあった環境で、自己成長出来る仕事はもっと他にあるのではないか?一度外に出てみてもいいかもしれない」と、駐在のオファーを断り転職を決意。転職先の選択基準は自分の強みの1つである「英語のスキルを活かせること」と、「デジタルマーケティングを学べること」の2軸に絞った。

太田転職にあたっては、今までの仕事の延長ではなく、改めて自分のやりたいこと、今後のキャリアを見据えて身につけるべきスキルを整理してみました。その結果、学生時代から興味のあったマーケティングにチャレンジしたい気持ちが強くなりました。特に、今後確実に主流となるデジタルマーケティングができる場所を探しました。

この二軸で企業を探した結果、ドイツ発祥の浄水器メーカーBRITA Japanへ入社。ドイツ企業の文化は新鮮で刺激的だったという。

太田転職した当時は驚きの連続でした。とにかく、ロジカルでスピーディー。あらゆることを数値化し、その数値を基準にプランニング、実行、評価します。全員が費用対効果を常に意識し、不要だと判断されたことはすぐに廃止されます。逆に必要なことに対するスピードも速く、1日で稟議が下りて翌日からすぐに始めるなんてことはよくあることでした。評価が明確なので、それがそのまま給与に反映される。イメージ通りの外資系企業でした。

また、多様なバックグラウンドのメンバーと仕事をすることも大きな学びになりました。チームメンバーは全員キャリア入社者でしたし、日本以外の国籍の方も沢山いたので、ほぼ全員が異なるキャリアを歩んで入社しており、とにかくシンプルにわかりやすく伝えることを意識していました。多様なバックグラウンドの人たちと働く大変さも経験しましたが、逆にそこから生まれる価値も感じることができました。

パナソニックで培った「社会人として、マーケターとしての基礎力」があったからこそBRITAでの仕事に食らいついていけたなと思っています。松下幸之助創業者の「ものを作るまえに、人をつくる」という言葉に表現されるように、上司だけでなく私に関わる方々全員で育ててくださったことは本当に感謝しています。

新入社員研修では、製造~販売までの一連の流れを実際に経験させてもらいどのように製品がお客さまに届くのか体感値を持って学べました。その後、商品トレーニング、営業商務、販促担当、商品企画と職種面でも、お客様面でも国内市場海外市場の両方を経験する機会をいただき、マーケターとしての基礎力を築くことが出来ました。その経験に基づく分析や考察の深さをBRITAでは評価してもらえました。

そして、BRITAでのキャリアが3年経とうとしている頃、次のキャリア選択を決定づけることになる、ある悩みも沸き起こってきた。

太田それは、日本のブランドや日本製品に対する「愛着・信頼」です。BRITAでの仕事は本当に充実していました。しかし、段々と学生時代に芽生えた「日本の魅力を海外に伝えられる役割」を担う仕事をしたいと思っていた気持ちと、パナソニックで実感した「日本らしい、日本のものづくりの素晴らしさ」を海外へ届ける仕事の尊さへの想いが強くなっていきました。

私にとって、日本ブランドに対する愛着・信頼度とそのブランドを海外へ届けることが働く上で大切なんだと改めて気付きました。

パナソニックを退職し、全くカルチャーも異なる外資系企業に転職してからこそ気付けた自分の気持ちでした。BRITAは素晴らしい企業でしたが、パナソニック時代にはあった「心の奥底から湧き上がるようなブランドへの愛」を持てなかった。そのギャップに、少しだけ違和感を覚えました。

悶々としていた折に、転機が訪れる。パナソニックで、樋口改革がスタートしたのだ。傍から見ていても「新時代に向けて大きく変わろうとしている」と思え、パナソニックへの関心がより強くなっていった。

さらに、縁あって実現したパナソニック社員との面談が太田氏の気持ちを動かした。

太田1時間の予定だった面談で、2時間みっちり話すことができました。チームのミッション、スキルチェック、パナソニックの今後の在り方などを話していただいて、会話が全く途切れませんでした。

こちらが驚くぐらいのパワーと情熱を感じました。その後に設定いただいた山口さんとの面談でも、ミッション実現に向けた方向性をお話しいただき、強く共感しました。

BRITAに転職して、約4年弱。「再び戻るには早すぎるのではないか」という懸念もありました。

しかし、変わろうとしているパナソニック、大好きな日本ブランドのもとで働きたいという湧き上がる想いを抑えることができず、パナソニックに戻る決意をしました。

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周囲の言葉を鵜呑みにするな、心の機微に敏感であれ

両氏とも、「会社のミッションに共感すること」がキャリアを変えるきっかけとなっていた。ミッションへの共感は行動にも変化を及ぼすと山口氏は考える。

山口「やらされ仕事」がなくなります。ミッションに共感していれば、自分の価値観に沿って働くだけで、自然と会社にも利益がもたらされる状況が生まれます。「やらされていること」が、「自分がやりたいこと」へ転換されるイメージです。

