連載手嶋浩己 XTech Ventures 創業秘話

エニグモ須田に会えなかったら、今も僕は博報堂にいたかもしれない

インタビュイー
手嶋 浩己

1976年生まれ。1999年一橋大学商学部卒業後、博報堂に入社し、マーケティングプランニング、ブランドコンサルティング業務等6年間勤務。2006年インタースパイア(現ユナイテッド)入社、取締役に就任。その後、2度の経営統合を行い、2012年ユナイテッド取締役に就任、2018年退任。在任中は多数の新規事業の立ち上げや、メルカリ等へのベンチャー投資、複数社のM&Aの実行等で貢献。2013年〜2017年メルカリ社外取締役。2018年、XTech Venturesを共同創業し、現在は代表パートナー。2019年には株式会社LayerXの取締役にも就任。

須田 将啓
  • 株式会社エニグモ 代表取締役 最高経営責任者 

慶應義塾大学院を卒業後、2000年に博報堂入社。2004年に株式会社エニグモを設立し、代表取締役に就任。2013年に代表取締役 最高経営責任者に就任。海外在住のパーソナルショッパー(出品者)から世界中のアイテムを購入できるソーシャルショッピングサイト「BUYMA」を運営。

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日本にインターネット業界が生まれて20年。30代40代のITミドル層には多くのプロ人材が育った。しかし、起業に至るミドル層は諸外国に比べても半分以下だという。この状況を打破すべく生まれたVCが、XTech Venturesだ。共同創業者は、サイバーエージェントで複数子会社の社長を務め、2018年にXTechを創業した西條晋一氏と、2018年6月にユナイテッドの取締役を退任した手嶋浩己氏。手嶋氏はどのようなキャリアを経て、VCを立ち上げるに至ったのか。全4回の連載で紐解く。

第1回は、新卒で入社した博報堂時代を共に過ごした、エニグモ代表の須田将啓氏とのエピソードをお届けする。

  • TEXT BY TOMOMI TAMURA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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新卒では博報堂に入社。初めての後輩が須田氏

お二人は博報堂時代の同僚だったんですよね。

手嶋僕が1999年に新卒で博報堂に入社して、須田さんはその翌年に入社しました。後輩ができることが嬉しくて、先輩ヅラして何か教えようと思っていたら、須田さんは配属されるとすぐにデスクでパソコンを分解していたんです。あれには驚きましたね。

須田社内のLAN経由ではなく自分で直接ネットにつなごうと思ってカスタマイズしたんです。そしたら、「勝手につなぐな」とシステム部の人が慌てて駆けつけてきて(笑)。

手嶋結局、そんな須田さんに僕が教えられたのは経費精算くらいでした(笑)。

当時のお互いの印象はどうでした?

須田グループインタビューやワークショップのファシリテーターが上手い人だなと思っていました。参加者の考えを引き出し、サマライズするのが上手で、手嶋さんと話していると自分の頭が整理されたり、ひらめきがあったりして。一緒に後輩を連れてスノーボードによく行ったのですが、後輩たちへの面倒見も良かったですね。

手嶋須田さんは仕事にオーナーシップと当事者意識がありました。当時、月報というのがあって、僕はそれが好きで30人くらいが所属している部署のいろんな人の報告を読んでいたんですね。僕の場合は目の前のプロジェクトしか頭になかったけれど、須田さんは会社環境や組織運営について提言するなど視点が違っていました。振り返れば、その頃から経営者としての視座があったのかなと。

須田いや、すごく小さいことなんですけど、経費削減の観点でオフィスからウォーターサーバーがなくなったことがあったんです。すると僕のモチベーションは下がる一方で。この事件がきっかけで、社内環境には敏感になりました(笑)。

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起業に触発されて、博報堂を飛び出す

須田さんは入社4年目の2004年に退職し、エニグモを創業されました。それに対して手嶋さんはどう思いましたか?

手嶋広告の世界にどっぷり浸かっていた僕にとって、当時のネットベンチャーは遠い世界の話。そこに身近な人が飛び込んで起業したのにはすごく驚きました。

須田一緒に創業するメンバーがいたので踏み切れました。30歳までに起業したいと漠然と思っていましたが、日々の仕事は楽しかったので、もし一人で考えていたら起業するタイミングはもっと遅かったかもしれません。

創業時の共同代表で博報堂の同僚だった田中としょっちゅう飲みながら「何かやりたいね」と話していて、やりたいことが決まってからは、とにかく早く起業したい気持ちが強くなりました。

手嶋当時、須田と田中の2人を含めて、3人が一気に辞めたのは、ちょっとした事件になったよね(笑)。

須田そもそも博報堂を辞める人がいなかったですからね。僕が起業するって手嶋さんに伝えた時、率直にどう思いました?

手嶋CtoCという日本では馴染みのない領域で、すごくおもしろそうな事業だけど、そもそもWebサイトってどうやって作るんだろうって、当時の僕は思いました。何をどうやったら良いかわからないと言うか。それに、今と違って起業に関する情報がないから大変そうだなと。

須田本当に何も知らない、情報もない状態で飛び出したから大変でした(笑)。大規模なシステムを発注したことがなかったので、最初はシステム会社選びに失敗して夜逃げされたりして。わからないことだらけでしたね。

手嶋ただ、この出来事には相当刺激を受けました。ネット業界に飛び込んだ須田さんがいて、同じタイミングで球団を買おうとしている堀江貴文さんがいた。なんだかネット業界は面白そうだぞ、と。博報堂の仕事は面白かったけれど、後世にまで残らない広告の仕事ではなく、事業づくりをしてみたいと思っていたこともあって、20代のうちから会社経営を実践できそうな機会をネット業界で探そうと決め、転職しました。

