INTERVIEW
西條 晋一
18-04-10-Tue

【#02 西條晋一】
伊藤忠商事からサイバーエージェントへ。
入社半年で子会社社長に就任

TEXT BY TOMOMI TAMURA
PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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サイバーエージェントで10社の子会社社長や取締役を歴任し、
現在はXTech、XTech Venturesの2社を創業。
同時にQrioの代表取締役、トライフォートの社外取締役も務める西條晋一氏。

まさに、「多動力」という言葉が当てはまる西條氏とは何者か。

全4話でその全貌を明かす。
第2話は、社会人になって最初の子会社社長に就任するまでを描く。

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商社で経験した為替ディーラー

西條伊藤忠商事に入社後、配属されたのは財務部でした。でも、僕はビジネスを知りたかったので、どうしても収益部門に行きたかった。当時は、最初に配属された部署からの異動はほぼ無かったのですが、財務部から派生してできた金融部門であれば可能性がありました。社内公募で熱い想いを伝えた結果、金融部門への異動が決定しました。配属されたのは、為替ディーラー。入社3年目のことです。

為替ディーラーの仕事は、とても肌に合っていました。為替の売買や為替予約、デリバティブ取引など、金融に関する知識が豊富に身につき、例えば「アメリカの雇用統計が発表されると為替はどう動くか」など、当時はプロの世界に入ってくる生の情報を得られることが楽しかった。

今はフィンテック分野での起業家はたくさんいますが、当時はそれほど金融ビジネスに新しいプレイヤーが出てこなかった時代。さまざまな知識を身につけるほど、「金融はインターネットとの相性が抜群にいいな。この分野での起業は面白いかもしれない」と思うようになりました。

それと同時期に入社4年目の終盤、海外駐在の順番が回ってくるタイミングが近づいてきました。海外駐在が決まってしまうと、起業がさらに遠くなるのは容易に想像できます。「そろそろ退職の意思決定をすべきかな」と思いながら電車に乗っていたら、偶然目にしたのが、IT企業の転職フェアの広告でした。

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サイバーエージェントとの出会い

日本で、インターネットの起業家が爆発的に生まれ始めたのは1990年代の半ば以降。当時は1999年で、数年の間に世界はめまぐるしく変わっていました。「僕もインターネットの分野なら起業できるかもしれない。IT企業に入りたい」と思い、転職フェアに行きました。

案内をしてくれたコンサルタントに、転職の条件として「将来起業する前提で入社したいから経営者に近い場所で新規事業ができること」「社長面接が必ずあること」という、2つを提示。すると紹介されたのが、サイバーエージェントを含む3社でした。

早速、サイバーエージェントの面接日を調整してもらい、藤田さんの面接を受けることに。すると、「為替ディーラーなんてやっている場合じゃない。内定を出すから、いつから来る?」と、5分もかからずに面接は終了。正直、ちゃんと自分のことみているか怪しいなと思いましたね(笑)。

一方で、藤田さんと僕は同じ年なのに、彼は社長で僕は社長になれていない。この違いは何なのか、解明したいと思い始めました。それに、求人広告には「子会社を1000社作る」と書いてあり、当時の従業員は40人程度だったので、本当に1000社作るならどう考えても子会社の社長になれるはず。

そんな単純な考えで(笑)、2000年の3月にサイバーエージェントへの入社を決めました。

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入社半年後に、子会社社長に就任

その後、ITバブルが崩壊してから2003年までは暗黒時代でした。2ちゃんねるやヤフー掲示板では藤田さんや会社が叩かれ、どんどん採用しても従業員が次々と辞めていく状態でしたね。

僕は、新規事業開発室ディレクターという肩書で入社したのですが、出社初日にパソコンの設定を終え、隣の人から話を聞くうちに、どうも僕以外に新規事業開発室の人がいないことに気付きました。一人部署だったんですよね(笑)。とりあえず一人でいくつもの新規事業を考え、提案を繰り返す日々を重ねましたが、まったくうまくいきませんでした。

1カ月が経ったころ、「調子はどう?」と藤田さん。「新規事業は難しいです」と答えると、「そうだよね。部署異動しようか、実務やった方がいいよ」と言われ、すぐにメディアの部署でアドネットワークの営業に異動することが決まりました。

異動すると、幸いにも近くの席にはたくさんの役員がいる環境でした。これはチャンスだと思い、初日から「社長をやりたい」とアピールをしまくりましたね。すると、異動して3ヶ月が経った頃に、メディア事業を子会社化する話があり、役員の一人が僕を推薦してくれて、子会社社長の就任が決まったのです。案外、「社長をやりたい」と声を挙げる人はいないので、記憶に残っていたのだと思います。

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働き続けることで不安を和らげていた

社長に就任したのはメールインという会社です。メールメディアのサービスで、サイバーエージェントが55%、グローバルメディアオンライン(現:GMOインターネット)が35%、オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)が10%の株主構成で、私以外の経営陣は藤田さん、熊谷正寿さん、堀江貴文さんといういま思えば起業の勉強に最高に贅沢な布陣でした。

経営会議で集まると、みんな好き放題言うのですが、「ここまで大胆に考えるのか、こういう考え方があるのか」と、短期間で一気に起業家マインドがインストールされましたね。

印象的だったのは、サービスを立ち上げる際のいさぎよさです。今のようにアドテクが発達していなかった時代なので、PV数やユーザー数が一定の規模のメディアにならないと、広告収入は見込めません。だから僕は、どこに広告を出稿すると効率よくユーザーを獲得できるかを考えていたのですが、藤田さんに言われたのは「いいから早く全部出稿して」でした。

多少、獲得効率が悪くても母数を集めることがスタートラインだったのです。メディアローンチ直後に億単位の高額の広告費を出すことに恐ろしさはありましたが、ドカンと出稿したことで、サービスが瞬く間に立ち上がりました。

初めてのビジネス、初めての社長。当時は不安しかなく、その不安を長く働くことで和らげようと、1年で休んだ日は10日くらいしか記憶にありません。すごく健康に悪い日々を送っていたと思います(笑)。

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[文]田村 朋美
[撮影]藤田 慎一郎

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