全員が自分の価値観を大事にして、能動的に仕事に取り組めるようなカルチャー、多様性を大切にするというパナソニックのカルチャーを作る──それが、いまの私の役割です。

ミッション共感にもとづいて働くために、男女は関係ない。「女性は出産や育児があるから、男性よりもキャリアに制限がある」といった不安を抱く読者もいるかもしれない。しかし山口氏は、「そういった固定観念で、自分自身にリミットを設けないでほしい」と言う。

山口私はシスコでマーケティングに従事し、多忙を極めていた時期に、出産と育児を経験しました。仕事と両立させるために、家事代行サービスや保育サービスなど、様々なツールを駆使して乗り切りました。

特に最近は働き方改革が進み、パナソニックを含め、子育てしながらでもキャリア形成しやすい環境が整備されてきています。そして、すんなりとはいかない子育てを経験したからこそ、マネジメント力が上達した実感もあります(笑)。日々、学びの連続です。子どもを産んで本当によかったなと思います。ですから、「女性だから」、「出産したいから」といって、自分でリミットを設けて選択肢を狭める必要はありません。

太田私も2年前に出産を経験し、子育ての真っ最中です。仕事も子どもと過ごす時間、どちらも大切だからこそもっともっと頑張りたいと欲張りになってしまいます。でも、母・妻・社会人として様々な役割が私にはありますが身体は一つですし、時間もみなさんと同じ1日24時間しかありません。そんな日々の中で、「なんでもっと出来ないんだろう…」と落ち込んだりする日々もあったりします。

でも、妊娠・出産は女性にしか出来ない役割ですが子育ては女性だけがやることではありません。父親でもある夫や家族と協力して行うべきです。

私自身、子育てをし始めた頃は1人で抱え込んでしまい、気持ちがいっぱいいっぱいになることもありました。しかし、夫に育児や家事に対する意識を変えてもらい、2人で協力することで仕事も育児も笑顔で頑張れています。

学生の方にとっては、子育てと仕事を両立するって想像もつかなく不安ばかりが先行するかもしれません。しかし、将来に対する不安に囚われて自分の可能性を狭めるのではなく広げる選択をしていってほしいと思います。

一歩進んでみて、課題に直面したら周囲の力も借りながら解決していく。絶対、なんとかなりますから。

考えすぎて動けなくなるなんてもったいないです。

両氏が力強く言い切れるのは、ここまで述べてきたように暗中模索しながらも、一歩ずつ着実に、自らのキャリアを切り拓いてきたからだろう。とはいえ、いくら彼女たちが「普通に悩んできた」ことに対して理解できたとしても、自ら一歩踏み出すことへの不安は残る。インタビューの最後にそうした不安を払拭すべく、学生に向けてのアドバイスを語ってもらった。

太田親や先生をはじめ、周りにいる先人たちは親身になって沢山アドバイスしてくれると思います。もちろん、そうした意見は尊重しつつも、最も重視すべきなのは自分の直感です。その方々が生きてきた時代とは環境が大きく変わっています。これからの未来をつくるのは、子どもたちの世代です。親世代の言うことを、鵜呑みにする必要はないと思います。

この言葉に、山口氏も深く頷きながら、言葉を続ける。

山口なんとなく感じる不安や違和感など、心の機微を見逃さないこと。ちょっとしたことであっても、「しょうがない」「我慢しよう」と諦めず、なぜそう感じるかをじっくり考えてみてください。

その些細な心の動きにこそ、自分の価値観が詰まっています。変化のスピードが増すいま、未来がどうなるかは誰にも分かりません。だからこそ、「自分がどうなりたいか」が大切になるはず。自分が「良い」と思うことに、とことんこだわってほしいと思います。

こちらの記事は2019年10月28日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

高野 優子

フリーの編集、ライター。Web制作会社、Webマーケティングツール開発会社でディレクターを担当後、フリーランスとして独立。

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藤田 慎一郎

編集

小池 真幸

編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。

デスクチェック

小山 和之

編集者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサル会社の編集ディレクター / PMを経て、weavingを創業。デザイン領域の情報発信支援・メディア運営・コンサルティング・コンテンツ制作を通し、デザインとビジネスの距離を近づける編集に従事する。デザインビジネスマガジン「designing」編集長。inquire所属。

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