連載起業家ができるまで

やりたいことは全部やる。
いくつもの子会社社長を兼任

インタビュイー
西條 晋一

1996年に新卒で伊藤忠商事株式会社に入社。2000年に株式会社サイバーエージェントに入社。2004年取締役就任。2008年専務取締役COOに就任。国内外で複数の新規事業を手掛ける。2013年に数百億円規模のベンチャーキャピタルである株式会社WiLを共同創業。2018年、XTech株式会社、XTech Ventures株式会社の2社を創業、エキサイト株式会社をTOBで全株式取得し、完全子会社化。

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サイバーエージェントで10社の子会社社長や取締役を歴任し、現在はXTech、XTech Venturesの2社を創業。同時にQrioの代表取締役、トライフォートの社外取締役も務める西條晋一氏。

まさに、「多動力」という言葉が当てはまる西條氏とは何者か。全4話でその全貌を明かす。

第3話は、いくつもの子会社社長を兼任していた過去について語っていただいた。

  • TEXT BY TOMOMI TAMURA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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4ヶ月の休養を経て、再びサイバーエージェントへ

西條初めて社長に就任した、サイバーエージェントの子会社であるメールインという会社は、立ち上がって約1年後の2001年、GMOインターネットに買収されました。気づいたら僕は自動的にGMOインターネットの子会社社長になっていたんです(笑)。

GMOインターネットはサイバーエージェントとはまた違った素晴らしい組織で、マネジメント手法が大変刺激的で勉強になったのですが、起業の方向性からは遠ざかってしまうので引き継ぎ後に退職しました。

退職後は、起業が頭をよぎりましたが、それまでがあまりの激務だったので、少し休もうと、4ヶ月ほどシリコンバレーに遊びに行きました。たっぷりとエネルギーをチャージし、日本に戻る日が近づいてきたころ、突然、サイバーエージェント創業者で現在副社長の日高さんから「戻ってきませんか」とメールが届きました。

帰国後、早速挨拶に行くと、「西條君ヒマでしょ。社長室で新規事業をやるから、バイトでいいから手伝って欲しい」と藤田さんからオファーをいただきました。当時の早川副社長に「バイトはちょっと……」と相談したところ「子会社社長のときの条件でいいよ」と言われ、僕はサイバーエージェントの社長室に出戻りすることになりました。

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初めて、自分の意思で子会社を設立

社長室に戻って最初の仕事は、サイバーエージェントが買収したインターナショナルスポーツマーケティングという会社の再生でした。なんと、M&A後に売上のほとんどを占めていた契約が切れてしまい、大赤字の会社になっていたのです。まずは、社員の意識改革を行い全社一丸となって黒字化し、再生を実現させました。

ただ、ここまで2社の子会社社長を経験しましたが、どちらも「ミッション遂行型」で、自分のアイデアで始めた事業ではありません。自分の中の節目である30歳になったタイミングだったこともあり、自分のアイデアで事業をやりたいと思うようになりました。

そこで目を付けたのが、FXの領域です。当時、個人向けのFXの市場は未知数で、インターネット証券などの大手もまだ参入していませんでした。だけど、FXは為替ディーラーの経験が生きるし、チャンスがある。「いかにしてシステムを作ろうか」と考えていたとき、ライブドアの取締役から、ライブドアではシステムを自社開発せずに、外為どっとコムからシステムをOEM提供してもらって参入すると聞きました。

システム構築の手間が省けたら、リスクなく事業をスタートできる。当初、外貨どっとコムは、ライブドア以外へのシステム提供を考えていませんでしたが、僕は諦めずに熱心に担当役員と交渉を続け、サイバーエージェントにも提供してくれることが決まりました。

実は当時、サイバーエージェントの社外取締役だった楽天・三木谷さんはFX事業への参入に反対したそうです。そこを藤田さんが「OEMだからお金もかからないし、西條くんにやらせてみたら」と役員会で押し通してくれた、という裏話もありましたね。

そうして2003年9月、システムもコールセンターも提供してもらい、サイバーエージェントFX(当時:シーエー・キャピタル)という子会社を設立。社員は3名。これが、初めて僕の意思で作った会社です。1年半で黒字化にし、グループ子会社の中でも稼ぎ頭になりました。

ただ、藤田さんから言われたのは「FXは儲かっているけど、業界順位はたいしたことないよね」と。たしかに、業界でナンバー1になろうとは、考えたことがなかった。目的が、会社を立ち上げ、黒字化することになっていたのです。1位を目指そうとする意志がなければ、小規模事業者の域を超えられない。世の中に価値提供をしたいなら、業界1位を目指すべきであることを、このとき学びました。その後、業界 TOP3に入ることができました。

