伊藤 豊
スローガン株式会社
取締役チームアップ株式会社
取締役東京大学文学部行動文化学科卒業後、2000年に日本アイ・ビー・エム株式会社に入社。システムエンジニアの経験の後、関連会社での新規事業企画・プロダクトマネジャーを経て、本社でのマーケティング業務に従事。2005年末にスローガン株式会社を設立、代表取締役に就任。著書に「Shapers 新産業をつくる思考法」(クロスメディア・パブリッシング)がある。2021年度より経済同友会第2期ノミネートメンバーに選出。
どういう目的・経緯で起業したのでしょうか?
もともと起業なんてするつもりはなかったのですが、たまたま、どうしても解決したいと思った課題が自分の中で明確になったので起業しました。2004年当時、外資系の日本支社で働いていたので、ちょうど日本市場が縮小して日本支社の裁量がどんどんなくなっていき、世界における地位が沈下していったように感じました。それは外資日本支社の話だけではなく、日本全体の縮図じゃないかと思ったんですね。人口減少・少子高齢化でマクロトレンドで下降するのは仕方ないものの、何かしらそこに抗うことができないか?と思い始め、人材の配置問題という仮説にたどり着きました。
同じような問題意識で既に取り組んでいる会社がなかったので、自分でやるしかないかなと思いました。そんな経緯で、創業の動機が、青臭い理想主義みたいなものだったので、誰かがつくった会社にお世話になる形でやろうとすると、理念とかいいからまず稼いでくれって言われるのがオチだろうなと思ったというのもあります。
だから、儲かることや自分ができそうなことは一回すべて忘れて、とにかく自分自身が本当にやる価値がある、社会にとっても意味のあることをしよう。そう思ったんです。起業するといろんな人からその市場は大きいの?と聞かれるのですが、市場の大きさも無視することにしました。とにかく意義が第一優先。だから規模は二の次で、仮に大きくなれなくても仕方ない。小さくてもいいから意義があることをやろうと思ったんです。
伊藤 豊氏の回答
外部資本を入れたということは、上場を目指すということでしょうか?
もともとは、上場する必要があると思えば考えるし、必要ないとかすべきじゃないと思えばしない、という教科書的な考えを持っていました。
しかし、自分たちの事業はとても社会性のある事業だし、ミッション・ビジョンも社会性の高い広がりをもったものなので、これが本当に実現すると特定の個人が所有するプライベートカンパニーである方が違和感だと感じたんです。
また自分自身も半永久的にスローガンの社長なのではなく、自分より適切な経営者がいたら社長を譲り、引退すべきだと思えるようになったこともあり、なおさらプライベートカンパニーにすべきじゃないんじゃないと思うようになりました。今はまだまだ未熟ですが、このままやり続ければ、将来的に必ず社会の公器にふさわしい事業グループになるという確信はあります。
伊藤 豊氏の回答
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