須田まさか、手嶋さんが博報堂を辞めるとは思っていなかったです。

手嶋半分は須田さんの影響、半分は堀江さんの影響です(笑)。

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風向きが変わったのは2012年。CocoPPaの成功を経てメルカリに投資

博報堂を卒業し、それぞれ別の道を歩み始めたわけですね。

手嶋そうです。僕はいろいろあって博報堂グループのDACというインターネット広告の会社に転職してすぐに、出資先だったモバイル広告のインタースパイア(現:ユナイテッド)の副社長として、会社の立ち上げに携わりました。

自らアクションを起こしたことで、20代のうちから会社経営を実践する目標は実現できた。ただ、やっていたことはモバイル広告の営業。労働集約的な事業で、オリジナルなインターネットサービスを持っていたわけではありませんでした。

だから、起業して独創的なサービスを生み出し成長していた須田さんに対してコンプレックスを持っていたんですね。どこかで、「エニグモには負けられない」と思っていました(笑)。

そのコンプレックスが消えたのは、2回の経営統合を経て、社名がユナイテッドになった2013年。CocoPPa(ココッパ)というスマホアプリを自分たちでゼロから企画して作り、世界で4,500万ダウンロードされるまでヒットさせたことで、「これでようやく同じフィールドに立てた」と思いました。

須田ガラケーのモバイル広告からスマホにシフトして、CocoPPaの大ヒットで手嶋さんのキャリアは完全に流れが変わりましたよね。しかも手嶋さんがすごいのは、一発当てて終わりではなく、そこから訪れたチャンスを全部掴んできたこと。創業間もないメルカリに投資するなど、投資家の一面もこの頃に生まれましたよね。

手嶋当時のスマホサービスについては、日本でもかなり詳しかったと思うんです。だから創業間もなかったメルカリの山田さんと会ったときも、すぐに構想に共感して意気投合し、社内を説得して即座に投資を実行しました。

でも、あの時点でメルカリに投資できたのは、エニグモのBUYMAを2005年からずっと見ていたから。きっと誰よりもこの領域を潜在的に注目していたので、「CtoCが成り立った時のインターネット的な部分、スケーラビリティ、そして収益性はすごい」と思っていました。

だから、CtoCマーケットプレイスの「スマホでフリマ」と聞いたときに、「これは確実に大きな市場が生まれる。それを山田さんがやるのであれば投資すべき」と瞬時に判断できました。まだメルカリの輪郭がはっきりしていなかった頃なので、須田さんには「投資でいいの? 自分でやらないの?」と投資後に言われたことを覚えていますよ。

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常に向上心がある状態で会いたい仲間

須田さんは、手嶋さんに影響を与えた最初のキーマンですね。

手嶋博報堂にいたときは目の前のことを一生懸命やっていたので、何かきっかけがなかったら今も博報堂にいたかもしれません。だから、博報堂を辞めてエニグモを立ち上げた須田さんに出会ってなかったら、今の僕はいないかもしれない。

そういった刺激を最初に与えてくれたのは、まぎれもなく須田さんなので、事業や会社がうまくいっていないときでも、常に向上心がある状態で須田さんとは会いたいなと思っています。ところで、エニグモはこれからどう成長させていくんですか?

須田今は14期目で、僕が50歳になるときエニグモは20期を迎えます。その節目までに世界で通用する会社に育てたく、それを目指して戦闘態勢に入っているところですね。上場して6年が経ちますが、その間ずっと安定して大きな成長を描ける会社の姿を模索してきました。それがようやく見えたところです。

エニグモはCtoC領域先駆者だという自負があり、ようやく英語版BUYMAも成長の兆しが見え始めた。2018年7月にはBUYMA TRAVELもローンチしましたし、エニグモ自体をなんとしてもグローバルで成功させたいと考えています。

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活躍のフィールドが変わったことで、本来の良さが生きる

振り返って、手嶋さんが博報堂時代から変わらないことは何ですか?

須田ファシリテーション能力ですね。今でも手嶋さんと食事に行くと、新しい発見や気づきを得られるので、不定期で話したい存在です。

手嶋たしかに、僕個人がやりたいことを追求するよりも、相手が潜在的にやりたいと思っていることを特定し、それを膨らませていくのは得意です。だから結果として、投資家の仕事に向いていたんだと思います。

須田手嶋さん自身の持っているものは変わらないけれど、活躍のフィールドが変わったことで、その能力が化けた。あと、最近、何だかマイルドになりましたよね。

手嶋それ自分でもわかります。博報堂を辞めてゼロから会社を立ち上げていく過程で組織作りや人への接し方で失敗したりもして、自分を変えないといけなかったんですね。だからマイルドになったと感じたんじゃないかな。

それに、2012年にCocoPPaを作るまで、うまくいかないことにやり場のない怒りもあって、少し卑屈になっていたんだと思います。正直、経営や事業には向いていないのかなと思うことも。だけど、自分に自信を持てたことで、雰囲気はマイルドになったのかな、と。

須田たしかに、手嶋さんからは漂う自信を感じます(笑)。今回、手嶋さんがVCを立ち上げると聞いたとき、本当にピッタリだと思いました。手嶋さんという一人の人間が出せる社会へのインパクトはVCで最大化するんじゃないかな。

手嶋自分でもそんな気がしています(笑)。今後、なんらかの形で一緒に仕事ができたらいいですね。

こちらの記事は2018年10月02日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

田村 朋美

写真

藤田 慎一郎

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