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ゲーム会社社長になり、子どもの頃からの夢が叶う

サイバーエージェントFXの設立から2カ月後、実は同時進行でジークレストというゲーム会社も作りました。みずほキャピタルの黒崎力蔵さんから、「システムプロ(現:システナ)が数名のゲーム部門を分社化するのでその社長を探している」と声がかかったのです。

小学生の頃から「ゲーム会社の社長」になることが夢だったので、このチャンスを逃すわけにいきません。そこで、システムプロの逸見社長にお願いしてジークレストをサイバーエージェントの連結子会社にする許可をいただき、ほぼ同時期に2社を立ち上げました。もちろん、働き詰めの毎日です。当時は倍働けば倍成長できると信じて疑いませんでした。(笑)

さらに、その翌年の2004年には、サイバーエージェント本体の取締役に就任。2005年には、サイバーエージェント・インベストメント(現:サイバーエージェント・ベンチャーズ)というVCの子会社を設立しました。

このVCは、厳密にはサイバーエージェントのために投資するコーポレートベンチャーキャピタルではなく、純粋なベンチャーキャピタルです。ビジネス経験を積んできたからこそ、学生時代に一度は就職したいと思ったVCを立ち上げ、アジア5カ国への進出も果たし、学生時代からずっとイメージしていた通りのVCになりました。

こうして、自分がやりたいことの多くが実現しました。残るは海外ビジネスです。そもそも、日本の製造業は海外で成功しているのに、インターネットの会社が海外で成功した事例がなかった。だからこそ、海外での成功事例を作りたいという使命感にも似た思いを持って渡米。2010年にCyberAgent America,Inc.を設立しました。

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海外での苦い経験を持って、退職

しかし、待っていたのは厳しい現実でした。従業員は40名近くいて楽しかったのですが、同時に無力感も味わいました。日本ではある程度知名度のあったサイバーエージェントですが、当然、アメリカには知られていません。現地の人は知らない会社で働きたいなんて思うわけがない。ストックオプションなどのインセンティブもないので、優秀な人材の現地採用は本当に苦戦しました。

事業に完全に失敗したとは思っていませんが、海外での起業の厳しさを学びましたね。

そうして、アメリカに渡って2年が経ったころ、サイバーエージェントでやりたいことはほぼやりきったと思いました。経営スキルも身につき、海外進出も経験できた。次はいよいよ起業のタイミングだと思い、退職の意を藤田さんに告げました。

本体の役員を退任し、帰国と同時に会社を退職。ただ、FXの子会社だけはうまく社長を引き継げていなかったのが気がかりで、売却先を探しました。結果的に、ヤフーに210億円で売却。それが、サイバーエージェントでの最後の仕事になりました。

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退職後も複数社の経営に携わる

実は、帰国の準備をしていた2013年の年初に、伊佐山元さん(WiL共同創業者CEO)から声がかかり、現地のカフェで話をしました。

伊佐山さんから聞いたのは「日本とシリコンバレー、ベンチャーと大企業を結ぶ、大規模な投資ファンド」の構想。独立系ベンチャーキャピタルの1号ファンドで、いきなり数百億円規模というのは聞いたことがありません。コンセプトは大いに共感できて素晴らしいものの、正直そのような規模が目指せるのか半信半疑でした。

しかし、熱心に頼まれるとなかなか断れない性格の私は、とにかく伊佐山さんを信じて一緒に動くことにしたのです。

実際に、大企業に資金調達のお願いをしてまわってみたところ、折しも大企業のオープンイノベーション熱が高まりつつあった時期ということもあり、「これはいけるのでは?」と思うように。結局、後輩2名を誘い、そのまま共同創業者としてWiLの設立に関わることになりました。

ミドル・レイターステージの投資は、前職のシード・アーリーステージの投資とはまた違った学びが多く、また大企業のオープンイノベーションのお手伝いもやりがいのある仕事でしたね。特にソニーとのジョイントベンチャーであるQrioの設立と経営では、ハードウエアの製造やIoTビジネスという新しいチャレンジができて本当に勉強になりました。

時を同じくして、若手ベンチャーキャピタリストの中で存在感を増していた佐俣アンリさんから、奥さんの佐俣奈緒子さんが経営する「コイニーを手伝って欲しい」という話をもらいました。立ち上げに時間のかかる決済事業で、大型の資金調達が必要だったのです。

こちらもWiLのときと同じように熱心に頼まれたのと、社長を筆頭に初期メンバーが優秀だったため、つい手伝うことになりました(笑)。

それから数年がたち、WiLもコイニーも一定の責任が果たせたと思い、それぞれ2017年末、2018年1月末で卒業。「今度こそは、自分で会社をやるぞ」と決意したのでした。

こちらの記事は2018年04月11日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

田村 朋美

写真

藤田 慎一郎

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